毛玉の夢を見た(一)
「ところでこの話のあとでなんなのじゃが、いつものように一仕事してきて欲しいんじゃ」
供された茶をすすっていると、コマがそんなことを言った。
本当に、この話の流れでするような話じゃない。
順番を逆にして欲しかった。
「いいけど、優先度だけは間違えないでくれ。あんたの撒いた種は後回し。先に潰すのは、バクの悪意だ」
「分かっとる。それは分かっとるんじゃが……」
「なんだ?」
この期に及んで、まだ歯切れが悪い。
もはや隠すようなことなどないように思うが。
コマはもじもじしていた。
「バクがのぅ……妨害してくるかもしれんから……」
「ああ、そのことか。気を付けるよ」
気を付けてどうなるとも思えないが。
*
夢の始まりは、いつも自然だ。
急にそこへ現れたのではなく、ちゃんとなにかの流れがあった上でそこに居合わせたような気分になる。もちろん気のせいだが。
まず目に入ってきたのは濃い青の空。
波の音に振り返ると、一面に海が広がっていた。地平線には陸地が連なって見える。あれは離島だろうか? いや、あっちが本土でこっちが離島かもしれない。分からない。主が考えた謎の地形かもしれない。
「あれ? ええと……」
近くにクローズドサークルの少年が立っていた。
C子がリタイアしたから、この子が俺の相棒になったのかもしれない。まあ某ドラマでもそうだが、相棒ってのはころころ変わるものらしいからな。
「よろしく。自己紹介してなかったかな。こっちではQで通ってる」
「あ、Qさん。ボク、Kです。よろしくお願いします」
礼儀正しい。
俺はいつかこの少年に刺されると思って警戒しているのに。
まあいい。
彼に背を向けて、自分たちの島の地形を確認する。
黄土色の砂浜があって、コケのこびりついた堤防があって、錆びたガードレールの道路があって、あとは鬱蒼とした森。
時代は現代。場所は地方の海岸という感じか。
だが、一瞬、なにかの気配を感じた。
どこに?
いや、なんだか……。目の端に、常にいる気がするのだが、ぱっと視線を移したときには、もうそいつの姿はなくなっている。
なんだろう。
嫌な予感がする。
目の端のものを追ってぐるぐる回っていると、目が回ってきた。
すこしふらっとしたので、回転を止める。
「え、どうしたんですか? 楽しそう」
「いや、遊んでるわけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
少年は悪意のない目でこちらを見ている。
本当に俺を恨んでいないのだろうか?
「あのー、Kくんよ」
「はい? あ、呼び捨てでも大丈夫です」
「最初に会ったときのこと、おぼえてるか? 俺は銃を持ってて、あんたに武器を捨てろって言ったんだ」
すると彼は、なんとも言えない表情で笑った。
「あ、その話、します?」
「武器を捨てたのに撃ってしまったよな。悪かったよ。謝罪する」
「大丈夫ですって。前も言いましたけど。コマちゃんから聞きましたから。そういう手順だったんですよね? 分かってますから。ボクの寿命が減らないように、待ってくれたし」
「けど、結局、命を奪ってしまった」
「ゾンビが来てましたから。苦しんで死ぬより、楽に死ねてよかったです。生きたまま喰われるなんて、最悪ですし。もう気にしないでください。ボクも気にしてませんから」
「ありがとう」
この会話の間も、視界の端になにかの気配を感じていた。
気配というか、物理的にいるような気がする。
いったい何者なんだ……?
「少年、なにかの気配を感じないか?」
「え、なにかって?」
「分からない」
「え、待ってくださいよ。怖いんですけど」
夢の中とはいえ、殺人鬼じみたことをしていたくせに、C子みたいなリアクションをするものだ。
見た目もショートヘアの女の子みたいだし。
いや、まあ、C子は口ではワーワー言うが、いざ戦闘になるとヤる女だ。この少年もそうだろう。不安はない。
俺はダウジングロッドを召喚し、主の場所を特定した。
奥だ。
道路に沿って移動するしかない。
*
ダウジングロッドに反応はある。
だが、それ以外の存在がない。役者のいない夢なのだろうか? それともバクがなにかしている? 歩いている最中も、ずっと誰かの姿がチラついては消える。
港に出た。
ここが、この島の入口であり出口。
船がメインの交通手段なだけあり、よく整備されているし、かなりひらけている。係留された小舟が波にゆすられている。
ただし、人の姿だけがない。
俺たちが歩を進めると、海鳥がどこかへ飛んでいった。
「Qさん、なにかいませんか?」
「いる」
少年もさすがに気づいたようだ。
なにかが、いる。
だがそれがなにかは、分からないまま。
港には小さな喫茶店もあった。
ダウジングロッドもその店に反応している。もうすぐ主に会える。
そう。
どんな怪しい生物が存在していようが、関係ない。
主についた悪意を始末できれば仕事は終わるのだ。
謎解きをする必要はない。
なのだが……。
道端に、毛むくじゃらのクソデカ妖怪がうずくまっていた。
バクだ。
長い鼻を、舌でぺろぺろ舐めている。
俺は遠慮なく舌打ちし、マウザーを召喚した。
「なんだ? 自分から殺されに来てくれたのか?」
戦って勝てるかは分からない。
だが、会ったら戦うしかない。
バクはにたりと笑みを浮かべた。
「お前は誰かを殺すことしか頭にないのか?」
「そうだったらどうで、そうじゃなかったらどうなんだ?」
「しかも口を開けば屁理屈ばかり」
「ほかにできることがない」
屁理屈と暴力。
手段としては最低だが、人類はいまだこれを超克できていない。好きか嫌いかに関係なく、ほかに選択肢がない。
「お前なぁ……。本気で俺サマを殺せると思っているのか?」
「試してやろうか?」
銃口をバクに向ける。
少年もナイフを召喚した。ここで逃げるという選択肢を選ばずに、きちんと戦う姿勢を見せるのは偉い。まあいざとなったら逃げてもいいんだが。それは逃げたほうがいい場合だけだ。
「ほう? ま、俺サマはいつでもいいけどな」
バクはまったく動じていない。撃ちたいなら撃てといった顔だ。
なんだ?
