妙な夢を見た(一)
夢が始まるとき、普通は特別な導入があるわけではない。
なんとなく、ぬるっとそれは始まって、どんなにバカげた状況であっても、俺たちは否応なく受け入れてしまう。
それが夢だと分かる人もいるらしいが、俺はそうじゃない。分かるのは、コマが介入しているときだけ。
少なくとも、いままではそうだった。
「起きろ。おい。起きろ」
「んぅ……」
薄暗いコンクリートの部屋で叩き起こされた。
なにかの地下アジトだろうか?
ここが夢の中であるということは……なぜか分かった。理論的に推理したわけではない。肌感覚というか。普段からコマの能力で夢の中にいたせいで、通常では感じ取れないなにかを察知できるようになったのかもしれない。
腕にブレスレットはなかった。
ということは、コマの加護もないということ。
戦いになったら間違いなく殺される。
俺は、椅子に座っている男を見てぎょっとした。
いや……まあ、健康状態が悪いだけかもしれないが。そいつはガリガリに痩せていて、異様に目が血走っていた。それだけじゃない。背面にケーブルがついていて、それが椅子につながっていた。
こいつ、拷問でも受けているのか?
となると、次は俺が?
男は歯の隙間から空気を吐いて笑った。
「やっと会えたな……。えぇ? おい……」
「えーと……?」
俺はなんとか上体を起こした。
まったく拘束もされていない。
なんだったらこの男より自由だ。
知らない顔だが、どこかで会ったことがあっただろうか?
この男は俺を知っているようだが……。
シンプルに怖いな。
「勘違いするな。俺がお前に会いたかったわけじゃない。俺だって、男なんかに用はないんだよ」
「はぁ」
特に用もない相手なら、会わなければよいのでは?
そう言いたかったが。
まあ俺がコマの代行でやっている仕事も、全部そうだ。言ったらブーメランになる。
「なあ、おい。バクって知ってっか?」
「バク?」
動物と、夢を食う妖怪、ふたついる。
夢の中の話だから、おそらく後者だろう。
男は鋭い歯をむき出しにして笑った。
「とぼけんなよ。夢を食らう妖怪のことだ。俺の雇い主は、そいつを追ってる」
「雇い主?」
「妖怪を始末して回ってるヤツのことだ。カタギとは思えねぇが、まあ、俺も仕事を選べる立場じゃねぇしな」
「そもそもあんたは何者なんです?」
椅子に拘束された瀕死のおじさんにしか見えない。
いや、おじさんではないのかもしれないが。生命力が削れ過ぎているせいか、かなり老け込んだ印象を受ける。
「俺? 俺は死刑囚だよ……。だけど才能があるって言われて、特別なプログラムを受けることになって……。ああ、コレあんま言っちゃいけないんだった。とにかく、俺はただの代理人だ」
死刑囚?
もしそれが事実なのだとしたら、普通の人間がアクセスできる人材ではない。
というか、国が絡んでいるとしか思えない。
「業務でこれをやっていると? 俺にはどんなご用で?」
「結論から言うぞ。俺たちに手を貸せ。お前がバクと接触してるのは分かってんだ」
「あんたが言ってるバクってのは、悪意のことか?」
「は?」
なんだそれ聞いたこともない、という顔をしている。
「そいつ、夢を食うんですよね?」
「そうだ」
「じゃあ悪意ですよ。それか蛭子」
「そう呼んでんのか?」
「まあ、そうです」
俺が命名したわけじゃない。
コマがそう言っていた。
男がぜえぜえと肺の悪そうな呼吸を繰り返していたので、代わりに俺から話を振った。
「えーと、つまり、国が、妖怪を退治してるってことですか? あなたはそのお手伝いをしていると?」
「国? あんま言うなそんなこと。確証もねぇのに……。俺は上から言われたことをやってるだけだ」
だからその「上」が「国」なんだろう。
死刑囚に特別なプログラムを与えられる組織は、それ以外に考えられない。
まあこの男もうっすら分かっていて考えないようにしている感じだが。
「手伝うったって……。安全なんですか? そんなふうにケーブルまみれになるの、俺、イヤですよ」
俺がそう告げると、男は吐き捨てるみたいに「けっ」と笑った。
「バカ野郎。俺は才能があるからこうなってんだよ。お前なんかが希望したって俺みたいにはなれねぇよ」
「それはよかった」
「とにかく、事務所に来い。場所を教えるから」
「交通費は出るんですか?」
この問いに、男は固まった。
「は? 交通費?」
「完全にそっちの都合で移動するんだから、交通費くらい出て当然でしょう? それともなんですか? 自腹? ブラック企業ですか? そんな仕事、手伝いませんよ?」
最低限の支払いもできないようなヤツは、人に仕事をさせてもまともに支払わない。
どこかの妖怪みたいに。
味のしない茶だけでタダ働きさせられるのはごめんだ。
「なんだてめぇ。金の亡者か?」
「最低限のマナーですよ。で、払うの? 払わないの?」
「お、俺に決められるわけねーだろ。でもまあ、金をケチるような連中じゃねぇよ。請求するなら、自分でやってくれ」
移動時間と電車賃を消費した挙げ句、クソ話を聞かされるのだとしたら、まったく気が乗らないのだが。
まあこいつに権限がないのなら、これ以上何度言ってもムダだろう。
「分かりました。遠くなければ行きますよ。その前に確認なんですけど、この話、みんなは知ってるんですか?」
「みんな?」
おや?
