第三話 胡蝶の夢
カリフォルニア州 サンタモニカ
12月20日
海からの風が、かなり冷たく感じる。
この時期の日中は温暖な気候で、上着がなくても過ごせるが夕方以降は流石に寒い、寒さのおかげかいつもより空気が澄んでいる。
海の反対には椰子の木が風になびき、浜辺の先には近くの遊園地の観覧車がゆっくり回転しているのが見える。日中に見ればカラフルな景色だが、いまはその全てがオレンジ色のグラデーションに覆われていた。
このオレンジの世界に、二人の男女だけが砂浜を歩いている。
虎之介は、今日こそ決めると決意していた。
いまこの砂浜は2人きり、そして、このロケーションは神様が僕を後押ししてくれているようだ、上手くいくために今、この瞬間を作ってくれたのだと無神論者にも関わらず、本気で思い込んでいる。
「…ミア」
虎之介は、振り向いてミアの瞳をじっと見た。
目の前の女性は、小柄でブルネットのウェーブのかかった長い髪に、日に焼けた肌、黒縁の眼鏡をかけ青い瞳をした可愛いが似合う少女だった。
ミアは、虎之介の目を見つめ返して、ニコニコしている。
「…… あっ…… あのさぁミア」
間違いなく心臓のバクバクという音が周りに聞こえてるだろう、波の音でかき消してくれなんてくだらないことを考えて、次の言葉が出てこない。
太陽が沈み切る前に言わなければと思うと余計に焦る。
周りは徐々に薄暗く風も強くなってくる。
こんなチャンスはない、そしていつも邪魔するあいつらもいない。奴らの顔が浮かんできたら無性に腹が立ってきた。
そのおかげで緊張が解けてきた。
虎之介は覚悟を決めて、
「ミア」
ミアは相変わらずニコニコ見てくる。
「僕とぉ、結婚してぇ」
付き合ってもないのにプロポーズした。
ミアは頷く。
「うぅぅやったぁー」
虎之介はその場で飛び上がりガッツポーズをとる。
「幸せにするよぉ、ミア」
虎之介は目に涙を溜めている。
ミアは、目を閉じてアゴをあげて唇を尖らせている。
虎之介は、ぽかーんとしてその唇を見ていた。
(どーゆーことだ?)
(ミアは何をしてるんだ?)
(まさか)
(いやいやそんなすぐに?)
いくらウブで鈍感な虎之介でもさすがにこれはキスを求めていると気づく。
「……………キスぅ?」
震える声で言った。
ミアは頷く。
虎之介は意を決し、震える手でミアの肩を抱き唇を尖らせミアの唇に触れた。
その時、右の頬の辺りがジンワリ痛みがきたような気がする。
「虎之介!」
ハスキーな声が聞こえる。
「ミア」
虎之介はさらに肩を抱く力を強めて唇を突き出した。
鼻の頭から脳天をつく電気が走る。
「虎之介!!」
さっきよりはっきり聞こえる。
「………はぁーいってぇー」
虎之介は、鼻を押さえて悶絶した。
何が起こった?ここはどこだ?ミアは?とにかく鼻が痛く目も開けれない。
「てめー気持ち悪りぃんだよ、この童貞野郎!」
とハスキーボイスな女性が言った。
「童貞拗らせて、姉ちゃん襲うって!」
女は、めちゃくちゃ怒っている。
「起きろ!虎之介ー」
ハスキーボイスの女性は、虎之介の姉の宮古だった。
宮古は、虎之介の髪を掴んでソファから引きずり下ろしてもう1発頬を掌で殴った。
「ねっ姉ちゃん!」
虎之介はまだ何が起こったのかわからず鼻血をたらしながらキョトンとしている。
「ミヤ、ミヤ気持ち悪りぃんだよ、おまえ」
宮古は、顔を真っ赤にして言う。
虎之介は、痛みでやっとさっきまでのは夢だったとわかって顔面蒼白である。
(…これはまずい、まずすぎる)
(姉ちゃんは、ミアとミヤで勘違いしてる)
(俺はまさか姉ちゃんにキスしてしまったのか?)
(やばい、逃げなければ!)
(こ ろ さ れ る)
虎之介は、昔から姉の宮古には頭が上がらない、早くに母は亡くなり、忙しい父、虎徹の代わりに、母親がわりに育ててもらった。
虎之介が幼い時少し目を離した瞬間、ある組織に誘拐され、5年後CIAの父が取り戻してきた。その為、虎之介への罪悪感もあり弟を守るために強くなろうと必死に努力した結果強くなり過ぎたのである。今ではネイビーシールズの中佐まで上り詰めた女傑だ。厳しいがとても弟を溺愛している。
父、虎徹は、元CIAでアメリカの危機を水面化で何度も救った伝説的なエージェントである。息子を誘拐した組織の施設をバーンスタインの協力もあり壊滅させ息子を取戻し、その組織の他の施設と組織そのものをリンクス達の力を借り全て潰し、そして息子との時間を作るためにCIAを辞めた。その後はバーンスタイン会長の茶飲み友達にして、虎之介を鍛える為もあり武術道場を営んでいる。
(姉ちゃんになんとか弁解しないとこの先合わす顔がない。でも姉ちゃんはキレたら怖すぎる、ちなみに俺より強い)
虎之介は、動揺して言葉が出てこない。
「宮古、虎之介は、夢でうちの秘書のミアにキスしようとしてたんだよ。ミアとミヤ似てるから聞き間違いだよ」
とその後ろにいた男がニヤニヤして、フォローしてくれた。
「そう、そうだよぉ!姉ちゃん、僕はぁ、ミアが好きなんだ!」
と恥ずかしげもなく言った。
「ほんと情けないし、気持ち悪い」
宮古は、本気で冷めた目で虎之介を見下ろし、そしてキッチンの方に向かって歩き始める。
「好きな女に告白もできずに夢でエロいことしかできないのが弟とは…… 」
と呟き、キッチンの棚をあけてゴソゴソしている。
虎之介は(まずい)と直感し、鼻血を手で拭きながら立ち上がり足早に玄関まで行った。
その時、宮古は、肉切り包丁を持って、
「よその女の子に犯罪犯す前に、そのぶら下がってるもん切ってやるよ」
ゆっくり宮古は、近づいてくる。
「ぎゃー」
虎之介は大慌てで玄関から外にでて走って逃げた。
「リンクス」
宮古は隣で面白そうに笑っている男に声をかける。
「バカな弟だけど、あと頼むよ、リンクス」
少しはにかんで宮古は言った。
「任せとけ!」
リンクスは満面の笑みで答え、
「じゃあな、宮古、土産買ってくるからなぁ」
すでに虎之介を追って玄関を抜けていた。
「…… はぁ、ほんとに大丈夫かしら」
宮古は溜息をつき、
「いってらっしゃい」
と言った。
虎之介は、家から出て一心不乱に人通りの多い大通りを目指して走っている。
「虎之介〜、早く乗れ、逃げるぞ」
リンクスが車で追いかけてきて、虎之介の横に車を止めた。
虎之介は急いで車に乗り、シートベルトをかけ後ろを見て、
「追ってきてないねぇ」
と安堵の声を上げる。
リンクスは車を走らせながら言う。
「お前、ミアが好きだったんだな」
そう言ってリンクスは、不敵な笑みをしている。
絶対弱みを知られてはいけないこの男に知られてしまったことで虎之介は、この先のこと考えると泣きたくなってしまった。