勝算でもあるのか?
フカしているだけ……ではないと思うが。
だとしたら罠か?
俺はトリガーを引いた。
空気が爆ぜて、手首に反動が来る。
弾丸は……。
どこかへ飛んでいった。明後日の方向ではない。ちゃんとバクのいる位置へ飛んで行って、そのまますり抜けて後方へ消えた。たぶん。
いくら素人でも、静止したクソデカいターゲットを外すわけがない。
バクは鼻を舐めている。
「そういうことだ。お前たちの百鬼夜行は、加護のあるものには通じない」
「……」
全身に、悪寒が走った。
最悪だ。
加護のある相手に攻撃が通じないのは知っている。だが、なぜバクに加護がついている? 誰がその加護を与えた?
出発前に、コマが口ごもっていた理由がようやく分かった。
あいつは、知っていたのだ。
俺たちの攻撃が、バクに通じないということを。
なんとか呼吸をしたが、その息は震えていた。
俺は声を絞り出した。
「どういう意味だ?」
恐怖じゃない。
怒りだ。
こいつと戦う想像はいくらでもしてきた。夢の世界で死ぬことにも……慣れたとまでは言わないが、まあ受け入れている。ここで殺されたからといって、現実世界の肉体まで即死するわけではない。限度はあるが。
だから問題は、コマだ。
あいつは……まだ俺たちになにかを隠している。
バクは鼻を舐めている。
「どうもこうも、見たままだ。お前たちには、俺サマを殺せないんだよ。傷つけることさえできない。これまでさんざん気分よくザコを殺してきたから、きっと勘違いしていたんじゃないか? お前たちは特別じゃない。コマから借りた力がなければ、その他大勢の一人でしかない。俺サマの餌になるしかない、ただの人間なのだ。本当にかわいいよ」
かわいいと思うなら、ぜひ殺さないで欲しいもんだな。
俺は銃を消し、前へ進んだ。
「なら素手で勝負しろ」
「正気とは思えんな。待て。止まれ。今日は話をしに来ただけだ」
「は?」
俺は素直に足を止めた。
正直、荷物満載の軽トラみたいなサイズのバケモノと殴り合いをしても勝算がない。止めてくれてよかった。
だが、だとしたらこいつは?
殺したいなら、いつでもこちらを殺せるだろうに。
なんだ話って。
「俺サマの餌……お前たちが夢の主と呼んでいるものについてだ。後ろの喫茶店にいる。お前たちがそのダサい棒切れで探り当てた通りにな」
「俺もダサいと思ってるよ」
なんだよダウジングロッドって。
俺だってこんな棒持ってうろうろしたくないよ。
でも便利だから仕方なく。
バクは皮肉っぽく目を細めた。
「この世界の異変には気づいたか? 言っておくが、俺サマが細工したわけじゃないぞ」
「は? じゃあ誰が?」
「餌だよ。餌自身が、この世界をデザインしたんだ。それをコマが術で形にしている」
そうだ。
主の夢を形にしているのはコマなのだ。
バクは入り込んできているだけ。というか、こいつはコマの師匠なのだ。本家本元。同じ術を使えたとして不思議はない。まあどちらも本調子ではないという条件がつくが。
「で? なにが問題なんだ?」
「異変を解決しない限り、お前たちは餌に近づくことさえできない。その事実を教えにきた」
「は?」
なんだよ、教えるって。
俺たちが悪意を始末すれば、こいつの力が弱まるというのに。
ヒントを与えるって?
