妙な夢を見た(七)
帰りの車内でも、コマはおとなしかった。というか、まったく動かない。呼吸しかしていない。死んでいるのではと思うこともあった。
この状態でなでたり話しかけたりしたら、余計に寿命を縮めそうな気もする。
本当に俺たちが預かるべきだったのだろうか。
*
事務所に戻ったときには、定時を過ぎていた。が、C子は残っていた。
「おそーい。いつもならもうお酒飲んでる時間だよ? てか、なにそれ? ペット? は? 二人でなにしてたの? 不倫旅行? もしそうなら殺すけど?」
こちらが説明する間もなく、流れるように殺害予告を突きつけてきた。
間宮氏もさすがに溜め息だ。
「山梨に行ってコマを引き取ってきました」
「コマ? コマちゃんのこと? これが?」
「関係者全員がそうだと言っているので、おそらくそうなんだと思います」
煮え切らない言い回しだ。
確かに証明はできないが。
俺は事実だと信じている。
「え、かわいい……けど、なんか死にそうじゃない? ズタボロじゃん」
他の動物に襲われたわけではないと思うが、毛並みはよくないし、あちこち抜けてしまっている。これが普通の動物なら、数日以内に死んでしまうだろう。妖怪だからなんとか生きているだけで。
「大友ゆりさん、あなた動物の世話は得意ですか?」
「得意じゃないけど」
「そうですか。では死なせないよう、あなたが責任をもってお世話してください」
「は? 聞いてた? 得意じゃないって言ったんだけど」
この二人、口を開けばケンカばかりだ。
コマのことまで争いのネタにしようとしている。
俺は耐えきれず溜め息をついた。
「いいよ。じゃあ俺が世話する」
「それはダメでしょ? なに考えてんの? 絶対にダメ」
反論してきたのはC子だ。
「なんで?」
「なんでって? コマちゃん、メスだよ? で、あんたはオス。ちょっと認めらんないわ」
「キツネだぞ……」
「でもダメなの」
どういう理屈なんだ?
こいつの脳内ではなにが起きている?
間宮氏は応接セットのソファにがっくりと腰をおろした。
「では、私に世話をしろと?」
「べつに。あたしがやるから。よく考えたら、人の心持ってんのあたししかいないし」
「どういう意味です?」
「文字通りの意味よ」
配慮してなにも発言を慎んでいると機械みたいだと思われるのに、配慮せずワーワー言うとアツい人間だと思われる。そういうケースはまあまあある。
こんなので人間性を測られたくないものだ。
もっとも、知らず知らずのうち、C子のうるささに救われているのも事実だ。ここは彼女の顔を立てておこう。
「ほら、コマちゃん。あたしが飼い主だよ。お手」
「死にそうなんだから、あんま触るなよ……」
コマはお手と言われても、うるさそうに目を動かすだけだった。
本当にC子に任せて大丈夫なんだろうか。
*
その後、C子はさすがに飲みにこなかった。
コマを飼うための環境を整えるため、買い物にでも行ったのだろう。
*
その晩、また夢の世界へ。
そこは寄生された人間の夢でも、無名閣でもなく、トキのいる山中であった。
今日は最初からA子もいる。
のみならず、コマまで。
「今日も集まってくれてありがとう。こうして人が増えると、友人が増えたみたいで嬉しいよ」
トキは柔和な笑みで茶を振る舞ってくれる。
ただ、コマだけは茶の好みが違うらしく、うさんくさそうに茶碗を眺めていた。
このままぬるっと会議を始めるつもりだろうか。
俺は挙手をして尋ねた。
「始める前に、ひとつだけ。コマちゃん、今日のことを説明してくれ。なぜうちに身柄を預ける気になったんだ?」
渋い顔で茶碗を眺めていたコマは、その表情のままこちらを見た。
「この件は、前々から考えておったのじゃ」
「仲間になる気になったのか?」
「そうではない。ただ、なにかあったとき、おぬしがいつでもわしを殺せるようにしただけじゃ」
「ふん。ならその願いか叶わないと思ってくれ。あんたには生きて罪を償ってもらう」
罪、か。
まあ罪を着せようと思えば、いくらでもできるかもしれない。
だが、こいつにも選択肢はなかった。最大限配慮した上で、ああなってしまった。バクとは違う。
すると間宮氏が、ウィリアムズ氏に尋ねた。
「米軍が関与しているという話がでてきましたが」
「トキさんから聞いて、私も驚きましたよ。そういう研究を進めていたのは事実ですが、すでに実践投入されていたとは……」
まあウィリアムズ氏がアメリカ側の重要人物だからといって、すべてを知っているわけではないのだろう。どの国にも管轄というものがある。
A子はふぅふぅしてから茶をすすった。
「あたしなら突破できるけど」
できるだろう。
だが、突破したあとが問題なのだ。
小さな勝利をおさめるのは難しくない。歴史上、弱者の奇襲はしばしば成功するものだ。怖いのはそのあと。相手が本気になったら、物量で押し返される。
やるなら致命傷を与えなくてはならない。徹底的に。
勝てないのなら、やるべきではない。
コマはずっと渋い顔をしている。
「なら、もう奥の手を使うしかないのぅ」
「コマちゃん……」
なにか知っているのか、A子が不安そうな目を向けた。
奥の手?
