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Justice OR Vice.  作者: 風舞 空
season.1 【Justice Or Vice】
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1st act. "Odi me sicut"②

 我々の会社は表面上、慈善事業団体と言う事になっている。慈善事業、と言ってもきちんと金銭は発生しているのだけれど。

 扱っている仕事に関しては内容によって様々だが、主に街の治安に関わる様な事件。


 今回の例で言えば、近年爆発的に増えた野犬の間で広まっている“狂犬病”にかかった犬の処分だ。


 狂犬病は基本、人体に影響がなければ何も問題はないのだが、病気を発症させた犬に咬まれる事によって、人にも感染し、ほぼ百パーセント死に至ってしまうという恐ろしい病気らしい。

 明確な治療方法はまだ見つかっておらず、既に何件か被害報告も寄せられており、その処分に街の保健職員が手を焼いていたのだという。

数が数である上に、発症している犬が凶暴化するなどして、捕獲するにも迂闊に手を出すにはあまりに危険な作業なのだ。


 そこで、処理に貢献した暁には、国から報酬として多額の金を用意するという保安局の申し出に対し、うちが名乗りを挙げた。


 メタノイアには、九名の社員が在籍している。当初は作業の効率化を図るため全社員で赴く予定だったのだが、支払える金額に上限がある為、動員はできるだけ最小限で、という局の希望により、結局ボスとシュライク、俺のたった三人という限られた人数での任務となった。

 今回はとりあえず、我々が住む首都ペインズに生息する野犬の殺傷処分依頼を受けたのだが、現在国内で確認されている数の三割、約百頭あまりが集中しているというだけあって現地へ到着したときはその数に思わず圧倒されてしまった。


 国内最大都市といわれるここペインズの人口八百万人。国土の四割以上が耕地や森林といった比較的自然に恵まれたこの国では、各主要都市に全人口が密集している為一番小さな街でも人口は二百万人ほどで、小さな農村もいくつかあるがそのほとんども一か所に集中していてバラつきがない。交通の便や生活する上で利点がある、というのも理由として考えられるが、せっかく広い国土を持っている国なのに、もったいない気がしなくもない。


 そこで立ち上がったのが、国王であるシュウォンツ・ヴェッテリーニだ。元々無類の犬好きらしい彼が、広々とした土地を利用して近隣各国から愛犬家達を集め、まあ言わば『犬の為の陸上競技大会』を四年前に初めて開催したのだが、毎年かなりの賑わいで、大会の行われる夏が近づいてくると多くの参加者達がペインズを訪れにやってくる。

 毎年一定の経済効果をもたらし、国にとってはそれなりに良い事ではあるのだが、その裏ではある問題が発生し始めていた。


 その問題と言うのが、今回俺達が担当した“野犬”の処理だ。大会開催後、それまでの練習の成果を発揮できなかったりいい結果を出せなかった犬を、なんと無責任な飼い主がそのまま置き去りにしていったり、あるいは目を離した隙に逃げ出し戻らなかった犬をそのまま放置していくのだ。第1回目の大会後、何らかの理由ではぐれてしまった飼い犬達を参加者リストと照らし合わせ、一匹一匹飼い主の元へ引き渡すという事は保安局によって行われていたらしいのだが、何千万といる参加者からそれを割り出す作業は正直言って気の遠くなる行為だ。二回目三回目と回数を重ねる毎増えていく数に音を上げ、とうとう局がそれを放棄し結果招いた事態がコレ、と言う訳だ。

人間の自分勝手な行為の為に罪のない犬達を殺してしまうのは酷く胸が痛むのだが、人体にまで悪影響を及ぼしている以上、野放しにしておける状況ではない。既に発症してしまった2名の死亡が確認されているので、有効なワクチンがない以上今は殺すという方法しか手はない。



 市民の安全を考え、保安局の職員が野犬の群れが集まる場所の半径五百メートル以内を一時封鎖するなど、結構大掛かりに行われた。動物が相手ということもあり、どうやら一筋縄ではいかない様だ。夕方には仕事から帰宅する者たちで混雑が予想されると言う事で、封鎖可能なリミットは約三時間。その時間内にこの野良犬達を捕獲・殺傷してしまわなければならない。



 大体が一か所に集まってくれていることが幸いだったのだが、話には聞いていたとおり発症したとみられる犬の中には凶暴化しているやつもいて、近付こうとゆっくり歩み寄ろうとすると牙をむき出しウゥ……とすごい形相で今にも咬みつこうと威嚇してくるし、逃げれば追いかけ回される始末。ただでさえ犬は苦手な俺には相当嫌な、というか腰の引ける任務だった。


 防護服を身に纏い腕にも頑丈な分厚いアームカバーを着け、局から用意された大きな網を三人掛かりで拡げ、近くに餌を置いておびき寄せるというオーソドックスな方法なのだが、それまで何度もその方法でしかやっていないという事もあり、警戒心の強い賢い犬はなかなかそんな罠には引っ掛からない。しかも餌には睡眠薬が入っている。嗅覚が鋭い犬をそんなもので釣ろうとしても無駄だろう。何度か近くまでやってきたやつはいたものの、臭いを嗅いで異変を察知したのかすぐに逃げてしまった。


