ブラック企業の夢を見た(二)
この夢の主は、サラリーマンふうの男。
だからこいつの勝利で終わる可能性が高い。普通なら。そう。つまり、こいつがプログラマーでなければ。
プログラマーというのは哀しい生き物だ。
自分の希望的観測を、毎日、打ち砕かれる。まあこうやったら動くだろう、と思って必死で組んだプログラムを、機械から一瞬で否定される。エラーだ。間違っているぞ。お前は正しくない。機械である俺にも分かるよう論理的に記述しろ。この無能め。何年やってるんだ。その変数は定義されていない。名前が違う。
それでもなんとか完成させて、客に見せると、こう返ってくる。
「ここ、ちょっと変えてもらえる?」
はい。
でもまあ、客を悪く言うのも正しくない。客が満足しない商品を出しても意味がない。よほど根本的な作り直しを要求されたら話は別だが。そうでもない限りは。
よくないのは、途中で機械にさんざん否定されたプログラマーが、その感情を客にぶつけたくなってしまうことだ。
だから俺は言いたい。
「機械と和解せよ」と。
あと「転職しろ」とも。
ともかく、この男は、負けるためにここにいるのかもしれない。
プログラムを完成させられず、打ち首にされるという悪夢を、毎日見ている可能性がある。というか、ホントに転職するなり通院するなりしたほうがいいレベルだと思うが。とにかく、そういう人間は、いる。
織田信長にこんなことを命令されるくらいだから、相当だろう。
*
「できました」
俺は挙手をして、そう告げた。
あ、いかんな。
ここはキーボードを強く叩きながら決めゼリフをカマすべきシーンだった。
実行するときにやるか。
このクソプログラム、エラーを吐きまくって大変だったが。
まあA子も男も完全にドロップしていたので、俺が勝利するのは時間の問題だった。
「見せてみよ」
信長公が近づいてきた。
いまの教科書は知らないが、この顔はむかしの教科書に載っていた。
まあ彼も役者であって、史実の織田信長ではない。主が信長だと思っているだけのなりきりキャラだ。
俺は「よろしくおねがいまーす」と言いつつプログラムを実行した。
あんまり大きな声を出すと怒られそうだったので、ひかえめに。
ビープ音とともにマップが表示された。
両軍が兵を進めてゆく。
仕様そのものは理解できた。
このプログラムには「奇襲」という概念が備わっており、その条件が揃えば、兵力以上の殲滅力を出せるようになっていた。だからとにかく奇襲を選択するよう、戦術のパラメータを整理し直した。
難しかったのはむしろメモリ確保のほうだ。こっちは徹底的に削った。
というわけで、織田軍の勝利という結果になった。
「見事である。名を聞いていなかったな」
「九郎と申します」
偽物と分かっていても、さすがに緊張する。
まあ刃物を持った男たちのボスなのだ。普通に怖い。
「褒美として、お前を織田家電算室の室長に任命いたす。ほかにも希望があれば言え」
「ありがたき幸せ。では僭越ながら、この二名の助命をお願いいたします。私の部下としていただければと」
「許す。ほかには?」
「いえ、ございません」
俺がそう告げると、信長公は笑みを消した。
「ふん。妙なヤツよ。謙虚なつもりか? なにか裏があるのでなければよいが」
「……」
睨むでもなく見据える目が怖い。
偽物とはいえ、妙な迫力がある。
*
褒美として住居まで与えられた。
ちょっとした屋敷だ。建物は平屋だし、そこまで大きくないのだが、庭だけがやたら広い。現代日本なら、法の許す限り庭を減らしてギチギチに建物を建てているところだ。
それにしても、織田家の電算室とは……。
パソコンばかりいじっているから、そんな夢を見るようになる。
「助かりました。ありがとうございます」
男は深々と頭をさげてきた。
俺に負けたことをなんとも思っていないようだった。
かなり疲れていて、それどころではないのだろう。
まあ、助けておいてなんだが……。
ここには三人しかいない。
明らかなチャンス。
俺はなるべく自然と立ち上がり、こう告げた。
「あれ、背中になんかついてませんか?」
「えっ?」
「取りますよ。そのままで」
「はい」
取る、というか、つけるんだが。
