4th act. "Quid est iustitia"②
窓の陰から明かりのついた部屋の中を覗いた。そして警備員が新聞に目を落している隙を見計らい音を立てない様に腰を屈め、通れるギリギリの隙間を開けてドアの向こうへと侵入する。メイを先に通らせ、追って中に入り静かに扉を閉めた。床に這い蹲る様にして進み、部屋を通り過ぎたところで壁伝いに立ち上がる。
ふう、と小さく息を吐きながら振り返り再び部屋の様子を窺ったが、彼は俺達に気付く事もなく新聞を読み耽ったままだ。
「……どうやら彼の行き先は407号室みたい。知り合いの見舞いかもね」
階段を上りながら、彼女は履いていたハイヒールを脱いで手に抱える。
「どこでそれを?」
「さっき警備室の窓の前に面会者名簿が置いてあったの。そこに彼の名前と入室時間、部屋番号が記入されてたわ」
おお、と俺は小さく声を上げる。そんな所まで見ている余裕は俺には無かった。なんだか悔しいけれど、流石だ。
四階へと続く階段を駆け上り陰に隠れたまま通路を見渡すと、右へと続く通路の一角に暗がりの中一つだけ明かりがついた部屋を見つけた。
「407号室、あれだな」
部屋へ近付いていくと、中から小さな話し声が聞こえてくる。俺達は【空室】と書かれた407号室の隣部屋に身を潜め、会話の内容に耳を澄ませる。
「ここ半月、見舞いに来れなくてすまなかったな。仕事が忙しくてさ……。最近どうだ? 調子は」
――この声は確かにジェイクだ。
「いいのよ、気にしないでちょうだい。ここ何日か体調が良くてね。晴れた日には外へ出て、体を動かしているわ。それより、あなたはどうなの? ちゃんと元気でやっている?」
聞こえてきたのは、穏やかな口調でそう話す女性の声。若くはないが、そう年老いた風でもない。
「俺の事なら心配ないさ。そうだ、今度金が入ったらようやく資金が集まるんだ。早いとこマラキアの大きな病院へ移って手術を受けよう。こんなに時間がかかってしまってごめんな、母さん」
……相手の女性はどうやら彼の母親らしい。マラキアに移って手術しなければいけない程、何か重い病気にでも罹っているのだろうか。確かにこの国の医療技術は、隣国へ比べれば進歩が遅れていると聞いた事はあるが。
「苦労かけてごめんね、ジェイク。でもそんな大金、一体どうやって集めたの? もしかして……」
言いかけた瞬間、母親が突然苦しそうに大きく咳き込み始めた。それと同時にガタン、と椅子の倒れる音が響く。
「大丈夫か!? ……ごめん。もうこんな時間だもんな、早く体を休めないと」
暫くして落ち着いたのか、まだ息は少し荒い様だがそうね……と弱々しい彼女の声。また来るよ、と声を掛けると、ジェイクはそのまま部屋を出た。
俺は暗い廊下を抜け階段を下りていく彼の後ろ姿を、ほんの数センチ開けていた扉の隙間から覗き見る。足音が遠くなったのを確認してから、俺達も部屋を後にした。
一階へ辿り着くと、丁度先程の警備員が見回りの為、ライトを片手に反対方向の階段を上っていくのが見えた。
内側からしか開ける事が出来ない為か、厳重な施錠がされていないそれを音を立てないようゆっくりと回し、外へ出る。
冷たい外気に触れ、俺は張り詰めていた緊張の糸が切れたかのようにふう、と息を吐く。
「アイツの母親、どこか悪いみたいね」
ハイヒールがコツン、と地面に落される。履き直してから俺の後ろをついて歩くメイがぽつりとそう口にした。
彼が長年勤めていた会社を突然辞め短期間で大金が手に入る運び屋の仕事を始めたのも、女性達から金を騙し取ったのも……そして、その内の一人を手にかけたのも。全て母親に手術を受けさせる為だったというのか。
しかし何故だ、彼女が殺されなければいけなかった理由は? 動機は?
半年前に知り合い、彼に付き纏っていたという女性が本当に彼女だったのだとしたら、二人の間に一体何があったのだろう。
黙り込んだままなかなか発進させようとしない俺に、メイが呆れた様に溜息を漏らした。
「ねえ、アンタさ。いつもそうみたいだけど……深追いするのやめなさいよね」
「え……」
やっぱりね、と彼女は肩を竦めてみせる。
「自分の性分、分かってる? アンタはいつもそうやってすぐターゲットに感情移入するからいざって時に躊躇うの。私達の仕事は、依頼された任務を速やかに遂行する事。それ以上の事なんて誰も求めてない」
”それ以上の事なんて誰も求めていない”。初めて任務を共にした彼女にさえ、今俺が考えている事は見透かされているらしい。
「でも、さ。何か理由があったのかもしれない。そう考えるのは間違ってるのか?」
「……間違ってるわけじゃない。だけどそれは、今考える必要はない事でしょう? 私達がしなきゃならないのは彼を殺す事だけ。それ以外には何もないの」
そう言うと早く出して、と急かされる。俺は慌ててエンジンを掛け、何か言おうと口を開いたが結局考えが纏まらないまま、オフィスへと車を走らせた。