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僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です

五年間付き合った彼女に商会長を理由に捨てられましたが、実は僕が商会の生命線だったようです

掲載日:2026/04/06

「悪いけど、別れてくれない?」


薄暗いカフェの隅で、彼女はそう言った。


五年間付き合った彼女に、取引先のX商会の会長を理由に捨てられた。

しかもその男は、僕を「ただの従業員」と笑った。

でも、その商会の生命線を握っていたのは、僕だった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


五年間、毎日のように顔を合わせてきた。

笑い合った日も、喧嘩した日もある。

だからこそ、その一言は冗談にしか聞こえなかった。


「……何を言ってるんだ?」


問い返した僕に、彼女は困ったように肩をすくめる。


「だって仕方ないじゃない。彼は商会長なのよ。あなたはただの従業員」


それだけでも十分きつかったのに、彼女はさらに続けた。


「それに、彼の実家はプラチナ帝国の子爵家。あなたの実家は伯爵家だけど、傘下国のものでしょう?実家の爵位も、社会的地位も、彼のほうが上。私にふさわしいのは、彼なの」


にっこりと笑う。


まるで今日の天気でも話すような口調だった。


「ごめんなさい。そういうわけだから」


その笑顔が、やけに遠く見えた。


彼女は、僕と同じY商会で働いていた。

しかも告白してきたのは彼女のほうだった。


――Y商会は、魔石を精製し、取引先であるX商会へ卸している。


五年間。

僕はてっきり、同じ未来を見ていたのだと思っていた。


まだ正式にプロポーズはしていなかった。

でも、今度の大きな功績で昇進が決まっていた。

だからそのタイミングで言おうと思って、店まで探していた。


――全部、遅かったらしい。


そういえば最近、取引先のX商会の会長が理由をつけて彼女と話している場面を何度か見た。


問いただしたとき、彼女は笑っていた。


『いろいろ質問されてただけよ。熱心よね。うちの商会のお得意様だし』


あの時から、もう決まっていたのだろう。


彼女は席を立ち、最後まで悪びれないまま去っていった。


残された焙煎湯は、すっかり冷めていた。


この世界では珍しくない、豆を焙って香りを引き出した飲み物。

その温もりだけが、やけに現実味を持って残っていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後。


Y商会の廊下を歩いていると、奥の部屋から笑い声が聞こえた。


「ぎゃはははは、あいつの顔見たか? 死にそうだったぞ」


「ほんと、ひどい人。でも彼ったら、ずっと下っ端だったじゃない? 入った当時は有望そうだったから近づいたけど、思ったほどじゃなかったし」


「まあ、俺に乗り換えたお前は見る目あるよ」


「ちゃんと幸せにしてよね」


立ち止まった。


扉の向こうにいるのが誰なのか、考えるまでもない。


胸の奥が、冷たくなる。


怒りも悲しみもあった。

けれど、それ以上に、妙に冷めてしまった自分がいた。


――ああ、そういうことか。


五年という時間は、彼女にとっては品定めの期間でしかなかったのだ。


その日のうちに、僕は上司に退職願を出した。


引き留めた上司はガンとして気持ちを変えない僕に、


「どうしてもというのなら、Z商会への出向しろ。あそこはうちとも取引をしている。Y商会は絶対にやめるな。辞めると後悔するぞ」


上司はそう言って、負け犬根性に下がっていた僕を励ましてくれた。


僕は上司のその勢いに押され、承諾した。


「彼女の処遇はこちらで考える。気持ちが落ちいたら戻って来い。・・・・だが、君を敵に回すリスクを、あいつらは分かっていない」


その言葉で涙が出そうになった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇


出向先のZ商会、そこの会長は、最初から僕を「ただの従業員」としては見ていなかった。


「我がZ商会が欲しいのは、技術だけじゃない。人柄もだ」


そう言って、相応の地位と裁量を与えてくれた。


他の同僚もY商会で、僕がどういう目に合ったか知っているようだが温かく迎えてくれた。


僕はその厚意に応えるため、持っていた知識も技術も惜しみなく注いだ。


魔石精製の効率を上げる。

品質を安定させる。

付与魔法との相性を見直し、新商品を作る。


忙しかった。

でも、くだらない駆け引きではなく、仕事そのものに向き合える毎日は心地よかった。


そして数か月後。


僕が抜けて品質の落ちたY商会との取引がうまくいかず、X商会が慌てているという話が耳に入ってきた。


「だいぶ困ってるみたいだよ」


新しい同僚が、書類を片手に苦笑する。


「主力商品の質が目に見えて落ちてるとか。そりゃそうだよな。中心技術者が抜けたんだから」


そう言って僕を見る。


「そうかもね」


「しかも、原因をまだ把握していないみたいだ。会長が寝取ったことが原因なのにY商会のせいにしているそうだ」


僕は苦笑した。


自業自得、としか思わない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