近づいて後頭部にそっと護符を貼ると、男は「んぎぃっ」とのけぞった。
口からは、パンパンに膨らんだ悪意がせりあがってきた。
ずいぶん吸い取ったらしい。腹が破裂せんばかりだ。
俺は手にマウザーを召喚し、両者を同時に撃ち抜いた。
*
無名閣。
コマが茶を出してくる。
「お疲れちゃまじゃ。茶でも飲むがよい」
「頂戴いたす」
俺は即座に飲み干した。
このやり取りになんの意味があるのかは分からない。
まさか、給料の代わりか? そう考えると、若者にラーメン一杯おごっただけで肉体労働させようとする都合のいいおじさんみたいだな。人は、法の縛りがなければ、生まれながらにしてブラック体質なのかもしれない。法の縛りがあっても世界はこのザマだが。
A子はぼうっとこちらを見つめていた。コマを吸いに行こうともせずに。
「お兄さん、頭よかったんだ?」
「頭のよさは関係ない。プログラミングをできるかどうかは、経験の差でしかない」
というのはウソで、クソが作ったプログラムは中身もクソだが。
だが仕組みそのものはシンプルだ。
動かすだけなら特に難しくない。
「あたしにもできる?」
「たぶん」
もちろん「できる」にも幅はある。
コピペだろうがなんだろうが動けば正義だ。なんなら、すでに動作を確認されたコードをコピペするほうが賢いとさえ言える。幸い、人のやりたいことにはある種の「傾向」がある。「意図」と言い換えてもいいが。それは人間らしさだ。誰が組んでも似たような内容になる。あとは慣れだ。
A子はそわそわしながら髪をいじっていた。斜め下を見ながら。
「あのさぁ」
「はい」
なんだ。
プログラミングを教えろとか言い出すんじゃないだろうな。いいけど。時間がかかるんだよな。
「髪、伸ばしたら似合うと思う?」
「えっ?」
なんだ急に?
呪いのオカッパ人形をやめるのか。
まあ呪われた人形というのは、たいてい髪が伸びるものだが。
しばらく答えずにいると、A子はこちらを覗き込んできた。
「ね、どう思う? 長いの似合うと思う?」
「い、いいんじゃないか」
「なんか適当じゃない?」
「ちゃんと考えたよ」
「ふーん」
なんだこの会話。
ほかに相談する相手はいないのか。
A子は納得した様子ではなかったが、こちらに背を向けた。
そろそろコマを吸う時間か。
「ね、コマちゃん。あたしそろそろ……」
「ふむ」
「大丈夫だよね?」
「大丈夫じゃ。安心せい」
謎の会話。
まさか、これからなにか起こるのか?
A子はこちらへ向き直った。
珍しく、笑みを浮かべていた。
少し儚い笑顔の気もするが……。
「えーと、そういうわけだから。あたし、もう行くね。ばいばい」
「えっ? ああ……」
なんだろう。
これまで途中でいなくなるなんてことなかったのに。
別れの挨拶をしたこともなかった。
次の瞬間、最初からそこにいなかったかのように、A子は姿を消した。
霧みたいに。
不穏な感じがした。
「なあ、コマちゃんよ。いまのはなんだったんだ?」
「なんじゃおぬし? 乙女の個人的な事情に興味があるのか?」
ぶちゃむくれたネコみたいなツラでそんなことを言う。
こいつはいわゆる化け猫なんだろうか。
「いや……。なんか、いつもと違う感じだったから」
「いろいろあるんじゃよ。いろいろとな」
いま、現実世界の身体は就寝中のはず。
なのに重要な用事?
トイレか?
まあ深刻な事態じゃないならそれでいい。
ここにいるのは義務じゃない。
俺は自分の夢に戻りたくないから、限界までここにいるが。
家族の夢を見ると……。起きた瞬間、また家族を失うことになる。毎日、毎日、毎日……。まるで拷問みたいに。
神がいるなら問いただしたい。こんなことになんの意味があるのかと。
コマは遠くを眺めながら言った。
「あ、それとな。次からA子おらんから。Cちゃんと一緒にやってくれい」
「は? いない? なんで?」
「ちと負担がのう……」
「負担?」
まあ、そうか。
夢に参加すると、寿命を失うリスクがある。
彼女はずっと銀河鉄道にいたから……。かなり寿命を食われたはず。
だけど、その後は……。
少なくとも俺の目の前では、そんなに何度も死んでいないと思うのだが。
現実世界のほうで、なにかあったのだろうか?
