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Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.2 【Forgiveness】
32/35

2nd act.②-2 Nocte plenilunium,Pythonissam Orientalium

今回は別人物の視点。性描写あり。

 街を東へ、一時間ほど車を走らせ鬱蒼とした山道を奥へ奥へと進んでいくと、人目を避けるかのようにひっそりと佇む一軒の大きな屋敷が視界へ飛び込んでくる。

 屋敷を幽閉するかのようにそびえ立つ鉄格子は、暗闇を背景に物々しい雰囲気を放ちながら堅く口を閉じたまま、こちらをじっと見下ろしていた。ヘッドライトを数回パッシングさせると、照らされた屋敷の入口のポーチライトに明かりが灯り、鉄の扉がやがてゆっくりとその口を開いた。ギィ、と重たい体を引き摺りながら左右に開け放たれた門の中央をゆっくりと前進する。

 開けた場所に車を停め、助手席に積んでいた花束を抱え車から降りると、待ち構えていた使用人が静かに頭を下げた。


「お待ちしておりました。ノリス様」


 無表情な燕尾服の男は一言そう告げると、俺の顔と手元を交互に見た。が、それ以上口を開く事はなく、くるりと向きを変え数歩先を先導する様に歩き始めた。コツコツと地面を踏み鳴らす二人分の靴音が暗い森の奥まで響き、闇の中へ吸い込まれる様に融けていく。


 臙脂色の絨毯が敷きつめられた広いエントランスを飾る豪奢な装飾の数々が、頭上に吊り上げられたシャンデリアの光を反射して輝きを放っていた。小さな翼を広げた天使の彫刻は、今にも飛び立とうと言わんばかりに両手を伸ばしながら左右の壁際に佇んでいる。


 使用人の男に導かれるまま、俺は数ある部屋の一室へと招き入れられた。扉を押し開ける彼に小さく頭を下げ、部屋の中へと足を踏み入れる。

 向かって正面、透明の壁の様に張り巡らされた全面ガラス張りの大きな窓の向こう側には、綺麗に剪定された木々に囲まれた中庭が望める。明るい部屋の中から覗くとより一層闇が深く、風に吹かれて揺れるそれはまるで不気味に蠢く生き物のようだ。

 白を基調とした室内には、窓辺に置かれた天蓋つきの大きなベッドと、その手前に並べられた濃い紫色のベルベッド・ソファ。猫足をした可愛らしいローテーブルには、ティーカップが一つぽつんと取り残されている。


 ここへはもう何度も足を運んでいるが、家具らしい家具と言えばそれくらいで、贅沢な屋敷にそぐわぬ質素な部屋だ。




「いらっしゃい」


 ふわりと甘い香水の匂いが鼻を掠めたかと思えば、囁く様なその声が耳元を擽り、同時に背中へ感じる熱。

腰に回された腕が、きゅ、と力を込めて俺の身体を抱いた。

 琥珀色の瞳が上目遣いに覗き込みながら、俺の腕の中にあるそれを指して小首をかしげてみせる。

 彼女の方へ体ごと振り向くと、右手を取って爪の先へ口付けを落とした。


「ご機嫌よう。ミズ・エヴァノラ」


 その名を口にした瞬間、あからさまに眉を顰め嘆くような溜め息を漏らす彼女に、俺は思わずくつくつと肩を揺らして小さく笑った。

 長い黒髪を一つに束ね、青緑色をしたシルクのロングドレスを纏った彼女は、真紅の紅を引いた形のいい唇を俺の耳元に寄せると


「意地の悪い子ね」


 拗ねたようにそう呟く。


「……花が好きかと」


 ヴァネッサ、と付け加えると、今度は至極満足そうな笑みを浮かべ、受け取った花束に顔を埋めるようにして深く息を吸い込んだ。酔ってしまいそうなほど強い香りを放つそれは、彼女の口紅同様、不自然なまでの蒼白い肌によく映える真紅の花弁。


