表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

1.

 深雪にとっての初恋は、失恋に終わった。ずっと好きだった男の子には、彼女がいたのだ。片想いだった。それは深雪が中学二年生の春の出来事。失恋したその日、彼女は不思議な女の子と巡り合った。

 高良町たからちょう── 深雪の育った街の名前だ。深雪は町立の高良第一中学という、ネーミングセンスの欠片もない学校の生徒だった。町には二つの中学校があって、もうひとつは予想される通り、高良第二中学である。二つの校区は、高台の上下で区切られていた。深雪の通う第一校区は高台の麓全域であり、一方の第二校区は高台全域だった。この高台を登る坂は、町内にたった一つしか存在しない。深雪は、気がつけばその坂を上っていた。高良町は、その町一番の繁華街へ行ってもとても街とは言えないような田舎町だった。しかし、その中でも第二校区である高台の上はそれ以上に寂れた地域であり、第一校区に住む人間が高台へ上ることなど、普通、ない。ところが深雪は何かに誘われるかのようにその坂を上っている。坂の両サイドを緑の木々が生い茂っていた。まだかすかに残るサクラの花も、そのほとんどは行く手を阻むかのように散り落ちていた。人や車の通ることが少ないせいか、地面に落ちている花びらはまだ綺麗なピンク色を保っている。それこそまさに、天然の絨毯と呼ぶにふさわしい。秋になれば、この坂の両側は綺麗な紅葉で埋め尽くされるのだと、いつかクラスメイトの誰かが言っていた。モミジにイチョウにサクラに、何とも賑やかな植林だ。まさか、もともとからそんな色どり豊かに木が生い茂っていた訳ではあるまい。この木を、いや森を植えた林業の職人さんたちには一言お礼を言いたくなる。不意に、サクラの香りが漂ってきた。そっと深呼吸をしてみる。心なしか、高台の麓よりもずっと空気がおいしく感じられた。実際、おいしいんじゃないだろうかと思った。深く息を吸うたびに、深雪の心に刺さったトゲが、抜けていくような感触。

──このまま、あの人のことも忘れられたら。

そう思っていたら、また胸が押さえつけられるように痛むので、考えるのをやめた。当分この痛みから解放される気がしなかった。

 代わり映えのしない坂道をどれだけ歩いただろうか。ようやく視界に建物らしき物が見えたかと思うと、そこでちょうど坂が終わろうとしていた。高台の上に辿り着いたのだ。そして、さっき見えた建物らしき物は、神社の鳥居であるらしいことが分かった。高良神社。これまたネーミングセンスのない神社だ。そのすぐ裏手には、高良神社前、という駅がある。しかし、高台の麓の方に高良駅という急行電車の停車する駅があるので、各駅停車しか止まらないこの駅を利用することはまずない。

 深雪は、その鳥居の前を通り過ぎるまで全く気付いていなかった。神社の鳥居に、一人の女の子が立っていた。自分と同い年か、あるいは年上にも見える。可愛らしい服装をした少女は、一心に高台の麓の方を見つめていた。思い出したように深雪は今自分が上って来た坂を振り返る。溜め息が出るほどの絶景がそこに広がっていた。遠くに、海が見える。心地よい風が頬をなでた。

 ピンポンパーン──

 突然チャイムの音が鳴り響き、深雪はびっくりして辺りを見回した。それを見て、鳥居に立っていた少女が、クスリと笑った。少しムッとして少女の方を見ると、彼女はごめんなさい、と小さく謝った。

“まもなく、一番線に、各駅停車が参ります”

 何処からともなくアナウンスが流れて、さっきのチャイムは神社裏手にある駅のホームから聞こえてきたものだと気付いた。なるほど、社のすぐ後ろ側に、駅らしき建物が見えた。

「電車が来ると、鳴るの、さっきの音」

 深雪の考えを見透かすように、少女が言った。何故だか、とても可愛らしい声だ、と思ってしまって、さっきまでかすかに感じていた憤りは消えていた。

「ごめんね、笑ったりして。驚いてる様子がなんだかおかしくて」

 そう言って、少女は微笑んだ。女の子同士なのに、何故かドキリとさせられる優しい笑顔だった。人徳というかなんというか、彼女には全てを許してしまいそうになるそんなオーラがあった。

「ううん、大丈夫、気にしてないよ」

 ガタガタと枕木の軋む音が聞こえた。少し遅れて、キーンと甲高いブレーキ音が響いた。ホームに電車が止まったようで、その様子は神社からもかろうじて見えた。不意に少女の前髪が、風にサラサラと揺れた。深雪の前髪も、同じように揺れていたのだろう。おでこのあたりが、妙にむずがゆかった。自分の額に手を触れると、少女がまた小さく笑った。

「そう、なら、良かった」

 深雪は彼女の笑顔に対してどう対応すれば良いのか分からなくなって、目を逸らすように空を見上げた。白い雲が、綺麗な水色の空の中を泳いでいた。魚みたいな形をした雲が、パクパクとその口をあける池の鯉のような格好で街を見下ろしている。が、今日は風が強いのか、みるみるうちにその形は崩れて、何だかよく分からない姿に変わった。残念な思いに駆られたので、そろそろ帰ろうかな、と思った。少女に視線を戻すと、深雪がこの神社に訪れた時と同じように、少女は高台の下を見下ろしていた。このまま何も言わずに帰るのもなんだか悪い気がしたので、彼女の顔を覗き込むようにしてみると、どうしたの?という表情を少女が浮かべた。

「私、帰るね」

 そう言うと、少女は二コリと笑った。深雪もなんとなく嬉しくなって笑顔を返し、神社を後にする。来る時は重かった足取りも軽やかに坂道を駆け下りた。息は上がって苦しいのに、不思議と悪い気はしなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