3rd act. "Infiltration"④
それから時計回りにディーラーを変えながらゲームは進行していった。俺の所持金は当初十万クォルだったのだが、勝ち負けを繰り返し八週目に入る頃には僅かだがプラスにはなっていた。
一方メイは依然負けなしで、自分がディーラーを務めた回には俺達三人からことごとく金を巻き上げていった。彼女に負けた分は俺も自分の回で巻き返しを謀ったが、なかなか上手くいかない。
「クラリス、君の手並みは実に鮮やかだな。さすがの私もお手上げだよ。……どこかで経験が?」
「あら、あなたもなかなかじゃない。経験なんてないわ、今日が初めて」
程良く酒が回って、男は上機嫌に彼女を褒め称える。メイの頬もほんのりピンク色に染まり、随分と酔っている様だ。二人で酒を酌み交わしながら笑い声を上げている。
ふと、ジェイクが俺に視線を合わせてきた。そして「耳を貸せ」と指を動かしている。俺は体を少し傾け彼の元へ耳を寄せた。
「君達一体何者なんだい? 来た時からずっと疑問に思っていたんだけど、この辺では見ない顔だよな。ここにはどういう目的で?」
ああ、と思い出したように俺は呟く。
「バーでマーティスって奴に誘われてさ。実は俺達、早急に金が必要なんだ。それを彼に話したら良い所があるってここに連れて来られたんだよ。なんでもここは、大金を手に入れる為の仕事を紹介してくれるらしいじゃないか」
一瞬、ジェイクの眉がピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。彼は暫く黙った後、メイと談笑している男に向かって口を開く。
「……オーナー、どうやら彼ら金に困っているみたいですよ。クライヴとアンが抜けた穴埋め、彼らに頼みましょうか」
それまで上機嫌だったその男から、突然笑みが消える。
「ああ、そういえば“仕事”に興味があると言っていたらしいな。……いくら必要なんだ?」
「そうだな。……百万クォルあれば間に合う」
少し考えるフリをして、俺はそう告げる。
「ジェイク、今度の仕事はたしか1人頭六十万クォルだったな。それなら二人で百二十万クォル、か。十分な額だろう」
「そんなに貰えるのか!? 何の仕事なんだ、それは」
俺の少々オーバーな反応に、オーナーの男は苦笑した。
「ただ、薬を遠方の取引先へ届けるだけさ。簡単な仕事だ。しかし警察に見つかると厄介だからな、そこだけ注意してくれさえいればいい。やる気があるなら業者へ取り次いでやるが……どうする?」
成程、業者というのは例の密輸組織の事だろう。ジェイクの様に何らかの理由で大金を必要としている人間を組織へ斡旋し、その仲介料として金を受け取っているという訳か。
「やらせてくれ。金の為ならなんでもやる覚悟だ。……早速だけどその仕事、いつ回してくれるんだ?」
「そうだな、今から一週間後にアンコラへジェイクを含めた三人が向かう事になっていたんだが、そのうちの二人がある事情で行けなくなってしまった。君達にはその二人の代わりに、彼と共に現地へ向かってもらう事になるだろう」
……アンコラとは、マラキアの南西部に位置する小さな港町だ。聞いた話ではアンコラの町長であるランキーニ・ヴィンセントはマラキア国内に複数存在するマフィアの一員を統括するボスの一人だとか。詳しい話はよく知らないのだが、多分今回の“仕事”というのはその組織と何か関係があるのだろう。
「でも、その薬ってのはサツに見つかるとヤバいもんなんだろう? 一般の交通機関を使うにしても、税関の検査に引っ掛かればアウトじゃないのか? リスクがないとは言えないな」
俺の問いに、今度はジェイクが口を開いた。
「それなら俺に良いアテがあるんだ。大人数で行くと怪しまれるから、本当はいつも俺だけの独自ルートだけど、まあ最初の仕事だし一緒に乗せてもらえるよう頼んでやるよ」
「本当か!? ありがとう助かるよジェイク。ところで、その『アテ』っていうのは一体何なんだ?」
「詳しい事は言えないけど……俺のちょっとした知り合いに貨物輸送船に乗ってる奴がいるんだ。そいつの船に貨物に紛れて乗せてもらうのさ」
するとオーナーの男がニヤリと笑みを浮かべ、俺の前へ右手を差し出すと握手を求めてきた。
「まあそういうことだ。彼に色々教わるといい。……薬は一週間後の昼間には届く筈だ。出発はおそらく夜中になるだろう。その頃になったらまたここへ足を運んでくれ」