こちらの事情を知っているようで、じつは知っていないパターンか?
「俺のボスと、同僚たちですよ」
「ボス? やっぱり親玉がいるんだな……」
「どこまで知ってるんです?」
「聞くな。なにも探るな。俺の口からはなんも言えねぇぞ」
臭い。
こいつと喋っていると、嫌なにおいがする。
おそらく体臭ではなく、血のにおいだろう。それも時間の経った血のにおいだ。
「とにかく、場所を教えるから、お前はそこに行け」
「ええ、前向きに検討しますよ」
*
指定された場所は都内だった。
俺は仕事を終えてから、そこへ向かった。もう二十時を回っていたが……何時でもいいという話だった。まあこの時点でブラック企業であることが確定してしまうのだが。
あまり人通りのない道。
奥まった場所にある個性のない雑居ビル。
世間の目をあざむくにはうってつけだ。
ビルにはエレベーターもなく、階段は急で、ドアの端は錆びついていた。
まともなビルなんだろうか?
奥からチンピラみたいなのが出てきそうだ。
罠かもしれない。
だが、もし俺みたいな一般人を始末したいだけなら、これほど大掛かり……というか遠回しな手段はとらないだろう。
この話にはなにかある。たぶん。ないかもしれないが。
四階まであがり、ドアプレートを確認した。
間宮探偵事務所――。
どうせ偽装だとは思うが。
控えめにドアをノックした。
が、返事はない。
「こんばんは。大友です」
本名ではない。本名をさらす必要もないと考えたので、あの男には偽名を伝えた。ここでも大友で伝わっているはず。
だが、出てこない。
少し強めにノックした。
「すいませーん。大友でーす」
中からドタドタと音がした。
来るぞ。
「ごめんなさいごめんなさい! ちょっとそのぅ……。すみません! 担当の間宮です!」
中から出てきたのは女性だった。
歳は俺と同じくらいか。だとすれば二十代後半。スーツ姿の、髪をまとめた女だった。チンピラには見えない。
「大友です」
「はい! お待ちしておりました! どうぞ中へ!」
中を覗き込むと、応接室のあるオフィスだった。
誰かが待ち構えているようにも見えない。
少なくとも通路からは。
「失礼します」
俺は警戒しながら中へ入った。
「ごめんなさい。ちょっとトイレに……。あ、でも汚くないですよ! ちゃんと手も洗いました!」
「はぁ」
「ソファにおかけください」
「失礼します」
まあトイレくらい、誰でも行く。
俺もデカいのをしている最中に運送屋が来て焦ったことがある。あれはどうしようもない。誰も悪くないのだ。怒るべきではない。
しかしあの……血なまぐさいケーブル男からは想像もできないほど爽やかな女性だ。
コーヒーを用意してくれている。
俺はここへコーヒーを飲みに来たわけではないのだが。
「あ、お構いなく」
「いえいえ」
そうは言っても、なにも出されなかったら出されなかったで、どういう扱いなのか困惑しているところかもしれない。
しばらく待っていると、ガラステーブルの上にコーヒーが置かれた。俺のぶんだけ。逆に飲みづらい。
「お話は柴田さんからうかがっております。あ、柴田さん……。お会いしてますよね?」
「あのケーブルにつながった男の人ですか?」
「はい! その方です!」
話が通じている。
つまり、彼女はあの男と面識があるし、あの男は現実でもケーブルにつながれているということだ。
普通じゃない。
「じつはよく分かっていなくて」
「はい! 急ですよね? でもご安心ください。柴田さんは実在します。私たちと協力して、慈善事業をおこなっておりまして」
慈善事業?
