バクの夢を見た
灰色の街だ。
俺はまた夢の世界に来ていた。
手にパワーストーンのブレスレットがついているから、間違いない。俺は現実世界では絶対にこんなものをつけない。
どこかの駅前だろうか。
バスのロータリーがあり、店も並んでいるのだが、歩行者の姿がない。すべての看板の文字がぼやけている。よく見ると標識もおかしい。あらゆる記号が歪んでいる。
現場にいるのは、俺含めて四人。
例のクローズドサークルの少年と、田中、そして見知らぬツーブロックのデカブツ。
いや、もう一人……というか一体。コンビニの上に、毛むくじゃらの巨大なバケモノがうずくまっていた。アリクイみたいな外見。
自己主張が激しすぎて、自己紹介してもらうまでもない。こいつがバクだろう。
そいつは苦しそうに呼吸をしながら、大きな眼球でこちらを見下ろして言った。
「お前たち、バカだろ? 自分たちがなにに使われているかも知らないくせに、言われるままヒーローごっこか?」
「……」
誰も返事をしなかったので、俺も黙っていた。
きっとなにか用があって呼び出したのだろう。単に俺たちを殺すつもりなら、四人も呼ぶ必要はない。一人ずつ呼び出して喰えば済む話だ。各個撃破というやつだ。
田中が腰を抜かしてへたり込むと、バクは愉快そうに笑い、長い舌でペロリと鼻を舐めた。
「俺の名はバク。悪夢を喰う存在として知られている。お前たちも知ってるよな? 大物だぞ。ひれふせ、ひれふせ」
「……」
ひれふしたらどうにかなるのか?
俺は手にマウザーを召喚し、こう尋ねた。
「本題は?」
するとバクは不快そうにぐぅとうなった。
「小者めが、偉そうに……。お前は本当に気に食わんな。弱いくせに、あらゆる問題を解決できると思い込んでいる。トキめは、なぜこんな人間に興味を示す? 身の程をわきまえろ。お前ごときにできることはない」
「戦いたいならそう言えよ」
「戦う? ふん。それもいいが、今日はもっと面白い余興を用意しているぞ」
「余興?」
まさかとは思うがこいつ、いま、戦いを避けたのか?
コマの話では、バクは悪意の種を撒いてはいるが、まだ本格的に仕掛けていないのだと言っていた。隠れているのだと。派手な動きをすると、人間たちに目をつけられるのを知っているのだ。コマがそうであったように。
人と戦えるほど回復していないのかもしれない。
もしそうなら全員で仕掛ければ勝てる。
やるか?
だが、連携を取れるかは分からない。田中はすでに戦闘放棄している。デカブツも田中の仲間だろう。少年は……いったいどちらの味方なのやら。
バクはまた鼻を舐めて笑った。享楽じみたニヤケ面だ。不快と言うほかない。
「お前たち、チームを作って競い合え。先に主を見つけて、悪意を引きずり出したほうの勝ちだ」
「勝つとなにがもらえるんだ?」
「バカ野郎。なんで俺サマがお前たちに施しを与えなきゃなんねぇんだ? これは罰なんだよ。俺のグレートなプランを妨害したことへのな。だから勝ってもなにもねぇ。その代わり、負けた方には罰を与える」
「罰?」
脇で田中が「ごめんなさい! もうしません! 許してください!」などと騒いでいるが、俺たちは無視した。
「ああ、罰だとも。お前たちの大事な人間に、俺サマの悪意の種を仕込んでやる。とびきり威勢のいいのを、奥までずっぽりとなぁ。もちろんコマが手を出せないよう、俺が保護する。ねっとりじっくり長ぁく味わってやるからなぁ? ん? どうだ? 嬉しいだろ?」
クソだな。
いますぐぶち殺したほうがいい。
だが、俺は少し考えて、こう尋ねた。
「大事な人間って?」
両親はもう死んでいる。
祖父母は生きているが……。あいつらは、借金ができた途端、俺たちを見捨てた。連中に悪意を仕込まれたところで、痛くもかゆくもない。むしろ大歓迎だ。
俺は家庭を持っているわけでもない。付き合っている女もいない。C子は……そもそも書類上の夫婦でしかない。彼女には加護もあるし。
バクはぐふぐふ笑った。
「んー、そうだなぁ。お前には家族がいないもんなぁ? でも、しらばっくれるこたぁないだろ? なっ? いるよなぁ? とびきりのターゲットが。えぇ? 病院で寝てる女。A子とか言ったか? あいつの胎の中に、俺サマの特別ぶっ濃いのを仕込んでやる」
「お前、ちょっと降りてこい。近くで話をしよう」
「ぐっふぅ。怒ってる、怒ってる。勝てばいいんだよ、勝てば。簡単だろ?」
俺はただ挑発したわけじゃない。
先ほどの仮説が事実なのか、確認したかっただけだ。
なぜ俺たちに直接仕掛けてこない?
なぜ第三者を巻き込む?
コマの加護があるから、直接的な攻撃ができないのか?
つまりいま、俺たちにとって最大のチャンスなのでは?
