来客があった
それからの数日、じつに平和なものだった。
いや、平和というよりは、誰もが感情を抑え込んでいるせいで、問題が表面化していないだけだと思うが。
特にC子は、間宮氏と問題を起こさなかった。俺とも事務的な会話だけ。別人みたいにおとなしくなった。
だが、間宮氏にかかってきた一本の電話が、状況を変えた。
「はい。はい。えっ? なぜです? ここに? いらっしゃるんですか? え、今? もう出た? いえ、困りますよ……。うまくやれって……。いえあのはい……。承知しました……。はい……。失礼します……」
あまり表情を変えない間宮氏が、露骨に憔悴していた。終わった電話をデスクに置いたまま、両手をついてうなだれていたのだ。
俺は自分からは事情を聞かなかった。
仲間だったらフォローしてやるところだが、こちらは法外に強制労働させられている身だ。契約以上のことをするつもりはない。
だが、彼女は顔をあげ、こちらを見た。睨むような目で。
「大友さん、なぜ報告しなかったのですか……」
「はい?」
どの件だ?
心当たりが多すぎて、どれだか分からない。
「アメリカ大使館から、あなた方に対する問い合わせがあったそうです。なんでも、とある人物が、夢の中であなた方に救助されたんだとか」
「人違いでは?」
「かつて海軍に勤務していた人物が、あなた方の似顔絵を提出してきたそうです。どうこからどう見てもお二人の顔だったそうですよ。夢を扱う部署が日本にあることは、アメリカも知っていますからね。それで上に問い合わせが行ったのでしょう」
ガバガバじゃねーか。
まあアメリカはなんでも知っているのだ。同盟国に対してさえスパイ行為をする。夢の中とはいえ、アメリカ人に関与すれば、現実世界でもコンタクトをとってくるというわけだ。
さっそくチャイムが鳴った。
「失礼。お約束していたウィリアムズです」
外からは男の声。
約束なんかしてなさそうだが。彼らがしていると言えば、したことになるのだ。
間宮氏は溜め息を噛み殺しながらドアへ向かった。
「ああ、その……。ようこそいらっしゃいました。責任者の間宮です」
「中に入っても?」
「ぷ、ぷりーず……」
英語は苦手なようだな。
ソファに腰をおろしたのは、髪を後ろに撫でつけた背の高い白人男性。スタイルがいいから若々しく見えるが、実年齢は四十から五十といったところか。飾り気はないが、仕立てのいいスーツを着ている。
「突然の訪問失礼します。なるほど、父の似顔絵にそっくりだ」
彼は青い瞳でこちらを見た。
「ガレー船の中で、骸骨たちに囲まれてましたよ。なかなか珍しい趣味をお持ちで」
場を和ませようとして、小粋なジョークを少々。
まあ怒られても仕方がないが。
彼はまずあっけにとられたような顔をしたが、すぐに苦い笑みを浮かべた。
「誤解しないでください。感謝の言葉を述べに来たんです。私は敵じゃない」
「仕事でやったことです」
俺がそう応じると、間宮氏が「あんなの仕事じゃありませんよ」と訂正してきた。確かにここの仕事じゃない。コマの仕事だ。一円にもならない副業。
「父が若かった頃、海軍の訓練で、木造船を使ったことがあったそうです。そのときに難破して、仲間たちが次々と死んでしまった。おそらくはそのときの記憶でしょう」
「失礼。茶化すべきじゃなかった。謝罪します」
まあ、それもそうか。
記憶に苦しめられているから、夢に出てきたのだ。
無邪気に人生をエンジョイしている人間は、あんな夢を見ない。
「群馬の件も聞いていますよ。タチの悪い誘導でハメられたようですね」
「誘導?」
誰がどの夢に飛ばされるのか、俺はそのメカニズムを知らない。完全にコマの裁量だと思っていたが。もし外部からの介入で、誘導することができるのだとしたら……?
あの件は、政府が柴田を使った、と考えるのが妥当だろう。
柴田……。
そういえば今回も、あの野郎が顔を突っ込んできた。
ウィリアムズ氏は肩をすくめた。
「夢の世界を研究しているのは日本だけではない、ということです。しかし我々の技術では、夢のアウトラインをなぞるのがせいぜい。エネルギーの変換フォーミュラは完成しているのに、出力結果を観測できない。ところが日本だけは、なぜか領域の内部まで観測している。『バク』という独自のファクターをハックして、ね」
「なるほど」
俺はうなずいてはみたものの、ほぼなにも分からなかった。
うっすら分かるのは、アメリカも夢の研究をしているのに、バクがなんだか分からないから、日本ほどうまくいってなくてつらい、という感じか。
そのバクというのが、本物のバクを指しているのか、コマを指しているのかは不明だが。
となると、ウィリアムズ氏は、俺ではなく間宮氏に話を聞かせているのかもしれない。
今回の件で日本の技術に脅威を感じたから、さすがに無視できなくなり、バクの情報をもらいにきたか。
ウィリアムズ氏は、しかし間宮氏には目もくれなかった。
「父は長年に渡り、悪夢に悩まされてきました。それが今回の件を機に、完全に解放された。皆さんの活躍のおかげで救われたのです。本当に感謝しています。これは私の連絡先です。なにかあったらご連絡ください。協力できることがあると思います」
「……」
名刺をくれた。
え、本当に礼を言うためにここへ?
