妙な夢を見た(五)
トキはその日のうちに姿を現した。
彼は一人、木々の合間に立ち尽くし、桃をかじっていた。
遠くを見つめていた。
だがこちらには感傷を共有している余裕はない。
足早に近づいて、声をかけた。
「お招きいただきありがとう。さっそくだけど、状況を教えて欲しいんですが」
「みんなはいつも争っているね。本当にあわれだよ」
構えば構うだけ時間をロスする。
この無意味な鳴き声は無視していい。
「残された時間はあとどれくらいなんです? つまり、日本政府は、いつバクに仕掛けるつもりだと?」
この問いに、彼は少し哀しそうな表情を浮かべた。
あわれな話を無視したからか。
だが時間がないのだ。
彼は瑞々しい桃をかじり、大きな溜め息をついてからこう応じた。
「人間たちの機械は、まだ完成していないんだ。いや、ある意味では完成している。でも大きな出力に耐えられない。だからバクとコマの力が弱まるのを待っている」
「いつ突破されるんです?」
「分からないよ。私は未来を見通せるわけじゃないからね。見えるのは、いまこの瞬間だけ」
それでも観測器としては優秀だ。
替えが効かない。
「俺は、もっと積極的に協力したいと考えてまして。あんたがどういう理屈で俺を呼んだのかも理解してるつもりです」
「理解?」
不審そうにこちらを見た。
まあ人間ごときでは及ばないような情報を持っているのだ。俺の能力を疑うのもムリはない。
「いや、もしかすると、あんたはどうでもいいと思っているのかも」
「どうでもいいとは思っていないよ」
「けど、流れに任せようとはしてる」
「そう……。そうなんだ。私はいつもそうしている」
だが本心ではない。
本当に流れに任せるつもりなら、俺をここへは呼ばない。
「じゃあ俺の希望だけ言います。コマは生かす。バクは殺す。最終的に望むのはその二点だけ。言っておきますが、これは正しさの問題じゃありませんよ。俺に配慮したヤツと、その逆を選んだヤツ。それぞれに、それぞれの結末を与える。そういう、ごく私的な話です」
「けれども、私は誰の死も望まない」
「どっちにしろ誰かは死ぬんですよ。バクは人間を餌としか思ってないんだから」
俺だっていつ寿命が尽きるか分からない。
数字にビビりたくないから聞かないようにしているだけで。
ダサくてもなんでもいい。これがもっとも効率のいい活動方法なのだ。もしあと一回で終わりだと思ったら、どうしても保身に走ってしまう。
トキは俺ではなく、どこか遠くを見つめていた。
人には分からないなにかを感じ取るかのように。
「私だって、できればみんなを救いたかった」
「なぜ過去形で言うんです? できますよ、いまからでも」
「しかしたくさんの人々を見捨ててきた私が、いまさら誰かを救うなど……」
誰かを救うのに、理由が必要なのか?
まあ、批判はすまい。
人には人の思想がある。その思想は、過去に基づいている。歴史がある。俺の思い通りにいかないからといって、安易に否定すべきではない。
「人間が、なぜ群れを作るか知ってますか?」
「強くなるため……」
「一人では不可能なことを、なんとかして可能にするためです。手を組みませんか? あんただってこの世界をよくしたいと思ってるんでしょ? まあ俺は世界なんてどうでもいいけど。かかわった何人かは救いたい」
「私はバクも救いたいと考えている」
「あいつを?」
救う?
どうやって?
あいつはもともと人を餌としか思っていない。そこへ来てコマの裏切りにあい、しかも人間から機械で狙われるという危機に直面し、もはや意固地になっている。あいつもあいつで生存のための戦いになっている。
だが、ここで反論するのは得策ではない。
俺は溜め息を飲み込んだ。
「分かりましたよ。善処します」
「その信用できない言葉を堂々と言わないで欲しいな」
「いまはなにも思い浮かばなくても、そのうち浮かぶかもしれないでしょ」
永遠に浮かばないかもしれないが。
とはいえ、俺のプランには欠陥がある。
バクを殺し、コマを生かす。
俺はそれでいい。だが政府はそうではない。バクが死んだら、次はコマをターゲットにするだろう。そうなると、俺は現実世界で日本政府の敵となる。夢の中とは違い、命はひとつきり。百鬼夜行みたいな便利な道具もない。俺が学生時代に習った半端な武術も、プロには通じない。
結局のところ、俺の考えたチープな作戦は、より巨大な力に飲み込まれて終わる。
トキはあわれむような目でこちらを見た。
「あなたは、自分の命をなんだと思っているのか」
「命? さあ」
余計なお世話だ。
俺の人生など、とっくに終わっているのだ。
好きに使わせて欲しい。
「悪いけど、あなたの計画には協力できそうにない」
トキはそんなことを言った。
世界を救いたいのに、そのチャンスを不意にするというわけか。
まあ俺の欠陥だらけのプランではな。
「分かった。分かりました。なら、あとは俺のほうで好きにやらせてもらいますよ。いや、責めはしませんよ。もともと人をアテにすべきじゃなかったんだ」
本当はアテにしていたけど。
それで潰れるようなプランを立てた俺が悪い。
トキはさらに哀しげに目を細めた。
「そうじゃない。あなたの計画には協力できないが、私には別の計画があるんだ。それを聞いて欲しい」
「えっ?」
見捨てるわけではない、と?
