正体
ニコラスはベッドにポンと腰かけた。
鼻歌を歌いながら、何かの欠片を眺めている。
満面の笑みと鼻歌の調子から、今日はいつにも増してご機嫌のようだった。
今日こそは切りだそう。
セーラはニコラスの隣に座った。
「ニコラス。わざとでしょ?」
セ-ラはニコラスの瞳をうかがうように尋ねる。
「ん?」
ニコラスはきょとんと首をかしげた。
青みがかった黒髪がふわりと揺れる。
「わざと、他人に嫌われようとしてる」
セーラはニコラスをじっと見つめた。
「うきゃきゃきゃ」
ニコラスは珍妙な笑い声をたてながら、身体を仰向けに倒し、足をバタつかせる。
「セーラ、それは買いかぶりすぎだよ。オイラはオイラのしたいようにしてるだけさ」
寝転んだままニヤニヤとセーラを見上げる。
「ニコラス、お願い。茶化さないで」
語気を強めたセーラに、ニコラスは仕方なさげに起き上がる。
「話したくないのなら、無理にとは言わないわ。でも、知りたいの。何があったのか。何があなたをそんな風にしてしまったのか」
「オイラは昔っからこんな風だよ?」
取り合うつもりがないとでもいうように、ニコラスはおどけた顔で小首をかしげてみせる。
「いいの。わかってるわ。聞いたところで、私じゃ何の力にもなれないのよね」
セーラは悲しげに視線を落とした。
ニコラスは、おどけた表情のまま、無言でセーラを眺めている。
「ニコラス。あなたは私を受け入れてくれたわ。私の過去も、ジョンのことだって……。何もかも一緒に背負ってくれている。あなたが居るから、私は毎日笑って暮らせるの」
セーラは顔をあげて訴えるが、ニコラスは相変わらず表情を変えない。
まるで全てを拒絶するかのように、その瞳からは全く感情を読み取ることができない。
それでもセーラは切々と続けた。
「私は無力だってわかってるわ。きっと何もできない。でも、一緒に背負うことならできるわ。私、何を聞いても平気よ。それよりも、あなたが独りで苦しんでいるのかと思うと、私……」
セーラは言葉に詰まって何も言えなくなってしまった。
ニコラスは、何も言わず、感情のない冷たい灰色の瞳で、じっとセーラを見ているだけだった。
セーラは泣き出してしまいそうになる心を励まして、ニコラスを見つめた。
あの饒舌なニコラスが、何も言ってくれない。
それが不気味だった。
セーラは一度だけ、ニコラスが怒った姿を見たことがある。
その時ですら、ニコラスはしゃべっていた。
なのに、今目の前にいるニコラスは、さっきから一言もしゃべらず、黙ったままだ。
沈黙が続いた。
セーラは不安でいっぱいだった。
ニコラスを本気で怒らせてしまったのだろうか。
もしかしたら、セーラに対して心を完全に閉ざしてしまったのかもしれない。
もう、今までのようには接してくれないような気さえする。
それでも後悔していない。
ニコラスが時折見せる、あの表情。
灰色の瞳に絶望にも似た深い悲しみがよぎるのを、セーラは知っていた。
このままずっと、気がつかないふりをして、知らん顔をするなんてできない。
そんなのは、耐えられない。
セーラは思いを込めてニコラスを見つめる。
二人はしばらく、互いに見つめ合った。
ニコラスの瞳の奥がキラリと光る。
「やはり、我が目に狂いはなかった」
目を細め、独り言のようにつぶやくと居住まいを正した。
背筋をピンと伸ばし、両手を膝の上におき、静かな眼差しでセーラを見つめる。
「ニコラス?」
突然のニコラスの変わり様に、セーラは何が起きているのかわからず、混乱していた。
今、セーラの目の前にいるニコラスは、セーラの知っている、どのニコラスでもなかった。
いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もできない、かといって、セーラにプロポーズをしてくれた時の様子とも、ジョンが実父に連れて行かれそうになった時にみせた、怒った様子とも違う。
悠然と座っている姿は、威厳すら感じる。
「セーラ。少し時間をくれまいか?」
ニコラスは、ゆったりとした口調でセーラに語りかける。
「全てに決着がつくまでは……」
なにかを考え込むように、軽く視線を落とし、つぶやく。
セーラはポカンとしてニコラスを眺めていた。
口調も声色も、何もかもが全く違う。
本当にニコラスなのだろうか。
人格が入れ替わってしまったのかと疑いたくなるくらい、別人のようだった。
「時が来れば、必ずやそなたに全てを話す」
ニコラスは真摯な眼差しで、セーラをじっと見つめながら、ゆっくりと言った。
セーラはニコラスの瞳を見つめ、その真意を探ろうとした。
きっと、今、目の前にいるニコラスこそが、本来のニコラスだ。
ニコラスの過去に一体何があったのだろうか。
どのような環境に生れ、どのように育てられてきたのだろうか。
両親はどんな人なのだろう。
セーラはニコラスの事は何も知らない。
ニコラスに親や兄弟がいるかすらも知らない。
一緒になってからずいぶん経つのに、何一つ知らない。
知りたい。
ニコラスのことを、もっと知りたい。
過去に何があったのか。
まだ決着がついていないこととは、どのようなことなのだろうか。
一体どんなことを隠しているのだろうか。
ニコラスのすべてを知りたい。
しかし、それはセーラのわがままだった。
セーラは知っていた。
他人に知られたくないことは、誰にでもある。
どうしても言い出せないときもあるし、どうしても言えないことだってある。
きっと、ニコラスは何か理由があって、セーラに話せないのだ。
水くさいと思いながらも、セーラにはニコラスの言い出せない気持ちもわからなくはなかった。
ニコラスはセーラに本当の姿を見せてくれた。
そして、必ず話してくれると約束してくれた。
セーラを信頼しているからこそ、きちんと向き合ってくれたに違いない。
今度はセーラがニコラスを信じる番だ。
「わかったわ。あなたが話す気になってくれるまで、私はいつまでも待つわ」
セーラは、ニコラスの瞳をじっと見つめて言った。
ニコラスはニッコリ微笑むと、セーラの肩に頭をもたれかけ、その膝に手を置いた。
「セーラ。こうして、そなたが傍にいるだけで、我が心は休まるのだ」
そう言いながら目をつぶる。
セーラは優しく微笑むと、ニコラスの手に自分の手を重ねた。
「私、ずっとあなたの傍にいるわ」
抱き寄せるようにニコラスの肩に手を回し、頭に頬を寄せる。
「あなたがイヤだと言っても離れないわ」
セーラはクスリと笑う。
ニコラスは目をつぶったまま、ニヤリとする。
「オイラの方が離さないよ。君みたいな最高の女性を、誰が離すもんか」
そう言うと、セーラの手にもう片方の手を重ね、痛いくらい力強くギュッと握りしめた。