無秒即災
「このアイスすげー美味いな」
『味なんて分かるの?とっくに舌の機能失ったと思ってたけど』
依頼を終わらせ、帰りの便が来るまでの間二人は街の観光をしていた。もってきた荷物に加え、スーツケースをがらがら引きながら夜の街を歩く。住宅街らしいそこは細い通路が入り組み、白や灰一色で構成されたアパートのような建物、マンションのような建物が乱立する。
「その通り全く分からん。だがこー言ってると非常に人間ぽくないか?」
『普通の人間は夜中独り言を話しながらアイス食べないよ』
「ぐうの音も出んな」
流布はそう言って円柱状のアイスキャンディーを棒ごと咀嚼した。
「美味い美味い。この何製か分からん棒が一番美味い」
『化物かな?』とカグヤは他人のことのようにけらけらと笑う。
暗い道。いくら人通りが少ないとは言え新銀駅と違い、目立つからと発光は控えていた。
ライトは持っていない。自分の夜目を信じて道路と線路の立体交差、高架下に進む。
丁寧に清掃され、埃一つ、錆一つない道路。線路が影になって、月明かりすら遮られ、暗黒と言ってよい空間が一部出来ていた。
その暗黒からはみ出し、月光を反射する液体。
血溜まりが影からはみ出ている。
目を見開き、流布はその赤黒い液体に走り近づく。
数メートルの距離は一瞬にして縮められ、そこに人が倒れていることがようやく分かる。
ぶわりと悪寒が走る。白いコートが血濡れることを気にせず、流布は立膝を付け、その人の肩を叩いた。
「おい!しっかりしろ!おい!!」
赤く染められたシャツ、体格からして女性らしい、暗いせいで表情はまるで読めない。
ころんと。ボールが転がった。
随分暗い場所だから顔つきなんて見えないと流布は勘違いしていた――血に反射した月明かりでその人の全貌は確認される。
人、ではない死体だった。
ボール、ではない生首だった。
うなじあたりから顎下までを境に頭と胴が切り離された首無し死体。
流布は煩わしそうに溜息をついた。死体を前にした人の態度ではない、だがその行為には自責と迷いが含まれていて、やりきれないと言いたげだった。
「何度も死体は見たけど、自分が救えたはずの人が死んじまうのが一番きついな」
『見慣れないよ。仲間の死体は』
美しい小麦色の髪は半分赤い。ぱっちりと開かれた瞼を手で閉じて、慈しむように顔にかかる髪の毛を払う。
少女の整った顔立ちには見覚えがあった。
『綺麗だったり悲惨だったり、そういう意味でも見慣れない』
ポレンは死んでいる。
「植物をには植物を。貴様らを殺すには不服ながら植物を用いねばならない」
しゃがむ流布の首に鎌がかかる。赤色に妖艶に揺れる刃はぴったりと喉仏につけられ、切り傷を作りながら血が滴る。
「しかし植物を使えば傷つけ殺すことができる。絶命させれば復活することは二度とない。目を抉れば芽を摘め、首根を掴めば息の根を止められるのだ」
刃に付けられた取り外し可能にする部品、伸びる細い柄は太い片腕に支えられていた。
黒スーツにメガネが光る。
「一つ、教えてくれ」
荷物を置いて、やけに平坦な声で流布は問う。
「こいつは植物を嫌っていた。加えて技師になりたいとも話していた。上手くやれば人間と植物の橋渡しになったんじゃねーか。もしそれが難しくとも、兵器として生き永らえさせることもできたんじゃねーか……なぜ殺した」
中臣は空いた片手でメガネを押し上げた。
「前例がない。私の仕事は植物を伐り採るだけだ」
刹那、彼は両手を叩いた。流布の短い緑髪は長く地に届く白髪に、小柄ながら筋肉質だった体格は少女らしい曲線美あるものに取って代わる。
数瞬遅れて首にかけた鎌を引き抜いた、するりと肉を断つ感覚。
しかし彼女の首は断たれていない。ガタガタと刃が震え、柄に振動が伝わる。力を入れても、技術を用いても、斬首を試みる鎌はぴくりとも動かなかった。
「君たちはどうして仲間割れするかなあ!?みんな仲良く私たちに立ち向かうならいいんだよ!みんな仲良く私たちを理解しないならいいんだよ!私たちはどうせ植物だからね」
カグヤの左手は血濡れている。指の肉は裂け、ぽたぽたと血液を落とし、地に溜まるポレンの血と混じり合う。鎌の刃を掴み、首が飛ぶすんでのところで耐えていた。
「でもポレンちゃんは人間だったじゃないか!多少植物の混じり気があっただけで、志を共にする仲間だったはずだろ!!どうして、」
振り返り、鎌から手を離す。カグヤと中臣が刃の中で向かい合い、引き戻した鎌の柄を腹へ薙ぎ叩きつける。肉が潰れ、内臓が破裂する音が聞こえた。口角の片方から血が垂れる。ダメージは十分、されど一歩としてよろけず射殺すように睨んだ。
「どうしてそんなに冷たいんだ」
「っ……!」
鎌をえぐった腹から焦るように離し、再び攻撃を――
「こんな枝返してしまおう」
カグヤが背にしたコンクリートの壁から巨大な竹筒が飛び出した!
