毛玉の夢を見た(二)
「とにかく、餌は殺すな。できれば種も取るな。俺サマの邪魔をするな。言っても聞かんだろうがな」
バクは大儀そうにそうまとめた。
クソみたいな命令だが、まあこいつの本音なんだろう。
本音なら本音でいいが。
だったらなぜ俺たちを殺さない?
やはりこいつは戦いを避けているのか?
俺は真顔のまま、しいて皮肉を飛ばした。
「人になにかお願いするときは、それなりの態度ってものがあると思うんだが……」
もちろんバクは顔をしかめた。
「お前、餌の分際で生意気なヤツだな」
「ぺこぺこする理由があるなら、そうする用意はある。ずっとそうして生きてきたしな。だが、お前にそうする理由が、今のところ、ない。当然の帰結だ」
「後悔するぞ」
「それは困るな」
いまぶん殴ったら意外と勝てるのか?
するとバクは、ふんと鼻を鳴らした。
「クソ……。お前には地獄の苦しみを味わわせてやる。おぼえておけよ」
そう吐き捨てるように言って、ふっと姿を消した。
まるで敗走するヤツのセリフだ。
いや、「まるで」ではなく、本当に敗走したのか?
デカいのは図体だけで、戦う力はない、ということなのか?
少年が近づいてきた。
「え、に、逃げたんですか?」
「そうらしいな」
「ヤバ……。Qさん、よくあんなのを追い払えましたね……」
追い払ったというか、勝手に逃げただけだが。
「百鬼夜行が通じない以上、距離をとっても意味がないと判断した。というか、まあ、殺されるにしても、一発くらいはぶん殴れるかも、と思って」
「うわぁ……」
なんだかバカにしたような反応が出た。
真意は分からないが、少なくとも賞賛ではないだろう。
「ほら、行こう。主の場所は分かってるんだ」
「はい」
*
俺たちは小さな喫茶店に入った。
入った瞬間、後悔した。
女がいた。
どこで手に入れたのか、身体に何本ものダイナマイトを巻きつけている。のみならず、床にはガソリンまでぶちまけられている。
血走った目で、ライターを手にしている。
「止まって! 止まりなさぁい!」
女は金切り声でそう告げた。
歳は二十代中盤から後半。あるいは三十代か。顔つきが険しいから、実際の年齢以上に見えている可能性はある。
俺は威圧しないよう、なるべくやわらかい態度で応じた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。敵じゃない。話をしに来ただけなんだ」
「ウソだッ! そうやって私を騙して殺すつもりだってこと、もう分かってるんだから!」
「なにを根拠にそう決めつけるんだ?」
「親切な人が教えてくれたのよ! いいから止まりなさい!」
さっきからずっと止まっている。
俺も少年も、これ以上、止まりようがない。
「順を追って話せないか?」
「イヤよ! 黙って! 喋らないで! 私を洗脳するつもりなんだ! あなたたち、悪魔の手先でしょ!」
「なんだよ悪魔って。平凡な人間ですよ」
「そうやってウソをつく!」
取り付く島もない、とは、まさにこのことか。
誰かに洗脳されているようだな。その誰かというのは、おそらくバクだと思われるが。
「俺たちもこの島に来たばかりで、困惑してるんですよ。なんか変な感じするし」
「そうよ。変なのよ」
「なにかに見られているような……」
「そうよ。いるのよ。いるのに、姿を現さない」
この女もそうなのか。
いったいこれはどんな夢なのだろう?
謎の気配の正体は?
女はぶるっと身を震わせた。
「ああ、ダメ! もう耐えられない! こんなのおかしいよ! なにもかもが間違ってる!」
「落ち着いて……」
「喋らないで! なんで約束守れないの! 私がいいって言うまで黙ってて!」
「……」
返事もできないので、俺はコクコクとうなずいた。
それにしてもこの女、いったいなぜここまでヤケになっている?
バクになにかを吹き込まれたのか?
だとしたら厄介だ。今後、あいつが介入してきて主になにかを吹き込むようになれば、主は必ず俺たちを警戒するようになる。不意をついて護符を貼りつけるのが難しくなる。
俺は窓の外を見た。
気配を感じたからだ。
だが、視線を動かしたときには、すでにそいつの姿はなかった。
女が絶叫した。
「ほら! ほらそこ! いた! いたのよ! 私には分かるの! でもなんで姿を見せてくれないの!? おかしいよ! 絶対おかしい! 間違ってる!」
危険な状況ではあるが、ライターさえなんとかできれば問題をクリアできるだろう。
燃焼には三つの要件がある。酸素があること。可燃物があること。可燃物が発火するほどの熱があること。
酸素があるのはどうしようもない。可燃物もいままさにそこにある。どちらも「ない」ことにはできない。俺たちに残された選択肢は、熱の供給を断つこと。
もし俺が射撃の達人なら、ライターだけ撃ち落とせたかもしれない。
だが距離は約2メートル。標的が小さい上に、やたら動きまくっている。当たるわけがない。
かといって、胴体を狙えば、ダイナマイトに命中する可能性が高い。すると誘爆に誘爆が重なって、次の瞬間には店ごと吹き飛んでしまう。
ヘッドショットも……俺の腕では難しい。
なら足を狙うのは? ワンチャンあるか?
