巨大倉庫の夢を見た(一)
殺風景、というのが第一印象だった。
その日の舞台は巨大倉庫。
色とりどりのコンテナが山積みになっており、高い壁となっているせいで、さながら迷路のようになっていた。
天井は信じられないほど高い。
スタート地点もゴールも分からず、いきなりその中に放り出されたわけだから、もちろん現在位置も分からない。予想さえつかない。コンテナと天井しか見えない。
人の気配はない。
俺は頭を抱えた。
人が多すぎて主を特定できないことはある。
だが今回は、そもそも人と会うことさえ難しそうだ。
「え、なにこれ。なんか怖いんだけど……」
A子は今日も来ていた。
学生服にパーカー。こんな倉庫に来る格好ではない。
そういう俺も……休日用のどうでもいいシャツとズボンだから、人のことは言えないが。
天井からの照明で、暗くないのがせめてもの救いだ。
これで暗かったら、怖くてどこにも行けなかったところだ。
「なあ、A子さんよ。俺はこうして他人の夢に入り込むたび、いろいろ推理してきたんだ」
「なに推理って? 探偵気取りなの?」
いや、探偵は関係ない。
分からないことがある場合、人は予想を立てる。普通のことだ。もし予想を立てない場合、行動はランダムになる。
まあランダムというのもじつはウソで、人には「行動傾向」というものがあるから、その傾向に従って行動することになるわけだけど。なにも考えずに行動した場合、常に似たようなルートをたどることになるだろう。
「まあとにかく……ハッキリ言うと、俺の推理は役に立っていない」
「知ってるけど」
「いや分かってない。現実世界では、俺の推理はまあまあ正確なんだ。少なくとも、ぼうっと生きてるヤツよりはな」
「なに? 自慢?」
こいつの口は苦情しか言えない構造にでもなっているのか?
まあ反論すらしてやらんが。
「だが、夢の中では別だ。信じられないほど精度が下がる。考えてもみてくれ。ゾンビだのサメだの……あんなのが出てくるほうがおかしいんだ。予想できるほうがどうかしてる」
「負け惜しみじゃん」
「そこで俺は考えたんだ。思考が論理的じゃないヤツに予想させたほうが、当たるんじゃないかってな」
「で、なんでこっち見んの?」
「予想してくれ。主はどこにいる?」
「死ねよ」
不毛なやりとりだったな。
時間とエネルギーをムダにした。
俺は非論理的な助手の頭脳を借りるのをあきらめて、コンテナの奥を覗き込んだ。コンテナしか見えない。もし現実でこんな倉庫に迷い込んだら、たぶん泣いてる。もしくは誰も出てこないと思って、全裸で踊り始めるか。だが全裸で踊ったところで、さして楽しくはあるまい。孤独は人の心を蝕む。
後ろから弱パンチが飛んできた。
「ねー、ちょっと! 無視しないで!」
デュクシ。
小学生男子か、こいつは。
「なんだよ? じゃあこの俺に代わって、推理でもしてくれんのか?」
「だから、推理とかムリじゃん。しょせん夢なんだから」
「夢は夢だけど、物理法則は成立することになってるんだ。なにかヒントがあれば、そこから予想を立てることはできる」
喋ってる間も弱パンチを撃ってきている。
まるでサンドバッグだ。
「ちょっともう、やめなさい。集中できないから」
「怒んなくていいじゃん……」
「怒ってないよ」
俺はこいつを一度も銃殺していない。
つまり怒っていないと言える。
Q.E.D.
するとA子はパンチをやめて、おとなしく話を続けてきた。まだ話すようなことがあるのかはともかく。
「あのさぁ、勘違いしないで欲しいんだけどさぁ」
「なに?」
「あ、私も勘違いしないようにするけど……」
「はい……」
なんの話だ?
少し振り返ったが、完全に俺の背後に回り込んでいたから、顔は見えなかった。まあ近くにいるならそれでいいが。
「あんたさ、コマちゃんのことどう思ってんの?」
「は?」
「あ、でも先に言っておくけど、コマちゃんはあんたのこと好きじゃないと思う。たぶん。タイプじゃないっていうか」
「そう言ってたのか?」
「違うけど……。でも分かるから」
「そうかよ」
どうでもいい情報が投下された。
これは俺の「推理」を妨害する効果しかない。
射殺したほうがいいのだろうか?
「あんたはどうなの?」
「かわいいと思うぜ、ネコみたいで」
「ネコじゃない」
それは分かる。
ネコは二足歩行しないし、あんなにのじゃのじゃ言わない。
だが、耳と尻尾がついているから、動物っぽい印象はある。そこはかわいいと思う。祖父母の家にいたネコを思い出す。
会話は終わり、かと思いきや、A子はまだ話を続けてきた。
「あたしのことはどうなの?」
「どうって?」
「だから……かわ……前に……かわいいって言われたから……。もしかして好きなのかと思って」
俺はあえて振り返らなかった。
かわいい?
言ったことがあっただろうか?
