6.
季節は流れ夏休みに入り、本格的な夏がやって来た。あまりに暑いので、各駅停車にゴトゴトと揺られながら海へ出掛ける日が増えた。と言っても、泳ぐ訳でもなく、ただただ砂浜を裸足で歩くくらいだった。二人でくだらない話をして笑ったり、水を掛け合って笑ったり。でも夏休み終盤には二人とも海まで行く交通費を捻出出来なくなって、街へ行くか明日香の家で話すかして過ごす日が増えた。中学生の財政事情は色々と厳しいのだ。その時の待ち合わせ場所はいつもあの神社だった。明日香はいつも同じ鳥居の足元で、そして深雪よりも先にそこに居た。夏休みに入ってからは坂を上って歩いて神社へ向かうことが多くなった。学校からでは電車に乗った方が早く着くのだが、家からなら歩いた方がずっと早かった。それでも坂を上るのは結構な体力がいるので、項垂れるほど暑い日は電車で行くこともあった。あっという間に夏休みが終わって、九月になり、中間テストが終わった。十月に差し掛かりあの高台にも紅葉が訪れようとした頃だった。いつものように神社へ寄ってから家に帰ると、玄関で母親が仁王立ちしていた。
「どうしたの、お母さん」
「あなた、ここ最近ずっと、どこほっつき歩いてるの?」
ギクリとして、言葉に詰まった。鬼のような形相をしていた。まずいと思った。深雪は空に目を泳がせながら、返答のための言葉を探していた。母親は呆れたように溜め息を吐いた。
「学校に電話してみたんだけど、こんな遅くまで授業やってる訳じゃないみたいね。部活にも行ってないみたいだし、どこで何をしてるの」
神社に行っている。心の中で呟いて、その言葉を飲み込んだ。話しても分からない。当り前だ。神社に行って何があるだろうか。何もない。普通、そう思うだろう。かと言って、明日香との出会いをつらつらと述べるのもどうかと思った。そもそもそれを説明して納得させることが出来るなら、普段から帰りが遅いことで心配させないように嘘の一つくらい繕える。深雪は話術に自信なんてなかった。黙っているのが一番だと思った。そうすれば、いずれやり過ごせるだろう。玄関先でしばらく睨み合いが続いて、と言っても母親が深雪を一方的に睨んでいただけだが、何分くらい経った頃だろうか、母親がやっと口を開いた。いや、本当は何分も経っていなかったのかもしれない。早くこの場を逃れたいと思っていた深雪には、途轍もなく長い時間に感じられた。
「中間テストの結果、見せてもらってないんだけど」
心拍数が跳ね上がるのを感じた。今回は特別悪かったのだ。よりによって、こんな時に思い出さなくても良いのにと思った。でも、まだ返ってきてないだとか、しらを切ればやり過ごせるんじゃないかと思った。ところが、その言い訳は母親を激昂させただけだった。
「さっき電話した時に、テストの結果聞いたわよ。ちゃんと返却した、って先生仰ってたけど」
しまった、と思った。後悔は先に立たない。ただ黙って俯くことしか出来なかった。
「夏休みもずっと遊んでたでしょ? あなた成績はそんな悪くない方だったから何も言わなかったけど、いくらなんでも遊びすぎじゃない?とにかく、今日から外出禁止です。土日も含めてずっとよ。あと学校がある日は4時までに家に帰ること。良い?」
「4時って……そんな!」
それじゃぁ、明日香に会えなくなる。それだけはどうしても避けたかった。そんなこと許されて良いはずがない。深雪と明日香の絆を切り裂く権利なんて誰にもないはずだ。だけど── だけどなんて説明すれば良いだろう。どう説明すればそのことが通じるだろう。何も良い考えが浮かばない。悲しくて情けなくて仕方なかった。
「何言ってるの、そもそも年が明けたらあなた、受験生なのよ?内申は今の時期が大事なのに、あんな成績じゃ良い高校に行けないでしょ」
「こ……高校なんてどうでも良いじゃない!」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい。あと、それから、家庭教師に深雪の勉強見てもらうようお願いしたから、ちゃんと4時までに帰ってくるのよ」
一瞬、意味が分からなかった。すぐにそれが明日香と会えなくなることを意味することだと理解して、深雪は後頭部を殴られたような思いに駆られた。
「な、何よ家庭教師って、そんなの私聞いてない」
「悪いけど、もう申し込んだから、しっかり勉強しなさい」
「……嫌だ。そんな勝手許さない」
「親に向かって許さないとは何? 我がまま言わないで、言うことを聞きなさい」
怒気を含む言葉に深雪は思わず口ごもった。ポロポロと、涙がこぼれた。悔し涙だった。どうしてこの人はこうなんだろう。もはや訳が分からない。それが本当に深雪のためになると思っているのだろうか。いや、確かに勉強的な意味ではなるのかもしれない。でも、勉強が全てな訳じゃない。母親にだって中学生だった時期があったはずで、それが全てじゃなかったことくらい分かってるはずなのに。私はいったい、どうすれば良いの?と何度も何度も自問自答して、唇を噛み締める。涙が止まらなくなった。さすがの母親も少し心配そうにどうして泣いてるの?と尋ねた。腹が立った。あんたが原因でしょ、と心の中で吐き捨てた。睨みつけるように母親を見た。少したじろいだような表情を母親は浮かべていた。
「お母さんなんて……大嫌い」
一言そう口にして、そして母親を押しのけ階段を昇っていった。自分の部屋に入り鍵を閉めて制服のままベッドに倒れこんだ。そしてわんわん泣いた。ごめんね、明日香。と心の中で何度も何度も謝った。