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3.

深雪が毎日神社へ足を運ぶようになってから、10日近く経ったある日の昼休み、教室から外へ出ようとすると、一人の男の子とぶつかりそうになった。ごめん、と謝ってその男の子の顔を見て、ドキリとした。深雪がずっと片想いしていた人だった。

「悪い、俺もボーッとしてた」

 男の子が笑顔で言うのを、深雪は見つめることが出来ずに俯いた。ここで、明日香みたいに笑顔の一つでも返せれば良いのに。どう思われているかは知らないが、これじゃぁ愛想の悪い女だと思われていても、仕方がない。そのまま逃げるように教室を出る。出たところで、その男の子から呼び止められた。

「そういや、山下」

 振り返ると、教室の扉のとこで彼は顔だけをこちらに向けて立っていた。

「最近、電車乗って何処か行ってる?俺、昨日駅で山下見かけたんだけど」

 驚いて、彼から視線を逸らす。電車に乗って、神社へ行っている。それを言ってどうなるのだろう。そこで友達が出来た? 神社からの眺めが綺麗? そんな話題から話を弾ませられるほどの話術を深雪は持ち合わせていない。知らないフリをすることにした。首を傾げると、男の子はふうん、と興味なさそうに頷いた。

「まぁ、どっちにしろ、高台の神社には行かない方が良いぜ」

 心が読まれているのだろうか。と、思わず目を丸くした。どうして神社にいることが分かったのだろう? 後をつけられている? そこまで考えて、彼が別に深雪が神社に行っていることを知っている訳ではなさそうだと気付いた。知っていたら、何処か行ってるか、という聞き方はしないと思ったからだ。

 少し戸惑うようにして、どうしてと尋ねると、彼は真顔になって、

「なんでも、出るらしいぜ」

 と囁くような声で言った。

「……何が?」

「女の霊が」

「……馬鹿みたい」

「お前は、相変わらず俺に冷てぇなぁ」

 心に釘をさされるような痛みが走った。深雪は、苦笑いを浮かべ教室の中へ入っていくその男の子の後姿をただ黙って見つめることしか出来なかった。冷たくしているつもりなんてない。ただ、知らずしらずのうちにそういう態度が出てしまっているらしい。好きな人のはずなのに、笑顔の一つ繕えない自分が嫌になる。やっぱり、笑顔の絶えない明日香が羨ましかった。あんな人になりたかった。あんな女の子になりたかった。そんなことを考えながら、深雪は廊下を走った。でも、すぐに先生に見つかって怒られた。ちょっとションボリしながら廊下を歩いた。階段のところまで辿りついた辺りで、始業のチャイムが鳴った。結局何も出来なくて、昼休みの短さに嫌気が差した。

 彼の言葉の意味が気になり始めたのは、放課後、いつもの電車に乗り込んだ頃だった。気になる、というのは、俺に冷たい、という最後の台詞ではない。神社に、女の人の霊が出るという話の方だ。なぜか、明日香のことが思い浮かんでいた。言われてみれば、明日香には色々と不可解な点があった。

毎日、神社の鳥居で、同じようにして人を待っているということ。そして、深雪が神社にいる間、その待ち人が現れるのを見たことがないということ。今日あたり、誰を待っているのか聞いてみようと思った。

“誰を待っているかって?お前のような馬鹿な奴が来るのを待っていたのさ!”

 っと、突然妖怪に変身する明日香の姿が脳裏に浮かんだ。そして、食べられるんだ。自分の妄想ながら恐ろしくて鳥肌が立った。馬鹿らしい。実に馬鹿らしい。そもそも、私なんて食べてもおいしくないんだから! っと訳の分からないことを考えている自分に気づく。落ち着け、私。でも、それは有り得ないとしても、不安だった。本当に、幽霊だったりしたら。今日、突如として明日香がいなくなっていたら。前者はともかく、後者なら起こり得る気がした。だから、電車を降りて、木々が作る天然のアーチの下を駆け抜け鳥居の足元に辿り着いた時、そこに明日香の姿があったことに深雪は安堵した。

「どうしたの? 息切らせて」

 明日香が、心配したように声をかけた。すっかり夏めいてきた日差しに、深雪は汗びっしょりだった。膝に手をついて肩で息をしていたら、明日香がそっとハンカチで汗を拭ってくれた。ありがとうとお礼を言って、明日香の足元を見る。ちゃんと、足があるじゃないか。いやでも、今時の幽霊は足も生えているのかもしれない。なんだかんだで、あの人の言ったことを信じている自分が少しおかしくも思えた。

「幽霊じゃ、ないよね?」

「はい?」

 若干裏返り気味の声で明日香が言った。今までに聞いたことのないような声だった。普段は落ち着き払っている明日香も、さすがに深雪の言葉には度胆を抜かしたらしい。いっぱい食わせてやったみたいで、ちょっと嬉しくなった。

「嫌な噂聞いたの、この神社で女の人の霊が出るって」

 だいぶ落ち着いてきた呼吸をそれ以上に整えながら、明日香の目をじっと見つめた。明日香はふっと瞳を地面に伏せて、黙りこんでしまう。しばらくの沈黙の後、風に揺れる木の葉のカサカサ音が耳につくくらいになって、明日香が消え入るような声で言った。

