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セーラとニコラス  作者: 岸野果絵
数年後
8/8

正体

 ニコラスはベッドにポンと腰かけた。

鼻歌を歌いながら、何かの欠片を眺めている。

満面の笑みと鼻歌の調子から、今日はいつにも増してご機嫌のようだった。


 今日こそは切りだそう。

 セーラはニコラスの隣に座った。


「ニコラス。わざとでしょ?」

 セ-ラはニコラスの瞳をうかがうように尋ねる。

「ん?」

 ニコラスはきょとんと首をかしげた。

青みがかった黒髪がふわりと揺れる。


「わざと、他人に嫌われようとしてる」

 セーラはニコラスをじっと見つめた。

「うきゃきゃきゃ」

 ニコラスは珍妙な笑い声をたてながら、身体を仰向けに倒し、足をバタつかせる。

「セーラ、それは買いかぶりすぎだよ。オイラはオイラのしたいようにしてるだけさ」

 寝転んだままニヤニヤとセーラを見上げる。


「ニコラス、お願い。茶化さないで」

 語気を強めたセーラに、ニコラスは仕方なさげに起き上がる。

「話したくないのなら、無理にとは言わないわ。でも、知りたいの。何があったのか。何があなたをそんな風にしてしまったのか」

「オイラは昔っからこんな風だよ?」

 取り合うつもりがないとでもいうように、ニコラスはおどけた顔で小首をかしげてみせる。


「いいの。わかってるわ。聞いたところで、私じゃ何の力にもなれないのよね」

 セーラは悲しげに視線を落とした。

 ニコラスは、おどけた表情のまま、無言でセーラを眺めている。


「ニコラス。あなたは私を受け入れてくれたわ。私の過去も、ジョンのことだって……。何もかも一緒に背負ってくれている。あなたが居るから、私は毎日笑って暮らせるの」

 セーラは顔をあげて訴えるが、ニコラスは相変わらず表情を変えない。

まるで全てを拒絶するかのように、その瞳からは全く感情を読み取ることができない。

 それでもセーラは切々と続けた。


「私は無力だってわかってるわ。きっと何もできない。でも、一緒に背負うことならできるわ。私、何を聞いても平気よ。それよりも、あなたが独りで苦しんでいるのかと思うと、私……」

 セーラは言葉に詰まって何も言えなくなってしまった。

 ニコラスは、何も言わず、感情のない冷たい灰色の瞳で、じっとセーラを見ているだけだった。

 セーラは泣き出してしまいそうになる心を励まして、ニコラスを見つめた。


 あの饒舌なニコラスが、何も言ってくれない。

それが不気味だった。

 セーラは一度だけ、ニコラスが怒った姿を見たことがある。

その時ですら、ニコラスはしゃべっていた。

 なのに、今目の前にいるニコラスは、さっきから一言もしゃべらず、黙ったままだ。


 沈黙が続いた。


 セーラは不安でいっぱいだった。

 ニコラスを本気で怒らせてしまったのだろうか。

もしかしたら、セーラに対して心を完全に閉ざしてしまったのかもしれない。

もう、今までのようには接してくれないような気さえする。


 それでも後悔していない。

 ニコラスが時折見せる、あの表情。

灰色の瞳に絶望にも似た深い悲しみがよぎるのを、セーラは知っていた。

 このままずっと、気がつかないふりをして、知らん顔をするなんてできない。

そんなのは、耐えられない。


 セーラは思いを込めてニコラスを見つめる。

 二人はしばらく、互いに見つめ合った。


 ニコラスの瞳の奥がキラリと光る。

「やはり、我が目に狂いはなかった」

 目を細め、独り言のようにつぶやくと居住まいを正した。

背筋をピンと伸ばし、両手を膝の上におき、静かな眼差しでセーラを見つめる。


「ニコラス?」

 突然のニコラスの変わり様に、セーラは何が起きているのかわからず、混乱していた。


 今、セーラの目の前にいるニコラスは、セーラの知っている、どのニコラスでもなかった。

 いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もできない、かといって、セーラにプロポーズをしてくれた時の様子とも、ジョンが実父に連れて行かれそうになった時にみせた、怒った様子とも違う。

悠然と座っている姿は、威厳すら感じる。


「セーラ。少し時間をくれまいか?」

 ニコラスは、ゆったりとした口調でセーラに語りかける。

「全てに決着がつくまでは……」

 なにかを考え込むように、軽く視線を落とし、つぶやく。

 セーラはポカンとしてニコラスを眺めていた。


 口調も声色も、何もかもが全く違う。

 本当にニコラスなのだろうか。

人格が入れ替わってしまったのかと疑いたくなるくらい、別人のようだった。


「時が来れば、必ずやそなたに全てを話す」

 ニコラスは真摯な眼差しで、セーラをじっと見つめながら、ゆっくりと言った。

 セーラはニコラスの瞳を見つめ、その真意を探ろうとした。


 きっと、今、目の前にいるニコラスこそが、本来のニコラスだ。

 ニコラスの過去に一体何があったのだろうか。

どのような環境に生れ、どのように育てられてきたのだろうか。

両親はどんな人なのだろう。


 セーラはニコラスの事は何も知らない。

 ニコラスに親や兄弟がいるかすらも知らない。

一緒になってからずいぶん経つのに、何一つ知らない。

 知りたい。

ニコラスのことを、もっと知りたい。

過去に何があったのか。

まだ決着がついていないこととは、どのようなことなのだろうか。

一体どんなことを隠しているのだろうか。

ニコラスのすべてを知りたい。


 しかし、それはセーラのわがままだった。

セーラは知っていた。

 他人に知られたくないことは、誰にでもある。

どうしても言い出せないときもあるし、どうしても言えないことだってある。

きっと、ニコラスは何か理由があって、セーラに話せないのだ。

水くさいと思いながらも、セーラにはニコラスの言い出せない気持ちもわからなくはなかった。


 ニコラスはセーラに本当の姿を見せてくれた。

そして、必ず話してくれると約束してくれた。

セーラを信頼しているからこそ、きちんと向き合ってくれたに違いない。

今度はセーラがニコラスを信じる番だ。


「わかったわ。あなたが話す気になってくれるまで、私はいつまでも待つわ」

 セーラは、ニコラスの瞳をじっと見つめて言った。

 ニコラスはニッコリ微笑むと、セーラの肩に頭をもたれかけ、その膝に手を置いた。


「セーラ。こうして、そなたが傍にいるだけで、我が心は休まるのだ」

 そう言いながら目をつぶる。

 セーラは優しく微笑むと、ニコラスの手に自分の手を重ねた。


「私、ずっとあなたの傍にいるわ」

 抱き寄せるようにニコラスの肩に手を回し、頭に頬を寄せる。

「あなたがイヤだと言っても離れないわ」

 セーラはクスリと笑う。

 ニコラスは目をつぶったまま、ニヤリとする。

「オイラの方が離さないよ。君みたいな最高の女性を、誰が離すもんか」

 そう言うと、セーラの手にもう片方の手を重ね、痛いくらい力強くギュッと握りしめた。

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