嫌な予感しかしないのだが。
「わしの持てる力を、すべてA子にくれてやる。さすれば……いまのバクには勝てるじゃろ。そしたらバクの力も吸い取って、あとはおぬしらの思うようにすればいい」
心のどこかで予想はしていた。
コマは以前、自分の代わりがいると言っていた。それはA子のことだったのだ。
だが、当のA子が納得していない。
「コマちゃん、それはしないって言ったよね?」
「ほかに選択肢があるのか?」
「あるよ! それをみんなで考えてるんじゃん! 死ぬとか言わないで!」
「考えるのは任せるが、手遅れになる前に決めて欲しいもんじゃの。わしゃそろそろ限界じゃからの」
飄々としているが、本当に限界なんだろう。
あの姿を見てしまっては……。
ウィリアムズ氏は茶碗を手に、かおりを堪能してから一口やった。
「じつは、プランなら用意してきましたよ。政治的なプロセスが必要になりますが」
それはありがたいのだが、難しい話でないことを願うとしよう。
間宮氏が「政治的なプロセス?」と聞き返すと、彼はうなずいた。
「本件は、エネルギー問題の根幹にかかわる問題です。日本とアメリカの合意だけで終わるとは思えません。いま強大な力を持っている産油国、あるいは原油に頼っている多くの国々にとって、無視することのできないファクターです。別のエネルギーが登場すれば、原油は価値を失うわけですから。ヘタをすれば世界秩序さえ覆しかねない。そこで、あらかじめ世界を巻き込んでおけば、少なくとも先進国は夢のエネルギーの使用に慎重になるでしょう。あきらかに非人道的なテクノロジーですからね」
少なくとも先進国は、だ。
エネルギーに乏しい国は止まらないだろう。
間宮氏は反論とも言えない調子で尋ねた。
「全世界に訴えかけるということですか? むしろ技術の蔓延を助長する可能性があるのでは?」
「そのリスクはあります。しかし遅かれ早かれ、どこかの国が実用化した瞬間、技術は世界中に広まってしまいます。技術を手にするのが先か、教訓が先か、それが重要なのです」
人類は、手に入れた技術を、決して放棄しない。
あとは際限なく広がるのみ。
教訓が広まるのは、たいてい問題が起きたあとだ。なんなら問題が起きたところで、利益が上回る限り、人はそれを継続するだろう。慌ててブレーキをかけるのは、賢くないものでも分かるくらい危なくなってから。
そう考えると、ウィリアムズ氏の策は、非常に現実的というか、大人の意見に思える。
コマもようやく茶碗を手にし、一口やった。感想は言わなかったが。
「なんにせよ、はよう決めることじゃ。言っとらんかったが、無名閣にも何者かが侵入しようとしとるからのぅ。おぬしらがまごまごしとるあいだに、バクが殺される可能性だってある」
そうだ。
動いているのは俺たちだけじゃない。侵入しようとしているのが柴田氏か、米軍か、あるいはそれ以外かは分からないが。
決められるところからでも決めていかなければ。
現状「議会は踊る、されど進まず」だ。
策はないが、皮肉だけは出た。
「コマちゃんよ、前から疑問だったんだが、あんなにバクと近くにいるのに、なぜ互いに共生できているんだ? なにか取り決めでもあるのか?」
コマはなんとも言えない笑みだ。
「まあ、わしはバクを殺せるじゃろうな。殺そうと思っとらんから、そうなっとらんだけで。バクは……知っての通り、自分の足では歩けんほど弱っとる。外部から存在を悟られぬためにな。じゃがさすがに命の危険を感じたら、仕込んでおった種から力を吸い出して、力を得るじゃろ」
「どれくらい強くなるんだ?」
「本来なら、手を付けられんほどじゃ。しかし、わしらが頑張って種を処分してきた甲斐あって、正直そこまででは……。まあわしとA子が協力して互角……といったところかのぅ」
互角。
嫌な言葉だ。
最悪の場合、共倒れになる可能性がある。こうなると、第三者の総取りになる。漁夫の利というやつだ。
「あいつ、たまにクソデカいバケモノの姿で出てくるんだが……。あれも弱いのか?」
「術で大きく見せとるだけじゃな。あの姿でおれば、普通は戦おうとするものなどおらんからのぅ。どこぞの命知らずでもなければ」
「そんなヤツがいるのか? 信じがたい蛮勇だな」
あのときは百鬼夜行が通じなかったから、殺されるしかないと思ったのだ。どうせ殺されるなら一発ぶん殴ってから死のうと判断しただけだ。勝算があったわけじゃない。
殴ればちゃんと死ぬ、というのなら話は早い。
あいつが力を取り戻していない今なら、俺でも勝てるかもしれない。
だが、問題は、それをやったあと。
手に負えないほどパワーバランスが崩れては意味がない。
できるからといって、なんでもやればいいというものではない。
夢にまつわるあれこれをA子が仕切ってくれるなら、問題の大部分は解決するだろう。
永遠にすべてを支配できるわけではないにしても、いまやろうとしていることは一通り達成できる。
だが、本当にそれでいいのか?