物は言いようだ。
俺は遠慮なくコーヒーをすすった。
かおりはいいが、とにかく熱い。きっと客など来ないのだろう。普通の探偵事務所ではないのだから。
「バクを追ってるとか?」
「はい。大友さん、心当たりありますよね?」
「ありますけど」
「柴田さんは……特別な訓練を受けておりまして。いろいろなことが分かるんです。以前はバクの力に阻害されて、誰にも接触できなかったのですが……。いまでは各種技術が改善されて、こうして関係者の方にご連絡させていただくことができるようになりまして。じつはこのように関係者の方とお会いできるのも、弊社としては初めてのことでして」
各種技術、か。
そのせいで柴田氏は瀕死になっているように見えたが。
「具体的に、俺はなにをすれば?」
こちらがそう尋ねると、間宮氏は笑顔を消した。
いや、笑顔が消えたというよりは、笑ったまま、愛想だけを消して、獰猛さを出したというべきか。
「その前に……。大友さん、夢の世界へは、ご自分の力で?」
「違いますね」
「ですよね? つまり、手引きしている人物がいますよね?」
「ええ」
コマのことだ。
分かっているならそう言えばいい。
なぜ名前を出さない?
間宮氏は、すると愛想を出してきた。
「その方の詳細を、教えていただくことってできますか?」
「仲間を売れって言うんですか?」
すると彼女は固まってしまった。
こいつもあのカピバラみたいに、都合のいいときだけ表情コントロールするタイプか?
いや、彼女は、笑顔をさらに柔和にした。優しいというか、慈しむというか、なんなら哀れむようなレベルで。
「大友さん、ごめんなさい。ハッキリ言いますね。その人物は、あなたの仲間なんかじゃありません」
「はい?」
「その人物こそがバクなんですよ。あなたたちを利用して、夢を食べているんです」
「……」
なんだこいつは。
コマがバク?
悪意を排除しようとしているのに?
いやまあ……悪意の排除は表向きの仕事で、じつは誰かを殺したがっている疑惑はあるにしても……。
「間宮さん、俺はねぇ、それは違うと思いますよ」
「そうなんですか?」
「バクって、人の夢を食うんですよね? でもあの女、夢を食ってる妖怪を排除して回ってるんです。まあ実際に行動してるのは俺たちですけど。なんか誤解があると思うなぁ」
「いま『あの女』とおっしゃいました? 女性であると?」
クソ。
細かいところに気づきやがる。
「女性ですよ。たぶんね」
「大友さんは、その方と協力して、夢を食べる妖怪を排除していると?」
「そうです」
彼女は会話をメモしている。
だが手を止めて、斜め上を見た。
分からない、といった顔。
まあそうだろう。コマをバクだと決めつけているから辻褄が合わないのだ。根本的な誤解がある。
「しつこいようですけど、あいつはバクじゃないですよ。もしバクだったとしたら、行動が矛盾してる」
俺だってコマのことを、純粋な善人だとは思っていない。だが、事実は事実だ。謝った情報をもとに行動するわけにはいかない。
間宮氏はペンを置き、こちらをまっすぐに見つめてきた。
「失礼ですけど、洗脳されてませんか?」
「はい?」
「なにか術のようなもので……」
確かにあいつは術を使う。
だから洗脳されている可能性は……否定できない。
本当に?
いや、どう考えてもロジックは通っている。バクは夢を食う。なのにコマは夢を食う妖怪を排除している。この一点だけ考えても、あいつがバクとは考えにくい。
俺は勝手にペンを借りた。
「ちょっと、図にして記述してもいいですか?」
「はい……」
俺の脳内の図式を、第三者でも参照できる状態にすれば、言わんとしていることが通じるだろう。
たぶん。
ぜひそうであって欲しい。
(続く)




