後悔と前進
テストそっちのけでがんばって書いたよ。
彼女達の車(先程見かけたものとは違った)の後部座席に乗せられた私は、愛想の良くてなんとも信用し難いお嬢様───天笠千歳に、事情聴取をくらっていた。
「じゃあ、家出したのは───」
「はい。姉の傍若無人に堪えきれなくて……」
何故あんなところにいたのかを改めて訊かれた私は、「夢中で走っていたらいつの間にか……」と答えたのだが、そこでまた何で夢中で走っていたのかを訊かれ、仕方無く家出したことの顛末を話したのだ。流石に姉が発情したとは言えず、そこは何とか違う理由を取り繕ったが。
「じゃあ、一人で暮らせるアテはあったの?」
「いえ。恥ずかしながらそんなあても無く……。突発的な行動だったので」
「ふぅ~ん。今何歳だっけ?」
「十五です。中学卒業したばかりで……」
「あら。じゃあ私と同じなんだ」
マジでか。年上だと思ってた。物腰が上品だからかな。
「高校は?というか家は?」
段々砕けた口調になってきたけど。
「高校は受けてません。家は隣の浅戸市ですね」
さっきここが天笠市だと知って、自分がかなりの距離を走っていたことにびっくりしたのはまた別の話。
「高校受けてないって、それどういうことっ?」
強くなった語調に苦笑を浮かべつつ、どう説明したらと困っていると。
「行く気は無いのですか?高校」
前方。助手席の方から、そんな質問が飛んできた。
「いえ……わかりません。自分の夢なんて無いし、就職も考えられなくて。私は姉の世話さえしていれば、食べていけるような身分でしたから」
「どういう意味?」
「姉は作家なんです。結構売れっ子で、お金には困りません」
はぁ……。
と溜め息を漏らす二人。姉が小説家だと知ったところで、あのデビュー作『泥舟』で知られる天才小説家だとは思うまい。姉は自分の素性を秘匿するために、『朱鳥夜空』というペンネームを使うだけでなく、後書きでの一人称を『僕』で統一するなどして男性を演じている。担当編集ともメールでのやりとりしかしないという徹底ぶりだ。何でそこまで頑なに身を隠すのかなぁ~。なんて、今更ながら思っていた私は、隣に座る千歳からのプレッシャーに、気付くことが出来なかった。
「───あのねぇ」
「はい?」
上の空だった私は振り向いてから、生返事を返してしまったことを後悔した。千歳は呆れと怒りの雑ざった何とも表現し難い表情でこちらを睨んでいた。なにやだこわい。
「一つ。これだけは言っておかなくちゃダメだと思ったんだけど。いい?」
そんな迫力のある声で訊ねられても頷くしかなくね?
「はい。どうぞ……」
「じゃあ、言うわね。心して聞きなさい。───あなたの人生と、お姉さんの人生は、関係無いでしょうがっ!」
「………………ぇ?」
「お姉さんが売れっ子作家で生活に困らなくても、あなたにやりたいことが無くても、あなたが自分のやりたいことを見つけることさえ放棄することとは、てんで話が違うっ!」
「………………っ」
必死で言い訳を捻り出そうと頭を働かせるが、彼女の言葉を跳ね返すだけの屁理屈は出てこなかった。もう一度彼女の言葉を脳内で噛みしめてみる。
『自分のやりたいことを見つけることさえ放棄する』
……確かに。高校受験さえしなかったのは自分の意思だが、その理由は大したものではない。姉の世話なんて、高校に通いながらでも工夫すれば可能だし、姉自身に努力を求めることだって出来た筈だ。それをしなかったのは、それさえ考えなかったのは自分自身への甘えだ。───俺はただ、怠けていただけなのかもしれない。
「一つだけって言ったのに悪いけど。聞かせてちょうだい。───自分の夢を、さがしたい?」
その問いは俺にとって、劇的で、激的で、瞠目に値するものだった。廻らない頭を放置し、心の声をそのまま、音として発した。
「………………さがし、たい」
「夢を?」
「夢を……さがしたい」
俺の言葉を聞いた彼女は、何かを決心したような顔で、小型の携帯端末を取り出した。
「あっ、桜?ちょっと頼みたいことがあるんだけど───」
と思ったら、誰かに電話をかけ始めた。小声ながら真剣な顔で会話をする少女。その様をぼぅっと眺めながら、俺は先程の自分を恥じた。何言ってんの俺。今更どうしようもないことを後悔したところで、しかもそれをついさっき知り合ったばかりの女の子に言うだなんて。馬鹿だ。とことん馬鹿だ俺は。
「───うん、ありがと。よろしくね」
そう締め括って通話を終わらせた千歳は、私に向かってニッ、と微笑んだ。
「私に任せなさい」
やけに頼り甲斐のある台詞。
「え………………ぇ?」
一体私は彼女に何を任せるのか。それがわからず困惑する私を他所に、車は大きく左折した。かかった慣性力に堪えきれずに右に倒れ込む私を、千歳は優しく受け止めてくれた。
「……っ。ありがとうございます」
「ふふっ……いいのよ」
そう言って優しく微笑んでくる。私は慌てて身体を離して目を逸らした。妙な気恥ずかしさに、頬が赤らむのを感じた。ら、らしくない……っ!
