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野良猫リンクスの望郷  作者: 立花コータロー
第二章 野良猫リンクスは空の青さを知る
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肝脳塗地

「エレベーター動かないじゃん!」

 パンパスは飛び跳ねている。

「まぁそりゃそうだろ、あっちに制御室がある行くぞ」

 サーバルが反対側の部屋に指を指す。


 部屋は普通のIDで開いた。

 中に入ると電源が入ったモニターが壁に並び様々なPCや機材が規則的に置かれている。

「ここは俺の出番だな」

 サーバルが不敵に笑っている。そして席に着きキーボードを叩き始めた。

「……少し時間くれ」

 タイピングする指が高速で動いている。キーボードが反応できるギリギリのスピードだ。

 今サーバルは、この施設のシステムに潜入しエレベーター、防火シャッターやその後予想されるセキュリティの解除をしようとしている。外からのハッキングとは違い直接施設のコンピューターだった事もあり直ぐに解除できた。『フラウロス』の扉だけは解除するのは難しそうであった。

「防火シャッターは開けた、ジャガランディとユキを見に行ってくれ」

 クーガーはすぐ制御室を出る。


 医務室にユキとジャガランディは潜んでいた。

 ユキは中央通路の奥の方で爆発音がしたことに気付き医務室の扉を開け、通路を覗き込む。

 ちょうどその時防火シャッターが開き始めクーガーの声が聞こえる。だが爆発音がした方を見た。

 

「……リンクス」

 右側を見ると血塗れのリンクス達が咆哮と共に暴れている。

「ジャガランディ行くの」

「わかったよ」

 ユキとジャガランディがリンクス達の方へ走り始めた。


「来なくていい!戻ってサーバルに伝えろ、『フラウロス』の扉を開けろって。博士が死ぬ!」

 二人が走ってくるのが見えたリンクスは、百メートル程向こうの二人に聞こえるように叫んだ。

 博士が死ぬ?そう聞くと二人は慌てて踵を返す。

 クーガーは、ユキ達とすれ違うとそのままリンクスの方へ走り始めた。三層から上がってきた隊員がリンクス達の方に向かっていたからだ。


 ユキ達は、制御室に入りサーバルにリンクスからの伝言を伝えた。

「『フラウロス』の扉開けないと博士が死ぬだって?じゃあやるしかないだろ」

 サーバルの瞳孔が徐々に細くなっていく。今の彼は無意識にモニターを眺め高速でタイピングしている。意識は電脳の世界にすでに入り込んでいる。

 『フラウロス』の扉は、レベルマックスのセキュリティ、最高のハッカーでも解除には数時間はかかるがサーバルなら数分で解除するだろう。


***


『フラウロス』の研究室


 薄暗い研究室には、湿った金属の匂いと、低く唸る機械音が満ちている。

 天井には人工照明が規則的に並び、中央に置かれた巨大なガラスケースだけが、異様な存在感を放っていた。


 ケースの内部では、濃い翡翠色の液体がゆっくりと渦を描き、その深奥に『フラウロス』がいる。輪郭はまるで大型猫科の赤茶色の生物。現代の医学では死亡しているはずの『フラウロス』は不気味な光を放っていた。観察を続けるほどに、姿以外は、それが地球上のどの生物とも異なることを、研究員たちは嫌というほど思い知らされていた。


 ケースの周囲には、大小さまざまな計測器が並び、無数のケーブルが床を這っている。まるで研究室全体が『フラウロス』の生命維持装置であるかのようだ。

 壁面に監視パネルが並び、ところどころに赤色の警告灯が沈黙のまま点滅している。電子音が一定のリズムで鳴り続ける中、色々な装置のどれかが様々な測定している、たがそれらが本当に研究の役に立っているかどうかさえ、誰にもわからなかった。それほど未知の研究であった。


 研究室の奥には、厚い防壁に隔てられた部屋がある。

 そこには、この施設の心臓部、超小型原子炉が鎮座していた。人の背丈ほどの円筒形の装置で、表面は熱を帯びてかすかに震えている。そしてその内部で何かが動き低い共鳴音を放っていた。    

 その原子炉で研究室全体のエネルギーのほとんどを担い、『フラウロス』の研究にはこのエネルギーが無ければ何も進まなかった。


 原子炉の存在は、研究者たちにとって希望と恐怖の象徴だった。安定的なエネルギーがなければ『フラウロス』の研究はできない。しかし、使い方を間違えば施設全体が一瞬で灰になる。誰も口には出さないが、原子炉が生む音の中に、微かでも不協和音が混じるたび、全員が生を諦める。

 ただ、余程のことがない限り制御は上手くいっている。

 

 そんな研究室にバーンスタイン博士は、ある目的を持って一人飛び込んだ。博士は液体に入った『フラウロス』をジッと見据え話かけていた。


「……すまないフラウロス。君を奴らに渡すわけにはいかないんだ。長い付き合いになった君に何故か友情を感じるよ。どうせ聞いてるんだろ。僕は君が死んでいるとは思えない」

