銀河鉄道の夢を見た(二)
なぜ俺が……あまり生きることに前向きじゃないのか。
それには理由がある。
物心ついたころ、俺はたぶん幸福だった。なに不自由なく暮らしていた。
父親は、あんまり話したことはない……のだが。少なくとも、悪人ではなかったように思う。俺にはうるさく言ってこなかった。その代わり、なにを考えていたのかは……よく分からないままだった。
母親は明るくて快活な人だった。外面がよくて、なんでも安請け合いしてしまう。それでずっと忙しそうにしていた。
小学校五年生のころ、一軒家を引き払って郊外のアパートに引っ越した。
親からの説明はなかった。
夜中に父と母がなにか言い合っているのは気づいていたが。
治安のよくないアパートだった。ほぼ毎日、周囲の誰かが大声をあげていた。家庭内で言い合っていたり、借金取りとケンカしていたり、酔っ払いが喚いたり、理由は様々。
中学二年生のころ、父親が急にこんなことを言い出した。
「いまからみんなで死ぬぞ」
父も、母も、顔面蒼白だった。
いまでも克明におぼえている。
あまり片付いていない手狭な部屋で、三人でテーブルを囲み、重苦しい空気の中、それは一方的に告げられた。
これから山に入って、みんなで首を吊って死ぬのだと。
だから俺は言った。
「いいけど、理由の説明はないの?」
なんとなく暗い未来が待っている予感はあった。
かといって、理由の説明もなく死ねとは。親とはいえあまりにもあんまりだろう。さすがにバカなのかと思った。
理由はこうだった。
母親が、他人の借金の保証人になっていたのだ。で、そいつが飛んでしまい、うちが肩代わりして払うこととなった。何千万もの大金を。
それが払えそうにないから、死ぬのだと。
いや、いいのだ。
頑張ってもムリなことはあるだろう。本当にどうしようもないことなら。
だが、これは金の話だ。
働けばいくらかは手に入るのだ。幸い、俺たちはみんな健康だったし。
「借金はいくら残ってるの? それは俺が働いても返せない額なの?」
俺がそう尋ねると、両親は黙り込んだ。
そのまましばらく時間が経ってから、父が蝋人形みたいな顔でこう言った。
「高校には行ってくれ」
「分かった。高校には行く。それでバイトもする。そのお金、家に入れるから。それでもう一回、計画立て直して欲しいな。いまんとこ、俺の意見がひとつも反映されてないからさ。そんなんで死ぬの、俺絶対にイヤだから」
俺の意見は通った。
両親も、誰かに止めて欲しかったのかもしれない。
その後の生活は幸福ではなかった。
かといって、不幸とも言い切れなかった。
俺たち家族は、ひとつの目的に向かって、全員で協力しながら生きた。
父親に大きな変化はなかったが、母親は変わった。堅実になった。あまり金をかけずに、それでも生活が豊かに見えるよう配慮してくれた。テーブルに突っ伏して眠っていることもあった。
みんな疲れ果てていた。だけど助け合った。
俺が高校を卒業して、工場に勤務すると、返済も格段に進んでいった。
そして俺が二十四になったとき、返済が終わった。
なんというか、ついに、ついに……やり切ったんだという気持ちになった。あとは自分たちで稼いだお金を、自分たちのために使える、と。
だけどその後、両親が車での移動中、事故で亡くなった。
大型車両に突っ込まれて死んでしまったのだ。
これからだってときに。
親を殺したヤツは、そのときに死んでしまった。
死亡保険はいくらか入ってきた。
数百万。
二人の人間が死んだにしては、安すぎる額。たいした保険に入れなかったのだから仕方がない。一部は葬式代で消えた。
*
俺は両親の死については伏せた上で、少女に事情を話した。
こんな人生でも、生きている意味はあるんだと伝えたかったのだ。いや、伝えたかったというのはウソで。俺はただ、自分に言い聞かせたかっただけだ。これだけやってきたのに、いま死んだらそれこそバカみたいだと。
少女はじっと聞いていた。
「そうなんだ。じゃあ、いまは幸せってこと?」
「まあ、最悪の状況ではないな」
うちはなんとか盛り返せた。
だが、ダメだった可能性もある。誰か一人でも怪我や病気をしていたら、きっと立て直せなかっただろう。運がよかったのだ。いや、運は悪かったが、それでも最悪ではなかった。不幸中の幸いというヤツだ。
「あんたの事情は分かった。次はあたしが言う番……だよね? でも……全部言うのは……」
「いいよ。言わなくても。結局、なんだかんだで俺の問題は解決しちまったんだ。あんたの参考にはならないだろう。うまくいったヤツの話なんて、たいていそんなもんだからな」
「そうかも……」
申し訳なさそうな顔をしている。
俺は立ちあがった。
