表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.1 【Justice Or Vice】
24/35

6th act. -Pluat occultare lacrimis-③

(ダン……! ダン!)


 俺は街中へと続く道を、ひたすら全速力で走り続けた。

 彼が家を出てから俺が追い始めるまでに、十五分も掛かっていない。しかもここへは昨日初めてやってきたのだ。知らない土地を歩き回る事は多分ないだろう。……行くとすれば、メインストリートか、あの路地裏か。どちらにせよ、きっと街中には戻るはずだ。それに、このまま走れば途中どこかで追い付くだろう。街からここまでは一本道なのだ。迷う事もないと思うが……。


 十分ほど走って街の中心部まで辿り着いたのだが、途中ダンらしき人物と出会う事はなかった。

弾んだ息を戻しつつ、街中を隈なく見渡しながら歩いて回ったが、やはりどこにも彼の姿はない。


(何処だよ……)


 思わずチッ、と舌を打った。苛立ったって、どうしようもないと言うのに。あの時もし、デリックに会っていなければ……そう考えるだけで腹が立つ。


 ――しかし、疑問なのは何故彼がダンの事を知っていたのか、と言う事だ。彼が言っていた『ケリー』という女と、一体何の繋がりがあるのだろうか。


 “君の様な少年なら、彼女が気に入るのも無理はない――。“


 あの言葉が、どうしても引っ掛かる。

ケリーという女は、もしかしたらダンの母親ではないのかもしれない。……じゃあ何だ。俺とジェシカの様な関係なのか?

 本当は本人に直接訊きたいが、あの時の蒼白した彼の顔を見るからして、きっと知られたくない何かなのだろう。もし、初めて彼に会った時言おうとして躊躇っていたのがその事なら、「逃げた」というのはその女の元から、という事になるんじゃないだろうか。


(いや……止めよう)


 俺は考えを振り払う様に頭を振った。憶測で考えても無駄なだけだ。今はダンを探す事だけ、考えればいい。


 四つ目の角を曲がって、俺はあの場所へと向かった。



 『裏』には見知った顔がいくつかと、他にも初めて見るような女が数人、(たむろ)していた。


「……レインさん!」


 名前を呼ばれ、俺は声のする奥の方へと目を向ける。そこに居たのはロニーと、暫くぶりに顔をみる懐かしい男の姿。

 「こっち、こっち」と手招きされ、俺は彼らの元に駆け寄った。


「やあ、久しぶりだなレイン。相変わらず男前だ」


 短い黒髪がよく似合う。首の辺りに彫られた骸骨が、タイトなシャツの深い丸襟からこちらを見ていた。


「お前も全然変わってないな、元気だったか?」


 そう言うと、彼は八重歯を覗かせ嬉しそうに「もちろん」と俺の肩を叩いた。


 セスは学校に通っていた頃、唯一仲の良かった友人だ。彼の親父も確かデリックと同じファミリーの一人で、昔は父親に連れられ、よく家に遊びに来ていた。卒業後、彼は市外にある寮制のシニアハイスクールに進学したので、それ以来疎遠になっていたのだが……。まさかこんなところで顔を合わせるなんて、思ってもいなかった。今は学校が長期休暇に入り、こちらの方に戻って来ているらしい。


 一方、ロニーはその頃から何かと俺達によく懐いていた、所謂“舎弟”みたいなものか。一つ年下で、確か今はバリーのグループの下っ端か何かだったと思う。しかし、昔からいつも誰かの陰に隠れていて、喧嘩や騒ぎに自分から首を突っ込んでくるような奴ではない。どうして彼の様な臆病者が血の気の多いギャングの仲間になったのかは、俺にもよく解らない。