いやまあ……そういう人物もいないとは言わないが。
欧米人は、個人的には紳士かもしれないが、政治やビジネスが絡むと途端に冷徹になる。絶対に裏があると思っていたのに。
しかも「救われた」などというが、そもそも悪意を植え付けたのはバクかコマなのだ。ほぼ自作自演としか言いようがない。
だが、いまは黙っていよう。誰も得しない。
*
その後、ウィリアムズ氏はすぐに帰った。
間宮氏の淹れたコーヒーは、俺が飲むハメになった。むやみに熱くて薄いだけのコーヒーを。
*
「どうなのよ?」
仕事が終わって帰宅すると、当然みたいな顔でC子が入り込んできた。
ここはアルコール愛好家のためのフリースペースではないのだが。
「どうってのは?」
「あんた、まだ続けるワケ?」
スルメイカをかじりながら、威圧するような態度だ。
じつにガラが悪い。
「現場を抜けるのが最善の手だとは思えない」
「言っとくけどね、あたし、あんたのことは誤解してないつもりだから。あんたもコマちゃんを救いたいって思ってるんでしょ?」
「そう」
「……」
なにか言葉を続けるのかと思ったが、C子は缶ビールを飲んで、それきり黙り込んだ。
てっきり苦情を連射してくると思ったのに。
彼女はトーンダウンした口調で、誰にともなくつぶやいた。
「でもさ、コマちゃんの仕事を手伝うと、今日みたいに救われる人がいるんだよね……」
「そうなる」
皮肉な話だ。
人間か、コマか、必ずどちらかの寿命が縮む。これはシンプルに「命の奪い合い」だ。それが「悪意」だの「救われた」だの、感情に基づいた言葉で語られている。まあ「エネルギーが移動しているだけ」などと表現してしまえば、問題の大半を無視することになるが。
感情を無視したくないから、俺たちは悩んでいるのだ。
C子は盛大な溜め息とともに、がっくりとうなだれた。
「ごめん。降参。分かんない。あたしの頭じゃ、どっちが正しいかなんて決められない。あんた、理屈っぽいんだからさ、なんかもっともらしいこと言いなよ」
「どちらも正しくない」
「ほら出た」
ニヤリとしている。
問題を解決したいのか、俺の話を酒のサカナにしたいだけなのか。
「そもそも、正しさというものには『前提』が必要だ。生きたければ食うべしとか、金が欲しければ働くべしとか。前提を達成したいなら、なにかが正解になる。前提がなければ正解もなにもない」
「はぁ……」
「たとえば暴力はどうだ? 誰もが無条件にダメだと言う。だが暴力は、法にさえ組み込まれている。刑罰というのは、体制側の暴力だからな。文脈によっては許容されるんだ。ターゲットが人でない場合、さらに制限がゆるくなる。俺だって蚊が飛んできたら殺す。動物の肉も食う。極端な例に聞こえるかもしれないが、話の構造は同じだ。つまり暴力というものでさえ、前提によっては許容されるんだ。正しさというものは、すべて前提による」
「いいじゃん。いいじゃん。エンジンかかってきたじゃん。でも意味不明だから、もっと簡単に言ってよ。だんだんムカついてきちゃった」
笑顔で言うな。
こいつ、俺で遊んでいるのか?
