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Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.1 【Justice Or Vice】
25/35

6th act. -Pluat occultare lacrimis-④

「アンタ――……一体なんだい、その顔」


 小窓から顔を出して外を眺めていた女は、俺を見て目を丸くした。慌てるように扉を開け、こちらへ駆け寄ると


「誰にやられたの」


 眉を顰めながら、掠めるように口元の傷へそっと触れた。


「いっ……」


「ねえ、誰にやられたの」


 語気を強め再び彼女はそう訊ねてきたが、問いには答えず俺はふい、と顔を逸らした。……膝が震える。もう、立っているのもやっとなくらいだ。

 口を噤んだまま何も言わない俺に、女ははぁ、と呆れたように溜め息を吐く。


「……部屋、空けてあるから先に行ってな。手当てくらいしてあげるから」


 ダンの方へちらりと目を向けながらそう言うと、女はまた小屋の中へと戻っていった。俺は言われるまま、前と同じ通路の一番奥の部屋へと向かった。


 部屋のちょうど中央にあるベッドへ彼の身体を降ろし、その横に俺も腰を下ろす。ぼんやり眺めていると、ただでさえ青白い肌が、ぞっとしてしまうくらい冷たい色に見える。


「おい」


 頬を叩きながらもう一度名前を呼ぶと、今度は微かに眉が動いた。


「大丈夫か」


 俺の声に、ダンはうっすらと目を開けてこちらを見た。そしてほんの少しだけ首を縦に動かし、ふうっと息を吐く。

 ……よかった。俺は彼のその反応に、ほっと胸を撫で下ろした。


「レイン、顔」


 掠れた声で血が、とダンはこちらに手を伸ばそうとするが、痛むのか指先を少し動かしたところで顔を歪める。


「平気」




 それから間もなくして、女が手当ての道具を抱え部屋にやってきた。血が滲んでいたダンの右腕は、掠り傷程度で大した怪我ではなかったらしい。それよりも、身体中にできた青痣の方がよっぽど痛々しいくらいだ。


 先程まで目を覚ましていた彼は、疲れたのかいつの間にか眠っていた。

 ふとこちらへ近付いてきたかと思えば、女は強引に俺の顎を掴み、消毒液を染み込ませた脱脂綿で、切れているであろう箇所を拭った。


 あまりの激痛に、俺は思わず声を上げる。


「痛え!」


 殴られる痛みの方が、まだマシな気がする。


「耳元で騒ぐんじゃないよ、煩いね」


 黙ってな、と頭を叩かれ、俺は大人しく痛みに耐えるように拳を握った。

 それで、と手を止めないまま女は、声だけをこちらに向ける。


「やられっぱなしで、尻尾巻いて逃げてきたってのかい」


「別に」


「普段のスカした態度は、やっぱり見た目だけだったんだねえ……」


 そんな気はしてたけど、と彼女は口元に苦笑いを浮かべる。


「うるせえ、ほっとけ」


「はいはい……さ、これでいいよ」


 手当ての道具を抱えて立ち上がると女は


「御代はいらないから、ゆっくり休んでいきな」


 それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。

 途端、緊張の糸が切れる様に力が抜け、俺はそのままダンの横へ倒れ込んだ。身体の中が軋むような、イヤな音が耳に響く。


(寝れば治るか……)


 シーツを足で引っ掛け、引っ張り上げてダンにもそっと被せた。頭の先までそれにくるまって、未だ痛みが残る鳩尾を押さえながら中で身体を縮める。



 目が覚めたら、何事もなかったようにそこにいてくれないだろうか。痛みも何もかも、全部消えてなくなっていればいいのに。

 そんな事を考えながら、俺は無理矢理目を閉じた。




「――……ン、……イン」


 ああ、また……?