ちなみに先程の『私』という一人称。決して女装に心まで染まって女言葉になった訳ではない。……多分。いやだって、見た目女なのに男言葉とか何か変じゃね?だし俺が遣ってたのは敬語だから、別に男だとしてもおかしくはな……い……よね。うん。………………何か自信無くなってきた。
「着いたわよ」
車が停まった。優子さんがドアを開けてくれる。反対側では私同様、運転手の男性にドアを開けてもらっていた。恐縮するのも忘れてた車外に出た私は、目の前に現れた大きな鉄製の門(柵のようなデザイン性の高いもの)に溜め息を漏らした。やっぱり金持ちは違うねぇ。立ち止まった私に、千歳が手招きをしてくる。スカートの皺を直してから、いそいそとそれに続いた。広い石畳を進み、一度右に曲がって二分弱。その建物は現れた。
「はぁ~~~……」
綺麗な赤煉瓦造りの、オランダ記念館を彷彿とさせる三階建ての洋館。横に長い長方形で、それなりに部屋数もありそうだ。
「ここは『時折寮』。今日からあなたが住む場所よ。見た目は古いけど、ちゃんと内装は近代的で機能的だから」
へぇ~。こんな綺麗な寮は初めて見たなぁ~。………………ん?今なんか引っ掛かったぞ?
「えっと……今なんと?」
失礼かと思ったが訊き返す。と、千歳は「あっ」という間抜けな声を出して、あちゃーという感じで頭を押さえた。
「いや~ごめんごめん。ちょっと先走っちゃったっていうかなんていうか……」
凛とした容姿には似つかわしくない冷や汗が浮き出ている。だからどうしたの?
「えーっ、と……。つまりね。お父さんに無理言って、あなたの入学を頼んだら……すぐ手配するって張り切っちゃってて……」
要領を得ない言葉の羅列に、スカートの裾が揺れる。
「……要するに?」
「高校入学おめでとうございます」
理解不能意味不明な明らかに前説必須の台詞を、丁寧なお辞儀と共に撃ち込まれた。
………………………………。
「いや誰が!?つーかどゆこと!?」
混乱してシャウトする私を、白魚のような指で指差す千歳。
「……ワシ?」
私は自ら、間抜け面を晒した自分を指差した。
それにしても、一人称が全く統一しない一日だったなぁ~。まだ今日という日は終わってないのに過去形とは……。我ながら気が早い。
寮中に通された私は、空き部屋の一つと思しき、十二畳ぐらいの部屋に案内された。箪笥やベッド、文机から本棚まである。見た目といいサイズといい、どれも立派な拵えだ。なのに窮屈な感じは全くしない。寮にしてはちょっと広すぎね?
