第4話 ネリファルース・ツワッド
「ふう」
俺は淹れてもらった美味い紅茶を口に含み、小さく息を吐く。
目の前の美しい女性。
――ネリファルース・ツワッド。
かつて『ネル』と呼んでいた女性。
俺は改めて視線を向けた。
「…ネル?なにがあった?俺、いや俺は…?いや。コホン――これはどういう状態だ?」
※※※※※
先ほどの情報の流入。
ほとんど消えてしまったが。
どうやら一部は固定されたようで。
“彼女”のことは認識することが出来ていた。
…自分のことも何となくだが分かる。
だが。
まるで覚めた瞬間に消えてしまう夢のようで。
数瞬前の記憶があやふやになっていく。
「…まずは現状の確認を。ノアーナ・イル・グランギアドール様」
「…う、うむ」
黒を基調とした蠱惑的なメイド服を身に纏っているネル。
見惚れるほど美しい所作でカーテシーをし、すっと背筋を伸ばす姿がまぶしい。
先ほどの恐ろしい雰囲気が嘘だったかのような、蕩けるような柔らかな表情で微笑かけてきた。
「ノアーナ様、とお呼びしても?」
「…ああ、うん。かまわない。なにか違和感がある…けど…」
「おそらく1割かと」
「1割?……なんだそれは?」
「ノアーナ様の現在の『存在』が。でございます。おそらく散り散りにされたあなた様の存在の1割程度しか、今ここにはないのでは、と」
美しい所作で紅茶のお代わりを注いでくれる。
芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「ただ『本体』であるあなた様の心の真核『佐山光喜様』がこちらへの強制送還の秘術により復帰されたため、一応の整合性が保たれノアーナ様としての自我がごく一部ではありますが、奇跡的に安定されたのではないか、と愚考するところでございます」
存在が散り散り?
は?
…真核!?
…強制送還の秘術?
情報が多すぎて理解ができない。
どうやら俺は。
とてつもない存在で。
何かに滅ぼされ。
ご丁寧に魂と呼ばれるものまでもバラバラにされ。
時間・次元・概念の異なる場所へと飛ばされたらしい。
ネルは、どうやら俺の部下だったらしいが。
ノイズが走り詳しくは思い出せない。
見た瞬間、というか。
触れられて記憶が刻まれたときに認識できたが。
今は…
???
あれっ?
なんか冷静になってきたら…
えっ?
(えっ、なんで俺…こんなに綺麗で可愛い子と、お茶しながら話してるの??)
急激に認識が変わっていく。
素の俺に戻っていく?
間違いなく異常な今。
俺は“普段の俺”が前面に出てきてしまう。
(…おいおい!?)
これって…
異世界転生???
まじか?
(…なんのラノベだこれ!?)
ちょっと落ち着こうか。
まずは現状の確認からだな。
うん。
えーっと……
俺は佐山光喜34歳。
よしっ、大丈夫。
自分の名前は分かっている。
陰キャで童貞。
社畜でブラック企業にいいように扱われ。
死ぬほどの残業を繰り返し。
(…今日は取引先のコンペで佐々木部長と…って!?)
ダンッ!
思わずテーブルに手をつき立ち上がってしまった。
「あのっ、ネル…さん?すみません。俺は死んだのですかね?ここは東京ではないですよね?えっと、さっきは混乱していて……なんか偉そうに話していましたけど。あのお…」
俺が話し始めると、ネルさんの表情がみるみる曇っていく。
心なしか小刻みに震えているようにも見える?
さっきまでの非現実的な存在。
なぜか少しばかり身近に感じた。
(…認識したから、かな?)
「あのおー、えっと……」
「あっ、ああああっ!?…何てこと?ノアーナ様の存在が小さく…どうすれば!?…ノアーナ様っ!…あああ、ううう…ヒック…グスッ……」
突然泣き出したネルさん。
俺はどうしていいかわからずに茫然となってしまった。
もちろん抱きしめてあげたり。
「大丈夫だよ。俺に任せろ!」なんて…
気の利いた行動も、セリフも吐けるはずもなく。
一緒に立ち尽くすだけであったのは言うまでもない。




