研究施設の夢を見た(一)
早朝なのか、日没後なのかは分からない。結局のところどちらも同じだが。とにかく昼間じゃない。
今日の舞台は、山中に放棄された廃墟……だろうか。
露骨にボロボロ。
外壁からして、枯れた植物のツタに浸食されている。窓ガラスも割れている。若者たちが肝試しに使うホラースポットにしか見えない。
「参ったな。どこから入ればいいんだ?」
男がつぶやいた。
え、誰だ?
彼はライトのついたヘルメットをして、分厚い手袋をつけ、いかにも探索に来ましたという格好だ。
それも一人じゃない。
同じ格好をしたのが数名。
役者だろうか。主もいるのかもしれない。
あとは俺とC子。どちらも軽装。というか普段着。露骨に浮いている。なのでみんなから、不審そうな目で見られている。
「窓から入るしかないんじゃない?」
「最終的にはねぇ」
彼らは全員、顔見知りだろうか?
夢の中に、知人が役者として出てくることはよくある。
となると、彼らにとって俺とC子は異物なのだが……。
認知的整合化という概念がある。
たとえば、俺の両親はとっくに死んでいるので、常識で考えれば、二度と目の前に現れることはない。ところが、もし目の前に現れた場合、俺の脳は「あ、死んでなかったのか」と認知を修正してしまう。
夢の中ではしょっちゅう起こることだが。
これが認知的整合化だ。
まあ本当に両親が現れたなら、死んでいないと判断せざるをえないが。
もしフェイクの情報を真に受けて、認知を改変してしまうと……。その後の全てを間違える。
たとえば詐欺に引っかかったとき、認知的整合化に成功してしまうと、長いこと騙されたままになる。
この手法は、形を変えてSNSでも横行している。気持ちのいいフェイク情報に「いいね」していると、次々と気持ちのいいフェイク情報が提供されるようになり、いつしか事実かのように錯覚するようになる。結果、引き返せないほど溺れてしまう。
ともあれ、今回の主も、内心では俺たちの存在を不思議に思っているはず。しかしいまのところは整合化が優先されているため、なにも言ってこない。
ここには彼の仲間しかいないはずなのだ。俺たちもたぶん仲間だろう、という認識だ。
バレるのは時間の問題なのだが。そこはうまいこと振る舞えばいいのだ。知り合いの知り合いだとか。誰かの代わりに参加したとか。「え、覚えてませんか? ほら、先日の飲み会で……」とか。策はある。
このときだけは、役者たちもアドリブで認知的整合化に協力してくれる。当初のストーリー通りに話を進行させるのが役者の仕事。いわば整合化する機械だ。そのためには主をも騙す。
とはいえ、役者と主を間違えてウソを吹き込んでいると、余計に不信感を与えることになる。
まずは主を特定しないと……。
ダウジングロッドを使えばすぐだが、みんなの目の前で堂々とやるわけにはいかない。使うのは、せめてみんながこちらに背を向けてからだ。
俺は率先して発言した。
「あの、俺たち、皆さんを手伝うよう言われてきたんですけど……」
誰に言われたのかは、考えていない。
それを考えるのは彼らの役目だ。
作業員の一人がうなずいた。
「ああ、うん。バイトの子ね」
「バイト?」
「ほら、人手が足りないからって。部長が探してたでしょ」
「ああ、前から募集かけてたっけ。やっと来たの? でもいまさらなぁ……」
役者たちは整合化を始めた。
この整合化に参加していないのが主……だろうか。
いや、この夢が現実の記憶を再現したものなら、実際にアルバイトの募集をかけていた可能性はある。主が会話に賛同していてもおかしくない。
「じゃあ相良くん、バイトくんの面倒見てやってくんない?」
「はい。分かりました」
まるで雑用みたいに、それは若い作業員に押し付けられた。
俺たちはお荷物ってワケだ。
それにしても、いったいなんの作業なんだ?
こんな廃墟に。
いい歳の大人たちが揃って肝試しって感じでもないし。
C子が肘で小突いてきた。
「うまいねぇ。もしかして、こういうの得意とか?」
「さあね」
だが、得意なのは俺だけではないだろう。
余計なことを言わずに状況を観察していたC子も、それなりの場数を踏んでいるとしか思えない。ただぼうっと突っ立っていただけの可能性もあるが。
「こっちにドアあった」
男の一人がそう言った。
ドアとは言うが、半分ほど土砂に埋もれている。しかもこちらに引くタイプのドアだから、簡単には開閉しない。
「これじゃムリだな」
「やっぱ窓行くか?」
土砂のおかげで、窓からはいくらか入りやすくなっている。
その代わり、だいぶ狭い。
作業員の一人が背負っていたバッグを外し、それを先に投げ入れた。そして頭から窓へ……入ろうとするのだが、頭から落ちるのが怖いらしく、すぐに引き返した。向きを変えようとするが、それもうまくいかず。
入るまでが大変そうだな。
ひぐらしが鳴いている。
街で聞いているときは、漠然と遠くからしか聞こえないが。森の中にいると、四方八方から聞こえてくる。
ぼうっと眺めていると、ふと、音がやんだ。
いや、違う。
おじさんたちが固まっている。
時間が止まっている……のか?
