エルボー
わたしは幸せになれると感じた。
これが彼、肘土隆太との関係性において、一番大切な事である。
それは絶対と言って良い。
だから、彼との出会いの日。
春の路上が雨上がり強風で色々な物が巻き上げられている中、スカートもマリリンモンロー的な膨らみ方をしたとか、
気晴らしで被っていたGUCCIのつばの広い羽根つき帽子が、
雨水が蛇の背のようにたまっていた車輌の往来の激しい道路側に旅立とうとしていた事とかは、今となっては、どうでも良のだ。
しかしその時は、二択を迫られていた。
帽子とスカートのどちらを押さえるか。
いや、もちろん彼が視線を外してくれたら良かった話しだが。
彼はというと、電子機器メーカーのロゴが入った大箱がうず高く空中に伸びた柱と化したそれを、両手で抱えて、
ビルの扉の硝子を肘や肩で押していたところだった。
その美しく切れ長な瞳は雷に撃たれたかのように大きく開かれ、口は半開きで。視線はわたしにくぎ付けだった。
こちらも、である。一目惚れとはこの事だ。お互いに運命を感じていた。
しかし、選択がいつまでもされない事に業を煮やした風は、更なる突風となり、襲ってきた。
結局観念して帽子を手放し、スカートを両手で押さえつけた。恥を選んだのだ。さようならGUCCIの羽根つき帽子18万円。と、思った時。
刹那と思えるほど短い間に、彼は電子機器の箱たちを路上に投げ出して、わたしのGUCCIに全力疾走、跳躍し、
フリスビーみたいに捕獲してくれたのである。
それは、優秀な血統犬みたいに、しなやかな運動であった。
しかもわたしは犬派である。これはますます直感に確信を与えた。
そう、冒頭でも述べたように、わたしは彼と幸せになれる、と感じたのだ。
しかし、男女というものに、別れは突然訪れる。それは出会いと同じように。
……いや、あれは別れというより、悲劇だ。運命的なその日の出会いから3か月後、肘土と交際を始め、1年後、婚約をした。
わたしたちは、彼のご両親への報告もかねて、山形県へ婚前旅行に車で出発する。
途中宿泊したホテルで、夜中に腹を下した。緊張が大腸に来たのだ。
彼の眉目秀麗な寝顔を確認してから、腹痛に眉間を歪めた。漏れそうだった。
危機に急かされ、トイレに急ぐ。鍵をかける事すら忘れて、必死で便座にたどり着き、下る腹部をなだめるように、大をした。
ようやく痛みも治まり、肘で、トイレの壁に備え付けの流すボタンを押した時。
彼がドアを開けて。わたしたちの視線は、驚愕を含みながら、交差した。翌日。山形県に入る前に引き返す。理由は婚約の破棄。彼いわく
「肘でボタン押すのは信じられない。一晩考えたけど、もっと考える必要があるんだ。お互いの価値観や習慣について、ね」
肘で押すぐらい何だと言うのだ。肘でご飯は食べない。指で押すより衛生的だろう。それにわたしはちゃんと洗う!
それでも了承し、新幹線の駅まで送ってもらった。一緒に帰るには、ショック過ぎた。パーキングに止めて、改札まで見送ろうと言う彼の言葉を謝絶し、
代わりに、少し屈んで、目を閉じてもらう。それからわたしは、半身の姿勢を取り、肘を肩の後ろまで引いて。
バレリーナnokoruように回転し、彼の美しく秀でた鼻っ柱に、エルボーをめり込ませた。