「あなたは、なんでも一人でやろうとしすぎなんだと思う。仲間を作ったほうがいい」
「はぁ」
この男にだけは言われたくないのだが。
だが事実ではある。
ここは素直に聞くとしよう。
「私は間宮京と、ウィリアムズを仲間に引き入れるべきだと思う。それで作戦の幅が大きく広がる」
間宮京は俺とC子の上司だ。
ウィリアムズ氏はアメリカ側の夢の担当者。大使館にいる。
「ウィリアムズ氏はともかく、間宮氏も?」
「彼女は、悪い人間ではないよ。彼女が非協力的なのは、状況を理解していないせいなのだから」
「状況を?」
俺なんかより、よく理解しているはずだが。
「二人には私から事情を説明しておくよ」
俺は耳を疑った。
二人に事情を説明しておく?
この男が?
「ずいぶんやる気になりましたね」
俺はつい皮肉を口にしてしまった。
さっきまでやらないとか言っていたのに。
トキはなんとも言えない笑みだ。
「おかしいかな? あなたに説得されたんだよ。私も群れを作っていいのだと」
「もちろん歓迎しますよ」
「友好のしるしに桃をどうぞ」
「頂戴します」
トキが木から丸々とした桃をもいだので、俺は受け取って遠慮なくかじった。
味はない。
ただ水っぽいだけだ。
「ところで、その二人を引き込んだあとは、どうなる想定なんです?」
「できなかったことが、できるようになるよ」
*
さすがに寝不足だったが、なんとか遅刻せず職場に入った。
間宮氏がコーヒーカップを持って近づいてきた。
「大友さん、少しお話が」
「はい」
C子は来ていない。
「じつは今朝、妙な夢を見まして……」
「トキですか?」
「はい……」
不安そうな顔になっている。
まあそうだろう。
夢を通じて、怪しいヤツが接触してきたのだ。こんな仕事をしているのでなければ、無視しているところだ。
「政府が、夢からエネルギーを取り出そうとしていることは知っていますか?」
「資料で見ました」
「そうですか。私も、あくまで選択肢のひとつとして存在することは知っていました。ですが、安全性に問題があることも……。なにせそのエネルギーの源泉は、人の命なのですから」
さすがに理解はしていたのか。
「間宮さんはどこまでかかわってるんです?」
「ほぼノータッチです。私の担当は、能力者の管理ですから。つまり、あなた方や、柴田さんのような人たちを、一般社会から隔離しておくこと」
俺たちは柴田氏と同じくくりだったのか。
だが残念ながら、俺にもC子にもその能力はない。俺たちが夢の世界に介入できているのは、あくまでコマの都合だ。まあ政府にとっては同じカテゴリなのかもしれないが。
「はざーっす」
クソみたいなタイミングでC子が来た。
時刻は九時二分。
露骨に遅刻だ。
間宮氏は苦情も言わず「おはようございます」とだけ告げ、俺との話に戻った。
「私は、もっと建設的な理由でこの部署に志願しました。決して市民を搾取するためではありません」
「おや、奇遇ですね」
「皮肉はやめてください。私は本気で言ってるんです」
怒ると年相応の若さが出る。
機械みたいな女だと思っていたが、なかなか人間的でいい。
「失礼しました。でも、意見が一致しそうで嬉しいってのは本当ですよ」
「一致? 本当ですか?」
「おそらく……。え、政府を止めようと思ってるんですよね?」
「全部じゃあありません。このプロジェクトには、素晴らしい点もありますから」
「たとえば?」
「夢の治療です。たとえばA子さんみたいな、夢に干渉しやすい子の……」
治療?
そういえば、俺は彼女の病状を把握していなかった。
「あの子が? どんな病気なんです?」
「正式な病名はついていません。ただ、我々は症状Fと。FというのはForestです。つまり、眠りの森に入り込んだ人のこと」
「あの病院、そんなのを治療してたのか……」
「じつはあそこ、政府の管轄する機関なんです。治療というよりは、データを取るのが目的。柴田さんもあそこにいます」
柴田も?