『フラウロス』の発する光が強くなる。


「はははっ、やっぱり生きているんだね。もっと色々と話したいけど時間がないんだ。一つ君に頼みがある、君の遺伝子を宿した子供達を救いたい、だから……僕と一緒に死んでくれないか?」

 さらに光が強くなる。


「ありがとう。あの子達は言わば僕と君の子供の様なものだ。全員とは言わないが一人でも多く生かせたい……向こうに行ったらまたゆっくり話をしよう」

 博士は鞄を持って奥の部屋に向かって歩いて行く。


 『フラウロス』が強弱をつけて発光している。それはまるで博士の気持ちに共感して泣いているかの様だった。


 その時、扉が開き施設長が中に入ってきた。何やら扉の外が騒がしい。続いて警備隊長が這ってくるのを施設長が手助けし扉を閉めた。


「隊長、足を引っ張らないでください」

 撃たれ倒れた隊長の手を引き部屋に引きずり入れたのは扉が閉まらず仕方がなく助けただけである。

「……た、頼む、助け……て」

 警備隊長は、首と背中、臀部を撃たれている。ほっとけば勝手に死ぬがこんな状態では使い道が無い、施設長は、警備隊長の手から拳銃を奪い、頭に向けて撃った。静寂の研究室に銃声がこだまする。

「もう利用価値が無いんだよ君は。替えが効く者は死にたまえ」


 そしてまた静寂が訪れる。


 施設長は『フラウロス』を見て、

「お前は替えが効かないですよ」

 と不敵に笑う。


 その静寂の中で、液体がゆらっと揺れた。緑色の波紋がケースの内壁に広がり、淡い光が研究室全体を照らす。

 観測器が一斉に反応し、モニターの数値が跳ね上がる。まるで『フラウロス』が眠りから目覚めたように。


「……化け物が」

 施設長の息を呑む音が聞こえた。


 緑色の光は、まるで意思を持つかのような脈動で研究室全体を探るように揺らめいていた。

 『フラウロス』がこの閉ざされた空間を理解しようとしているかのようだった。


 施設長は、奥で静かに唸り上げる原子炉の響きは、どこか不吉の前触れのようにも聞こえていた。研究室の闇と『フラウロス』の光が溶け合い、この場所で何かが“始まる”予兆を孕んだ空間であることを感じていた。


「そっ、そうだ。バーンスタインはどこだ」

 この不気味な空間に一人では心細く、辺りを見渡す。

「バーンスタイン、どこにいる。出てきなさい」

 研究室の中に響き渡る。


 その時、奥の扉から博士が恐る恐る出てきた。

「施設長、警備隊長も殺したんですか?」


「ほっといても死んでました。それに彼も替えが効きます。でもあなたとこの化け物は替えが効きません」


「まだあなたはそんなことを言っているんですか。替えが効く人間なんていないんです。その人も、子供達もです」

 博士はゆっくりと施設長に向かって歩き出す。


「君も科学者ならそんな甘い事言っては駄目だろ、そんな事より明日には組織から完全武装した援軍が来るだろう、それまでここに閉じこもって待とう。彼らにここの扉は開けれない」


「彼らを舐めないでもらいたい。こんな扉すぐに開けますよ。まぁ扉を開けるその前にケリをつけないといけませんが。……あなたも私と一緒にここで死んでもらいます!」

 博士は施設長に指を指した。


 施設長は、博士が超小型原子炉が設置してある部屋から出てきたのを思い出した。

「……貴様まさか、原子炉に何か」

 恐る恐る聞いてみる。


「えぇ、ご想像通りに原子炉に十キロ程のC4爆薬を。あと数分で爆発します。……逃しませんよ、諦めろ」

 博士が施設長に飛び掛かった。爆発するまでの間押さえつけるつもりである。二人は激しく揉み合いになっていた。その最中パンと乾いた音がした。

「……バーンスタイン、死ぬなら一人で死ね」

 施設長は揉み合いの中、銃で博士の腹を撃っていたのである。その後博士を引き剥がし扉に走った。

「……待て、扉を開けるな」

 すがる様に手を差し伸ばす。超小型原子炉の核爆発がどれほどかはわからないがこの研究室はそれを想定して特別にかなり頑丈にできている。 博士は少しでも爆発の衝撃を緩めて子供達の生きる確率を上げたかった。衝撃さえ凌げば彼らは被爆をしないからだ。


 施設長が扉を開け始め、扉の影に隠れた。


 開いた隙間からリンクスが飛び込んできた。続いてウンピョウ、コロコロ、オセロット、クーガーも。みんな『博士』と叫びながら。

 施設長はその隙に扉から出て自分の部屋に走って行く。彼の部屋には一層に上がる隠し階段があるからだ。

 リンクス達には、施設長のことなどどうでも良かったのである。

 ただただ博士の側に一秒でも早く行きたかった。

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