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Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.2 【Forgiveness】
29/35

1st act. “Scorpii, et aranea mulier”④

 何杯目かの酒が、カウンターの向こうから差し出された頃


 店内に残った客は俺達のみになり、流れていた音楽がゆったりとしたスローテンポのそれから一転、ドラムが軽快なリズムを刻む賑やかな曲調へと変わった。



 空になった皿を片しながら、ノアが口を開く。


「今日は随分とペースが早いな。エミー?」


 グラスに手を伸ばす彼女が、「そう?」と首をかしげて笑った。淡い暖色の明かりに照らされ、頬がほんのり染まり始めているのが分かる。


「いい男が隣にいるんだもの。少しくらい、酔ったっていいでしょう?」


 ちらりとこちらを見たエミーの瞳は、心なしか潤んでいた。

 ほぼ同じペースで飲み続けていたが、先に酔いが回ったのは、どうやら彼女の方らしかった。



 「飲みすぎるなよ」と苦笑するノアに、エミーはカウンターに身を乗り出すと



「そういえば、憶えてる? この曲」


 天井に埋め込まれたスピーカーを指さしながら、目を細めた。


「卒業前のパーティで、一緒に踊ったの」


 懐かしいな、と呟くノアはグラスを片手に調理台へ腰掛け、静かに歌を口ずさみ始めた。


「ドレスの裾を踏んで、怒られたんだよな。お前に」


「下手くそだったのよね、貴方」


「失礼だな。あれでもかなり練習したんだ」


「じゃあ今夜、もう一度踊ってみる?」



 スツールから腰を上げた彼女は高らかにヒールを鳴らしながら店の中央、少し広いスペースへゆっくりと歩いて行った。


「まいったな」


 照れくさそうに肩をすくめながら持っていたグラスを静かに置いて、ノアは誘われるままカウンター脇から姿を現した。


「ヘタクソでも、怒るなよ」


 向かい合ってそっとエミーの手を取ると、彼は小さくお辞儀をして、彼女の腰に腕を回した。 






 最初は頬を寄せるように身体を密着させながらゆらゆらと揺れていた二人が、やがて手を取り合ったまま、曲に合わせる様にステップを踏み始める。


 ノアの視線が、エミーの身体をゆっくりとなぞるように上から下へ落とされた後、高く掲げられた右手を軸に、彼女の身体は勢いよく回転した。


 腰を支える彼の腕へ、身を預ける様に大きく背中を反らせた時。スリットの間から覗いた彼女の引き締まった浅黒い脚に、思わず目がいった。

 ノアの膝下でしゃがみ込むように腰をくねらせていたエミーは、彼の胸へ手を這わせ、ゆっくりと身体を上昇させていく。そして視線は再び絡み合い、彼女の口元には、挑発するような笑みが浮かんだ。



 単なる杞憂か、それとも謙遜していただけなのか。彼のリードは流れる様に自然で決して邪魔をせず、それでいて大胆に、彼女の動きを誘う。



 その姿をぼんやり眺めつつ、俺はまた、新しく用意されていた酒を一気に半分ほど煽った。


 ふと彼の背中に腕を回し、肩越しにこちらを見つめるエミーが、人差し指を曲げて俺を手招く。

 首を横に振って答えると、彼女は少しだけ残念そうに眉尻を下げたが、それとほぼ同じくして、曲は静かに終わりを迎えた。




 うっすらと汗ばんだ肌に、ベッドの上の彼女を想像した。



 誘う様な、甘える様なあの瞳が俺を捉えて、滑らかに振れる腰の動きが、彼女の一番深い場所へと俺を導く。そして、熱の篭った吐息で俺の耳を擽って、「最高だわ」とうっとり囁く彼女──




「レニー」


 ふと名前を呼ばれ、意識が現実へと引き戻された。


 隣へ戻ってきたエミーは首元の汗をハンカチで拭うと、不思議そうに俺の顔を覗き込みながら「考え事?」と訊ねてきたので、なんでもないよと頭を振ってから


「同じの、もらえるか」


 空になったグラスを掲げ、俺はノアに七杯目のドライ・マティーニを注文した。



「あんなに踊ったの、久しぶり」


「素敵だったよ。二人とも」


「ダンスは? 経験ないの?」


「生憎ね。俺、リズム感ないから」


 そんな風には見えないのに、と悪戯っぼく笑う彼女に俺は「本当だって」とおどけるように、見よう見まねでさっきのノアの動きを再現してみせた。


「それなら今度、教えてあげる。知り合いにDJがいるの。その人、このあたりのクラブでよくイベントを開いててね。招待されてるんだけど、パートナーがいないから断ろうと思っていたところよ。アナタさえよければ、是非」