後日、X商会から会談の申し入れが来た。


僕が入ったことで魔石精製の技術が急激に上がったZ商会と、取引を結びたいらしい。


交渉をしぶるZ商会に対し、実家の子爵家の力を使って、会談をねじ込んできた。


厳しい表情をする僕を見て、会長は静かに言った。


「会うのは私だ。だが、条件は君が決めろ」


「……いいんですか?」


「当然だ。あの商会長が君にしたことは知っているからな」


僕は少し考えてから、条件を書面にまとめた。


以前と同じ取引量。

ただし、価格は引き上げる。

契約期間中の条件見直しは不可。


それだけだ。


シンプルで特におかしくない条件。


会長はそれを見て、小さく笑った。


「容赦がないな」


「妥当ですよ」


「……ああ、そうだな」


会長は頷き、そのまま書類を持って交渉へ向かった。


僕は、ゆっくりと机周りの荷物を片付け始めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


交渉は成立したらしい。


戻ってきた会長は、わずかに苦笑していた。


「向こうは“以前と同じレベルの魔石が手に入る”と思っているようだ」


「そうですか」


「詳しく聞かれなかったので説明はしなかった。それでよかったのだろう?」


「……はい」


僕は淡々と答えた。


Y商会が持っていた高い技術を支えていたのは、僕がいたからだ。


しかし繊細な魔力制御が必要でほぼ僕以外に成功しない。

その僕がいなくなってY商会は以前の品質を維持できなくなりX商会はその恩恵を受けられなくなった。


そして。


僕が出向で入ったZ商会でも同じく、魔石精製の技術は高まった。


やはりほぼ僕がそれを担っている。


つまり、条件を結んでも、僕がいなければ意味がない。


「仕事ですから」


それだけだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数週間後。


「例のX商会だけど、かなり厳しいみたいだぞ」


同僚が雑談のように話しかけてきた。


「主力商品の質が落ちて、取引先からの信用も低下しているんだとさ」


「そうだろうね」


「しかも契約の関係で、割高なまま取引を続けるしかない状況だって」


僕は書類から目を離さずに答える。


「条件は向こうが納得して結んだものだろう」


「くっくっく」


同僚は笑いをこらえながら続けた。


「X商会の会長がZ商会に怒鳴り込んだらしいぞ」


手が止まった。


「……それで?」


「Z商会の会長は教えたらしい。Y商会もZ商会でもその魔石精製の技術を本当に支えていたのが君だということを」


「そして、出向で出向いていただけで、もう期間が過ぎたからY商会に戻ったということを」


「それを知ったX商会長の顔と言ったら、死にそうな表情だったらしいぜ」


僕はゆっくりと書類を閉じた。


何も言わなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから間もなく。


X商会は、完全に立ち行かなくなった。


割高な契約に縛られたまま、品質は戻らず、信用も回復しない。

当然の帰結だった。


報告を聞いても、不思議と胸はすかなかった。


ただ――


終わったのだと思った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


さらに少しして、彼女が突然やってきた。


「久しぶりね」


受付でもめていたが、結局通してしまったらしい。


久しぶりに会った彼女は、以前のように身ぎれいではなかった。

服装は地味で、表情も暗い。


相当金銭的に苦労しているのだろう。


「……何の用?」


「そんなに冷たくしなくてもいいでしょ。聞いたわよ、副会長になったんですって?」


「それで?」


「前よりずいぶん怖くなったのね。昔はもっと優しかったのに。ねえ、やり直せない?」


彼女は何も分かっていなかった。


僕はため息をつき、立ち上がる。


「で、やり直して、僕以上の人が出たらまた乗り換える、と」


「・・・・」


「信用できない人間と一緒にはいられない」


僕は少しだけ視線を向けた。


「君は、価値のある人間に乗り換えたつもりだったんだろう」


彼女の表情が、わずかに揺れる。


「でも実際は、価値のあるものを手放しただけだ」


言葉を重ねるつもりはなかった。


それだけで十分だった。


「二度と僕の前に現れるな」


彼女は俯きながら部屋を出た。


その後の彼女がどうなったのか、僕は詳しく知らない。

ただ、いい噂だけは、一度も耳にしなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「副会長、少し休んでください。研究ばかりでは倒れますよ」


湯気の立つお茶が、そっと机に置かれる。


顔を上げると、彼女がいた。


Y商会で副会長に昇進しても僕は変わらず魔石精製の技術を担っている。


最近では開発にも着手した。


彼女はそこでで一緒に働いている一人だ。


だけど、僕を見る目はいつも潤んでいる。


「あの、副会長、今度の休み、空いていますか?良ければ、私と・・・・」


その笑顔は、とても優しかった。





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