7.
神社へ行くことが許されなくなってから数日が経った。噂によれば、高台に紅葉が訪れたらしい。あの坂道の両脇の森が、色とりどりに染まっているのを想像して、明日香と一緒にそれを見たいと思った。一日くらい── そう思って、明日香は母親の言い付けを破ることを決意した。一度明日香に本当のことを言っておかなくちゃならない。母親の言い付けで、神社に来られなくなったこと。でも、毎日じゃなくても、時間を見つけて必ずまた会いに来ること。それだけは伝えておきたかった。そうすれば明日香だって分かってくれるだろう。今日一回怒られればそれですむ話だ。事情を説明して、約束を忘れた訳ではないことをちゃんと伝えておきたい。そうだ。そうしよう。そう思うと、急にワクワクしてきた。何日振りだろう、明日香に会える。その日はずっと放課後が待ち遠しかった。六時間目、おじいちゃん先生の眠たい授業が終わって、大急ぎで荷物を纏め全力で教室を飛び出す。学校から駅まで普通に歩けば20分、次の電車が来るまであと15分。だが足の速さには自信がある。間に合う。学校を出て10分ほどで駅が見えた。間に合った。息を弾ませながら、ゆっくりとスピードを落とす。額は汗にまみれ、髪の毛は走っていたせいでグシャグシャだった。手で適当に整えて、駅へ向かう。そうしたら、不意に右腕を掴まれた。驚いて掴んだ人物を見ると、現代文のメガネハゲの先生だった。深雪のクラスの担任だった。ホームルームの時間に見かけないと思ったら、こんなところに居たなんて。心の中で舌打ちをして、そしてメガネハゲの腕を振り払おうとした。が、意外と力が強い。中学生の女の子の力なんてたかがしれてると思った。悔しくて仕方なかった。
「何処へ、行くんだ」
機械音声みたいに特徴のない声でメガネハゲが言った。黙っていると、再び機械音声が聞こえた。
「以前、君のお母さんから電話があってね。最近、担任団で交代しながら見回りしているんだよ。いや、君以外にもこの辺で寄り道をして帰る生徒がいるらしい。山下も、駅でよく見かけると聞いていた」
「は、離してください」
「家に帰りなさい。中学生の女の子が、しかも一人で寄り道して夜遅くに帰るなんて、それはダメだ。何か危険にでも巻き込まれたら、学校側は責任をとれない」
責任だの何だのって、そんなの綺麗事だと思った。でも、何も言えなかった。何を言ったところで無駄だと思った。どうしてみんなして私の邪魔をするんだろう。今日だけ。一日くらい。そう思っていたのに。神様はイジワルだと思った。
トボトボと家路につく。街を歩きながら、そこかしこに明日香と足を運んだ店があることを知った。クレープ屋を前を通り過ぎて、ちょっと懐かしく思った。そう思いながら歩いていたら、道の向かいから見知った顔が現れた。深雪が片想いしていた男の子が、女の子と一緒に歩いていた。手を繋いでいた。でも、以前に見かけた時ほど衝撃を受けなかった。明日香のおかげだろう、だいぶ立ち直ることが出来ていることを知った。男の子が、深雪に気付いた。
「山下、何してんの、こんなとこで?」
「寄り道。倉橋君も、高野さんも、気を付けた方が良いよ、向こうにうちのクラスの担任が居たから」
「え、マジで?」
「最近寄り道してる奴が多いから見回りしてるんだって、さっき見つかって怒られちゃった」
おどけて笑ってみせると、高野も一緒になって笑ってくれた。以前手を繋いで歩いている二人を見かけた時は後姿で分からなかったが、彼と付き合っているのは、彼女だったんだと今になって知った。どうしようもなく納得してしまう。女の深雪の目から見ても、それだけ彼女は可愛らしく魅力的だった。明日香には負けるけどね、とそこだけは譲らなかった。
「山下さぁ……お前、変わったよな」
不意に、倉橋が言った。え、っと驚いたようにして顔を覗き込むと、彼は笑顔で答えた。その笑顔にまだちょっとドキドキしてしまう。情けなく思えたが、それで構わないと思った。
「なんていうか……それくらい愛想良かったら、運動会の時だって何も言われなかっただろうにさ」
そう言ってから一言悪い、と付け足した。高野は小学校が二人とは異なるので、何の話か分からずちょっとふてくされていた。倉橋が苦笑いで何でもないよと謝ると、とりあえず担任に見つかるとまずいからと言って、そのまま二人は今来た道を引き返して行った。去り際に、高野がありがとうね、と深雪に言った。深雪はそれに笑顔で手を振った。しばらく茫然と立ち尽くしていた。彼は、深雪のことを変わったと言った。何がどう変わったのだろうか。少し考えて、“それくらい愛想が良かったら”という言葉を思い出した。愛想が良くなったという意味で変わったのだとしたら、それは明日香のおかげに違いない。自分ではずっと昔の深雪のままだと思っていた。明日香と会えたおかげで、ちょっとずつ明日香に近づけているのだとしたら、それは素晴らしいことだと思った。なんとなく嬉しくなって、深雪は街を走った。いつか明日香と訪れた本屋も、値段予想ゲームと題して二人でみかんの値段を確認するためだけに寄った八百屋も、ウィンドウショッピングを楽しんでいたら店員に追い払われた宝石店も、どんどん深雪の後方へ流れていく。視界がだんだんとぼやけ始めたことで、いつの間にか泣いている自分に気が付いた。思い出がたくさんあった。明日香と出会ってもう半年くらい経っただろうか。これからもずっと毎日会えると思っていた。ごめん、と何度も謝った。息があがって、胸が痛くなった。心臓が爆発しそうだった。それでも構わず走り続けた。もう一度ごめんと謝ったところで、走るのをやめた。空を見上げると、もううっすらと夜が近づいていることが分かった。街灯が既に光を放ち始めている。曇っているせいか、街灯のせいか、星は全く見えなかった。額を濡らす汗がツツッと目に入って染みた。そのせいでまた涙が出た。いや、泣いているのはそれだけのせいじゃないことを深雪は知っている。でも、そういうことにしておきたかった。諦める訳じゃない。いつか機会があれば、またあの神社へ行こう。必ず行こう。日にちが経つにつれ、行くのが怖くなるかもしれない。でも、何日、何週間、何か月経ったって、明日香は待ってくれている。そんな気がした。必ず。必ず行くからね、明日香。そう心に誓って大きく息を吸った。心なしか、いつの日か味わった桜の香りを感じたような気がした。




