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(でも、絶対にある)
ケイはボタンの光彩を確認しながら、砥石を硬く握りしめる。
(それでなくても、問題は山積みだしな)
その最たるものが『伝説のロア』だ。『伝説のロア』はなぜ『記憶』と『肉体』に分離するのみならず、あたかも肉体そのものが分裂したかのような現象を引き起こしているのだろう。『肉体』まで縮み、あまつさえ『愛情』・『想像』・『理性』にはそれぞれ個々の人格まで有しているようだ。おとぎ話でならありうる話でも、これは現実である。
(もしかして、『ミラージュマター』以外の暗黒物質が作用している? いや、それよりもむしろ『ミラージュマター』の性質に別の特性があるってことか?)
そんな思考を遮ったのは、ふと頭によぎった残像だった。何を思っているのかひたすら遠い目をして、自分はひまわりだ、と小さく宣言した。女王ユカリィ。
(あんな顔、させたかったわけじゃないんだけどな)
苦しんでいるのは昔から知っていた。十二年前、初めて出会い遊んだ、その時から。
ユカリィの笑顔が消えていることに気づいたのは、継承式の直前だった。その日の昼間まで見せていた無邪気な笑顔が、次に会った時には跡形もなく消えていた。だが、何があったのかを尋ねる間もないまま継承式は始まり、彼女は力を暴走させたのである。
現れた『ロア』。
圧倒的な圧力と薄くなっていく空気。
それを当時『王の匠』であったケイの父が抑えこんだ。彼の命と引き換えにして。もともと病床だったユカリィの父、前王ブランドも、ユカリィの力の暴走の煽りを受けて崩御した。ユカリィの『陽雷』は辛くも安定を取り戻したが、失ったものはあまりにも大きかった。
だがケイは父親が亡くなった原因がすべてユカリィにあるとは、少しも思っていない。すべては国を守るためにも致し方のないことだったからだ。
ケイにとって一番呪わしいのは、己の力のなさである。
あの時、自分は何一つできなかった。そんな自分自身が何より憎らしい。ケイの誕生と引き換えに命を落とした母親の代わりに、惜しみない愛情を注いでくれた父。ケイも早く父の力になりたいと必死に鍛錬した。あの頃のケイにとっては、父親が世界のすべてだった。父親似だと言われる顔立ちは今でもケイの誇りである。その父を、王を、そしてユカリィの笑顔を、自分は守ることができなかった。悔やんでも悔やみ切れない傷。だからもうあの時のように、素直な気持ちで彼女と接することはできそうにない。そのことを、ユカリィはすでに察している。いや、理解しているのだろう。
ケイはふいに頭をかすめたあの悲しげな横顔を思って、唇を噛みしめる。磨き終わったボタンに絵の具で絵付けをしながらふと吐息を漏らすと、アーナがおもむろに口を開いた。