「とりあえず今日は、ここに泊まってちょうだい」
開いた扉の前で突っ立ち、若干腰が引けた状態の私に、先に部屋に入った千歳は誘うような微笑みを向ける。
「いいんですか?」
我ながら珍しくも、恐縮してしまった。
「いいのよ。これも何かの縁───そういうのは大切にしないと」
晴れやかな笑顔を浮かべる千歳に、後ろ暗い気持ちが湧き出す。
「ははっ、それもそうですねぇ~……」
作り笑いの裏で、私はちっぽけな良心がキリキリ痛むのを感じた。私はこんなナリをしているが、れっきとした男なのだ。岡リンに「だが男だ」とか指差し言われちゃう奴なのだ。ただしDメールなんて送れないから女にはなれない。というかなる気無い。
そんな感じで、意識をβ世界線へとタイムリープさせていると、千歳がちょっとばつの悪そうな表情でこちらを見上げてきた。質の変わった視線に意識を引っ張り戻し、千歳に目を向ける。
「とにかく入って?話さなきゃいけないこともあるし」
話さなきゃいけないこと……?心当たりはあるが、内容がようわからんので何とも反応し難い。
「あっ……、はい」
とりあえず提案に従い、室内に足を踏み入れた。来客用のスリッパ越しに、カーペットの柔らかい感触が伝わってくる。だからどうなんだという話だが。千歳は文机の椅子に座り、ベッド側に向きを変えた。私はその意図するところ読み取り、ベッド上、彼女の正面へと位置取った。腰を下ろした私を見届けて、千歳は深く息を吐く。優子さんが扉を閉めると同時、彼女は口を開いた。
「さっき……車の中では、会って間もない私が説教くさいこと言って、ごめんなさい」
「いえ、そんなことありません。感謝してます」
「それは……ありがと。───でね。その時私、最後に『私に任せなさい』って言ったじゃない?」
「ええ。言いましたね」
「で、その前に電話してたじゃない?」
「してましたね」
単調な答えを返す私に妙な圧力を感じたらしく、千歳がちょっと小さくなった。
「その時に電話した相手っていうのが、お父さんの秘書の方でね。彼女に、『急遽一人だけ編入させたい人がいる』って言ったのよ。そしたら偶然暇だったお父さんに繋いでくれて、訳を話したら『無理して捩じ込んでみるよっ!☆彡』てノリノリで請け負ってくれて……」
「私に何の確認も取らずに話を進めたことが。つまり先走って迷惑をかけてしまうことが怖いと。そういう訳ですか」
私は千歳の続く言葉を奪い、更に要約して叩きつけた。
「…………っ!」
彼女は驚いた様子だ。まぁちょっとさっきまでと、キャラが違うかな。
「でも心配しないでください。ちゃんと私は了承しています。何せ、助けを求めたのは私なのですから」
私は自分の愚鈍さを思い知った。だから少しでも取り返せるなら、例えそれが血を流すことになろうとも受け入れる。そう決めたのだ。つーかリアルに高校出てないと、今の世の中ヤバい。
「……あなたがそう言うなら、手続きは進めておくわ」
「はい。お願いします」
私は千歳に、精一杯の微笑みを贈った。
「じゃあ……これから私達は、学友になるのね」
「まぁそうなりますね」
面白いことに。
「よろしくね♪」
「はい。よろしくお願いします」
私は千歳と、柔らかい握手を交わした。
彼女達の出ていった部屋で、俺は一人溜め息を吐いた。と、とんでもないことになったな~……。まさか家出したのがきっかけで、自分の将来が拓かれるとは……世の中捨てたもんじゃないな。こんなことが起きるってんなら、世の人間が神様を信じるのも、仕方無いのかもしれない。それでも俺は信じないが。
「あぁ~……」
それにしても、俺はこれからどうなるんだろう。考えてみれば、今日起きた奇跡の数々は、いつ崩れるのかわからない危険な状態だ。何せ、俺には金も権力も無い。いくら千歳が優しくても、昨日まで見ず知らずだった人間に援助するほどの度量は無いはずだ。それを度量と呼ぶのかはわからんが。何にしても、いつまでも家出状態じゃあ無理があるだろう。金銭的にも、精神的にも。まだ色んなことが、どう転んでもおかしくない状態だ。果報は寝て待てというが、自分に出来ることがある時は、早めにそれを済ませておいて損は無い。