罠以外のなんだというのか。
バクは長い鼻を持ち上げて「ぶわぁ」とあくびをした。
「察しの悪い人間どもだな。俺サマは餌に死んで欲しいわけじゃないんだ。死なれたら、命を吸い出せなくなるからな。種を仕込むのも簡単ではないんだ。目のいいヤツに、ちょうどいい具合の獲物を探してもらってな……。それで種を仕込む」
「目のいいヤツ? 協力者がいるのか?」
ぱっと思い浮かぶのはトキだが。
あの男がそんなことをするとは思えない。
いや、しないとも言い切れないか。
バクはニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「おいおい。しらばっくれるなよ。もう気づいてるんだろ?」
「本当に?」
「トキだよ。あいつはほんとぉに空虚なヤツでな。目だけはいいのに、見ているだけでなにもしないんだ。いや、できないと言ったほうが正確か。傍観者でしかない。だが、そんなヤツにも、見ることだけはできるからな。情報だけは持ってる。俺サマは、その情報をもらってる」
バカみたいな話だ。
もし事実なら、だが。
こんな情報を、俺は即座に事実として受け入れるつもりはない。
「彼になんのメリットが?」
するとバクは、さらに気味の悪い笑みを浮かべた。
「おい、人間。また知らんぷりか? あるだろう、そりゃ。承認欲求がよぉ」
「は?」
「あいつは世界の大半を見通せるのに、解決する力を持ってない。見ていることしかできないんだ。ああ、困っている人を助けたい……誰かの役に立ちたい……なんて思っちゃいるようだが。残念ながら、そんな力ない。そりゃそうだ。ただの覗き野郎なんだからな。自分は見てるだけ。その力をなんにも使えない。あー、まあお前たちに分かりやすく説明すると、ずっとネットばかり見てて、なにかしたいと思ってるだけでなにもしないヤツってとこだな」
「別にいいだろ」
なにかしたいと思っている人は、適切なときにそうするはずだ。
わざわざ悪く言う必要はない。
「そう興奮するな。これはあいつが望んだことでもあるんだぜ。俺はあいつから情報をもらう。あいつは承認欲求を満たされる。ウィン・ウィンだ。いい話だよな?」
「クズ野郎がよ……」
怒れば怒るだけ冷静さを失う。
だから怒るかどうか迷っているときは、怒らないほうを選んだほうがいい。
選ぶだけの余裕があれば。
バクはやれやれとばかりに溜め息をついた。
「じゃあなんだ? 誰か、ほかのヤツがあいつを慰めてやったのか? 満足させてやったのか? え? あいつを追い込んでるのは、周囲の無関心だ。あるいは、もっとおぞましいものだな」
「なんだよその、もっとおぞましいものって」
「人間だよ」
「具体的に」
怒りを抑えきれそうにない。
トキは、本当に俺たちの情報をこいつに渡しているのだろうか?
この話が事実だとすれば、味方なんていよいよ誰もいなくなってしまう。
コマも心からは信用できない。
トキもそう。
こんな状態で、バクと戦えるわけがない。
バクは巨大な身体をゆすってぐふぐふ笑った。
「ではお望み通り、具体的に教えてやろう。お前、神頼みをしたことはあるか?」
「あるが?」
しかも通じなかったが?
神は人を救わない。
救うこともあるのかもしれないが、その対象は俺じゃない。
「トキはなぁ、そういう情報も『見えちまう』んだ。これがなかなかに愉快でな。みんながどんな願いをしていると思う? 簡単だ。金と、名誉と、肉欲だよ。自分が得したい。他人はどうでもいい。一方的に要求するばかりで、世界に還元しようとしない。ああ、俺サマは好きだぜ、そういうの。人間らしいもんなぁ?」
「……」
そうか。
おそらくこいつの言っていることは事実なんだろう。トキは、こいつに情報を提供している。
だが、もしこいつが俺を絶望させようとしているのなら、その作戦は失敗したと断言できる。いまの情報には希望もあった。
俺は思い出したのだ。トキの言葉を。なぜ俺が――俺たちがコマの仲間に選ばれたのか。その基準を。
「世界の平和を心から願ったことのある人間」
つまりトキは、承認欲求に負けてバクの言いなりになりながらも、ある種の賭けをしたのだ。世界の平和をなしたいと思っている人間を集めれば、事態を好転させられるのではないか、と。
じつにいい話じゃないか。
なにがいいって、俺にとって都合がいい。
訳に立ちたいと思っているのなら、ぜひそうしてもらおう。情報ってのは力だ。バクをぶちのめすために、その力を使わせてもらうのだ。頼めば断れないらしいからな。
となると、時は金なり、ぐずぐずしている場合ではない。
ここの悪意を片付けて、トキに会わなくては。
異変とやらの正体は分からないが、主は喫茶店にいるのだ。護符を貼りつければ悪意を吐く。それで終わりだ。
(続く)