 どうせ全部殺処分するのなら、いっそこの場で銃殺したほうが楽に逝ける。野良犬の処分は通常一室に集めて毒ガスで、というのが局のやり方らしいのだが、たしかにこんなやり方ではそこへ連れていく前に日が暮れてしまいそうだ。


 しかし、銃器の使用はいくらなんでも街中で行う訳にはいかない。一応申請はしてみたものの、使用は認められなかった。封鎖という形ではあるものの、そこに動員されている警備員はわずか十人程度と手薄な上に、簡易バリケードの周りには何が起こるのかと観にやって来た人だかりまででき始めている。発砲した際、もし誤って流れ弾が一般市民にあたりでもすれば今度は俺達が警察に捕まってしまう。その辺を考慮しての判断なのだろうが、それならばもう少し警備の徹底、封鎖範囲を拡げるなどの措置を取ってくれさえすればいいものなのだが……。慣れない作業の為か、なかなか仕事が捗らない。


 どうしようかと話している時、ふとボスの足元に一匹の小型犬が寄ってきた。鼻を鳴らしながら様子を窺っているが怯える様子のないその犬は、ボスの足元でじゃれつくように動き回る。

 しゃがみ込んで彼がそっと頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。黒くて大きな瞳を潤ませ、『遊んで』と彼の手にじゃれている。その様子を見て愛おしそうに微笑みながら、突然ポケットから針のついた注射器を取り出す。俺とシュライクは何が始まるのかとその様子をじっと観察していた。

 キャップを外し先端から液体を数滴こぼした後、ボスはそれを手元でじゃれつく犬の首元へ刺した。液がゆっくり体内へ注入されるとそれまで無邪気に懐いていたそれは、刺された事に一瞬ピクリと反応はしたものの、それから暫くして足元がふらつき始め地面へ倒れ込むと、痙攣を起こしながら苦しそうな鳴き声を上げもがいている。その様子に思わず目を背けてしまう。とてもじゃないが、可哀相で直視できなかった。

 さっきあんなに愛おしそうに撫でていた犬にさえ、どうやらこの人は情けがないらしい。俺達が横たわり苦しそうに暴れる犬を見つめながら黙っていると、先程の注射器で手の中の瓶に入った液体を吸引していた。ふう、と溜息を洩らしながら


「……可哀相なのは分かるが、今回はこれが任務なんだ。仕方ないさ」


 そう言って肩を竦めてみせた。

彼が持っているのは普段俺達が『裏』の依頼を受けた時に使用している比較的即効性の高い毒薬。ストックは会社に常備してあるものの、使った事は一度もない。即効性と言えど効き目が現われるのに人間の場合二~三時間は要する為、服用直後に即死する事はない。まあ、その『裏の依頼』については後々話す事にするので今は止めておこう。


 どうやらボスはこうなると見越していたのか、使う機会が殆どないその薬をオフィスから持って来ていたらしい。まさかそんな薬を、動物相手に使う事になるとは思ってもいなかった。

 俺とシュライクにも同じ物が渡され、先程彼がやっていたように見よう見まねでやってみる。瓶からシリンジ内へゆっくり液体を吸い上げ親指でプランジャを少し押し上げると、針の先端から透明の液体が数滴ポタポタと滴った。これから自分がしようとしている行為を思い浮かべると少々いたたまれない気持ちになったが、仕事だとわり切ってやるしかない。

 とりあえず手始めに大人しそうな犬を捕まえ、暴れ出さないように頭を撫でながら首元を押さえ、針を刺す。遊んでもらえると思って嬉しそうにじゃれてくるのだが、針が入った瞬間痛みに驚き、すごい勢いで吠える犬を必死に抑えつけ早く液を注入させるとやがて苦しそうにもがき始め、地面の上をのたうち回る。



 その後も三人で手分けをして、逃げる犬を必死に追いかけ回しながらひたすら注射を打っていき、処理できたのは一時間半で約七十頭前後。

 地面に横たわる無数の犬の死骸や、まだ息が残ってはいるが次第に弱っていくそれらの姿を目にしていると、酷な気分になる。息を引き取る寸前、こちらに悲しげな目を向けたその表情に胸が苦しくなる。何も健康な犬にまで手を掛ける事はないのに……なんて同情してみても、それならお前が責任を取れと言われるのがオチなのは分かっている。実際全ての野良犬達を引き取るなんて不可能な事だ。言葉でならいくらでも情けなんてかけられるのに、結局どうする事もできず『任務』などと名目をつけ、殺す事しか出来ない自分が無力に思えてくる。