───明日になったら、千歳に一旦帰宅する旨を伝えよう。そう決めて、今日は一先ず寝ることにした。のだが……。
「……寝れん」
シャワーも浴びてなければ飯も食ってない。しかも慣れない女装だ。正直これで寝れる様な精神構造はしていない。金銭的にも恵まれてたし。よって寝ように寝れない。服はまだ諦めれるとしても、せめてシャワーは浴びたかった。隣とはいえ、違う市まで全力疾走したんだ。未だ肌寒い時季だといっても、それなりの汗はかく。実際、俺の背中は外気に冷やされた汗で寒気をおぼえている。腕や脚にもテカりがある。さぞかし不衛生だろう。千歳や優子さんを呼びに行こうと思ったが、居場所がわかんないんじゃ、不用意に動くのは他の寮生に不審がられる。
「千歳……忘れてたな?」
あの凛とした雰囲気とは裏腹に、随分とおっちょこちょいな感じだな。例えるなら、ハードル走なのにハードルを蹴飛ばしてゴールを目指す選手、みたいな。結果、蹴倒したハードルの分をタイムに加算されて最下位になったとしても。彼女は後悔こそすれ、改善はしないだろう。何だかんだとボロクソに言ってはいるが、感謝はしてるんだよ?ただ俺は、どうしたらいいのかわからないだけで。
「はぁ~……」
無意識に溜め息が漏れる。ヤバいかなり疲れてる。
こんこんっ。
───と、不意に扉を叩く音がした。千歳かな。
「はぁ~い」
駆け寄って扉を開くと、そこには優子さんが立っていた。手には紙袋が入っている。
「優子さん。何でしょう?」
瞬発的に女言葉になる私はやはり既に……。
「汗をかいてた様だったので、入浴の支度を持ってきました」
「あっ、それは助かります……っ!」
思わず声が大きくなった。今ちょうどそのことで悩んでたんだよ~。
差し出された紙袋を受け取り、安堵の表情を浮かべた私に、優子さんは微笑みをもらした。美人が笑うと、ギャップもあってすごく可愛い。だからといって、漫画みたいに顔を赤らめることは無いが。微笑みを返しながら渡された紙袋の中を覗くと、バスタオルや化粧水、着替えなんかが入っていた。
「ぇ、いいんですか?化粧水も……着替えなんかも借りちゃって」
「いいんです。遠慮しないでください。元々、ここに招く原因を作ったのは私ですし」
ん?どういうこと?首を傾げた私に、優子さんは説明してくれた。
「火事を見つけた私は、すぐに火元へと急ぎました。駆けつけると、そこには既に鎮火した火元と、あなたがいました。火元を見て、燃えかすの中に焼け焦げた本を見つけた私は、あなたをここ最近横行している『焚書犯』だと勘違いしてしまったのです」
訊いたこと以上に、私が知りたかったことまで説明してくれた。千歳とは正反対だな。
「あぁ~……。それで優子さんが」
「本当にすいませんでした」
部屋の前の廊下で頭を下げる優子さん。
「いえいえっ。とりあえず頭を上げてください」
私の言葉に素直に従って頭を上げた彼女を、部屋の中にそっと引き入れる。いつまでも廊下に立たせておくのは何かアレだ。
扉を閉めて振り返ると、眼尻を下げた優子さんがこちらを見上げていた。私は放つべき言葉を思い浮かべると、それをそのまま口に出した。
「いいですか?私は感謝こそすれ、優子さんを責めようなんて思ってません。私は優子さんに、ああして出会ったからこそ、大きな意味で救われたのです」
自分の愚かさに気付いた。高校へ行く気は無いのかと訊いてくれたのも、優子さんだ。
「ありがとうございます」
私は頭を下げなかった。ただ微笑みを浮かべて、優子さんを見つめた。
「……はい」
彼女はその言葉を、素直に受け入れてくれた。私は紙袋を持ち直し、身を翻した。
「さっ、早く汗を流したいな~」
「はい。案内します」
私は優子さん先導のもと、浴室へと向かった。
───自分の性別さえ忘れて。
二話目で一万文字とかワロス