「じゃあ簡単な部分だけ言うぞ。前提のない正しさってのは、もはや宗教なんだよ。あれらは条件なんか説明せずに、とにかく『ああせよ』『こうせよ』とだけ言うだろう。だからまったく科学的じゃない。いや、誤解しないで欲しいんだが、科学的じゃないから悪いって言ってるんじゃない。宗教ってのはそういう性質のものなんだ。神はいちいち理由なんか説明しない。ま、人間にモノを考えさせないってのは、ある意味では妥当だと思うぜ。ロクなことにならないからな」
俺もビールを飲んだ。
こういうの、話し始めるとうるさくなるから理屈っぽいって言われるんだろうな。
「で? その宗教が、コマちゃんの件とどうつながるワケ?」
「これは宗教じゃないんだから、どちらも正しいとは言えない、ということを説明したんだ」
C子は眉をひそめた。
「は? じゃあなんもできないじゃん」
「逆だな。どちらも正しくないんだから、やりたいようにやりゃいいんだ。あるいは、前提のほうに注目するって手もあるぜ。正しさは、前提によるんだからな。コマの命と、人の命、どちらを重く見るか」
「それが決められないから困ってるんでしょ」
「なら決めないって手もあるぜ」
「決めない場合、どうなるの?」
「これまでと同じだ。ぼうっと生きていればいい」
「死ねよ」
最終的な着地点が見つかったようだな。
暴力はすべてを解決する。
俺が反論しなかったので、C子もバツが悪そうに視線を泳がせた。そのうちに、部屋の隅に置かれた段ボールが気になったらしい。
「あんたさ、あの段ボール、早く片づけたら?」
「なぜ?」
「もう引っ越してだいぶ経つでしょ? なにが入ってんのか知らないけどさ。殺風景な部屋なんだし、飾ったらいいじゃん」
「飾るようなものじゃない」
「え、なにそれ? 開けてもいい?」
「ダメだ」
だが俺の言葉を無視し、C子は這いながら段ボールに近づいて行った。動きが雑過ぎる。完全に自宅かなにかだと思われている。
段ボールにガムテープは貼っていない。ただフタを内側に織り込んであるだけ。いわゆるクロス組みというやつだ。開封しようと思えばいくらでもできる。
「え、なにこれ……」
箱を開けた瞬間、C子にもそれがなにか分かったのだろう。
箱の中にあるのも、ある意味では箱なのだが。
「遺骨だよ。両親の」
「は? え? なんで?」
「いろいろあるんだよ」
親戚とは疎遠になってしまったから、いまさら故郷の墓には入れない。かといって、こちらで墓を買うほどの金もない。
巨大なセンターみたいなところに納骨して、機械を使って参拝するのを、なんだかSFみたいだなぁなんて思っていたが。それさえ高い。まさか墓すら持てない時代になるとは思わなかった。
C子は座り込んだまま、叱られた子供みたいな顔でこちらを見ていた。
「ごめん。なんか。勝手に」
「遺骨だから謝ってんのか? その件については気にしなくていい。その代わり、開けるなって言ったんだから、次からは開けないでくれ」
「うん」
中身によって謝ったりおちょくられたりするほうがどうかしている。遺骨じゃなかったら謝らなかったのか? だとしたら、そちらのほうが哀しいんだが。
そもそも開けなければなにも問題は起きなかった。
問題と言えるほどたいした問題でもないが。
C子はしょげたまま戻ってきた。
「あの……。ごめんね、ホントに」
「いいから」
「いや、違くて。なんか……。あのぅ、間違ってたらホントごめんなんだけど……。怒らないでね? ねっ?」
「なに?」
本当に怒っていないのだが。
それとも、これから怒るようなことでも言うのか?
C子は缶ビール片手に、不安そうにこちらを見つめてきた。
「まさかとは思うけど、あんたが殺したわけじゃないよね?」
「待ってくれ。そんなわけないだろ……」
こいつは俺をなんだと思ってるんだ?
俺が暴れるのは夢の中だけだ。現実世界では人を殴ったりしない。威圧すらしない。そんなのバカみたいだからな。
「ああ、よかった。いや、万が一ってこともあるから」
「俺がムショにぶち込まれていないという事実から推察してくれ」
「そうなんだけど。あ、ほら。枝豆あるよ。食べな? 元気出るよ」
「うん……」
べつに元気なのだが。
逆にこいつのせいで元気をなくしそうなのだが。
「まーコマちゃんのことはさ、おいおい考えようよ。ね? まだ時間あるんだしさ」
C子は勝手に話をまとめ始めた。
自分で答えも出せない人間が。
俺はもう出している。人間と動物の関係と同じだ。今後もコマは、生きるために人間から命を奪えばいい。気に食わないと思うなら、そいつがコマを殺せばいい。俺は殺さない。それだけだ。
ただ、バクは……。バクだけは止めないといけない。そいつはやがて活動を再開し、良心の呵責もなく人の命を喰い尽くすだろう。もしコマを味方につけていなければ、おそらく人類はバクに対抗できない。損得だけで考えても、コマを殺すべきではない。
問題は、この事実を、誰に、どう説明するか、だ。
間宮氏はいまいち信用できない。本人は誠実に仕事をしているつもりかもしれないが。バックがいまいち見えてこない。ただの慈善事業とは思えない。
ウィリアムズ氏も、本当にただの紳士なのか、まだ判断できない。本人が紳士なのだとして、バックの連中が俺たちを「利用」しないとも限らない。
あとはトキ、か……。こいつはそもそも話が通じない。
詰んでいるのかもしれない。
(続く)




