死んだことにされた(一)
月曜日、間宮氏に呼び出された。
いわく「強制はしませんが、もし応じていただけない場合、かなり不利な立場になる可能性があります」とのこと。これが脅迫でなくてなんだというのか。
俺は仕事を切り上げて、まっすぐ向かうことにした。
いや、切り上げるもなにも、本来、いつ帰ってもいいのだが……。俺みたいな下っ端は、みんなが帰るまで、なぜか帰宅を許されない。
理由は簡単。
下っ端が先に帰ると、上が不機嫌になるから。それだけだ。非常に幼稚で愚かしい。生産性に悪影響しかない。
しかも上司たちは、できる限り会社に居座ろうとする。自宅に居場所がないのか、家に帰ると威張れないからなのか。会社では、特に欲しくもないジュースを、下っ端に買いに行かせることができる。
会社はサル山ではない。会社だけでなく、学校も、部活も、サークルも、なにもかもそう。人類がその事実を発見するのに、あと何世紀かかるだろう。
ともあれ、こちらは用事を得たので、今日だけは早々に会社を出る口実ができた。「なんだ? 女か?」などと皮肉を飛ばされながら。彼らにとって、帰り際の下っ端を不快にするのは必要欠くべからざる儀式なのだ。未開の部族なので仕方がない。
*
間宮探偵事務所――。
相変わらず薄汚れていて、反社会的勢力の事務所にしか見えない。中はキレイに片付いているのだが。
「あ、大友さん。来てくださったんですね。嬉しいです。さ、ソファへおかけください」
間宮氏は柔和な笑顔で出迎えてくれた。
黒のスーツをひとつも崩さずピシッと着ている。
あの脅迫めいた文面を、このツラで打っているのかと思うと……。
俺はソファに腰をおろした。
「で、ご用ってのは?」
彼女はクソ熱いだけのコーヒーを出してくれた。
「柴田さんからうかがいましたよ。群馬、いらしたんですって」
「群馬?」
「米軍の研究施設ですよ」
「ああ、あれですか。いいですよ。なんでもお答えしますよ」
どうせ隠したところでプラスになるまい。
答えるしかない。
すると間宮氏は、笑顔のまま目を細めた。
「いえ、違うんですよ。あの研究施設については、私たちも把握してるんです」
「えっ? じゃあなんの件です?」
完全にその件だと思っていたので、俺は他になんの準備もしていなかった。
やましいこともしていないはずだが。
「まあ、群馬の件ではあるんです」
「なにか問題が?」
「ええ。ご覧になった通り、あそこには、日本に存在するはずのないものが存在していました。あれが発見されたいまでも、まだ存在しないことになっています」
「ええ……」
持たない。作らない。持ち込ませない。
そういう代物だ。
だが、俺が持ち込んだわけじゃない。作ってもいない。責任を追及されても困る。
間宮氏は表情ひとつ変えず、品のある手つきでコーヒーをすすった。
「派遣された調査隊が、その後、どうなったかご存じですか?」
「えっ?」
えっ?
えっ?
まさか、消された……とか?
いや、夢の世界が展開されていた以上、最低でも一人は生存しているはず。現実世界でそいつがどういう状態かはともかく。
「アメリカからは、身柄引き渡しの要求がありました。ですが、日本政府が保護するという形で落ち着きまして。情報がもれては困りますからね」
「へぇ。アメリカの要求を突っぱねたんですか? 日本が?」
そんな強気な外交ができたのか?
