そして彼らは猫を飼う
外に出ると周囲はすっかり暗く、道路の足元を照らす青白い光が三次元的に展開されている道の様子をくっきりと映し出していた。
超過密人口を賄う土地を確保するために空中にめぐらされたこれらの道路は、いびつだの危険だのとのたまう輩もいるが、私には幻想的に思える。二十世紀後半、第二次世界大戦後に流行ったサイエンス・フィクションに似た絵を見た時は感動すら覚えたものだ。たかだか百五十年で世界はフィクションに追いつきつつある。
自動タクシーが私の前に静かに止まる。乗り込んで扉が閉まり空間が閉鎖されると、ふうと息を吐いた。
腕のウェアラブルコンピューターが自宅からのメッセージを受信していた。それも二時間も前に。
誘ったのはこちらだが、なんたってあいつはあんなに話が長いんだ。しかもいつもはデブ症……違った、出不精のくせにこういう時だけは行動的なんだ。ペットの楽園の下見に連れ回されることになるとは思わなかった。
しかもお土産ってなんだ。今度連れてくるんなら買っていく必要ないだろう。
――まあ、おかげでいいデータが取れたと思うことにしよう。
もう一度浅くため息を吐いてメッセージを開く。出かける前にかけてきたデータ解析が終わったようだ。添付されているファイルを適当に選ぶと、連動してアイグラスに中身が表示された。
いくつかのファイルの中に、目当てのものを見つけた。
人工知能に働かせ、人間は遊んで暮らす。そんな夢を追いかける研究機関があった。
……過去形で語らねばならない機関なのだが。
自発的に思考し、動き、働く人工知能自体は、随分昔に開発されていた。一人の天才科学者が開発した意味の分からない、しかしなぜか動くAIだ。AIの発見――博士の死後遺稿として発見されたため、開発ではなく発見という表現が定着した――から半世紀以上が経過した今でも全貌が明らかになっていないあたり彼の異質さがよく分かる。
彼の作った完全に自立するヒューマノイドは休暇や報酬を求め、すべてを機械にやらせる人間を冷たくあしらい、ストライキが頻発した。何もそこまで人間的にしなくて良いのではないかと思わず言いたくなる出来だ。(実際、当時のメディア情報にはそういった記事が散見される)
多くの学者たちが解析を進め、報酬や休暇要求といった人間味を排除すると、今度は命令が入らなければ何もしなくなった。パターン化された家事はこなせるが、不測の事態にはフリーズする、旧世代ヒューマノイドと同様の人形になった。
それでもなんとか自発的に人間に仕え、かつ自立するヒューマノイドを開発したい。
ヒューマノイドが社会のすべてを回し、人間はその横で彼らの恩恵を受け遊んで暮らしたい。
その研究機関は、そんな夢を追い求める場所だった。やっていることはそのAIの解析と改良であったが。
アイグラスに映しだされているのはその研究機関の実験結果だ。通称「箱庭試験」と呼ばれている。名称だけなら現代史に出てくる用語なので、人工知能に親しくない一般人でも聞いたことくらいはあるだろう。
テスト用のアパートメントで一人に一体ヒューマノイドを付けて、ヒューマノイドが全ての生活を支えるその試験は、通算十六回行われた。
有名なもの幾つかしか結果を知らないため、いつかすべて見てみたいと思っていたのだ。
思っていた通り、非常に興味深い。
最初の箱庭試験では、彼の作ったAIがそのまま使用された。
試験三日後には、ヒューマノイドは人間には最低限の生活必需品しか渡さず、嗜好品・贅沢品に分類されるものは全てヒューマノイドだけで消費する、ヒューマノイド貴族社会が出来上がった。
高級衣料品についてはまあ分からなくもないが、食事を必要としない機械のはずのヒューマノイドたちはなぜか高級食材も独占した。モニタリング終了後には保存のきく高級食材があちこちの部屋から発見されたそうだ。
二度目の試験は、嗜好品や贅沢品に対して感心を持たないよう調整されたヒューマノイドで行われた。
