2-5
「世界がまだ西暦と呼ばれていた頃」
エトランディス城へ向かう道すがら、城下町特有の活気ある雑踏の中を歩く。前を行くジョージにつき従いながら、ケイは隣りにいた神官姿のルージェの話に耳をかたむけた。
「太陽がまだ一つであり、本物のオゾン層が空を覆っていた時代。地球へ六十三億年は来ないと言われていた太陽大接近の危機が訪れた。人々はありとあらゆる英知を絞り、最後の望みを九人の科学者に託した」
「科学者ってそんなに力があるものなのか?」
ふと疑問に思って尋ねるとルージェは嘆かわしげな目でケイを見る。
「これは貴方が思っている今の科学者ではありません。今の彼らは言うなれば技術者であって真理と夢の探究者ではありえない」
科学に真理の探究という崇高な目的があるとは知らなかった。ケイの知っている科学者は王の太陽力を使って電気を起こす機械を作る者たちのことだ。その技術を開発・管理するのも、そのための理論をたてるのも、すべて釦師である自分たちの仕事である。ルージェは真剣な眼差しでケイを見つめ、厳かな口調で語りだした。
「人類は一度文明を捨てました。数千年前の人々は、今と同じかそれ以上の科学力を持っていた。けれどその力に限界が訪れた時、人々は科学の分野を二分した。今から話すのはその起因となった話。ここで出てくる科学者は、むしろ貴方がたの祖先と言っていいでしょう」
言葉を切り遠くを見やるルージの視線に倣い、ケイも空を見あげる。視線の先には高く聳える銀色のエトランディス城。澄んだ青空で飛び回る小鳥の音が、大陸でも暖かい部類に入るエトランディアの気候を象徴するようだ。ケイは朝よりやわらいだ息の白さと高い日差しに、故郷へ帰って来たことを今更に実感する。感慨にふけるケイの耳へ、高い錫杖の音がこだました。我に返ったケイに、話を続けてもよろしいですか、とルージェが無機質な声で問いかけてくる。ケイは無言で頷いた。
「さて、九人の科学者たちは太陽大接近という危機に際し、太陽光を吸収し蓄えることのできる物質を大気中から発見した。彼らはそれを凝縮することに成功し、度重なる実験の結果、その物質が人間の中でのみ培養可能なことを突き止めた」
ルージェが錫杖を鳴らす。
「しかし、実験のためにこれ以上の犠牲者を出すことは倫理に反することである。悩んだ科学者たちは一計を案じた。内の一人、ロバート・トーマスの二人娘である姉のメリルと妹のサラに、そのカプセルを投与することにしたのである」
「ひどいなあ、それは」
顔を顰め呟くケイに、ルージェは頷きながら話を続ける。
「実験は妹サラ・トーマスのみに限定的ながらも成功した。しかしながら、サラ・トーマスはその力のために自我を保っていることが難しく、それを制御する新たなる物質を探し出す必要が出てきた。九人はさらなる苦労の末、地中から出た鉱石に、サラの中に封じ込められた太陽光の暴走を抑える力があることを突き止めた。科学者たちはその新たに発見された鉱石をロスタルムと呼び、ボタン型に化工してサラの胸にいつもあるよう縫いとめた。縫いとめるための糸はロスタルム鉱石を養分に混ぜて培養した植物、オネラリアから作られたものだった。以来、サラの精神は安定し太陽光も一時は安定した。だが、さらなる試練が科学者たちを待ち受けていたのである」
「『眠り』か?」
ルージェは答える代わりに錫杖を天にかかげ、太陽を指した。