間宮氏は端正な顔に微笑を浮かべた。
「さすがに理不尽ですからね。ただし、情報がもれたら日本政府の責任ですから、その保護は厳重なものとなっています」
「保護ねぇ……」
「ええ、保護です。つまり、情報を知った人間は、アメリカに引き渡されるか、日本政府に保護されるか、どちらかの結末を迎えることになります。大友さんは、どちらをお望みですか?」
来た。
営業スマイルでの脅迫。
俺はコーヒーをさましながらすすり、少し時間を稼いだ。返事のしようがない。
「なにも見てないってことにしませんか?」
「それは通りませんねぇ……」
柴田の野郎。
最後まで見ろってのはこういう意味だったのか。
次に会ったらドタマを弾いてやろうか。
「俺、英語話せないんですよね」
「じつはもうひとつ選択肢があるんです」
「教えてください」
聞かなくても分かるが。
間宮氏はずっと笑顔だ。鉄壁なくらい。
「私の部下になることです」
「光栄ですね。ちょうど転職したいなと思ってたところなんで」
とはいえ、この女の下で働くとなると……。いまの職場より待遇がよくなるとは考えにくい。
ブラック企業が真っ白に見えるほどのブラックホールだろう。
「では契約書をお渡ししますので、サインをお願いします」
「え、いま?」
「近日中で構いません。あ、ついでに椎名さんのぶんもお願いします」
「椎名さん?」
「あなたと一緒に群馬に行った女性です」
Cちゃんのことか。
苗字からとったあだ名だったとは。
「なぜ俺が? どうせ特定は済んでるんでしょ? ここに呼びつけて契約させればいいじゃないですか?」
そう尋ねると、間宮氏は笑顔のまま首をかしげた。
「えっ? 未来の上司に指示を出すのですか?」
「はいはい。分かりました。やりますよ。けど、いまの会社もやめないとだから、そんなすぐには……」
「大丈夫ですよ。あなたは書類上、死亡したことにしますから。今後は、新しい戸籍で活動してもらいます。いいですね、大友さん?」
本名を知ってるくせに偽名で呼んでくるから、なにかと思ったら。
こんなよく分からないプロジェクトのために、ここまでするのか。
俺はまたコーヒーを一口やって、盛大に溜め息をついた。
「ずいぶんと……力がありあまってるみたいですね。これで妖怪一匹捕まえられないってんだから」
「それは批判ですか?」
「いいえ。俺みたいなザコを参加させたところで、いったいどれだけプラスになるのやら……という、ごく平凡な現状分析ですよ」
もちろんこの女にも言い分はあるはずだ。
金と権力で人命さえどうにでもなるのに、わざわざ俺なんかを部下にするのだから。それだけ夢の世界への介入は難しいということだ。
間宮氏は、すっと笑顔を消した。
「大友さん、これから一緒に仕事を進めていく仲間として、いくらかこちらの状況もお知らせしておきます」
「はい」
真面目な話もしてくれるのか。
仮に使い捨ての駒だとしても、なにも知らないままじゃ使い勝手がよくないだろうからな。
「少し誤解があるようですが、私たちの活動は、あくまで国民の健康を守るためにおこなわれているものです」
「はい……」
「夢の世界でなにかが起きている。それは明治時代から予想されていたことでした。あくまで予想です。科学的に観測できませんでしたから。その後、研究が進むにつれ、夢の世界の情報を少しずつ観測できるようになってきました。その過程で、柴田さんのような『能力者』も見つかってきて、いまの体制が整いました」
「能力者ねぇ……」
ケーブルにつながれて、血のにおいをまき散らしながら、なんとか夢に入り込める程度の能力。
それでも画期的な技術ではあるのだろう。
「皮肉な話ですよね? こちらは最新の科学を人体に組み込んで、やっと夢の世界を覗ける程度の状態なのに。バクは支配者のように振る舞っている。力の差は歴然です」
そうなのだ。
柴田は文字通り命を削って参加している。
ところが俺たちは、コマの「術」で難なく参加している。
そう考えると、やはりコマがバクなのだと考えたほうが自然な気がしてくる。現段階では真とも偽とも言えないが。
「じゃあ、このまま技術が進んだら……」
俺がそう言いかけると、間宮氏はかぶりを振った。
「分かりません。じつは夢の世界に介入できるようになったのも、ほとんど偶然みたいなものなのです」
「偶然?」
「この数年、技術面の進歩はほとんどありませんでした。なにか画期的な技術が見つからない限り、他者の夢に介入するなど不可能だ、というのが専門家の判断でした。ダイバーの柴田さんも……とりわけ優秀な能力者とは言えませんでしたし」
じゃあなんだ?
