表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/25

1 出会い (第1話 名前だけの少年)

会社帰りのコンビニ。

駅前の、ごく普通の小さな店。


誰がどう見てもありふれた場所なのに、比奈にとっては物語のイメージが湧く特別な場所だった。


セルフレジでコーヒーを買う。

ミルクも砂糖も入れず、苦いままの味が好きだ。


イートインの隅に腰を下ろし、紙カップを両手で包んだ。

会社のデスクでは浮かばなかった言葉が、ここでは不思議と溢れてくる。


昨夜書いた話をスマホで読み返す。

話の続きを思いついたら、キーワードをメモする。

それが、"小説家志望"の比奈の日課だった。


視線を横にずらすと、今日も――そこにいた。


陰のあるイケメン高校生。制服を着て、足下にリュックを置いている。

俯き加減で、コーヒーのような飲み物を両手で抱えていた。


一週間前から、毎日見かける存在だった。


話しかけたことはない。

でも気にならないわけがなかった。


彼の目は、まるで世界から消えてしまいたいと言っているようだったから。


比奈はそっとバッグからスマホを取り出した。

文書作成アプリを開くと、画面にはタイトル未定の物語の下書きが現れた。


主人公は「マール」君。

どこか見知らぬ世界を彷徨う、小さな少年の話だ。


だが、執筆は行き詰まっていた。


「ねえ、君」


思わず声をかける。


隣の少年が肩をぴくりと動かした。


「……もしかして、暇?」


返事はない。顔も上げない。

だが、嫌がる様子はなかった。


「実はね、私、小説を書いてるんだ。まだまだプロじゃないけど」


「今は子供向けの話を書いているんだけど、おもしろいのかおもしろくないのか自分じゃわからなくて……もしよかったら、読み上げるから聞いてくれない?」


沈黙が続く。

紙カップを持ったまま、わずかに頷いた気がした。


「じゃあ、読むね。そんなに長くないから、聞いてくれたらうれしいな」


比奈は視線をスマホに戻した。

そして、誰にも届かないかもしれないと思っていた物語を、初めて“誰か”に向けて語り始めた。



★『心の迷宮を抜けて』★ 第1話 名前だけの少年


目を開けたとき、マール君は自分がどこにいるのか全くわからなかった。


空も天井もなく、

足元には透けているかと思った石畳の道があった。


しかし、その道は右にも左にも、上にも下にもねじれて伸びている。

まるで誰かの混沌とした考えが形になったようだった。


「……ここは……どこ?」


声に出してみる。返ってきたのは自分の声だけ。


風も鳥の声も、なにも聞こえなかった。


だが、目の前には一枚の鏡が浮かんでいた。


古びた木枠の中で、それだけが不自然に輝いている。


マール君はふらふらと近づき、鏡を覗き込んだ。


そこに映っていたのは、自分――

しかし、その“自分”は笑っていた。


「は?」


驚き、眉をひそめる。


鏡の中の少年はにこりと微笑み、唇だけを動かす。


声は聞こえない。だが口の動きはわかった。


『大丈夫、大丈夫』


その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。


「ちがう……大丈夫じゃない……!」


鏡の中の笑顔がゆっくり涙を流し、

それでも笑い続けている。


まるでそれがずっと前からの癖であるかのように。


そのとき、足元の道がぐらりと揺れた。


鏡が音もなく割れ、


マール君の前に新しい道がまっすぐ現れた。


今度は木々の生い茂る、深い森のような場所だった。


マール君は知っていた。進まなければ「ここに閉じ込められたまま」になることを。


理由はわからない。

でも、進まなければならないと確信していた。


「行こう……」


マール君は割れた鏡のかけらをそっと拾い、ポケットにしまった。


この世界で唯一覚えている自分の証は“マール”という名前だけだった。


彼の旅が、今、始まる。



つづく




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