「しかし、この辺りは物騒な連中が多いな。ちょっと肩が当たっただけで、すぐに因縁をつけられる」


「ほっときゃいいんだよ、そんなのは」


「ロニーとここへ来る前にも、向こうの方で(ひと)(だか)りができてたよ。てっきりお前も、あの中に混ざってるのかと思ってた」


「俺はそういうの、興味ねえんだ。ああいう連中は、群がってないと力がないからな」


 確かに、とセスは笑った。

 ……とその時、それまでずっと黙りこくっていたロニーがあの、口を開く。


「話、遮っちゃってすいません。あの、俺……昨日の夕方頃、レインさんの事偶然通りで見かけたんですけど……一緒に歩いてた人、もしかしてレインさんの友達ですか?」


 ――そうだ。俺は今、あいつを探してここに来たんだ。昨日の夕方頃と言えば、ちょうどダンと……


「なんだ? あいつの事、どこかで見かけたのか!?」


 あっ、あの……とロニーは少し怯える様に口籠った。


「その、セスさんがさっき言ってた、人集りの話なんですけど……多分、バリーさん達なんです、そこにいたの。それで、近くにいた仲間に話を聞いたんです。そしたら――」


 ああもう、とセスが呆れたようにロニーの頭を軽く叩いた。


「説明が下手なんだよ、お前は。要はな、お前のツレかもしんねえヤツがそのバリーって奴らの標的になってボコられてたって話だ。……でも、もしかしたら全然関係ねえかもしれねえから、ロニーも言おうか言うまいか悩んでたってワケよ。……そうだろ?」


 はい……とロニーは小さく頷く。


「そいつの顔は、髪は? どんな色してた?」


「そ、そこまでは、見てないんです……人が多くて……」


 ……その話を聞いて、妙に胸騒ぎがした。もしかしたら、ダンかもしれない。


「教えてくれてありがとう、ロニー」


「助けるのか」


 壁に凭れ、腕を組みながらセスが言う。うん、と頷くと彼は俺も行こうか? と少し真面目な顔をした。俺は苦笑しながら、首を横に振る。


「いや、平気だ。せっかく会えたのにごめんな、セス」


「いーよ。じゃあその代わり、今度会った時は良い女でも紹介してくれ」


 分かった、と手を振って、俺はその場を後にした。




 人集りはメインストリートの一番奥にできていて、思ったよりも随分と大きな塊を成していた。野次馬達を押し退け、俺はどんどん中心へと近付いていく。


「おいおい、それ以上やったら死んじまうんじゃねえの?」


「女みてえな奴だなあ、ホントに付いてんのかよ」


 周りを囲む見物人が口々に小声でそう言っている。……そう思うなら、どうして早く止めさせないんだ。これだけ人が集まっているというのに、どうして誰も動こうとしないんだ。


退()け!」


 押し退ける手に力が入る。男はひっ、と小さく声を上げ腕で顔を隠した。そして、やがて見えてきた円の中心に蹲る背中を見て、俺は息を呑んだ。


 土下座をするような格好で顔を伏せ、見えない様に腕で隠されているが、白金色の髪で一目でダンだと分かった。

 俺が貸した白い服が、汚れて少しくすんでしまっている。肩や腕のあたりには、うっすらと血さえ滲んでいた。……肩が上下に動いてはいるが、それ以外はピクリとも動こうとしない。


「ダン!」


 俺は野次馬の中から、円の中心へと駆け寄って行った。そして肩にそっと手を置くと、ダンは一瞬、強張る様にびく、と身体を震わせたが


「大丈夫、か?」


 小声でそう訊ねると、微かに首を縦に動かした。



「おや~? 誰かと思えば、もしかしてレインさんじゃないですか?」


 ふと、後ろから影が落ちてくる。振り向くと、俺の真後ろまでやって来たそいつは、馬鹿にするようにげらげらと笑いながら、こちらを見下ろしている。

 バリーの様な小心者がやるような事ではないと思っていたが、やはり俺の予想は当たっていた。

 バリーのグループはこの辺りでは一番規模がデカい集団なのだが、その中ではバリーに次いで2番目に勢力を持っている人間らしい。そしてバリーとは違い、彼単独でいる時も何かと騒ぎを起こす様な少し厄介な人物なのだと、依然他の連中から聞いた事がある。それだけの力があるにもかかわらず、何故わざわざ集団の中に身を置いているのかという事は、他の連中も良く解らないのだという。……歳も、バリーより少し上だったと思う。