「もうダメ! 我慢できない! こんなのムリ!」
「は?」
女の手元で、小さな火花が散ったのが見えた。
カッと閃光が起きて、あらゆる景色がホワイトアウトした。
*
無名閣――。
俺と少年は、茫然としたまま帰還した。
あの女、謎のプレッシャーに負けて勝手に自爆しやがった。火はダイナマイトの導線に近づいてもいなかったのに。おそらく気化したガソリンに引火したのだろう。もしかすると調理用のガスもフルオープンだったのかもしれない。
あいつが死ぬのはいいが、こっちまで巻き添えで寿命を喰われた。たぶん。どれだけ喰われたのか、あとどれだけ残っているのかも不明だが。怖くて確認したくない。俺はきっと、手遅れになるまで病院に行かないタイプなんだろう。
「だから殺すなと言っただろうが、バカどもめが」
別の女の声がした。
見ると、車椅子に乗せられたまっしろな長髪の女が、血走った目でこちらを見ていた。法衣のような白と黒の着物を着ている。やつれ切っているが、この女もじつは見た目より若いのだろう。
車椅子を押していたコマが、申し訳なさそうに告げた。
「バクじゃ」
「……」
教えてくれてありがとう。
だが、なんだ?
なぜ無名閣にいる?
なぜコマに介護されている?
俺は溜め息をついた。
「コマちゃんよ。頼むから隠し事はナシにしようぜ。頭の中でいくらか点と点がつながりそうではあるが……。ぜひあんたの口から説明してくれ」
Q&Aをしている気分ではない。
もう頭から全部説明して欲しい。
バクがふんと鼻を鳴らした。
「秒で理解しろ。この無名閣は、そもそも俺サマのものなのだ。コマは居候に過ぎん」
「理解した」
そうとしか返事ができなかった。
なるほど。
コマは、最初からバクの支配下にあったのだ。
ここはバクの領域。日本政府の予想は間違っていなかったのだ。俺が勝手にそうじゃないと思い込んでいただけで。
「人間どもよ、いい加減に観念せよ。コマは人間を救おうなんて思っちゃいない。ただちょっとばかり勘違いして、自分が妖怪だということを忘れただけのこと」
ぶん殴るまでもなく死にそうなバクが、まるで勝者みたいな顔でそんなことを言った。
「妖怪だったらなんだって言うんだ?」
「愚問だな。人の命を喰らう義務がある」
「なんだその義務は? 妖怪どもの憲法にそう明記されているのか?」
「バカを言うな。なぜ我々が人間どものマネをしなくちゃならん? 強者が弱者を喰らう。これは不文律だ。お前たちも同じことをしているだろう?」
「まあ、そうだな。していると思う」
そうなのだ。
いちいち「正しさ」などに根拠を求めていては、この戦いには勝てない。
解決方法があるとすれば、それは力だけだ。
少なくともバクを相手にする場合には。
害獣の駆除と同じ理屈だ。
「弱者は殺す。俺サマに逆らうものも殺す。コマ、聞いているか?」
「うむ……」
介護してくれている相手を殺すとは。
あるいは、いま仕込んである種から一気に命を吸い取れば、すぐに回復できるのかもしれないが。
俺は二人の物騒な会話を無視して、こう尋ねた。
「コマちゃんは、結局どうしたかったんだ? バクを殺すつもりはなかったんだよな? じゃあ、なにがしたかったんだ? 時間稼ぎにしかならないと思うんだが」
コマはもうなんとも言えない顔になってしまっている。
「その時間稼ぎがしたかったんじゃ。バクが休んでおれば、それだけ平和な時間が続くわけじゃからのぅ」
時間稼ぎは、一概に悪手とは言い切れない。
困難な問題にぶち当たった場合、しばしばそれが次善策となってしまうものだ。望むと望まざるとにかかわらず。
バクは不満げな表情だ。
「人間ごときに感化されおって。弱いからそんな考えになるのだ。もうこんな人間どもとは手を切れ。むしろ餌として養分を吸い取り、力を蓄えることに専念せよ。やがて人間どもを支配し、我らの強さを知らしめるのだ」
「嫌じゃ……」
コマは消え入りそうな声ながら、躊躇なく告げた。
「は? なんだ? 聞き間違えか? 嫌だと?」
「わしはもう嫌なんじゃ……。誰かを傷つけるのも、嫌われるのも……」
「ふん。お前が人間に情を示したとて、人間はそうではないぞ。日本政府は、機械を使って我らの力を吸い出そうとしている。そうなってからでは遅いのだ。殺すか殺されるか。生存をかけた戦いなのだ。悩んでいれば負ける。時間はない」
そうか。
こいつは知っているのだ。
政府が夢をエネルギー化しようとしていることを。
俺には政府を止める力はない。
そしてもし日本政府が失敗したとして、次にアメリカが成功させるだろう。あそこは金も力も桁違いにある。よほどのエネルギーがない限り、バクに勝ち目はない。
だが俺は、もうなにも言わなかった。
情にほだされたわけじゃない。
これ以上、情報を引き出せないと判断したからだ。
ただし、絶対に引き出せないわけではない。こいつらからはムリだが、別の場所に、聞けば答えるヤツがいる。この夢が終わったら、次はそいつが現れるだろう。
いまここで喋り過ぎる必要はない。
なんならさっさと終わらせていただきたいくらいだ。
バクはそのことに気づいているのか、不審そうにチラとこちらを見た。
できれば俺を、永遠にこの夢に閉じ込めておきたいくらいだろう。だが皮肉なことに、バクにその力はない。もし力を取り戻せば、すぐさま政府に探知される。
その後の戦いが具体的にどうなるかまでは分からないが。おそらく消耗戦になるのだろう。
バクのエネルギーが人類を凌駕するか。
あるいは機械がそのエネルギーを吸い尽くすほうが先か。
なんにせよ、バクの言う通り、あまり時間はなさそうだ。
(続く)