すると嗜好品や贅沢品は次々に捨てられ、結果として人々は最低限の必需品だけで生活することになった。終了後のアンケートでは、修行僧か何かになった気分だったと多くの人が回答していた。
八度目は人間を完全な庇護対象であると設定して試験した。随分昔の試験であるが、未だに人工知能学の教科書に成果が載っている。
人をベッドにくくりつけ一切の行動を許さないもの、合法な薬品を混ぜあわせ多幸感を得る所謂合法ドラッグを与えようとしたもの、多少の口論があった程度の隣人を夜半に襲撃し行動不能にしようとしたもの。
どれも「設定された庇護対象を全身全霊をもって保護し幸福たらしめようとした結果」であり、間違いなくヒューマノイドたちは設定された理念に基づいて行動していたが、試験は既定終了日を待たずに終了となった。
十三度目は世話を焼くことに幸福感を覚える設定がなされた。
試験の前半はうまく行ったように思われたが、後半に暇を持て余した多くの人間が何かしら自発的な家事や趣味に興じようとし、仕事を取り上げられたヒューマノイドがうつになり機能を停止した。
前半はうまく行ったのだからと、その後はうつ状態にならないよう調整が繰り返された。
しかし最後の十六回目の箱庭試験で、ストレスを感じないよう組まれた回避プログラムが誤動作を起こし、ストレスに苛まれ極度のうつ状態になったヒューマノイドにより、人類史上初の、ヒューマノイドによる自主的な殺人事件が起こった。
メディアはこのことを大きく取り上げた。
また、これが起こった時期も悪かった。既存のプログラムの改良――家事パターンの多様化や会話機能の発展――が大きく進んだ直後だったのだ。危険な自立ヒューマノイドは不要との世論が強くなり、研究機関は閉鎖された。
しかし。
しかしだ。
それでもそこに夢があるのだ。
そう、浪漫と言ってもいい。
私は諦めない。祖父が諦めなかったように。
タクシーが自宅の前に着く。ウェアコンをドア口に当てると自動で精算され扉が開く。そのまま真っすぐ家に入り、特大のディスプレイが四つ並ぶ自室へ入る。
友人に「社長イス」と揶揄されるお気に入りの椅子に腰掛け、仮想キーボードを走らる。
改良方針は決まっていた。
むしろ先人たちはなぜこれをしなかったのか。
そこに理想的なモデルケースがあるではないか。人間に働かせ、人間に自発的に世話をさせる、理想形が。
私は第十七プログラムファイルを作成した。
失敗した。
いや、成功と言っていい。行動結果だけ見れば大成功だ。ヒューマノイドは私を甲斐甲斐しく世話し、しかし危険がない限りある程度放任し、最後まで幸福そうでうつになることもなかった。
しかし私の感性では、おそらく世間一般の感性でも、これは失敗だろう。
部屋には私の顔に良く似た絵や、私の顔によく似た置物がまばらに、しかしよく見える位置に置かれている。
私は決してナルシストではなく、試験を始める前にはこのようなものは一切なかったのだが、ヒューマノイドが次々にどこからともなく持ってくるのだ。ヒューマノイドが嗜好品に目覚めた時のために予算は多めに設定していたが、こんな事になるなんて思いもしなかった。
何度でも言うが私はナルシストではないので、このような状態に耐えられそうもなかった。
友人の家を思い出す。言われてみれば確かに、彼の家もこのような状態であった気がする。
私は諦めない。
美的な感覚が私から乖離しているからこのようになるのだ。可愛いと思うものを、私の感覚に合わせればいい。
なに、ほとんど成功している。
これを直し、私は人工知能の歴史に名を残す偉大な研究者となり、そして余生を彼らに任せて生きるのだ。
私の隣に、私を世話するべきヒューマノイドがいる。
こいつはもはや私の世話なんぞしてはくれないが。
背後でにゃあにゃあと鳴き声がする。
私のヒューマノイドは、かわいらしい子猫を甲斐甲斐しく幸せそうに世話していた。