5th act. "Priorem suam quod nemo novit"③
少しの間ではあったが周りの暗さに慣れてしまったせいか、小さなけもの道を抜けると同時に、視界へ飛び込んできた光に思わず目が眩んだ。
丘と呼ぶには少し小さいのかもしれないが、それを建てる為だけに造られたのか、ぐるりと囲む様に空間が出来ていて、その中にぽつりと一つだけ、まだそこまで古くもない様な白い墓石が横たわっている。
“Kerry Norris”
……黒字でそう刻まれているのは確かに先程聞いた女性の名前だ。
神父は墓石の前にしゃがみ込むと、石の上に散らばる枯れ葉を拾い始めた。
「墓、と言ってもここに夫人が眠っている訳じゃないんだけどね……これは四年前、彼の意思でここへ建てさせた物なんだよ」
「……ボスの?」
「せめてもの償い、と言う事かもしれないね。酷い目に遭わされていたとはいえ、彼は彼女を愛していただろうから」
最初はわざわざ建てる必要もないだろうと断ったものの、『自分が彼女の元へ行く事は出来ないから』と懇願され、こうして形だけではあるが墓石を置く事にしたのだという。
彼女にとってクロウはただの『玩具』だったのだろう。愛する者を亡くし、残りの余生にほんの少し色をつけるための飾りのような。言葉は悪いかもしれないけれど、彼女はその罪を、自らの死を以て償う必要があったのだと思う。
「ここにいたのか。レイモンさん、ラーク」
と、その時だ。俺達を探していたのか、クロウが茂みの奥から姿を現した。教会の表に咲いていたものを摘んで来たのか、小さく束ねられた花を片手に。
「ノーラは? もう帰ったのかい」
「……いや、うちの連中に混ざって子ども達と遊んでいるよ」
墓石の前まで辿り着くと、クロウは持っていた花束を、そっと墓の手前に置いた。
それを見下ろす彼の表情はとても穏やかで、まるで愛しい人を見つめている様な、優しくて温かい眼差し。
「あの」
声を掛けると、クロウは、どうした?とこちらに顔を向けた。
「神父様から、お話聞かせてもらいました。え、と……あの……」
尻切れ気味にもごもごと口を動かしながら、目線だけを上げて彼を見る。何が言いたいのか自分でも良く解らなかったが、とりあえず何か話さなければ、と気付けば咄嗟に言葉が口を突いていた。
ああ……と表情を変えないまま
「どう思った?」
特に気にする様子もなく、やや自嘲気味な嗤いを浮かべながら訊ねてきた。
「あの、えっと……」
こういう時は軽く冗談でも言って笑い飛ばすべきなのか。言葉を探し半分口を開いたまま無言になる俺に口元だけで薄く笑みを見せ、クロウはその場に座り込んで視線を落した。
縁取る様に石の輪郭を撫でる指先が、まるで女性の身体に触れているかの様に柔らかく滑っていく。彼の目には、夫人の姿が見えているのだろうか。
「あの……夫人の事、憎いとは思ってないんですか?」
「憎い?」
「だって、ば……売春宿なんかに売られるところだったんですよ。最初からそういう目的で、貴方を養子に迎えた訳でしょう?まさかそんな理由で引き取ったなんて、いくらなんでも……」
「知ってたよ」
俺の言葉を遮る様にそう言った彼の横顔は酷く悲しそうだった。
「――役に立てるなら、何でもよかった。俺にとっての家族は、あの人だけだったから」
クロウはきっと、俺でも神父でもなく、目の前のそれに話し掛けているのだろう。
「側にいられるなら……俺はあのまま慰みでも構わなかったのに」
少しだけ、声が震えている様な気がした。
――と、突然乱暴に花を鷲掴んだかと思えば、何を思ったのかポケットから取り出した燐寸を擦って先端に火を灯す。そして墓石の上へ花を放ると、真上から火のついたそれをそっと落とした。
「……俺を捨てた、あれはあの女への当然の報いだ」
その言葉に込められているのは、憎しみではなく、もっと別の何かだろうか。
端から燃え移った炎はじわじわと全体に広がり、やがて小さな火柱を立てながら花束を静かに燃やしていった。