 一方で、彼は滅多にこの通りに出てくる事はないとも聞いていた。写真か何かで見せてもらった事はあったが、直接本人を見るのは俺も今日が初めてかもしれない。


「……お前がザックか」


 向かい合う様に立ち上がると、ザックはくしゃりと顔を歪めながら「セーカイ」と親指を立ててみせた。


「初めまして、かな? 会えて嬉しいよレイン。あ、君の話はウチのリーダーさんから聞かせてもらってる。ふーん……噂通りだ。オットコマエ~!」


 そう言うと肩をぽんぽん、と叩かれる。


「触るな」


「まあそう言わずに。仲良くしようよ、レイン?」


 ね? と彼は首を傾げる。両耳に下げられた金属製のピアスが動くたびに彼の動きに反応し、ぶつかり合うその音が妙に煩わしい。


 そうだ、と思い出した様にザックは続ける。


「その子、君の友達なんでしょ? 随分可愛い顔してるから、俺、てっきりオンナノコだと思ってた~」


 眉をハの字に下げ困った様な表情で、彼は蹲るダンを指差すと、ニヤリと笑みを浮かべた。……顔を見た時から既に頭にキているというのに、この男の一々間延びする様な喋り方は、俺の神経をさらに逆撫でする。


「でも、付いてたんだよね~“アレ”が。もうホンット、驚いちゃった!」


 そしてゆっくりとこちらへ近付いてきたかと思えば、俺の耳のすぐ横で囁く様に


「ねえ、どうだった? 彼、どんな味だったの?」


 そう言ってクスリと笑われた。握りしめた拳が、思わず震える。


「……どういう意味だ」


 とぼけるの? と今度は周りの野次馬にも聞こえる様に声を張り上げ


「噂だとさあ、君、随分なプレイボーイらしいじゃん。食うの、好きなんでしょ? 男も、女も~」


 彼がそう口にした途端、俺達を囲むように出来ていた輪の中から、どっと歓声や冷やかす様な笑い声が聞こえてきた。その声に合わせ、ザックは煽るように拳を振り上げ、一緒になって歓声を上げる。


 今すぐにでも殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、こんなのはどうせ、ただの挑発に過ぎない。俺は奥歯を強く噛みしめながら彼の目をじっと睨んだ。


 ザックは指を絡ませる様に、髪の中へ手を差し入れてきた。抱える様に両手で頭を挟むと


「良かったらさあ、相手してよ。最近溜まってんだよね~、俺も」


 光のない半開きの目が、俺を見下ろした。持ち上げられた口端が、嘲笑するように歪む。開いたそこからだらしなく舌を伸ばし、やがて先端を蛇の様に動かしてみせる。

 怒りで震える手を、俺は爪が食い込むほどもう一度強く握りしめて目を閉じた。深く息を吐き、ゆっくりと空気を吸い込んだところで息を止める。


「いいぜ、してやる」


 言葉とほぼ同時に、反らせた背中を思い切り前に倒す。固いものがぶつかり合う鈍音が、脳を突き抜けて奥歯に響いた。うっ、と息を呑む様な息遣いが聞こえて、掴まれた頭から指の感触が消える。

 額を抑えながら、ザックは二,三歩よろめく様に後退(あとず)さった。……口元には、相変わらず笑みが浮かんでいる。

 ひゅう、と彼が短く口笛を鳴らすと、周りの野次馬達が一斉に声を上げた。


「激しいなあ。もっと優しくしてくんなきゃ」


「うるせえ」


 冷たいなあ、と口を尖らせながらそう言うと、態勢を低くして、今度は向こうから突進してきた。

スロウモーションの様に一瞬ゆっくりと宙を舞うと、再び鈍い音を立て、俺の身体は地面へと叩き付けられる。打ち付けた衝撃で圧迫された肺が、上手く空気を取り入れられず、苦しさで顔が歪んだ。 

 そしてまともに息を吐く暇もなく、ザックの拳が目の前で振り上げられる。反射的にぎゅっ、と目を閉じた。


 ――まともに“殴られる痛み”と言うものを感じたのは、その時が生まれて初めてだったような気がする。

 嫌な音が体中に響いて、痛みが熱を持ち、後から後からじんわりと広がっていった。声にならない呻き声みたいなものを発しながら、三発四発と衝撃を受けるうちに、だんだんと意識が宙へと引き摺られていく。目が霞んではっきりとは見えない。だが、馬乗りになって俺を見下ろしながら拳を振るう彼は、心底楽しそうに笑っている。