どうして?
そういう夢なのか?
「はぁ……ちくしょう……死ぬかと思ったぜ……」
苦しそうな呼吸が聞こえた。
見ると、すぐそばに柴田が座っていた。ケーブルのついた椅子とセットで。
なんだ?
これもこいつの用意した夢だったのか?
それとも勝手に入ってきた……?
C子が、無言で手に銃を召喚した。
構えはしないが。
こいつもこいつでなんなんだ。
騒ぐでもなく、冷静に戦闘モードに入りやがって。
混乱してるのは俺だけか?
「なるほど……その女も協力者ってわけか……。おい、大友……。いや、玉田……。偽名を使うとはいい度胸だな」
「……」
もう特定されたのか。
玉田九郎。それが俺の名前だ。大友は母方の苗字。念のため偽名を名乗ったのに、時間稼ぎにもならなかった。
C子は手に納まるほどの小型の銃を、柴田へ向けた。
「あんた、誰なの? この夢になにしたの?」
この銃は、リベレーターか?
一発しか撃てないタイプの珍しい銃だ。本体の重量に比して口径が大きいから、反動も大きい。まあ百鬼夜行の用意する銃は無限に撃てるから、かなり便利な武器なのかもしれないが。
柴田は歯の隙間から空気を吹いて笑った。
「威勢のいい女だな……。俺はなぁ、忠告しに来てやったんだよ……」
「なによ、忠告って?」
「たまにいるんだよなぁ。実際にあった事件を、こうして何度も夢に見るヤツが……。そうするとなぁ、現地に行くと、本当に見つかるんだぜ? 実在するんだよ……。例えば、人を殺したヤツは、死体を埋めた場所を教えてくれるしなぁ……。だからこの施設も……あるんだよ……。ニュースにもならねぇ大事件がよ……」
怖いことを言う。
夢はあくまで夢であり、現実じゃないと思えたからこそ、無邪気に活動できていたのに。
柴田は、細い鼻から血液を流し始めた。本人さえ気づいていないようだが。
「人はなぁ……見てぇ夢と、見たくねぇ夢、どっちも見るんだよ……。因果だよなぁ。えぇ? すると迷宮入りしてた事件が、解決したりするわけだ。迷宮入り……してたほうがいい事件もなぁ……。へへへ」
迷宮入りしてたほうがいい事件?
あるか、そんなもの?
C子が銃を突きつけながら、もう片方の手でポケットティッシュを投げた。
「拭いたら? 鼻血出てるけど」
「え、マジか」
「まだ質問に答えてもらってないけど、あんたなんなの?」
「そいつに聞けよ。そこの……玉田によ……」
俺がその玉田だが、残念ながらほとんどなにも知らない。
情報が欲しかったので、俺も便乗してマウザーを召喚した。
「どんな理由でここに来たのかは、ぜひあんたの口から聞きたいね」
「うぜぇなてめぇ……。あんま喋らせんな……。見ての通り、死にそうなんだからよ……」
死にそうなのに、俺たちとお喋りに来たのか?
そんなお茶目な性格には見えないが。
「実在の事件に関係してるから、なんだって言うんです?」
「だからよ……途中で夢を終わらせたりしねぇで、最後まで見ろってことだ……。クソがよ……。もう限界だから消えるぞ……」
そして本当に消えた。
時間も動き出したらしく、ふたたび虫の鳴き声が響き渡った。
俺たちは即座に銃を消した。
たぶん誰にも見られていない。
「どうだ? これならいけるか?」
「ゆっくりゆっくり」
大人たちはみんなで力を出し合って、作業員を向こう側へ送り込んでいた。足から入って、うまく向こう側へ着地できるように。
あれを全員分繰り返すのかと思うと、少しうんざりする。
*
中に入るだけなのに、かなりの時間を要した。
俺たちが最初に入ったのは……なんだろう。刑事ドラマの取調室みたいな場所だった。長テーブルとパイプ椅子しかない。もちろん電気は来ていない。おじさんたちのヘッドライトだけが頼りだ。
それにしても、ホントになんの施設なんだろうか。
外から見た限りでは、さほど大きな建物には見えなかったが。
相良氏がこちらへ向き直った。
「離れないでついてきてね。怪我しないように」
「はい」
作業員が向きを変えるたび、ライトがあちこちを照らした。
その一瞬、俺はコンクリートの壁にあった落書きを見つけた。
シンプルかつヘタクソな絵だ。天狗みたいな鼻のヤツが、壁の向こうから身を乗り出してこちらを見ている図。俺の記憶が正しければ、おそらく「キルロイ」だろう。ずいぶん古い西側のミーム。
もしかして、ここは米軍の施設なのか?
じゃあ、この人たちは?
なんの目的で、なにを探しに来たんだ?
(続く)




