デートをした
日曜日、俺はC子と待ち合わせをした。
デートだ。
なぜそうなったのかは分からない。
しかも埼玉の、ありふれたショッピングモール。
なぜここなんだ。
先ほどから、少なくない数の買い物客が行き交っている。だが、休日のショッピングモールにしては多いとも言えない……。
ここは大都会ではない。人々は、便利だから立ち寄っているだけ。そういうものなのだ。悪いことじゃない。むしろ自然でいい。なにも特別じゃない。日常の延長にある景色。
「あ、いたいた」
ルーズな格好の女が近づいてきた。
肩出しのワンピース。ハイヒールのサンダル。水商売の女には見えないが、出勤前の格好に見えなくもない。いや、俺自身、女の見た目をどうこう言えるような人間ではないが。
「本当に来るとはな」
「は? あんたって現実でもこんななの?」
「お互い様じゃないか?」
初デートとは思えない会話だ。
「そこのコーヒー屋で話そ」
「ああ」
コーヒー屋。
喫茶店とは言わないのか。
*
学生向けの安い店だろうか。
あまり大人の姿はない。ノートパソコンを広げているヤツもいない。見栄よりも安さ優先のチェーン店だ。俺にとっては居心地がいい。呪文みたいなオーダーもしなくて済む。
テーブル席についた。
「あのさぁ、勘違いしないで欲しいんだけど、あたし、あんたと付き合う気はないから」
「そうかよ」
暑くもなく、寒くもない、カラリとした天気の日曜日。
いきなりフラれてしまった。
じゃあこの集まりはなんなんだと言いたくもない。
「本題は夢の話。あそこじゃできなかったから」
「ああ、そういうことか」
彼女なりに機転を利かせたというわけか。
俺は政府に見張られているかもしれないが。周囲を見る限り、それらしき人物はいない。まあ俺に見破られるような尾行はしないと思うが。
C子はノートを広げ、そこにペンを置いた。
「大事な話はここに書いて」
「スパイ映画みたいだな」
「そうでしょ?」
俺の皮肉に、笑顔で返してくる。
こいつはモテるのかもしれない。
モテたくない相手からも。
俺はペンをとり、柴田、間宮、俺たちの情報を簡単に記述した。
C子は不快そうな顔でそれを見ていた。
「は? なにこれ? 詰んでんじゃん。なんなの政府って? そんなのに逆らって勝てるワケないじゃん」
「俺もそう思う」
冷静な戦況分析ができてなによりだ。
夢の世界で銃をぶっ放していると、身体が万能感をおぼえてしまう。もしその勢いのまま日常生活でやらかすと……。間違いなく自滅する。
C子はストローからアイスコーヒーをすすった。
「んで? あんたはどうしたいワケ?」
「優先度をつけてる。第一は、自分の身の安全を優先。つまり、他人がどうなろうと知ったことじゃない」
「は? マジで言ってんの? 最低のクソ野郎なんだけど」
最低のクソ野郎なのは否定しないが……。
俺はあえて笑った。
「待ってくれ。これは大事なことだ。あんたもこれを第一に動くんだぞ」
「極論すればそうかもだけど、わざわざ言う必要あった?」
「チームメイトの行動原理は事前に把握しておいたほうがいい。俺はあんたらを騙したくないから言ってるんだ。だから善意だよ、これは」
「うっざぁ……」
思ってても言うなそれは。
「第二に、俺は安全を確保できるならそれでいい。誰かの秘密を暴くつもりもない。だからコマちゃんにやりたいことがあるなら、それを優先したいと思ってる」
「つまり?」
「コマちゃんの希望に従う」
あいつがウソをついていなければ、だが。
C子は首をかしげた。
「えっ? えーと、じゃあ、自分が死なないのが第一で?」
「そう」
「第二がコマちゃんなの?」
「そう」
なぜ繰り返した?
おかしいか?