技術は停滞しているし、能力者もダメ、となると?
運?
あるいは自分たちでも気づいていない別の要因が?
間宮氏はコーヒーをすすり。顔をしかめた。
「このコーヒー、あまりおいしくありませんね」
「否定しませんよ」
率直に言ってマズい。
たぶん薄すぎるせいだ。
商品のせいじゃない。
間宮氏はかすかに溜め息をついた。
「私たちは、長らく夢の世界への介入を拒まれてきました。なにをどう試しても、まったく成功しないのです。正直、誰もが諦めかけていました。ところが、どういうわけか……徐々にそれが可能になってきたのです。こちら側にまったく進展がなかったのに。大友さんなら、どう予想します?」
「シールドみたいなものが、弱まってきたとか?」
すると彼女は、笑顔を浮かべた。
「ええ。専門家たちもほぼ同じ予想を立てました。つまり、私たちの側に変化があったのではなく、先方に変化があったのだと。なんらかの理由で、バクが弱体化しているのではないかと」
弱体化――。
俺たちが悪意を駆除しているから、だろうか。
この一点だけを見れば、日本政府とコマの目的は一致しているように見える。協力しない理由がない。ところが、両者には噛み合わない点がある。致命的な齟齬が。その齟齬の正体は……俺にはまだ分からないが。
こちらが返事を渋っていると、間宮氏は構わず言葉を続けた。
「ですが、楽観はできません。バクの弱体化は一時的なものかもしれませんから。今後、また介入が難しくなる可能性があります。正直、私たちは焦っています。このままプロジェクトが停滞するのでは、と。最悪の場合、解散なんてことも……」
なんの成果も得られなければそうなるだろう。
意味のない活動に税金をぶっ込むことになるわけだから。
「分かりました。俺もできることはやります。人を助けて給料までもらえるってんだから。まあまあやる気も出るってもんです」
というのはウソで、やる気はちっとも出ない。
どうでもいいのだ。
俺はもっとも救いたかった人間を救えなかった。いまさら見ず知らずの人間を救う気になんて……。
いや、それもウソだな。
仲間ができてしまった。せめて彼女たちは救わなくてはと思っている。救うというのが大袈裟なら、協力でもいい。最悪の結末だけは避けたい。
「お願いしますね。新しい住居はこちらで用意しました。今日からはそちらで暮らしてください」
「いやいや。せめて親の遺骨くらい回収させてくださいよ。部屋に置きっぱなしなんですから」
俺の言葉に、間宮氏は嫌な顔ひとつしなかった。
「ええ。基本的に、資産の没収はおこないません。ただ、通信機器だけは、こちらで渡したものを使用してもらいますけど」
「はい……」
完全に監視されるわけだな。
もし組織の機嫌を損ねたら、その後の人生を英語でコミュニケーションするハメになる。
ハローとFワードしか知らないのに。
意図せず新しい人生のスタートだ。
忌まわしき過去を捨て、心機一転、別人として暮らすのだ。
もっとも、中身がなにも変わっていない以上、虚飾にまみれたうわべの設定でしかないが。
もう引き返せない。
選択肢もない。間宮氏が俺のボスだ。
だからといってコマを裏切るわけじゃない。
両者が対立しないで済むよう、最大限の努力をする。もし状況が許せば、だが。
いや、難しいことを考えるのはやめよう。
最初の仕事はごくシンプルだ。
契約書にC子のサインをもらい、ここに持ち帰ればいい。
さすがにこれは失敗しないだろう。
その後どうなるかは知らないが……。
デカくて強いヤツが乗り込んでくると、俺みたいな個人など一瞬で食われてしまう。頭では分かってはいたが、実際にやられるとどうしようもない……。
(続く)