「せっかくの銀河鉄道なんだ。こんなとこにいないで、客車に行かないか? 窓の外、なかなか壮観だぜ」
所詮は偽物の景色なのだが。
それでも、美しいと感じてしまう。
*
気がつくと、俺たちは無名閣にいた。
術が解けたのだ。
「え、なにこれ? どこ?」
少女はキョロキョロしていた。
数秒前まで電車に乗っていたのに、急に青空の上に飛ばされたら不思議にも思うだろう。
実際、不思議ではあるのだ。
夢の主を無名閣に連れ出してくるなんて。
「ここはわしの家じゃ。楽にするがよい」
ゆっくりと尻尾を振りながらコマが近づいてきた。
こいつは「自分がルール」みたいなものだから、その場の気分だけでなんでも勝手に決めてしまう。俺が苦情を言っても聞きやしない。
「誰? コスプレ? なんなの?」
「コスプレではない。わしは夢を操る神じゃ。コマちゃんと呼んでよいぞ」
「え、なに? 大丈夫?」
こんな怪しい獣を心配してやるなんて、優しいところもあるのだろう。
「大丈夫じゃ。茶を点てたので飲むがよい」
「え、なにこれ? 飲んで大丈夫なやつ?」
「大丈夫じゃ。あんまり言うとわしも泣くぞい」
「なんかごめん」
安易な泣き落とし。
それにかかってしまう少女。
人生経験の違いが如実に出た。
「おぬしに悪意がついとるのは知っとるな? わしは、そんなおぬしを助けたいと思うておってな」
「わあ、おいしいお茶だね」
「そうかそうか。お代わりもあるぞい」
「うん。あとでもらうかも」
精神を夢に委ねている間は、食べ物も飲み物もおいしく感じることができる。
しかし現実のほうにチューニングすると、味は感じなくなる。
楽しく騙されていられるのも最初のうちだけだ。
「もしよかったら、おぬしの悪意を、取り除かせてはくれぬか?」
「私を助けてくれるの?」
「うむ。まあ、現実世界の手伝いはできぬが……。今後、夢の中で命を食われることはなくなるはずじゃ」
少女が現実世界でどんな苦難に直面しているのかは、いまだに知らない。
ただ、コマがやたら気遣うような顔をしていたところを見ると、かなり深刻なのだろう。まあアルコール絡みというのはなんとなく予想できるが。
「ほれ、Q坊、この娘に護符を貼るのじゃ」
この妖怪は、人を無償で働かせておいて、Q坊呼ばわりしてくる。
いちいち反論もしないが。
少女も半笑いになった。
「え、Q坊? それがあんたの名前?」
「ただのあだ名だ。本名じゃない」
「なんか窮乏してる人みたい」
実際にしてたんだよ。
余計なお世話だ。
「じゃあ貼るぞ」
「え、どこに? 変なとこ触らないでよ? 触ったら怒るから」
「頭に貼る」
「なんかえっちくさいんだけど」
こいつはいちいち……。
*
その後、悪意をミンチにすることはできた。
少女は涙目でへたり込んでしまったが。
「最悪なんだけど! 気持ち悪い! 吐きそう!」
「いま吐いたばっかだろ」
「なんでそんなこと言うの!? 大人なのに! 最低! 最低男!」
「……」
べつに最低男で結構だ。
人に好かれたいなんて思っちゃいない。
コマは汚れ仕事をすべて俺に押し付けておいて、さも他人事みたいな態度だ。
「A子や、茶でもどうじゃ? 腹の中を洗いたかろう」
「うん。ありがと、コマちゃん。優しいね」
「苦しうない」
ふざけやがって。苦しいのはこっちのほうだってのに。
*
ターゲットを射殺することなく悪意を排除できたのはよかった。
だが、問題はそのあとだ。
なぜかA子が俺の仕事についてくるようになった。きっとコマのお気に召したのだろう。あるいは現実世界でなにかあったのかもしれない。
情報が開示されていないので、正確な理由は分からない。
分かっているのは、俺の負担が増えたということだけ。
人を助けたのに、見返りがゼロ、というのはまあいいのだ。俺は基本的に、人助けとはそういうものだと思っている。
しかし人を助けたのに、得られたものは日々の苦情だけ。結果がマイナスとなってしまうと考えものだ。助けないほうがいい。
いや、でも本当は、マイナスだとは言い切れないところがある。
A子は、生きることに対して、少し前向きになったようにも見える。ワーワー言ってくるのも元気な証拠だろう。俺はそれを、心のどこかで嬉しく思っている。
だから、もしかするとプラスなのかもしれないのだ。
それに、こんな万能感丸出しの仕事を続けていたら……。俺は自分を特別なナニカだと勘違いしていただろう。特別に選ばれしナニカ。苦情を言ってくれる人間がいるおかげで、ギリギリで正気を保てている。たぶん。
銃を手にしたくらいで、自分は他人より特別な存在なんだと錯覚してしまったら……。そいつはもう、人としておしまいだ。
(続く)