「知っちゃったんだ」

 ドキリとした。半分冗談のつもりだったのに、それが一気に現実味を帯びていく。周りの背景が白黒テレビのように色を失っていく。ガラガラと崩れ落ちそうになる。今までなんら普通の生活を送って来たはずの深雪にも、ついに暗雲が立ち込め始めたかと、意外にも冷静にそんな考えが頭を過った。そしてすぐに焦りが姿を見せる。どうしよう。知っちゃったんだって、その言い方、めちゃくちゃ怖いじゃん。知っちゃだめだった? あれ? 私どうなるの? 死んじゃうの? 呪われちゃうの? ホラー映画の見すぎ? え、でも私そういうの苦手だから全然見たことないよ? っと、一人パニック状態に陥りそうになったところで、明日香が俯いたまま笑いを堪えていることに気づく。

「あす・・・か?」

 深雪が名前を呼ぶと、明日香は壊れたように笑い始めた。いつものように上品な笑い方ではあったが、どうやら大笑いしているらしいと分かった。さっきまで白黒だった視界に色が戻っていく。不安が明日香の笑顔に掻き消されていくのが分かった。現状は、良くつかめていないけれど。

「ごめんごめん、冗談だよ、そんな真剣な顔しないで」

 まだ笑いながら明日香が言ったことで、深雪はようやく自分が騙されていたことに気付いた。よくよく考えれば、明日香が幽霊な訳ないじゃないか。っと、さっきまでの自分が馬鹿らしく思えてきた。ってか、恥ずかしい。恥ずかしくて死にそうだ。穴があったら入りたいとは、まさに今の深雪の心境を説明するにふさわしい言葉だった。

「ひどーい、その噂聞いた時、ほんとに、ほんっとに心配だったんだから!」

「ごめんごめん、でも、私のこと幽霊だと思ってた深雪ちゃんもひどいんじゃない?」

「まぁ、それもそうだけど……ごめん」

「……私も、ごめん」

 謝りながらもまだ笑顔の明日香を見て、深雪もなんだか自分自身がおかしく思えてきた。なんで、幽霊だと思ったりしたんだろう。きっと、凄く面白い表情をしていたんだろうな、私。明日香目線で自分の姿を想像して、深雪も笑った。

「でも、私、ちょっとまだ明日香のこと幽霊なんじゃないかって疑ってる」

「えー、ひどい」

 また笑って、そして明日香が思いついたようにそうだ、と言った。

「私の家、来ない?」

 意味が分からなかった。

「え? なんで急に?」

「いやさ、幽霊に家なんてないでしょ、私の家まで来たら信じるかなって」

「家と神社に住みついた呪縛霊かもしれないし……って、あいたた、ごめん!ごめんって!」

 ふくれっ面の明日香に頬を抓られて、深雪はひたすら謝った。明日香の表情が笑顔に戻った頃には、深雪も自然と笑顔だった。こんな風に、いつも笑えたら良いのに、どうしてだろうか、明日香の前だと素直に笑えることに気付いた。知り合って、まだ1か月も経っていないのに。明日香が、行こうかと深雪を促した。深雪は喜んでそれに応じた。嬉しかった。明日香が自分の家に招いてくれた。本当の友達同士みたいだ。いや、私たちはもう友達なんだきっと、っと、数秒前までの愚かな自分の考えを振りきった。右手のコブシで、自分の頭をコツンと叩いた。

「……でも」

 深雪は、あることを思い出した。立ち止まると、明日香が振り返ってどうしたの?と言った。ちょうどいつも明日香が立っている位置に自分がいることに気付いた。

「人を、待ってるんじゃないの?」

 明日香は、いつもこの場所で誰かを待っていた。それが誰なのかは分からないが、尋ねる度に明日香はそう答えていた。こんな可愛い女の子を待たせるなんて、いったいどんな奴だろうと思っていた。そして、深雪が帰る時になっても、明日香はもう少しと言って、鳥居で人を待ち続けていた。奇妙だとは思ったが、それがいつもの明日香の姿だ。それなのに、待たなくて良いのだろうか、と思うのは当然の思考回路だろう。明日香はまた、少し悲しげな表情をしていることに、深雪は気付いた。

「分かってるの……どれだけ待ってもその人はここに来ないって」

 その時見せた明日香の笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも切なくて、辛そうな表情だった。なんとかして彼女の助けになりたいと思った。そうすれば、そうすればきっと、私も明日香みたいに、人を元気づけるような笑顔を作れるようになるんじゃないかって。そんな気がした。

「詳しいことは、家に着いてから話すよ」

 壊れそうな瞳を直視できず、何故だか涙が溢れそうになる。それを必死で堪えて、笑顔を作ろうとする。上手く笑えているかは分からないが、今は自分が笑う番だと思った。明日香の笑顔は見ていていつも救われそうな気分になる。だから、今度は深雪が、明日香を助ける番だ。大袈裟な言い方かもしれないが、通りを歩き始めた明日香の背中を追いかけながら、深雪は本気でそう心に誓っていた。

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