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8.

 中学三年の三月、深雪は高校に合格した。まだ桜の咲き始めたばかりの坂道を、ゆっくりと上って行く。ここを通るのも、実に一年半ぶりぐらいのことだろうか。桜の咲くこの場所を歩くのは実に二年ぶりだと思う。懐かしくて、涙が溢れそうになった。だんだんと坂が緩やかになり、高台の頂上が見えてくる。灰色の鳥居が見えた瞬間、足がすくんだ。頭の奥底に埋もれてしまいそうなほど遠い記憶。明日香の笑顔。あまりにも遠すぎる思い出なのにそれでも鮮明に思い出すことができるのは、きっとそれほど明日香との出会いが深雪の中で大きいものだったからに違いない。恐るおそる、一歩を踏み出す。少しずつ近づいてくる鳥居が、段々と鮮明に視界に捉えられ始めた。明日香はそこにいるだろうか。もう、明日香と会えなくなって一年半が経っていた。今日の合格発表を終えて、やっと母親からの外出許可が出た。いや、本当はたまに許可は貰えていた。だけど、どうしてもこの場所へ来る勇気が湧かなかった。自分は明日香との約束を破った人間だ。なんて顔をして明日香に会えば良いか分からなかった。毎日必ずこの神社へやってくる。何が必ずだ、と二年前の自分に対し愚痴を零した。だけど。だけど明日香なら、深雪のことを許してくれる気がした。同時に、自分勝手だと思った。情けないと思った。逆の立場だったら、こんな自分呪い殺してしまいたいと思うに違いない。でも、それでも良いと思った。一言明日香の声が聞きたかった。たとえその一言が、もう二度と会いたくないというような、そんな冷たい言葉だったとしても。とにかく、会いたかった。嫌われていても良い。その時は、それだけのことを自分はしてしまったのだと後悔するしかない。だから、逃げ出さない。ゆっくりでも確実に前へ進んでいく。鳥居が完全にその全貌を露わにした。

明日香の姿は見えない。おかしいと思った。いつものこの場所からなら、見えるはずなのに。言いようのない不安が深雪を覆い尽くした。鳥居の足元に辿り着いた。そこに明日香はいなかった。ポロポロと涙が溢れた。

 「ごめんね……」

 誰にともなく深雪は謝った。そして思い付いたように神社の中へと走った。十円玉を賽銭箱に投げ込んで、ガラガラと鈴を鳴らした。これじゃ足りないと思って、財布からもう1枚百円玉を取りだし入れた。そして、今度は財布を賽銭箱の上でひっくり返した。お札も小銭も全部賽銭箱の中に吸い込まれた。ポイントカードも一緒に中に入ってしまったことが神様に怒られないか不安だった。深雪はもう一度大きな鈴を鳴らした。ガラガラと何度も鳴らした。そして手を合わせて祈った。明日香に、明日香に会いたい。お願いです、神様。どうか明日香に会わせて下さい。嫌われていても良い、1秒だけでも良い、とにかく、とにかく会って謝りたい。謝ってすむはなしじゃなくても、でも謝らないで良い訳ではないから。だから、どうか神様。一生のお願いです。──明日香に会わせて下さい。

 ピンポンパーン──

 ビックリして、深雪はキョロキョロと辺りを見回した。そしてそれが、すぐに駅のホームから聞こえるチャイムの音であることを思い出した。二年前の自分の姿が頭によぎって、思わず笑みが零れる。

 同時に、背後からクスリと笑う声が聞こえた。それは紛れもなく二年前のあの日に聞いたのと同じ笑い声だった。慌てて後ろを振り返る。深雪は目を疑った。何度も何度も目を擦って確認した。一年半の月日が、一瞬にしてゼロになった。ポロポロと涙が毀れた。目の前に、大人びた少女の姿があった。随分と背が伸びて綺麗な女の子がそこに立っていた。少女は、ニッコリと笑って、そして一筋の涙を流した。深雪の心から言葉が溢れ出して止まらなかった。上手く文章にならなくて、でも言わなくちゃと思った。

「ごめん、私、毎日来るって約束したのに、私、毎日って言ったのに、それなのに、ごめん、約束破って、ごめん」

「約束、破ってないよ」

 深雪の言葉をさえぎるように明日香は震える声で言った。

「だって毎日、会いに来てくれるんでしょ?」

 頬を涙が伝っているのが分かる。視界が滲むたびに、深雪は自分の顔を手でゴシゴシと拭った。だけど、涙は止まってくれなかった。明日香は涙でくしゃくしゃになった顔で、笑ってみせた。ドキリとした。それは深雪の大好きな、あの時の笑顔だった。

「ただ……一日が長かっただけだから……」

 掠れた声で、明日香がおかえりと言った。深雪はわんわん泣いて、それにただいまと答える余裕もなかった。視界も涙で完全に失ってしまった。ただ残された聴覚が、自分と、明日香の鳴き声と、そして駅のホームからマイクの入る音だけをかすかに捉えていた。それは一年半ぶりに聞いた懐かしいアナウンス。







“まもなく、一番線に、各駅停車が参ります”

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