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6 手帳とミックスサンド (第6話 名前のない部屋)

第6日目

☆現実パート


コンビニに入ると、比奈はすぐに少年の姿を見つけた。

いつもの席に、いつもの姿勢。


でも今日は違った。

少年の手元に、小さな手帳が開かれていた。


「……何を書いてるんだろう」


比奈はそう思ったけれど、言葉にはしなかった。

それでも、視線に気づいたのか、少年がぼそりと言った。


「ちょっとだけ……言いたいことを書いてました。書いたら、すっきりするかなって」


比奈は微笑んだ。


「そうなのね。じゃあ、今日もマール君の話、聞いてくれる?」


そう言って、彼の前にミックスサンドとカフェオレを置いた。




★『心の迷宮を抜けて』★第6話 名前のない部屋


扉を抜けた先は、真っ白な空間だった。


窓もない。家具もない。絵もない。

ただ、何もない部屋。


床も、壁も、天井も、すべてが“無”。

そこに音はなく、空気すら動かない。


マール君は静かに問いかけた。


「……ここは、どこ?」


返事はない。


歩いても、壁にぶつからない。

何歩進んでも、景色は変わらない。


まるで、自分が存在していないようだった。


「……ここ、なんにもない」


そう呟いたとき、足元に何かが落ちていた。


それは、古びたネームタグだった。

文字はかすれ、読めない。


マール君がそれを拾った瞬間、胸の奥がざわりと騒いだ。


「……ぼく、ここで……名前をなくしたんだ」


そう気づいたとき、彼は思い出した。


ここは、自分が「自分をやめた場所」。


怒るのも、泣くのも、笑うのも、叫ぶのも――

全部を、やめた。


誰からも否定されないように。

誰にも期待されないように。


ただ白い中で、消えていった。


「……いやだ」


マール君はネームタグをぎゅっと握りしめた。


「ぼくは、ここにいるよ」


その一言で、部屋の奥にうっすらと扉が浮かび上がった。


扉には、鍵穴がなかった。


マール君はポケットから日記の切れ端を取り出し、試しに差し込んでみた。


カチリ――


開いた扉の向こうには、やさしい風が吹いていた。


マール君は、もう一度“名前”を取り戻すように、静かに歩き出した。




☆現実パート:土曜日だけ


物語を読み終えると、しばしの沈黙があった。

比奈はスマホをそっと伏せ、カフェオレのカップを持ち上げる。


「……明日から、土日なんだ。会社はお休み」


何気ない一言。

でも、それがきっかけになった。


少年は、ミックスサンドの袋をたたみながら、目を伏せた。


「……僕、土曜の午後と日曜、ここでバイトすることにしたんです。店長さんに誘われました」


低く、静かな声。

けれどその奥には、少しの寂しさと、少しの誇らしさが混じっていた。


比奈はそれを感じ取って、ふっと笑った。


「じゃあ、土曜日の夕方に来ようかな。バイトは何時まで?」


少年は比奈を見て、すぐに答えた。


「夕方の6時までです」


それは、今までで一番早い返事だった。


「じゃあ、その頃に行ってもいい?」


こくり――と、少年は頷いた。


その瞬間、イートインスペースの照明が、いつもより少しあたたかく見えた。




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