「憎んでないと言えば嘘になる……でも、それより悲しみの方が大きかった」
顔を上げたクロウが、こちらを一瞥した。心なしか、泣きそうな表情にも見える。
程なくして、さっきまで火柱を立てていたそれからいつのまにか炎は消え、縮んで黒くなった燃え滓が墓石の上に残っていた。小さく溜め息を吐くと、彼は残った灰を手で掃い退けながら呟くように言う。
「少し、一人になりたい」
どことなく冷たい彼のその言葉に、同じ事を考えていたのか神父と目が合う。顔を見合わせると彼が小さく頷いた。
「はい。じゃあ、あの……先に行ってます」
他に掛ける言葉が見つからなかった。……いや、俺なんかが掛けられる言葉なんて、最初から一つもないのだけれど。
ごめんなさい、と付け加える様に小さく謝って、俺は先を歩く神父の後ろを早足で追い掛けた。
中庭へ戻ると子ども達の声はすっかり止んでいて、その代わりに散々振り回されて疲れ果てたのか、座り込んでパタパタと手を動かしている女性陣と、木陰の下で寝転ぶ男二人の姿が見えた。
教会に戻ると言う神父とはそこで別れ、俺は彼らの元へと向かう。
「おぉ……あれ、どこ行ってたのお前」
ダルそうに身体を起こすと、こちらに気付いたのかシュライクが右手をひらひらと振ってみせた。
「うん、ちょっと」
色々あって、と曖昧に言葉を濁すと、彼は特に関心も示さず「ふーん?」と返してきただけだった。
と、ジェードが間を割るかの様に突然飛び起きたかと思えば
「なぁなぁ、そういえばさっきメイに聞いたんだけど、さっきまでいた子……ノーラ? だっけ。あの子、クロウのコレらしいよ」
“コレ”のところで立てた小指をくい、と動かしながら少し声を潜めて口を開く。
「へぇ……? あんなのが好みなんだな、アイツ」
「結構可愛かったじゃん、俺ちょっと良いなと思ったよ」
「顔は良かったけど体がな……俺の好みじゃない」
楽しそうに意見を交わす二人の会話に入っていけない。……というか、何だか今はそういう話で盛り上がれるような気分でもなかった。
「つうかお前何、どうした?」
すると、黙りこくる俺を不審に思ったのか、シュライクがこちらの顔を覗き込んできた。
「いや、何も……」
「何か隠してます、ってお前の目は言ってるけどなぁ?」
くっ、と顎を掴まれたかと思えば、今度はジェードがからかう様ににやりと笑った。
「これでも一応、元警察の人間だからな。コイツは騙せても俺の目は誤魔化されねえぞ」
半ば脅す様なその口調に、思わず動揺してしまう。
「……ホラ、言ったら楽になるぜ?」
――――いかにも刑事が使いそうな脅し文句だ。今なら警察に捕まって、無理矢理自白させられる犯人の気持ちが、少しわかる気がする。……俺を見て楽しそうに笑う彼が少し怖い。
「……あ、分かった」
その時、何か閃いたらしいシュライクが俺の肩を何度か軽く叩きながら「はぁ……」と深く溜め息を吐いた。
「またなんかやらかして怒られたんだな、クロウに」
彼のその言葉にああ……となんだか妙に納得すると、ジェードが今度はまるで子どもを慰める様に俺の頭を撫でてくる。
「……まぁ、あんまり落ち込むなよ。俺でよかったら話くらい聞いてやるからさ?」
「いや、あの……」
「お前これで何回目だよ、ちったぁ慣れたらいいんじゃねえか? 叱られんのにも」
本当に、彼らは人の話も聞かずにつくづく好き勝手に喋る人達だと改めて思った。今度は俺がはぁ、と小さく息を吐く。
「違う、そうじゃなくて……」
「……違うのか」
「じゃあどうした?」
知らなかったのは俺だけで、もしかしたらクロウは彼らにだけは打ち明けているんじゃないだろうか。
根拠はないけれど、何となくそんな気がする。もしそうだとしたら、それはそれでなんだか悲しい様な気もするけれど。
「二人は……クロウの昔の事とか、知ってたりする……のか?」
深入りはしない。……そう心に決めて、おそるおそる訊ねてみた。