「素敵だわ」

「気に入った?」

「ええ。とても」



 ヴァネッサ・エヴァノラ――彼女の事は魔女、とでも言っておこうか。もちろん、魔法を使えるわけでも、空を飛べるわけでもない。

 若く美しくあることばかりに固執する、虚栄心の強い魔女。遠い昔に読んだ異国のお伽話に、彼女によく似たそんな人物が出てくるのをふと思い出した。

 夜な夜な街へ姿を現し、若い男を攫ってはその長く伸びた爪を容赦無く突き刺して、抉った心臓をひと呑みにしてしまう。数百年もの間、その命と美貌を保つ為に街中の若い男を喰い物にしていた、というなんともおぞましい物語だ。



 ジャケットをソファの上へ放り投げ、ネクタイに手をかけた。

 陶器人形のように白く滑らかな彼女の肌に指を滑らせながら、背中のファスナーを摘み、ゆっくりと下へ滑らせる。

 腰のあたりまで下ろしたところで、乾いた衣擦れの音を立てて纏っていたドレスがするりと足元へ落ちていった。黒のビスチェが露わになると、一瞬身じろいだ彼女は目を細めて薄い笑みを浮かべた。両手で俺の顔を包み込み、瞬き一つせずに真っ直ぐに俺を見つめたまま啄むように唇を重ねる。


「どうしたの」

「ん?」

「やけに突然ね」


 ホックへ手をかけながら、彼女の首筋へ顔を埋めた。


「駄目?」


 空気に触れ粟立った彼女の青白い肌が、うっすらと色を帯び始めていた。ピンと立ち上がって自己主張するように固さを増していく熟れた実を口に含むと、頭上から切なげな溜息が漏れる。


「しょうがない子」


 悪戯っぽく笑うと、愛おしそうに俺の髪を撫でながら小さく囁いた。




 明かりを落とした室内は淡い月明かりに照らされ、暗闇の中にぼんやりと白い身体を浮かびあがらせる。いつの間にか風は止み、揺れていた木々はぴたりと動きを止めて静寂の中にひっそりと佇んでいた。


 生まれたままの姿でベッドへ身体を横たえる彼女がそっと俺の左腕に指を這わせながら、こちらを覗き込むように頭を擡げた。

 今となっては視界に入れることすら忌々しく感じる冷たい鉄の輪を模した刺青は、主人を失ってもなお俺の身体を縛リ続ける。繋がれた鎖を引きちぎって逃げ出したのは、他の誰でもない――自分自身だ。