「じゃあ、練習しなくちゃ。大勢の前で格好悪い姿は見せられないもんな」


 決まりね、と嬉しそうに頷く彼女に、俺もつられて笑った。






「そうだ、訊いてなかったわね。出身はどちらなの? 」


 頬杖をつき、とろんと眠たそうな目をこちらに向けながら、エミーは新しいグラスに口を付ける。


「生まれも育ちもこの街。ペインズからは、一度も出たことない。……そっちは?」


「私、十五年前にアルデオから越してきたの。向こうは一年を通して温暖な気候でしょ? だから初めてこっちで冬を迎えた年、あまりの寒さで凍え死ぬかと思ったわ」


「はは。おまけに、こっちの冬は長いからね……嫌いじゃないけど、雪景色はもう見飽きたよ。もうそろそろ、どんどん気温も上がって、夏になる。俺の好きな季節だ」


「なんだかアナタって、子どもみたい」


 可愛い、と伸びてきた右手に、顎を掴まれた。


「この唇、すごく私好み。キスが上手そう」


「……試してみる?」


 近付いてきた彼女の唇が、「いいわ」と小さく囁いた。


 酒の所為か、熱くなったお互いの吐息が混じりあう。


 軽く触れる程度の口付けを交わした後、余韻に浸る様に、暫くお互いの顔を見つめ合った。


「そろそろ、行きましょ」



 エミーの言葉に、俺はうん、と頷いた。







 滑らかで絹のような彼女の肌を撫でると、伏せられていた長い睫毛が、静かに上を向いた。


「このタトゥ」


 左腰のあたりを覆うように張り巡らされた大きな蜘蛛の巣は、幾本もの細い線が複雑に交わり、まるで迷路のようだった。


 まだ未完成なのか、途中でぷつりと途切れている。


「うん?」


「どんな意味があんのかな、って」


ああ……と気だるそうに頷いたエミーが、口を開く。

 

「目標をひとつ達成するたびに、線を一本ずつ増やしていくの」


「目標?」


「そう。大きな仕事とか、あと……」


「寝た男の数とか?」


 ほんの冗談のつもりでそう口にすると、俺の言葉にエミーは不敵な笑みを浮かべ


「だとしたら、アナタは一体何人目の男かしら」


 耳元を擽る様にそう囁きかけてきた。



 シーツの中で抱き寄せた彼女の熱を帯びた身体は、未だ甘い余韻の中を漂っている様だった。最中、何度も確かめる様に艶かしい声で「レニー」の名を呼びながら切なげに眉を顰める彼女の姿を思い出すと、萎えていたはずのそこが、再び熱を持ち出しそうだ。


 ベッドを抜け出し、カーテンの隙間から覗いた空はまだ暗く、静まり返った通りに人の姿はない。

壁にかけられた時計に目を向けたが、夜明けまではまだ当分かかりそうだ。


 酔いはすっかり醒めていたけど、眠りにつくには短かすぎる。


「レニー」


 そう呼ばれて振り向くと、いつの間にか俺の後ろまでやってきていた彼女が、シーツを身体に巻き付けたまま俺の腰に腕を回して抱き着いてきた。


 背中に感じる彼女の心臓の音が、穏やかなを鼓動を刻む 。


「レインだ」


「……何?」


「レイン・ランバート。俺の、本当の名前。嘘ついてたんだ、その……つい。クセで」


 窓の外を眺めながらそう白状すると、彼女は少しの間を置いた後


「一晩だけの関係は嫌だって、言ったでしょう?」


 俺の肩を掴んで、上目遣いに拗ねるようにそう呟いた。


「いつ打ち明けようか、ずっと考えてた」


「どうして、その気に? 」


「分からない。でも、君には偽りたくなかった……自分を」


 瞬間、そっと首に回された腕に引き寄せられ、吐息が触れそうな距離で視線がぶつかる。


「正直なのね」


「怒るかと思った」


「誰にも言えない秘密くらい、誰にだってあるものよ」


「君にも?」


「さあ、どうかしら」


 エミーは挑発するように微笑むと、噛み付くように荒々しく、唇を重ねてきた。


 足元に落ちたシーツを掴んで、エミーの身体を抱き上げてから、そのまま再びベッドへなだれ込んだ。




(誰にも言えない秘密、か)



 彼女の胸の中で、俺は重くなった瞼をゆっくりと閉じていった。


「少し、眠らなきゃね」


 俺の髪を撫でながら、エミーは小さな子どもに言い聞かせるようにそう呟く。


「一時間、経ったら……」


 起こして、と言い終える前に、俺は意識を手放した。






 ――それはまるで、蜘蛛の糸の様な


 一度足を踏み入れれば最後、絡め取られた身体は動く事さえままならなくて


 忍び寄る影にじっと息を潜め、ただ喰われるのを待つしかない




 二度と抜け出せない甘い、罠 。






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