A子は確かに強い。
その力の源泉はなんだ?
コマやバクの力と互換性があるということは、やはり人の命を使っているのでは……。
「ところで、コマちゃんに実体があったってことは、バクにもあるのか?」
「うむ……」
コマは言いたくなさそうだったが、返事だけはしてくれた。
実体があるなら、選択肢も増える。
そいつを人質にとればいい。
「場所は?」
「海の底じゃ」
「はい?」
「何百年も前に、人間に負けてのぅ。そのときに、壺の中に封じられて、海に投げ込まれたのじゃ。まあバクにとってはたいした問題ではないが……。そのせいで、逆に探しづらくなってしもうたのぅ」
土に埋めてくれればよかったのに。
なぜ海に投棄する。
「ちょっと待った。その人間ってのは、なぜわざわざバクを封じたんだ? ぶっ殺したほうが楽だったろうに」
この質問に、コマは答えなかった。
代わりに口を開いたのはトキだ。
「彼女もね、バクの境遇をあわれに思ったんだ。だから命までは奪わなかった」
「女性だったんですか?」
「いわゆる歩き巫女だ。夢と調和する力が異様に強くてね。その代わり、日常生活に問題を抱えていた。怪しまれて村にいられなくなり、妖怪ばかり相手をするようになって。バクに同情するところもあったんだろうね」
どいつもこいつも深刻な事情を抱えやがって……。
コマはじっとこちらを見ていた。
「本当に殺すつもりなんじゃな……」
「必要ならな。だが、使い道があるなら生かして使う。すべては流れ次第だ」
流れ――。
結論を先送りにしているから、こんな言葉が出る。
都合よくすべてを手に入れることはできない。なにかを切り捨てなければ。
ともあれ、バクを生かす理由はない。あいつは故人の同情で生きている。それだけの存在だ。
懸念がひとつ消えた。
十分だ。
俺はテーブルに身を乗り出した。
「よし、分かった。できること、できないこと。やりたいこと、やりたくないこと。そろそろ出揃ったと思う。ここからは、できることに合わせて、やりたいことを切り捨てるフェーズに入ろう。つまりは、妥協だ。完璧なプランを待っていたら日が暮れちまう」
いや、俺たちにとっては夜が明けることのほうが問題か。
間宮氏がつめたい目で挙手をした。
「誰がその結論を出すのです?」
「ゲーム形式を提案します。最初に、考えうる要素をみんなで提出し合います。バクを生かす、殺す。あるいは傍観する。なにも考えずに敵と戦う。好きに書いていい。それらすべてを並べたあとは、各人、提案の数だけ票を持つことにします。例えば、場に十個の提案が出たら、一人十票。それを好きなものに好きなだけ投票するんです」
間宮氏は不快そうな溜め息だ。
「もっと真面目にやるべきでは?」
「互いの意見を尊重するからこそですよ。俺たちは、ついみんなの立場を尊重してしまう。そうであるばかりに、なにも決められなくなってしまう。だったら機械的に数字で決めたほうがいい。歴史上、リーダーを決めるのにもクジ引きを使うことがあるでしょう。どこかで人の判断を断ち切るのも、知恵だと思いますよ」
「ですが……」
間宮氏は渋っていたが、ウィリアムズ氏が「構いませんよ」とうなずいた。他の面々からも反論はナシ。
俺は遠慮なく言葉を続けた。
「一票でも入ったものは、他の要素と矛盾しない限り、採用する方向で行きます。ただし、場に提出されるのはあくまで要素だけですから、互いに矛盾する可能性もある。もしイーブンになった場合、どちらを採用するかは、座長であるトキさんの判断に委ねます。俺たちを集めてくれたのは、トキさんですからね」
「私が?」
「もう傍観者じゃないんですよ。要素も提出してください。世界をよりよい場所にするチャンスですよ」
「ああ、なるほど。そうだね。そうしよう」
情報は力だ。
その力を持ったまま傍観しているのは、もったいない。
さあ、ゲームを始めよう。
(続く)