「レイン!」


 張り上げた様な声と同時に、頬を叩かれた痛みでハッと目が覚める。


「っ、で!」


 叩かれた場所はちょうど殴られて切れていたあたりで、俺は思わず身体を跳ね起こした。

横で胡座をかいて俺を見ていたダンが、やれやれと肩を竦める。


「十回も呼んだのに」


 ……そんな事はどうだっていい。


「お前、何ともないのか」


「うん、平気。全然大した事ないから」


 ガーゼを貼られた右腕をピンと伸ばしながら、胸や腹を痣だらけにした彼は「ほら」と笑う。よかったな、と言葉を返したが、見ているのも辛くて、つい目を逸らしてしまった。


「ねえ」


 その反応が気に入らなかったのか、ダンは不機嫌そうに眉を顰めながら、逸らした視線の先へ回り込んできた。


「なに」


「訊かないの、今朝のこと」


「……別に」


「遠慮しなくてもいいのに」


 投げやり気味に、ダンは言う。


「…………訊いて欲しいのかよ」


 俺も苛立ちながらそう返すと、彼は少しだけぴくりと肩を跳ねさせた後、申し訳なさそうにこくりと小さく頷いた。

 そりゃあ、訊きたい事はたくさんある。俺はまだ、何一つ知りもしていないのだ……彼の事を。

 ダンは膝を抱える様に小さく身体を丸めたまま、じっとこちらを見つめていた。


「ケリーってのは、母親の事?」


 うーん、と考えるように傾げた後、ダンは首を横に振った。


「じゃあ、何?」


「……さあ」


 よく解らない、と困ったように笑う。


「分かった、じゃあ―――― お前は何の為に逃げてきた? ああ……言いたくないなら、言わなくてもいい」


 ほんの何秒かの沈黙の後、誰にも言わない?と彼は少し思い詰めたように問うてきた。俺は何度も頷きながら、「約束する」と呟いた。

 静かに息を吸うと、ダンは俺からふと目を背ける。


「殺したんだ」



 “殺した”。――その一言だけで、全てが繋がった様な気がした。あの時彼が泣いた理由も、言おうとした言葉の続きも。

 しかし彼の口から飛び出したその単語には、これっぽっちも現実味を感じない。というより、その台詞自体が、あまりにも彼にそぐわない言葉のように思えたのだ。


「その後、俺も死のうと思った。けど、怖くて、それで―― 見つかる前に、誰かが来る前に、遠くへ行こうと思った。……でも、あそこを出てからの事はよく憶えていない。気が付いたら、ここにいて――」


 俺は咄嗟に、ダンの顔を両手で掴んだ。


「人と話をする時は、目を見るんだ」


 教わらなかったのか、と諭すように言うと


「怖くない……の」


 ダンは泣きそうな目で俺を見た。


「……?」


「俺、人殺し……なんだよ? レインの事だって、その気になればいつだって――」


 予想もしていなかったその言葉に、つい可笑しくなって吹き出してしまう。


「それ、本気で言ってんの」


「そうだよ、本気だよ!」


 真剣な顔つきで睨みつけてきたが、それが余計に可笑しくて、いよいよ笑いが込み上げてきた。


「お前には無理だろ」


「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃないか」


「なら、やってみるか?」


 そう言って両手を上げ、降参のポーズをしてみせると


「君は……意地悪だ」


 彼は今にも泣き出しそうに唇を噛みながらぽつりと呟くと、そのまま黙り込んでしまった。

 弱々しく震えるダンの背中を擦りながら、俺は掛ける言葉を探した。


「とりあえず今の話は、俺とお前だけの秘密って事にしてやる」


「うん……」


「だから、友達。なってくれる? 俺と」


 えっ、と一瞬驚いたような顔をして、彼は俺を見た。そして信じられない、と自嘲気味に呟く。


「何、言ってるの……正気?」


「もちろん」


「何もできないんだよ、俺。……君みたいに、喧嘩も強くないし」


「教えてやるよ、それくらい」


「それに、金だって持ってない」


「何とかするって」


「本当に……いいの?」


「いいの!」


 心配するな、と背中を叩くと


「ありがとう、レイン」


 少し頬を赤くして、涙の溜まった目を擦りながら嬉しそうに笑った。






 彼がインベルという街からやってきた孤児だとか、殺した女が、実はこの辺では有名な金持ちの妻だったとか。そして、その女が裏で関わっていたヤバい商売にマフィアの連中が絡んでいて、そこへひと噛みしていたのがデリックだったという事、とか。ダンの過去に関するすべてが彼本人の口から明かされたのは、それから四年も後の話だ。

 あの日彼が打ち明けてくれたあの言葉同様、そのどれもが、俺の中ではやはりどこか現実として認識し難いものではあったけど、本人がそう言っているのだから、きっと嘘ではないのだろう。