ことによると、呪いのオカッパ人形界隈では一番の美少女かもしれないが。もしそんなことを言えば、百倍の罵倒となって返ってくるはず。しかしそんな記憶がないということは、言っていないということだ。
「言ったっけ?」
「は?」
若い女を見るたびかわいいと言う男はいるかもしれない。
だが、俺はそうじゃない。
この女の面構えは嫌いじゃないが、その背景の複雑さを想像すると、あまり安易に踏み込む気になれない。歳もだいぶ離れているだろうし。
大人はガキになにかをしかけるべきじゃない。俺が男であろうが女であろうが。
「ペンギンみたいって言った。え、あれバカにしてたの?」
「ペンギン? いつ?」
「無名閣で……」
ペンギンとは?
呪いのオカッパ人形と聞き間違えているわけではなさそうだ。
「忘れちゃったけど、なんとかペンギンって言ってた」
「じゃあきっとそのペンギンに似てたんだろうな」
「あ、思い出した。フンボルトペンギンだ。え、普通のペンギンとなにか違うの?」
「はいはい。俺も思い出しましたよ。ウンベルト・エーコのことだろ? A子なんて名乗るから」
「は?」
ウンベルト・エーコはイタリアの学者だ。
記号論で有名。
たぶん。
俺もよく知らない。調べものをしていると、名前だけたまに見かける。
「え、なに? 人の名前? あたしがそいつに似てるってこと?」
「似てるっていうか。名前だけだよ。その人、男だし」
「なんかムカつくんだけど……」
「お詫びして撤回いたします」
それより主を探す手伝いをしてくれないだろうか。
「あんたさぁ、自分のこと頭いいとか思ってんの?」
「質問に答えてやってもいいが。そっちこそ、俺がイエスと答えた場合と、ノーと答えた場合とで、あらかじめリアクションを用意してるんだろうな? 特に答えを求めてるわけでもないのに、質問を装って俺の頭脳労働を妨害してるんだとしたら、さすがに怒るぞ?」
「うっざ……」
イエスとかノーとかいう問題以前だったようだな。
そもそも、なぜ俺はこんなに怒られているのか。
なぜ彼女は怒っているのか。
かわいいって言われたかったのか?
そんな言葉を欲しがるタイプにも見えないが。だいたい、こいつは世界の全てを嫌っているとしか思えない。そういう目をしている。あくまで「外見で判断」すると、そう。内面は知らない。
それはそれとして、ときおり遠くから凄まじい騒音が聞こえてくる。
ギィィと金属の軋む音。
ただし衝突音はないから、コンテナが倒れているわけではなさそうだ。
ずっと向こうのほうで、クレーンがコンテナを運んでいるのかもしれない。
「おい、Q坊!」
いきなりA子から呼び捨てにされた。
本名ではないが……。
「なんだよ?」
「じゃあ、あたしのことはどう思ってるワケ? あたし、早く死にたかったのに。勝手に助けに来たかと思ったら、そのあと特にどうでもいいみたいな扱いしてさ……。どうでもいいって思うなら、最初から助けないでよ。それともなんなの? 考えもナシにヒーロー気分で助けてたの? 自己満足ってこと?」
いきなり後ろから苦情を飛ばしてきた。
まあ一理あるような気もするが……。
俺は向きを変えて、A子と向き合った。
「すまん。深く考えてなかった」
「はぁ?」
「だけど死んで欲しくなかったってのは本当だ。少なくともあのときはな」
「いまは?」
「でも俺に選択肢はなかった」
「それって責任転嫁でしょ?」
正直、同じレベルで怒る気分になれなかった。
両者の間にはいくらか温度差がある……。
「苦情はコマちゃんに言ってくれ」
「殺してよ、じゃあ。あんたの銃で。そこらのモブを殺すみたいにさ」
そうまでして死にたいのか?
生きたくても生きられない人間もいるのに?
いや、生きたいと思えている人は、その時点で、すでにいくらか幸福なのかもしれない。
ところが彼女は、そう思えないような状況に置かれている……。
前提条件が非対称だ。両者を安易に比較するべきじゃない。
「俺は殺したいと思ったヤツしか殺さない。そしていまのあんたは、その条件に該当しない」
「どうしたら該当するの?」
「さあな」
これだけワーワー言われて殺す気になれないのだから、もっと根本的に妨害してくれないと該当しないだろう。
それに、俺はたぶん、彼女に自分を重ねている。死んで欲しくないと思ってしまっている。このハードルは高い。
消沈してしまったのか、返事はなかった。
俺は彼女に背を向けて、コンテナの奥を覗き込んだ。やはりコンテナしか見えない。ここにいてもなにも解決しないだろう。どこかへ行かなくては。
闇雲に移動すべきではない。
移動するにしても、目印をつけながら移動するべきだ。たとえばコンテナに傷をつけるとか。しかし音で推測するに、コンテナは常に移動させられている。
まるで構造の組み変わる迷路だ。
もしかするとここには、入口も出口もないのかもしれない。
ふと、靴音が近づいてきた。
主か?
それとも役者か?
役者なら絶命させてもいい。だが、それでも最初に撃つのは足だ。誤射だった場合のリスクを考えると、ほかに選択肢はない。
(続く)