「よし、じゃあ始めろ。お前たち、勝っても負けても、帰ったらちゃんとコマに聞くんだぞ? なんでこの俺サマにいじめられたのか。そして後悔しろ。手を引け。話は以上だ」
それだけ告げると、バクはふっと姿を消してしまった。
クソ……。
こんなケースは想定していなかったから、すべてが後手に回ってしまった。
デカブツがこちらへ向き直った。
「田中、前に言ってた男ってこいつか?」
「そ、そうです! そいつです! そいつが俺を殴ってきたんです!」
はて?
そんなことがあっただろうか。
デカブツはずんずん距離を詰めてきた。
「お前さぁ、分かってんのか? いちおう仲間だろ? 自分が活躍したいからって、調子の乗ってんじゃねーぞ? あ?」
筋肉質という感じではない。
だが、体重はありそうだ。
べつにナメているわけじゃない。プロの格闘家が体を絞っているのは、体重制限があるからだ。ないなら絞らなくていい。つまり、適度に脂肪のついているほうが有利なのだ。こいつが適度かどうかはともかく。
デカブツは勝手な演説を続けた。
「悪ぃんだけどさ、お前には負けてもらうわ」
「はい?」
「こっちも大事な人間守りてぇんだわ」
大事な人に悪意を植え付けられたくないから、勝ちを譲れということか?
こいつは、なぜ被害者みたいな立場で話を進めているのか? 田中が言ってくるならともかく。まあ田中と同じチームではあるか。
俺は呼吸をコントロールして、心臓の跳ねそうになるのを抑えた。さすがにデカブツは緊張する。
「それ以上、近づくな。距離をとって会話しよう」
「あ? なに命令してんだ?」
「お願いかも?」
「あ?」
お?
ダメだ。言葉が通じない。
もう距離に入っている。
俺は体を大袈裟に傾けながら、ローキックを放った。ローキックというか、いつぞや流行ったカーフキック。外側から刈るように蹴った。
俺が避けた空間を、男の拳が通り抜けていった。
「いッ……。クソ……。なかなかやるじゃねーか。なんかやってたの?」
露骨に痛そうにしながら、デカブツは一歩後退した。
まあ痛いだろう。
かなりウマく入った。
「なぜお前たちみたいな人間は、取り返しのつかない状態になってから、なにをやっていたのかを聞くんだ? やってたらどうで、やってなかったらどうだって言うんだ?」
「待てって。ちょっと試しただけだろ」
「……」
俺は身をかがめて踏み込み、ボディにストレートを叩き込んだ。肝臓に一撃。敵が後退していたせいで、深くは入らなかったが。
デカブツは後退を続けた。
「いや、待てって。なに本気になってんだよ? バカか!」
俺は自分より強い相手とは戦いたくない。
戦うとしたら、フェイントを使う。
まともにやるだけバカみたいだからな。
後退していたので、距離をつめて足を払った。
デカブツは尻もちをついた。
その顔面へ、爪先でケリを叩き込む。
「ぶへっ」
俺の攻撃はどれも直撃したはずなのに、こいつは足払いをするまで倒れなかった。この転倒にしても、試合ならダウンではなくスリップ判定だろう。つまり俺の攻撃は、どれも致命傷を与えていない。
ウェイトのある相手というのは、これだからイヤなのだ。逆にこちらは、一撃でも食らったら立てなくなる。
そしてさらにムカつくことに、この手の輩は、少しでも技をおぼえたら俺より強くなる。
だから勝てるうちに潰しておかなくてはいけない。
徹底的に。
*
数分後、デカブツは死体になった。
素手で人の命を奪うのは難しいというが……。まあ殴って殺すのはそうだろう。だが重力を使えば難しいことではない。
もし現実世界でやったら、確実に逮捕されるし、とんでもない額の損害賠償を請求されると思うが。
でも、まあ、夢の中だからな……。
田中はへたり込んでいたが、急に我に返って逃走を始めた。
いや、主を探すために移動したのかもしれない。
いくら無益なケンカに勝ったところで、先に主を見つけられてしまったら敗者となる。
少年が、おそるおそるといった態度で近づいてきた。
「え、死んでるんですか……?」
「おそらく」
「ヤバ……」
まじまじと見つめている。
無人島で人を殺しまくってた人間が、いったいなにを驚いているのか。
さすがに俺の呼吸も、手も、震えていた。
余計な力を込め過ぎた。
「それより、主を探そう。あいつに先を越されたらマズい」
「あ、こっちです」
少年はダウジングロッドを手にしていた。
田中が逃げたのとは別方向。
あいつが無計画な人間で助かった。
*
主はすぐに見つかった。
寝たきりの老婆が、ゴミだらけの路地裏に放置されていたのだ。
この状況は、老婆自身の不安の表れなのか。それともバクによるものなのか。いずれにしてもやるせない気持ちになった。
俺が護符を貼りつけると、老婆は苦しそうにもだえながら、細い体をのけぞらせて悪意を吐いた。ぬめぬめした白い肉塊。顔をしかめた少年がナイフを突き込み、命を絶った。
夢はそれでも終わらなかった。
だらだらと、無駄な時間を貪るかのように。
うつろな目の老婆は、かすれた声で「ひ、人殺し……助けて……」などとつぶやいている。
すぐにでも夢が終わらなければ、この老婆は命を失うだろう。
すると年単位で寿命を喰われることになる。
早く終わって欲しい。
早く。
(続く)




