2nd act. "Occasionem"①
始業とミーティングの際、原則十五分前にはその場に到着しておく、というのが社内での規則だ。一分でも遅れた者は千クォルの罰金。まあ、今までに遅刻をしたものはまだいない様だが。
俺は最低三十分前には事務所に着いておく様にはしているのだが、クロウは俺なんかよりずっと前に到着していて、いつもデスクでコーヒーを飲みながら朝刊を広げている。
今日はミーティングなのでオフィスではなく、同じフロアにある会議室へと向かう。
重たいドアを開け中に入ると、珍しくそこにクロウの姿はなかった。少しホッとしながら俺はいつもの席へ向かう。会議室の机は円形になっていて、どこの席についても社員全員の顔が見渡せる様になっている。特に指定はされていないのだが、俺は窓際のこの席にいつも好んで座っている。
少し早く来すぎたか、と手持無沙汰に窓際に立って外を眺めていると、突然ガチャリとドアが開く。
入ってきたのはクロウだった。資料を眺めながら全身漆黒のスーツをきっちり着こなした彼は颯爽と歩いてくると、一番手前の入口に近い席へ腰を下ろす。先に来ていた俺に気が付くと、おぉ、と軽く手を上げる。
「おはようございます」
「おはよう、昨日はよく眠れたか?」
目は書類へ向いているが、その声は俺の事を気遣うようにかけられる。はい、と返事を返すと目元に微かな笑みを浮かべただけで、それ以降口を開く事はなかった。
今思えば、彼と仕事中業務に関係のある内容以外の会話を交わした事はあまりない。
メリハリをつける、と言ってもなんだかここまで極端に変わられると対処に困ってしまう。プライベートではクロウ、と呼んでいても勤務中は『ボス』に呼び名が変わる。まあ当たり前の事なのだろうが、なんだかむず痒く感じてしまう。無駄口は仕事を終えてからにしろ、と昔からよく言われていた所為か最近は必要最低限以外の私語をするものはいなくなった。クロウの目が届かない場所では、他の社員達と気さくに話を交わすのだが。とにかく仕事に関しては厳しい人なのだ、彼は。
ミーティング開始二十分前を切ったところで、続々と見慣れた社員達が顔を揃える。先頭をきったのはシュライク。まだ眠たそうな目をしながら、「おはよう」と声を掛ける彼の肩まで伸びる髪は、任務時には後ろに一つで綺麗に纏められ、こうして見てみると割と爽やかな印象を受ける。
俺は軽く会釈をしてみせたが、クロウは相変わらず書類に目を落しながら声だけで返事を返していた。
次に姿を見せたのはメイだ。軽快なヒールの音は足早に席へと辿り着くと、静かに腰を下ろす。彼女は現場に出ている数少ない女子社員の一人で、たしか俺より年上。二十二歳、だったか。艶やかで長い黒髪はいつも綺麗に手入れされていて、彼女が側を横切る度に甘い花の様な匂いが漂う。フレグランスとはまた違う、なんていうか、女の匂い? ってやつ。男なら、俺の言いたい事が分かるだろう? ……まあそんなところだ。
しかし美人と言えば美人なんだと思うが、俺はあまり近付きたくないタイプ。気が強いのが顔に出ているんだ、目元あたり特に。化粧の所為かもしれないけれど。
そんな彼女は二年前、組織へ加入した隣国マラキアの元軍人である。
長らく両国にあった争いの果てに敗れたここアートルムはマラキアの実質的な支配下、という事になっており、元々アートルムが持っていた軍をそのままマラキアへ移し組織を合併させたため、我が国に軍隊というものは存在しない。その代わり他の国ともし戦争を始める事になれば、従属国であるアートルムは自動的にマラキアが擁護する、という条約を両国間で結んでいる様だ。
彼女はそこに二年ほど在籍し、厳しい訓練を受けてきたらしい。体つきこそ女性らしいが、一体その華奢な身体のどこにそんな力が隠されているのかと思えるほど、彼女の戦闘能力は俺達男連中に引けを取らない。まあ、さすが軍隊出身と言うだけの事はあるだろう。
「っ、危ねー。……って、まだ余裕か?」
勢い良くドアが開いたかと思えば、走ってきたのか少し息を切らしながらジェードがやって来る。その後ろにはドアの前に立ち尽くす彼の背中を押し退けながら、パディとアゼリアの姿。ちら、と目を向けたクロウに「早く入れ」と促され、三人は呑気に返事をした。
間隔を開けてバランスを取る様に座る俺達を見渡し、全員いる事を確認してからクロウが口を開く。
「揃ったな。始めるぞ」
ここに集まった俺を含めた七名は、メタノイアの『裏』の任務を担当する者達だ。
普段慈善事業として行っている仕事は別に、俺達には別の顔がある。その『裏』の任務として依頼が入った際にはこうしてミーティングを開き、誰が受け持つか話し合いを行う。表の業務と違い、こちらの仕事はそう頻繁にあるわけではない。各自得意な分野が分かれている為、クロウ一人の独断で任せる事はしないのだ。それにこの任務で得られる収入は担当した者にすべて与えられるので、まあ他の社員達から不満が出ないように、と彼が配慮しているのだろう。
壁にはめ込まれたホワイトボードに、一枚の写真が貼り出された。見た限りではなかなか男前だが……。資料に目を落しながら説明を行うクロウの声に、俺達は耳を傾ける。