彼女は不審そうに目を細めた。
「え、なんなの? スパダリのつもり?」
「は?」
「自分の命さえ守れれば、困ってる女の子を救っちゃう感じ? そういうこと、言う? その顔で?」
「……」
顔はいいだろ、顔は。
だがまあ、身の安全を確保できるなら、あとは仲間の希望を叶えてやりたい。それは普通のことだろう。俺自身にやりたいことがないんだから。
「ごめん、顔は言い過ぎた。ちょっと髪いじったらイケメンになるかもだし」
「ツラの話はいい。いっぺんハナから考えてみてくれ。一連の事案は、コマちゃんを中心に始まったんだ。俺たちはずっとあの女の目的に沿って行動してきた。互いにそれで納得していたからな。ところが今回、問題を提起されてしまった……。真偽は分からないが。とにかく、問題がクリアされないなら立ち止まるし、そうでないなら活動を継続してもいい。それだけの話だ。救うとか救わないとかじゃなくてな。構造的にそうなんだ」
「ムキになんないでよ」
「ムキになってない。ただ、なにが事実なのか、俺たちは知る必要がある。コマちゃんを支援するのか、手を切るのか。そいつを考えたいから、あんたもこの場をセッティングしたんじゃないのか?」
この女は本当に、思ったことを全部口に出す。
こちらが強引にでも話をまとめなければ。
彼女はベーグルをかじった。
窓の外を見ている。
小さな女の子が、母親と手をつないで歩いている。あるいは老婆がカートを押している。カップルもいる。
C子は急にこちらへ向き直った。
「あのさぁ、なんかマジでデートみたいでイラつくんだけど」
「どこがだよ……」
夢の中で見た妖怪の話だぞ。
どこにデートみがあるんだ。
「あんたはこんなかわいい子とデートできて嬉しいだろうけどさ」
「解散したいならそう言ってくれ」
「そんなこと言ってないでしょ。べつに。いいし。めんどうだし」
なら言うんじゃない。
俺は苦情のサンドバッグじゃないんだ。
えーと、なんの話だっけ?
C子は肩をすくめた。
「分かった分かった。あたしもあんたの案に賛成してあげる。コマちゃんには恩もあるし」
「恩?」
「だって、楽しいじゃん。なんか世界を救ってるみたいで。死ぬわけでもないしさ。まあちょっとは死ぬけど。ちょっとだけだし」
ヒーローごっこ、というわけか。
俺だってその行為に満足をおぼえていないとは言わない。自分が特別になった気分を味わえる。
とはいえ、コマに手を貸す一番の理由は、家族の夢を見たくないからだ。あの夢は、不幸ではない。幸福だ。あたたかい。それだけに、目をさましたときの虚しさも並ではない。
俺は思わずつぶやいた。
「なんだかんだ、みんなコマちゃんに救われてるんだな」
「……」
返事はなかった。
彼女は無言でコーヒーをすすっている。
俺もコーヒーをすすった。
いっぺん話題を変えるか。
「またそのうち、政府から接触があると思う。A子さんの居場所も特定されてたしな」
するとC子はカップを置いた。
「そういえば、あの子、どっか行ったの?」
「入院してる」
「なんで知ってんの?」
「だから、例の政府の……間宮さんに教えてもらって」
なんとなくこの話題は避けていたかもしれない。
というか、コマはこの子にちゃんと説明しなかったのだろうか?
「あんたらって、付き合ってるワケじゃないの?」
「違う。仕事上で知り合っただけの……。でもまあ、いまとなっては仲間だと思ってる」
「ふぅーん。あ、これ半分食べて。おなかいっぱいになっちゃった」
「はい?」
急にベーグルを勧めてきた。
食いかけ。
「なにその顔? べつに汚くないでしょ?」
「もらうよ」
田舎のおばさんみたいなテンションでぐいぐい来る。
距離感も完全にその手のレベルだ。
「んでさぁ、あんた、このあと暇?」
「予定はないが」
「ボウリングしない?」
「は?」
なんだそれは?
さすがにデートになるのでは?