「ああ、わかった。」
差し出された手を力強く握り、俺も男に笑みを向けてみせる。哄笑しながら彼は手元に置かれた瓶の酒をぐい、と一気に飲み干す。どうやら余程気分が良い様だ。
――それもそうだろう。カモが増えれば増えるほど、自分の元には次々に大金が舞い込んでくるのだ。ウマい肉をちらつかせれば、何の躊躇いもなく飢えた獣は飛びついてくる。その肉に、猛毒が塗られている事にも気付かずに。
知識や知恵を持つたった一握りの者達が、上手い事その匂いを嗅ぎ分け毒の塗られていない肉に喰らいつく事が出来るのだ。
簡単、なんて彼は言うものの、無数に張り巡らされた網の目を掻い潜るのはそう容易い事ではない。
ジェイクの様に自分でルートを確保できるような人間はそう多くはないだろうから組織やこの男にとって、彼は貴重な人材である事に間違いないはずだ。
午前二時を回ったところで、今日のところはひとまず撤退することにした。酔い潰れてぐったりとなったメイを連れ、俺は彼らに別れを告げる。
「ヴァン、今日は楽しませてもらったよ。今度はもっと大金を賭けて勝負しようじゃないか。その時は容赦しないぜ」
見送る為か、店の外まで一緒に出てきたジェイクと握手を交わす。
「ああ。これから世話を掛けるだろうけどよろしく頼むよ、ジェイク」
「……いいって。君達も色々大変なんだろ? 困った時はお互い様さ、気にしないでくれ」
穏やかに微笑んでみせると、彼は「またな」とこちらに手を振り再び店の中へと戻っていった。
俺はメイを肩に担いで、夜の静まり返った街を歩いた。この時間帯は特に寒さが厳しく、冷たい風は厚着をしていないと凍えてしまいそうなほどだ。最初に訪れた時とは違いもう外を出歩く人の姿はないが、ルナシィと同じくまだ明かりのついた店は多い。二,三時間もすればこの寒さも少し落ち着いてくる頃だろう。皆その時間を見計らって店を出るつもりなのかもしれない。人気のない今のうちに店を出たのは正解だった様だ。
……と、突然肩にあった重みがふわりと消える。目を向けると、酔い潰れていた筈のメイが何事もなかったかのように歩き出した。
「あれ、酔い潰れてた筈じゃ……」
俺の前を颯爽と歩く彼女を追いかける様に俺は少し足を速める。
「まさか、あの程度で酔うワケないじゃない。酔ったフリをしていただけよ。ああいう演技も時には必要なの」
軽く鼻で笑うと、纏めていた髪を解いた。緩く頭を振って広げるように靡かせる。彼女から漂ってきた甘い香りで、なんだか鼻の奥がくすぐったい。
しかし、あれがまさか演技だったとは。俺まで騙されてしまった。
「それにしてもすんなり事が運んだわね。よりにもよってターゲットと一緒に仕事に出向かせてくれるなんて。好都合だわ」
「そうだな、金も増えた事だし」
コートのポケットに手を差し入れ、コインをじゃらつかせる。
「たまたまよ、たまたま」
意地悪な笑みを浮かべ、メイは道路の端に停めていた車の元へと小走りで向かう。後を追って俺も助手席に乗り込む。そしてエンジンを掛けると、メイは思い切りアクセルを踏んで車を急発進させた。
「ちょっ……馬鹿! 危ない!」
俺を乗せた車はイーヴルストリートを抜け、20分程走らせたところで見慣れた景色が目に入る。2番目の角を右に入って少し走れば俺達のオフィス……のはずだが。
しかし彼女は減速するどころか鼻歌交じりにどんどん加速させていく。
「メイ……。通り過ぎたぞ、道」
「あら、そうだったかしらぁ。ごめんなさい?」
そう言うと今度はブレーキを勢いよく踏みつけ、静まり返った街中に響き渡るタイヤの摩擦音と共に車は急停止する。
「うっ……!」
突然止まった反動で俺は危うくフロントガラスを突き破るかと思うぐらい前へと放り出されたが、何とか踏ん張った。激しく打ちつけた背中と後頭部に鈍い痛みが走り、しばらく動けなかった。
……酔っていないなんて嘘じゃないか。ああ、そもそも酒の入っている彼女に運転を任せたが間違いだった。俺も多少呑んではいるが、バーで三杯程呷った以外は口にしていない。酔いならとっくに醒めていたのに。
車や人通りがない事だけが不幸中の幸いだった。ふらふらと蛇行しながら進む車の中で恐怖を感じながら、彼女の運転する車には二度と乗らない。……俺はそう心に決めたのだった。