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「か、ぜ、を」
懸命に声を絞りだすと、金糸がふわりと浮かびあがる。反動を利用してケイは腕を上げ、金糸を『ルー』の首に巻きつけた。渾身の力で締めあげると、喉の枷がはずされる。
「うわわっ! なにこれぇー!」
『ルー』の悲鳴が夜の街にこだました。ケイは咳こみながらも身体を起こし、膝をついたまま『ルー』を締めあげる。足を左右によじりながら『ルー』は細目を開けた。
「いたいよう」
ケイは無言で『ルー』の首を締めあげ続ける。と、背後で空気の揺れを感じた。とっさに金糸を強く引きながらベルトの長針を抜き、右へ流す。甲高い金属音と鋭い重量感が左手を襲った。
(金糸か)
攻撃を受け流したケイは、碧仮面の金糸が元に戻ろうとする瞬間、長針を相手の金糸に絡ませ、ファスナ、と小さく叫んだ。途端に針に炎が宿る。さらにケイはイリューを呼び、炎を纏った長針に風の膜を張った。ケイは長針の行き先を横目で追う。長針は加速し、防ごうとした碧仮面の黒い手袋を切り裂いた。微かに焦げた匂いが辺りにただよう。
「くっ!」
碧仮面はうめいた。裂けた右手袋の黒い革の隙間から、浅白い肌が露出している。ケイは『ルー』をさらに締めあげつつ、腰の皮袋からロスタルムを取りだした。指先で弾こうとしたその時、苦しげに身をよじる『ルー』の瞳から涙が溢れでるのが目に入った。
「あ」
そこにいたのは、女王の精神『ルー』ではなかった。忘れたことはない。十二年前のあの日、ケイの目の前で必死に苦しみと闘っていた小さな少女の姿そのもので。気がつくとケイは、『ルー』の流す涙から目が離せなくなっていた。とたんに緩む金糸を、『ルー』が両手で鷲掴む。にっと満面の笑みを浮かべる『ルー』に、ケイは我に返った。これはあの日の少女ではない。女王ユカリィの記憶『愛情』なのだ。
「ちっ!」
ケイは小さく舌打ちして、緩めた金糸に『ルー』の両手ごと力をこめる。だが、『ルー』は両手を挟みこめたことで多少の余裕があるのだろう。金糸を引きちぎろうとし始めた。背後では態勢を立て直し、さらなる攻撃を仕掛けようとする碧仮面の気配。
(さすがに、無理があるか?)
次を防ぎきる自信は正直あまりない。せめて『ルー』をなんとか封印できれば。渾身の力をこめて左の親指でロスタルムを弾いた。
「入れ!」
だが、やはりロスタルムには何の変化も起こらない。小さく音をたてて石畳に転がるだけである。
「ちくしょ」
『ルー』との力比べはもう限界にきていた。戒めを解き、間を取るか否か。逡巡していると『ルー』の低いうめき声が聞こえた。