C子は眉をひそめた。
「あんたって、なんか辛気臭いんだよね。ぜったい体動かしたほうがいいから。このままだと死にそうだし」
「べつに、いつもこんな感じだが……」
「負けるのが怖いの?」
「勝ち負けにはこだわらない」
「うわ、ダサ。それ負け犬のセリフじゃん。どうせあんたの人生、負けっぱなしなんでしょ?」
「よく分かったな。もしかしてCIAなのか?」
「は? なにCIAって?」
渾身のギャグさえ滑る。
初めてじゃない。よくあることだ。
「あ、分かった。CIAってアレでしょ? 鉛筆の端に書いてるやつ!」
「なんだその鉛筆……」
「じゃあなんなの?」
「セントラル・インテリジェンス・エージェンシーだよ」
「だから、それはなんなのって聞いてんの! マジキレそう。あんた、友達いないでしょ?」
「まあね」
逆にCIAを知らない人間がいることのほうが驚きだ。
もうなにも説明のしようがない。
*
ボウリングをしたあと、なぜか飲み屋に入った。
安い居酒屋だ。
日曜日だからか、店内にサラリーマンのおじさんはいない。その代わり、サラリーマン以外のおじさんがいる。彼らは明日も休みなのだろう。
「あのさぁ、今日ちょっと調子悪かっただけだから。本当ならあんたなんかに負けてないから」
「まあ飲みなよ」
俺は瓶からビールを注いでやった。
この女、びっくりするほどヘタクソだった。
ヘタクソな俺よりはるかにヘタクソだ。なんだ42点って。隣で遊んでいた小学生以下。数年ぶりにやった俺でも80ちょいは出たというのに。
「あんたさぁ、自分のほうが上だとか思ってない?」
「思ってないよ。ボウリングごときで」
「ごとき? はぁー。出た。これ。マウント野郎。地獄に落ちて欲しい」
「……」
地獄には落ちるかもしれない。
夢の中とはいえ、殺す必要のないヤツまで殺してきた。寿命を削った。それで実際に死んだヤツもいたかもしれない。
C子は顔をしかめた。
「あー、出た。また辛気臭い顔。つらいんだけど。あんた、一生そんな顔して生きていくつもり?」
「顔への苦情は勘弁してくれ。持てるものは、持たざるものに寛容であるべきだぜ」
「どういう意味?」
「ツラのいい人間は、ツラの悪い人間を、ことさら責めるべきじゃないってことだ。俺を責めるより、親に感謝したらどうだ?」
ここまでかみ砕いて言ったらさすがに理解するだろう。
彼女もコップのビールをちびっと飲んだ。
「え、つまり? あんた、あたしの顔が好きってこと? は? 勘違いすんなって言ったじゃん……」
「なんだこいつ」
「は?」
心の声が表に出てしまった。
「いや、失礼。両親の亡霊が見えたので、つい会話を」
「なにそれ? 勝手に親を殺してまでさぁ」
そうだな。
ジョークも種類を選ばなくては。
C子は卵焼きをつかんで、そのまま動きを止めた。
「え、ごめん。いまのって? もしかしてあんたの親って……」
「いや、ただのジョークだよ」
「あ、だよね? だよね? もー。そういうのよくないから。冗談でもさぁ」
「ありがとう」
「……うぅっ」
彼女は鼻をすすりだした。
急に?
ウソか本当かも分からないような冗談で?
いやまあ亡霊は完全にウソだけど。
「ごめん。あたし、空気読めないときあるから。なんか地雷踏んじゃったかもって」
やけに深刻に受け止めている。
過去に誰かとなにかあったとしか思えない。
「いや、冗談言ったの俺のほうだし、あんたが気にするようなことじゃ……」
「うん……」
妙にしおらしくなってしまった。
彼女はポケットティッシュを取り出して、無遠慮にチーンとやった。
「むかし、こういうので親友とケンカしたことがあってさ。そのまま会えなくなっちゃって……。ていうことがあったからさ。あんたもそうなら、ごめんって思って」
「まあ死んでるのは事実だけど、べつに……」
気にしてないわけじゃない。
むしろかなり気にしている。
だが、この女が悪いわけじゃない。
この程度の会話なら日常的にするレベルだ。それで怒るほうがどうかしている。たぶん。わざとじゃないんだし。
「でも、冗談でも親のこと変に言っちゃダメだよ。なんか哀しいじゃん?」
「気を付けるよ」
もしかするといいヤツなのかもしれない。
ボウリングも、たぶん得意じゃないのに、元気づけるために誘ってくれたんだろうし。ホントに得意じゃないのに。
C子はしみじみと溜め息をついた。
「あの、さ……。話、急に変わるけど……いい?」
「どうぞ」
「コマちゃんのこと、どう思う? あの子、あたしらにウソついてない?」
「おそらくね……」
やけに遠慮がちな物言いなのは、悪く言いたくないからだろう。
気持ちは分かる。
実際のところ、ウソというほど大袈裟なものはないのかもしれない。だが、明らかに重要な情報を伏せている。答えてくれたのは、コマがバクではないという話だけ。それとて証拠はない。
コマは怪しい。
なぜ悪意を排除しているのか。なぜ人を救っているのか。まったく開示されていない。これを「ただの善意」として受け流すこともできるが。
善意に理由なんてない。
俺もそう思いたい。
しかし実際のところ、世界の大部分はそうではない。誰もが奪い合っている。そう見えていない場合でも、裏では奪い合っている。いびつに切られたパイを奪い合っている。「ゆずる」という行為はマイナスでしかない。助けを申し出てくるのは、セールスか宗教だけ。応じればもっと奪われる。
もちろん善意で行動している人もいる。そういう団体もある。素晴らしいと思う。
だが、比率で言えば、やはり多くはない。
コマだけが例外とは思えない。
これが単に俺の狭量に由来する判断ならいい。
俺が愚かだというだけで済む。
だが、そうでないのだとしたら……。
(続く)




