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Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.2 【Forgiveness】
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3rd act. “Simultates cum pater”①

 “今日未明、ペインズ市内で発砲事件が発生し、容疑者で現在仮釈放中だった男と警察官の二名が死亡。なお、他三名の警察官が負傷した模様――”


 小さな受信機から流れてきた一報に、オフィスにいた全員が騒然とした。


 結局部屋に帰りついてから休む暇もなく早々にオフィスへ降りてきたが、その報道は、一睡もしていない俺の眠気を一気に吹き飛ばした。


「あーあ、大変な事になっちまったな。こりゃあ」


 向かいに座っていたジェードが、苦笑いを浮かべる。




 任務遂行前の標的ターゲットの死亡。これが何を意味するか、答えはひとつだ。


「失敗だな」


 読んでいた新聞に目を落としたまま、クロウが表情ひとつ変えずにそう呟くと、どよめきと同時に不穏な空気がオフィスを包み込んだ。


これまでいくつもの案件を完遂してきた俺にとって、初めての失敗だった。俺だけではない。ここにいる全員が、課せられた任務は全て完璧に行ってきた。

予期せぬ事態だったとはいえ、依頼を果たせなかったという事実に変わりはない。だが依頼人の望み通り、奴はこの世から姿を消した。俺達にとっては、最悪の結末で。


「シュライク、いいか」


席を立ったクロウが、俺の元へ歩み寄ってきた。来てくれ、と呟く彼と共に俺も席を立つ。

オフィスを後にする俺たちを、ラークが不安げな様子で見つめていた。



「大丈夫なのか、それ」


使われていない隣の空き部屋には古い家具が無造作に放置され、埃をかぶっていた。ソファの縁に腰を下ろすと、クロウは煙草に火を灯す。


「こんなの、大した怪我じゃない」


 綺麗に巻かれていた包帯を外してみせると、うっすらと血が滲んでいた。四針縫った額の傷は、未だに鈍い痛みが残る。

 銃を所持していたにも拘らず、奴が俺を撃ち殺さなかったのは、不幸中の幸いというべきだろうか。。仕事以外であんな物騒なものを持ち歩くつもりはなかったが、今回のようなことが起きてしまったからには、その考えは改めざるを得ないようだ。


 認識が甘かった。人を殺すということは、自分の身も常に死の危険に晒されているということ。

“普通”の日常なんてものが望めない事は分かりきっていた。闇に飼われた犬は、一生闇の中でしか生きられないのだ。

 寝ても覚めても、心が休まる瞬間などない。


「不測の事態とは言え、今回の依頼は失敗だ。上には俺から報告しておく」


 俺たちを動かしている『誰か』がいることは分かっていたが、それ以上のことは、クロウのみが知り得る情報だった。

 実質的なボスは彼ということになっているものの、あくまでその“上”から請け負った依頼をこなすだけ。

 クロウが頻繁に足を運んでいるらしい彼の恋人(なのかも定かではない)という女がなにか関係しているのかもしれないが、本人の口から語られたことはない。それについて、深く追求する気もなかった。表向きは慈善事業団体という名を借りてはいるが、謎の多い組織だ。


「今日はもういい。ゆっくり休んでくれ」




「……ひでえツラだ」


 バスルームの鏡に映った自分の顔を見て、俺は思わずそう呟いた。


 目の下にうっすらとできた隈を撫でてみる。部屋に戻った途端、遠のいたはずの眠気がまた顔を出した。やはり身体は正直だ。思った以上に疲れが溜まっているらしい。


 バスルームを後にして、リビングのソファへなだれ込む。目を瞑れば、すぐにでも眠りにつけそうだった。


(三日後)


 脱ぎっぱなしにしていたパンツから、あの手紙を取り出してもう一度目を通す。



 ――俺は本当に、会いにいくべきなのだろうか。


 ヤツの言う“真実”とやらを聞いたところで、一体なんになるというのだ。今更、俺の人生に関わらないで欲しい。俺の中では、もうとっくに親子の縁などないも同然だった。

 とうの生みの親はとっくに死んでいる。父親なんてのは名ばかりで、認知しているか、していないか。ただそれだけのことだ。

 俺の母が死んでからも、あいつは何度も結婚と離婚を繰り返している。一人の女を一生愛し続ける誠実さもないような男だ。どう思われようと仕方のないことだとは思うが。


 だが、問題はあいつの本当の目的だ。居場所はきっと突き止められている。俺が今、どこで何をしているか――どんな手を使ったのかは分からないが、調べるのはそう難しい事じゃない。マフィアがもつ情報網というのは膨大なものだ。あらゆる機関、人間から情報を集めているに違いない。


(まさか)


 ふと、ある考えが過ぎった。


「……いや」


(やめよう)