 それからの俺は、と言うと、相変わらず街の中をフラフラしながら女と遊んで、たまに喧嘩して、殴って、殴られた。



 ――ただひとつ、変わった事があったとすれば、隣にダンがいた事……だろうか。




「わ、わかった! ほほ……ほら、コレやるから、もう勘弁してくれ」


 鼻と口から血を垂れ流したまま、前歯の欠けた男は乱暴にポケットを漁ると、中からぐしゃぐしゃになった札を取り出して目の前のダンに差し出した。


「くれるのか?」


「や、やるから! だからもう見逃してくれよ……なっ?」


 今にも泣き出しそうな表情で必死に訴える男に、ひとつ大きな溜め息をつくと、ダンはちらりと俺に目を向ける。


「どうする?」


「……許してやれば?」


「だって。じゃあいいよ、帰って」


 男の手から札を取り上げると、ダンはサンキュー、と楽しそうに礼を言う。鼻を押さえたままクソッ、と悪態を吐くと、男はふらふらとその場を立ち去っていった。


「これ」


「えっ、あ……ああ」


 少し後方で、事の一部始終をおどおどと見つめていたひ弱そうなその男は、渡されたそれを受け取ると小さく頭を下げ「ありがとう」と一言口にして、逃げるように走って行ってしまった。


「……やりすぎたかな」


 遠ざかっていく彼の後ろ姿に小さく手を振りながら、ダンは苦笑した。


「どうだろ?」



 今の彼は、俺とダンがたまたま通りかかったこの路地の裏で、さっきの輩に絡まれ金を巻き上げられていたのだ。

 あんな現場は、これまでにも幾度となく目にしてきた。しかしこれまで、それを止めに入ったこともなければ、特別気にかけた事もない。誰だって一番に自分の身を案ずるのは当然の事だし、見て見ぬフリをする事が『普通』だと思っていた。


 いちいち相手にするのも馬鹿らしいのだ、ああいう連中は。面倒な事に自分からわざわざ乗り込んでいくほど、俺も馬鹿じゃない。


 だけど彼は……ダンは違った。


 一言で言えば、まさに『バカ』だった。いや――、バカが付くほど正義感が強い、とでも言っておこうか。


 騒ぎが起きれば、呼ばれもしないのに自ら首を突っ込んで、こてんぱんにやられて帰って来るか、もしくはその逆。一体何がそれほどまでに彼を動かすのかは判らないが、よほど放っておけないのか、目に付いた喧嘩や面倒事の中心には、いつも彼がいた。


 そうこうしているうちに喧嘩のやり方を覚えたらしく、そのうちほとんど無傷で相手を負かしてしまう事もあった。

 俺はただその様子を、まるで保護者にでもなったような気分で、いつも内心はらはらしながら見守っているだけ。

 加勢するのは、相手がとんでもない大人数だとか、見るからに勝てそうもない奴に、彼が無謀にも立ち向かって行ってしまった時くらいだ。



 ――それで今回は運良く、『その逆』だったというわけだが。


 路端に腰を下ろすと、ダンはポケットから煙草の箱を取り出して一本くわえた。「吸う?」とこちらに差し出してきたので、何も言わずに一本つまみ上げる。

 隣に座って、2人でぼんやりと煙草をふかした。いつかどこかで吸った、あの甘ったるくて苦い味がして、俺は少し顔を顰めた。


「俺、やりたいことあるんだ」


 と、彼は唐突に口を開く。へえ、と相槌を打つと、言葉を続けた。


「お前と一緒に、だよ」


「……何?」


「ちょっと耳貸して」


 よほど人に聞かれてはまずい様な事でも思い付いたのだろうか?

 俺は言われるまま、彼の方へ耳を寄せた。


 直接耳に掛かる息と、コソコソと潜めた話し声がくすぐったい。俺は終始、ただ首を竦めながら笑いを堪えていた。


 口元を隠す手と手の間から告げられたその企みと、彼の悪戯っぽく笑う顔は、今でもよく憶えている。

 バカが付くほど正義感が強い男のその夢は、笑ってしまうほど単純で、大きかった。




 始まりは、いつも彼の気まぐれから。俺はただ、その様子を少し離れたところから見ているだけ。

 ダンはいつしか俺のそばを離れ、二歩も三歩も先を歩くようになっていた。……それが少し、悲しいと思ったのも事実だ。




 きっとこれからも、そうやってどんどん彼は俺の先をいくだろうけれど。

 いつか訪れるその日まで、前を行く彼の背中を支えていければ、それでいい。

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