「あの、もしかして、彼女を使って人体実験でもしようってんですか?」
「落ち着いてください。いまは……少なくともそうではないと……聞いていますから……」
いまは。
だが、柴田がダメになったときのストックではあるんだろう。
*
業務中は特に会話はなかったのだが、C子は仕事が終わってから仕掛けてきた。
俺の部屋で魚を焼きながら。
「なに? あんた、あの女と手を組むつもりなの?」
「そうだけど」
言いたいことがあるなら、業務時間内に言えばよかったのだ。
まあC子と間宮氏では不要な言い合いに発展する可能性もあったが。
俺はテーブルで缶ビールをちびちびやっていた。
こうして見ると、女に料理をさせて、一人で飲んでいる男みたいだが。俺は魚なんてなくてもいいのだ。一方、C子は魚を食いたいが、自宅では焼きたくない。俺は勝手に家を使われているだけ。むしろ被害者だ。
「換気扇、もうイッコ強くしてよ」
「最強にしてる。男のくせに細かいわね」
「ダメだぜ、その『男のくせに』って言い方。もし『女のくせに』って言われたときに、反論できなくなるぜ」
「は? そんなこと言われたらグーで殴るけど」
「そうかよ」
まるで話にならない。
とはいえ、彼女は口では反論してくるが、問題が起きるかどうかはちゃんと見てから行動している。大丈夫だろう。
しばらくすると、彼女は焼いた魚を皿に載せて持ってきた。
「ほら、焼けたよ。食べよ食べよ」
「はい」
ちゃんと分けてくれるんだから優しいところもある。
大根おろしまですってある。
彼女は箸で魚をほぐして、ぱくりとやった。
「まあまあね。ところでこれ、なんの魚だっけ?」
「知らないよ」
買ってきた本人が知らないのに、俺に分かるわけがない。どこからどう見てもサンマではあるが。よくこんな高い魚買う気になったな。
しばらく飲んでから、C子はダルそうな目でこちらを見た。
「あんたさ、完全に忘れてるよね?」
「なにを?」
「お互いのこと、好きになるよう努力しようって言ったよね? 努力してる?」
「してな……いや、まあ、前向きに対処しようとは……」
「はい、アウト。いま『してない』って言った」
言いました。
クソ。
なぜ俺はこんなに素直なんだ。
C子は、見せつけるような盛大な溜め息を出した。
「ま、分かってた。ムリだって。あんたってさ、終わってんのよ。人間的に」
「……」
まあ普通、失礼だと怒るところなのかもしれない。
だが俺自身、確かに終わっていると思っている。
「あたしもね、あんたのこと好きになれなかったわ。努力はしたけどね」
「すまん」
「謝んないでよ。べつに嫌いってワケじゃないんだから。友達にはなれるでしょ。たぶん。あんた、友達いないよね? だから、あたしが友達一号だよ。喜んで」
「いるよ、さすがに」
向こうはどう思っているか知らないが、俺が友達だと思っている人間はいる。実在する。この日本のどこかには。学校を卒業してから合ってもいないが。
「ねえ。男と女の間に、友情って存在すると思う?」
C子はそんなことを言ってきた。
珍しく酔っ払っているのだろうか。
「そもそも友情ってなんだよ?」
「は? 出た。定義厨」
「同性であれば友情が成立する、というのが、そもそも幻想なんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ」
ない?
なぜそう断言できる?
「いや、冗談抜きでさ。友情なんて、もろいもんだぜ。無制限じゃない」
「まあそりゃ限度ってものはあると思うけど」
「つまりは制限つきなんだ。男女の間にも友情は存在するだろう。というのが俺の考えだ」
「はいはい。あんたはそうやってなんにでも答えを出せばいいよ。えらいえらい」
いつも思うんだが、質問に答えただけでなぜこうも罵倒されるのか。
いや、いい。
もう慣れた。
俺は「家族」でさえ制限つきで成立していると思っている。
うちはギリギリで耐えたが。
選択肢を間違えたら親に巻き込まれて死んでいた。
無制限の愛などない。
大事なのは、制限を見極めて、そこに抵触しないよう努力することだけだ。それ以外にやりようがない。
「でも忘れないでね。そうやって屁理屈こねてるヤツより、こうして魚を焼いてるあたしのほうが偉いんだから。感謝して食べなさいよ」
「そうだな。ありがとう」
俺もそんな気がする。
話を整理して、ロジックを組み立てるのも大事ではあるが。
俺たちは、どんなに論理的に振る舞ってみたところで、動物であることをやめられるわけではない。メシを用意してくれるヤツは間違いなく偉い。
C子は、しかし急に神妙な顔になった。
「ねえ、あたしらの仕事が夢の治療に役立つってホントなの?」
「えっ?」
急にどうした?
ここへ来たのは、俺を罵倒するのが目的ではなかったのか。
「もしそうなら、ゆりちゃんみたいな子が助かるってことだよね」
「おそらく。妹さんだって、きっとそれを願ってあの仕事についたはずだ」
「うん……」
だから、互いに敵ではないのだ。
最初のやり方を間違ってしまっただけで。
目的が同じなんだとしたら、協力すればいい。互いを好きになる必要はない。利用し合えばいいのだ。
(続く)