 頭の中に浮かんだ顔を無理矢理かき消すように、俺は目を閉じた。





 何度もドアを叩く音が聞こえる。


 夢かと思ったが、視界には自室の天井が広がっていたので、どうやら現実らしい。重い身体は、まだ眠りを欲している様だった。俺は頭を擡げ、寝惚けたまま返事をした。


 開いたそこから顔を覗かせたのはジェードだった。


「生きてる?」


 よそ行きの服に身を包んでいるところを見ると、どうやら今日の仕事は終わったらしい。薄暗くなった部屋を見渡すと、窓の外は夕日で赤く染まっていた。


「なんとか」


 隣に腰を下ろすと、ジェードは手に持っていたカップをひとつ、俺の前に置いた。ほろ苦い香りがふわりと広がる。


「今日の予定は?」


 湯気の立つそれを啜りながら、彼はそう尋ねてきた。


「何も」

「そうか、俺もだ」

「いつものことだろ、お前は」

「まあね」


 今日はどこにも行く気が起きない。怪我のせいか、動くことさえ億劫だ。ごちゃごちゃ考えても仕方のないことだとは分かっていたが、今は一人になりたい気分だった。


 ポケットから車のキーをのぞかせると


「じゃあ、少し付き合ってくれる?」


 ジェードはそう言って俺の肩を叩く。


「どこに行くんだ」

「まあいいから、黙ってついて来いって」




 車庫には仕事用の黒い乗用車とバンの他に、レイスの愛車である古い四輪駆動車と、滅多に使われていないジェードの車が停めてある。

 都会の一角にあるこの住宅街から街の中心部へは、歩いてもそう遠くはない。そのため、普段私用で出かける際に車を使う事はほとんどなかった。年に何度か遠出する事はあるものの、彼が運転しているところを見たのはまだ数える程もない。


 車好きだというレイスが三日に一度は磨き上げているお陰なのか、全ての車には汚れ一つ見当たらない。


「そういえば、初めてだよな。お前と二人で乗るの」


 運転席に乗り込むと、ジェードは心なしか嬉しそうに声を弾ませた。




 

「で? どうなった、例の彼女とは」


 低いエンジン音を響かせ、車はゆっくりと走り出す。

 前を見据えたまま、ジェードは口を開いた。


「来なかった。何時間も待ったけど」

「遊ばれたんじゃないの、お前」

「そうかもな。期待した俺が馬鹿だった」

「でも、そんなに気ぃ落とす必要はないかもしれないぞ」

「本気になりかけてた。目が覚めたよ」

「追われると逃げたくなるのかも。それが彼女の作戦なんじゃないか」

「作戦?」

「その気にさせる為さ。気のある素振りで近付いて、追ってきたらわざと突き放す。三日もすればまたお前の前に現れて、甘えた声でこう言うのさ。“あなたが本気かどうか確かめたかったの”って。お前今、本気になりかけてたって言ったか?」

「……ああ」

「じゃあもう答えは出てる。好きなんだろ? 楽しめばいいのさ。これは駆け引きだ」

「.……随分詳しいんだな」

「少なくとも、お前よりは場数を踏んでる。なんなら師匠と呼んでくれてもいい」


 得意気な笑みを浮かべながら、ジェードは眼鏡のブリッジを上げた。


 自分の気持ちが、まだよく分からなかった。俺はどうして、こんなにも彼女を求めているのか。寝たいわけじゃない。ただ、彼女と肌を触れ合わせた時のあのどうしようもない高揚感は、今まで味わったことのない感覚だった。

 誰にも見せた事のない俺の一番深い場所を、彼女になら見せてもいい。心を許すということだろうか。知りたくなったのだ、彼女の全てを。そして、知って欲しいと思った。俺の事も。

 出会ってすぐにこんな事を思うのはおかしいのかもしれない。だが彼女には、そう思わせてしまう不思議な何かがあった。


 俺をおかしくさせているのは、紛れもなく彼女だ。



「調子狂っちまうな」

「溺れすぎて見失うなよ、自分を」


 深く溜め息をつく俺に、ジェードはそう言って笑った。





 三十分程だろうか。郊外を走っていた車は、やがて小さな町へとたどり着いた。

都会の喧騒とは縁のない、賑やかさから遠く離れた小さな町。高層階の建物も煌びやかなネオンもない、レンガ造りの古い民家が建ち並ぶ静かな場所だった。


「ここは?」

「俺が生まれた町だよ」


 細い一本道をさらに五分ほど進んだところで、ジェードは車を停めた。


「一緒に来てくれ。会わせたい人がいる」


 車を降りると、彼は一軒の家を指さしてそう言った。

 赤い屋根の小さなその家が、どうやら彼の生まれた場所らしい。会わせたい人とは、ジェードの両親だろうか?

 俺は導かれるまま、彼のあとについて行った。


 ジェードがチャイムを鳴らすと、暫くして中から声が聞こえてきた。


「ばあちゃん、俺だ」


 開かれた扉の向こうから姿を現したのは、品の良さそうな白髪の女性。


「ウィリアム、待っていたわ」


 彼女は嬉しそうに目もとを綻ばせて笑うと、皴だらけの両手を伸ばし、ジェードと抱擁を交わした。


「今日は友達を連れてきたんだ。良かったかな」


 ジェードが俺の方を振り向くと、彼女も俺へ目を向ける。「もちろんよ」と柔らかな笑みを湛えたまま、『ばあちゃん』と呼ばれた彼女は俺に手を伸ばす。


「はじめまして、お友達さん。祖母のフレデリカよ」

「ランバートです。お会いできて光栄だ」


 俺の右手を両手で優しく握ると、フレデリカは「入って」と扉を開けた。


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