面前に広がる竹筒の群。それは新銀駅で見せたものよりもずっと大きく、数メートルに渡る壁だった。
避ける余地のない攻撃を見て、鎌で斬り落とす思考はすぐに消え、盾のように構えた。
柄を短く持ち、峰を片手で掴む。接触。道路を強く踏み耐える行為も無駄で、強い衝撃が体に走り、瞬間、高架下を抜けて、真っ白なマンションの壁面に押し付けられる。
「がはっ!!」
速さは暴力に変わる。列車が突っ込んできたような痛み、強度の高い壁面は力を逃がしきれず、肺の空気は消え失せた。
体は押し付けられて全く動かない。鎌を盾にするのも意味が無かった。
からんころん。
竹節を履くカグヤが近づく音がした。連れて竹の壁は半分に割けて、彼女の歩く道を開き、ついでのように中臣を開放する。マンションの硬い壁は薄く凹み、染みを作っている。
顎を上げて力なく中臣は膝を折り、手をついた。息は荒く必死な呼吸、鎌を持つ手と身体はうっ血して赤くなって震えている。
よろよろと鎌の柄を支えに立ち上がる。両手で持ち、鋭い目つきで彼女を見据える。敵視を辞めず、突破を諦めていない姿。
カグヤは構わず向かって歩く。両手の指を目一杯開き、膨らむように合わせて告げる。
「難題混合、」
指をずらし握ろうとした手、が止まった。
歩行も止めて、僅かな身じろぎが見えたがそれでも全く動かない。まるで、誰かに止められたように。
『おいカグヤ!勝手に変わるな!』
操り人形の糸がピンと張ったように彼女は微動だにせず、苛つきを隠さず顔をしかめた。
表面に出ているのはカグヤ。体の権限を奪おうとしている流布。
「無理だよ、限界だ流布。私は彼を一度、懲らしめないと気が済まない」
『懲らしめるっつーのは殺すことなのか!?』
怒りも混じった叫び声に彼女は今一度中臣を見た。
立つのがやっと、息も絶え絶えで、彼が今もなお逃げ出さずにいるのはただ伐採技師としてのプライドしかない。薄暗い、マンション下の街灯が中臣を照らす。目立つ外傷こそ今はないが、既に体は滅茶苦茶に壊れている。声も出ていない。
カグヤの左手から赤黒い血が滴った。
『違うだろ、てめーは自分本位で考え過ぎなんだよ。こいつにはこいつの正義がある、それでいいじゃねーか』
自分の意志で能力を行使する寸前の両手を開放し、ゆっくりと下げる。
『流布は、大人過ぎるよ』
「人類の御身分で人以上に生きちまってるからな」
白髪は緑に染まり、容姿は元に戻っている。
彼は震える中臣の体をとんと押し、無理矢理体勢を崩し、地に伏せさせた。
手足が伸ばせるように仰向けにして彼のスーツをまさぐり――通信機器を取り出す。
強烈な攻撃を受けておきながら、それは全くの無傷だった。
「なあ、今も救急はイチイチキューなのか?」
二つ折りのそれを慣れた手つきで振り開き、問う。しかし返事はない。既に意識が無かった。失神してもなお立ち向かっていた中臣に感心しつつコールのボタンを押す。
「どいつもこいつも、もっと命を大事にしろよ」
現在の救急隊員と思われる男性の声が電話口から聞こえ、さも第一発見者のような口ぶりで現状をありありと伝えた。
息はある。隊員が到着するまでに死ぬなんてことはないだろう。そう考え、流布は通信機器を中臣の服に適当に忍ばせる。
足は置きっぱなしの荷物と死体のある方向へ進む。
街灯の切れ間、月だけが知り合いの首なし死体を照らす。
「これも持って帰らねーと」
ついさっき殺されたらしく、まだ腐敗は進んでいない。幸い首の断面も綺麗で丁寧に縫合すればただの死体になるだろう。
「受験に他国に行った家族が行方知れずってのはな」
植物の死体が伐採技師に見つかれば必ず兵器に加工される。異国の少女は例え死んでいたとしても送り返した方が良い、ポレンの体を運ぶために持ってきていた旅行鞄の中身を出して――
――ふんわりと小麦の匂いがなぞる。
下を向き、ボードゲームを道路の白線に落としたときである。
植物が完全に排除された街、生活に密接した種類でさえオートメーションで栽培され、厳しい伐採技師の審査を通過しなければらない。
そんな場所で原料そのものの香りがするのはおかしなことだった。
ポレンの死体を見ていた。
胴体の綺麗な断面から小さな実をいくつも蓄える黄金の植物が細く長くいくつも伸びる。
目を閉じる生首、そちらの断面からも穂は育ち、少し離れたところにある胴の植物と絡み、捻じり、ずるずる体を引きずって距離を縮めた。
二つの切断面は密着し、僅かにはがれた皮膚から同様に小麦が生えて、じわじわ肌色に近づき馴染んでゆく。首に不自然入った一閃は傷跡無く、塞がってしまった。
「すう……すう……」
死体から寝息を立てる音が聞こえた。
殺されたはずのポレンは生き返り、肺が動いて薄い胸が上下に波打つ。
唖然として流布は何も言えなくなる。手からトランプがバサバサと流れ落ちた。
植物から受けた外傷は時間をかければ回復するが、致命的な攻撃に再生は追い付かない。
殺されでもしたらなおのこと復活は絶望的――なのに、彼女は息を吹き返した。
「これ、まずいな」
やっとの思いで絞り出した声は喜びではなく、困惑と不安だった。