 ……と、そんな事を考えながら注射器を片手に次の犬を探している時だった。ボスの怒号に似た声が、俺の名を呼ぶ。


「……ラーク! 後ろだ!」


 声のする方へ振り返った瞬間、荒く息をする犬の気配を感じ同時に腰のあたりへ前からずしりと重みがかかる。そうかと思えば、まるでスロウモーションの映像を観ている様に遠のいていく自分の視界に、一瞬何が起こったのか分からなくなる。打ちつけた背中の痛みを感じ、ようやく地面へ倒された事を理解した。


「い……っ!」


 閉じていた目をゆっくり開き、頭を持ち上げ俺を倒した主に目をやる。飛びかかって来たのは、体長七十センチ程のドーベルマン。一般に警察犬や軍用犬として有名な犬だ。ピンと立ち上がった耳と艶の良い黒い毛並みのその犬は、俺の胸に前足を乗せ低い声で唸りながら意識的に顔を庇おうと覆った右腕の厚布に、強い力で咬みついたまま離そうとしない。喰いちぎってやると言わんばかりに頭を振り、その力に引きずられる様に俺の身体は右へ左へと揺さぶられる。


 思わぬ襲撃に動揺し、持っていた注射器がいつの間にか手元から無くなっていた。慌てて辺りを見回すと、足元から一、二メートル向こうに転がっているそれが見えた。

 がむしゃらに腕を動かし振りほどこうとするものの、しぶとく咬みついたままやはり離してはくれない。いくら間に厚みがある布を挟んでいると言っても、凶暴化した生物の前ではあまり意味もない様に思える。現に咬まれている個所は直接歯が当たっているわけではないものの、じんわりと痛みを感じ始めていた。このアームカバーがなかったら、きっと今頃俺の腕の肉は食いちぎられていたかもしれない。そう思うと、改めて狂犬病というウイルスの寄生能力にゾッとする。

 きちんと躾けられていれば人に危害を加える事のない犬種でさえも、ここまで豹変させてしまうのだ。……そんな事を冷静に考えながら、俺はどうする事も出来ないまま動けずにいた。


 するとその時だ。広場全体に響き渡る銃声が二発、それとほぼ同時に腕に咬みついていたドーベルマンが高い鳴き声を上げたかと思えば、つい今まで右腕に感じていた痛みがすっと遠のいていく。

 軽くなった上半身を起こすと、脚を撃たれぐったりしたそれが俺の側に横たわっていた。太腿あたりに命中したらしく、流れ出す血が足先を伝い地面に染み始めている。クゥ、と切なく鼻を鳴らしながら前足を動かしてはいるが、思うようには動けないのだろう。僅かに持ちあがる首を動かしこちらを見るものの、すぐにへたりと沈んでしまった。


 視線を上げると、俺の四,五メートル先にいたボスが左手に銃を握ったままこちらへ駆け寄ってくる。


「……大丈夫か?」


 腕を持ち上げられ、立ち上がる様に促される。俺は汚れた身体から砂を払い落しながら立ち上がり、足元に落ちた注射器を拾い上げた。

怪我はないか、と心配そうな表情で訊ねられ平気だと答えると、安心した様に一瞬柔らかくなったが、その顔はすぐに硬くなった。


「動物相手だからって気を抜くな。向こうが本気になれば俺達だって命の保証はない」


「……すいません、気を付けます」


 そう言うとすぐに踵を返し、作業に戻っていった。


 普段の仕事に比べればこんなもの格段に楽な任務だ。たしかに俺はつい気を緩めていたのかもしれない。分かってはいるが相手が自分よりも弱く、何より罪のないものの命を奪うという行為に躊躇いを感じていたのも事実だ。

 しかし任務は任務。どんな理由があろうとも、ターゲットに同情している様では一人前とは言えない。余計な考えは持つだけ無駄だろう。

気を引き締める意味でパチン、と頬を両手で挟む様に叩く。


(頑張れ、俺)


 そう心の中で自分を励まし、俺がもたついている内にあと残り数頭になった犬の元へと向かった。


 なんだかんだで始めた百頭にも及ぶ野犬の処理は、結局リミットとされていた三時間を裕に下回る二時間強で終了に至った。

 殺傷後の死骸は保安局員達が全てトラックに積んで局へと持ち帰り、焼却処分されるという。死骸と言えど放り投げる様に乱暴な手つきで荷台へと送り込んでいく彼らの作業に、些か残念な気持ちになる。犬達がこの顛末を迎える事になったのは、元はと言えば彼らの怠慢が原因であると言うのに。折り重なる様に積み上げられた死骸を乗せたトラックがゆっくりと動き出すのを、複雑な思いで見送った。


 その後バリケードは開放され、一応消毒を兼ねた清掃が行われた後は目立った混雑もなく、夕方の帰宅ラッシュの時間帯にはどうにか間に合った。

任務を終え、早速国安から保安局へ今回の件での報酬金が出たと連絡を受けた。受け取りには自分が行く、と名乗り出たのでボスとシュライクは先に引き上げていき、俺は一人事務局へ向かった。


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