そう考えると、さっきの「ばいばい」も気になってくる。
「あの子、どこかよくないのか?」
「すまんが個人情報は教えられんぞい。わしにもコンプラというものがあるのじゃ」
あるのか?
他人の命を使って、無料でクソ仕事をさせている分際で?
「なあ、コマちゃんよ。あんたがどういうつもりかは知らないが、人をいいように使うだけ使って切り捨てるつもりなら、こっちにも考えがあるぞ」
いいように使う?
自分で言っておいてなんだが、違和感があった。
俺はいいように使われている。だが、A子はそうではない。なにひとつ作業をしていない。ブレスレットもしていない。彼女だけは、コマの仕事の代行ではなかった。
だから……なんのためにいたのか、ずっと分からなかった。ただ俺の仕事にくっついてきただけ。死のリスクしかないのに。まあ本人が死を欲していたとはいえ。
コマはうるさそうに目を細めた。
「早まるでない。わしが勝手に決めたわけではないのじゃ。話し合った結果、こうなったわけで……」
確かにA子も理解している感じだった。
「ごめん。言い過ぎたかも。まあ、合意の上なら……」
「わしとて、人になにかを強制するのは好かんからのぅ。おぬしもそうじゃぞ? 嫌ならいつでも言ってくれれば」
「待ってくれ。俺はやめない。少なくともいまは。まだ」
どうせやめないヤツを選んで手元に置いてるんだろう。
あのおじさんも、C子も、田中も、たぶん同じだ。
目に映るのは青い空。
だけど、海と違って泳ぐことはできない。
鳥の姿もない。
この塔そのものが、絶海の孤島――クローズドサークルみたいだ。
事件や事故が起きても、誰も助けに来ない。
「ところでのぅ、Q坊……」
「はい?」
コマは隣にちょこんと腰をおろした。
もともと背が低いのに、もっと小さくなる。
相談でもあるのか?
「おぬしとも、だいぶ長いよな?」
「長いかな? まあ、そうかも」
「みんなすぐいなくなってしまうんじゃ」
それはそうだろう。
メリットは皆無なのに、寿命を失うリスクだけがある。よほどの事情を抱えていない限り、こんなことは続けない。
「おぬし、悪いのを殺すのに、もう迷いはないよな?」
「なんだよ急に。人をサイコパスみたいに」
迷いはある。
いや、あった。
あったことはあったが、少なくとも夢の世界では、そんなことを気にしていたら俺が殺されてしまう。だからなくすように努力してきた。
役者はそもそも実在しない。あいつらは死んだところでなにも失わない。だから迷わない。
あるいは主を殺害するときでさえ、あまり苦しめないための配慮としてやっている。だから迷わない。シンプルにムカついている場合もあるが。八割くらいは。
「これからも、悪いヤツを見かけたら殺してやって欲しいのじゃ」
「は? 待ってくれよ。殺害はオプションであって、本業じゃないはず。あんたの目的は、悪意を排除することだろ。俺はそこを履き違えたつもりはないんだがな」
正直、履き違えそうになったことはあるが。
いまのところ自制できている。
というか、この話はなんだ?
もしかしてコマは、悪いヤツを殺すためにこれを続けているのか?
彼女はごまかすように笑った。
「ぬふふ。そうじゃった、そうじゃった。大事なのは悪意の排除じゃの。でもまあ……いちおうの話じゃ」
どいつもこいつもウソがヘタだな。
俺も含めて。
「回りくどい駆け引きはナシだ。殺して欲しいヤツがいるならハッキリ言ってくれ。相談に乗れるかもしれない。そのターゲットってのが俺じゃなければ、な」
「誤解じゃよ。おぬしのことを頼りにしておるばかりに、つい余計なことを口走ってしもうたのじゃ。気にせんでくれい」
「ふん」
絶対に裏がある。
こいつには殺したい相手がいて、そいつを探しているのだ。俺たちはそのための道具。
ひとつだけ分かるのは、コマがまだその目的を果たしていない、ということだけ。
お茶を勧めてくるだけのネコ妖怪だと思っていたが、どうやらドス黒い情念を抱えているらしい。いや、尻尾を見るとキツネかもしれない。
人を見かけで判断しては、あらゆる情報を見誤る。
夢の世界では、特に。
(続く)