 新しい主人(ミズ・エヴァノラ)は、あの(ケリー)に酷く似ている。


「こんな話を聞いたことがあるわ」


 細い指先で胸元を(まさぐ)られ、濡れた音を立てて彼女の唇が肌に吸いつく感触にぞくりと鳥肌が立った。

 胸から脇腹へ、徐々に下降していく黒髪に全身を擽られているようで思わず身を捩る。小さく笑うと、ミズ・エヴァノラは目線だけをこちらに向け、僅かに目元を緩ませた。


「……何?」


 猫を思わせるざらりとした舌が臍下を這い、赤黒く充血したそれにねっとりと絡み付く。


「満月には人の心を惑わす不思議な魔力があるの。ちょうど今日みたいな夜には、悪い事が起きやすいと言われているそうよ」

「悪い事、ね」


 下から上へ飴を舐める様に舌を動かしながら、彼女はうっとりとした表情でこちらを見上げた。


「あの件は無事に片付きそう?」

「部下に任せてある。優秀な男だ、心配はない」


 ぐ、と咥内へ深く銜え込まれ、無意識に腰が跳ねた。水音を立てながら、綺麗な黒髪が緩やかな動きで上下する。

 彼女の舌使いに翻弄されながら、俺はただ与えられる甘い刺激に身を委ねていた。込み上げてくる熱に、だんだんと意識が遠のき、正常な思考が奪われていく気さえする。

 押し殺している声がまた漏れてしまう前に、唇を強く噛みしめた。 


「よくない噂を耳にしたの」


 前髪を掻きあげ濡れた唇を拭うと、彼女は俺の身体を跨ぐようにゆっくりと腰を下ろす。白い喉元が仰け反り、艷めいた吐息が漏れた。


「何者かが、組織の内情を探ろうとしている」


 腰をくねらせながら、肢体が緩やかに跳ねる。動きに合わせて強く腰を突き上げると、彼女は小さく声を上げた。


「何の為に?」

「さあ……詳しい事はまだ何も解らない。ただ、貴方達の事を快く思っていない人間がいる、ってとこかしら」


 くすりと笑ってそう言ったが、彼女の目に笑みはない。


「そうか」



 彼女の身体を抱えたまま、ベッドから腰を上げた。

 両脚が蛇のように身体を締め付け、皮膚に食い込む爪が背中に鈍い痛みを走らせる。


「っ!」


 壁に打ち付けられた衝撃にくぐもった呻き声を漏らすと、彼女は俺の肩に甘く噛み付きながら眉根を寄せた。


「あまり、関わりを持たない方が、いい……特に、素性の知れない──人間(おんな)とは」

「それは……嫉妬と受け取っても?」


 そのまま激しく身体を揺さぶられ、途切れ途切れに言葉を紡ぎながら浅い呼吸を繰り返す彼女の快楽に蕩けた嬌声が、しんと静まり返った部屋に反響する。恍惚に彩られた瞳が艶やかに潤み、「もっと」と甘えるような仕草は、情欲を煽るには十分すぎるほどだった。


「あまり騒ぐと使用人が飛んできそうだ」

「この部屋には、近付かないように、言ってあるわ」

「貴女の声はよく通る」

「心配?」

「いや」


 ぶつかり合う肌と、湿った粘着音。押し殺すような互いの吐息が混じり、熱を加速させる。


「ああっ!」


 瞬間、一際甲高くなった声を合図に大きく背中を仰け反らせると、彼女は小刻みに身体を震わせながら絶頂を迎えた様だった。


 深い息を吐いて気だるそうな眼差しをこちらに向けると、ミズ・エヴァノラは後ろ髪を握りしめるように俺の頭を押さえたまま、絡めていた脚を解いて身体を離した。

くるりとこちらに背を向けると、今度は壁に両手をついて肩越しに俺を見つめながら、口端を上げて誘う様に笑う。

 あと少しで限界に達しそうだった俺自身は、突然放り出された所為で僅かに熱を失っていた。


 突き出された柔らかな尻朶を両手で鷲掴み、押し上げるように再び彼女の中へと潜り込む。


「……気を付ける事よ。貴方の可愛い仲間達にも、そう、伝えておいてちょうだい」




 熱を吐き出したのは、二度目のオーガズムに達しようとしていた彼女が少し掠れた声で俺の名前を呼んだのと、ほぼ同時だった。 


 ぐったりとベッドに横たわり、ミズ・エヴァノラは静かに目を閉じた。前髪に触れると一瞬ぴくりと眉を動かしたが、閉じられた瞳が開く事はない。

やがて小さな寝息を立て始めた彼女を横目に支度を整え、瞼にそっと口付けを落としてから部屋を後にした。


 エントランスで待ち構えるように佇んでいた使用人が、無言で深く頭を下げる。顔を上げた彼の口元にはうっすら笑みが浮かんでいる様な気がしたが、目が合うとすぐに無表情に変わった。


「奥様は」

「眠っています。……もうこんな時間ですから」


 腕時計に目をやると、既に日付が変わっている。


「お気を付けて」


 抑揚のない声でそう言うと、彼また深々と腰を折った。




“関わりを持たない方がいい……特に、素性の知れない女とは”




 嫌な予感に胸がざわつくのを誤魔化すように、ペダルを強く踏み込んだ。





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