(……馬鹿じゃねえの)


 ついこの前までの自分に、ザックはどこか似ている様な気がした。

いつもならまさに今の彼の様に、ぼろぼろになるまで相手を打ち負かすのに。いつも俺に纏わりついて離れない、やり場のない苛立ちを、ただ感情のままにぶつける事で気を紛らわしていた。

 喧嘩も、女を抱くのも同じ事だ。俺にとっては、考える事を止める為の逃げ道でしかない。痛みで痛みを無かった事になんて、出来る筈もないとは解っているが。

 やがて、無抵抗のままに殴られ続ける相手に物足りなさでも感じたのか、ザックはふと殴る手を止めた。

 明らかに不満そうな表情を浮かべ、俺の頬に右手を添える様に触れると


「なんだあ……君、強くも何ともないんじゃん。もっと骨のある奴だと思ってたのになあ?」


 つまんない、と吐き捨てた。


 顔の表面に生温い液体がどろりと流れる嫌な感覚と、口の中に広がる鉄の味に吐き気がする。湧水の様に滲み出てくる血を咥内に溜め、唾を吐く様に勢いよくザックの顔目掛けて吐き出した。濡れた音が彼の左頬にぶつかり、赤いそれが下へ向かって道を作る様に流れ落ちていく。

 手の甲で血を拭いとると、彼は黙ったまま腰を上げる。そして立ち上がった瞬間、右足が思い切り俺の鳩尾を踏みつけた。


 ぐっ、と喉の奥が鳴いて、立てていた両膝が腹の方へ引き寄せられる様にくの字に体が曲がる。

足の重みが無くなるといよいよ意識が飛んでしまいそうになったが、まだ平気だ、と自分に言い聞かせた。


 くるりと踵を返す様に背中を向けたザックは、まるで忠告だとでも言う様に


「あんまり目立つ事、しない方がいいよ? 俺以外にも君の事良く思ってない奴、たくさんいるみたいだし。あっ、でもしょうがないか。君、オトコマエだもんね~」


 そう言い残すと、退屈そうに欠伸をしながら人々の輪を潜る様に歩き出し、やがて姿は見えなくなった。

 それまで集っていた奴らは蜘蛛の子を散らす様にその場から立ち去って行き、残されたのは、俺とダンの二人だけ。顔だけを動かし、霞んだまま半分しか開かない目をダンの方へ向けた。ここへ来た時に見たのと変わらない体勢のまま、肩が小さく上下していた。


 身体を起こそうと肘をついて力を入れるものの、打ち付けた衝撃で背骨と肩に痛みが走り、体中が軋んで上手く動いてくれない。


(クソ……)


 あああ、と雄叫びの様に腹の底から声を絞り出し、己を奮い立たせた。勢いをつけて上半身を起こす。骨が折れたんじゃないかと思うくらい体中に激痛が走ったが、そんな事今はどうだっていい。

数メートル先の彼の元へ、じんわりと痛みが残る腹を押さえながら駆け寄った。


「ダン」


 そっと肩を支え顔を上げさせると、打たれたのか左の頬が赤くなっていた。顔は然程殴られていないのか、目立つ傷はそれ以外には見当たらない。


「おい、大丈夫か。ダン」


 頬を何度か軽く叩いてみるが、反応はない。首筋に手を当てると、確かに体温も確認できる。小さく開いた口は呼吸を繰り返しているし、多分気を失っているだけだろう。

肩と膝裏に下から腕を潜り込ませ、ゆっくりと持ち上げる。立ち上がる時に少しだけよろめいたが、なんとか踏ん張れた。




 俺はダンを抱え、通りの真ん中をゆっくりと歩いた。……途中、先程見物していた奴らがわざと俺に聞こえる様な大きさの声で


「あいつ、男とも寝るんだってな。気持ち悪りい」


「どうせ今から、売春宿にでも行くんだろ。……ホモ野郎か、笑えるな!」


 そう、冷やかす様に笑った。


 何と言われようと、気にする事はない。根も葉もない噂話など、時が経てばいつか忘れ去られるものだ。

 俺はただ、彼の側にいると決めたから。……何があっても護る。そう心に誓ったから。


(……勝手に言ってろ)


 馬鹿じゃねえの、と小さく呟いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