試験管の中に
「ではここで。あなたが合格することを祈ってる」
中臣は軽く手を振り、試験会場の門をくぐるポレンを見送った。
白く細長い直方体が凸凹と連なるような窓一つない建物、そこへ受験者は彼女同様歩みを進めている。振り返らないことを目視して、弱気に上げた手を下げる。
学校に連なる黒く平たい直方体、国家伐採技師本部に向かった。
カードで自動扉を抜け、シックな風合いの広いエントランスを過ぎ、階段を昇る。
試験日のため技師のほとんどは出払い、横を通り過ぎる者はいない。
古い通信機器を開くと、メール欄の一番上に上司の名前がある。『本部長室』の札が下がる扉の前に立ち、ノックする。
くぐもって聞こえた入室許可の声。
「失礼します」
ローデスクに革張りのソファ、来賓用の備品に若い男と皺の多い女が向かい合って座り、中臣に視線を向けた。
「国家伐採技師、中臣幹只今参上しました」
「初めまして。中臣さん、探査課の者です」
立ち上がった若い男は優し気な目を更に柔らかくして、敬礼する中臣の手を握る。返すように中臣は口を開いた。
「我々技師が仕事を出来るのはあなた方の誠実な仕事があってこそです」
「現場に立つ方にそう言っていただけるとありがたいですね」
二人は揃ってソファに腰掛け、中臣が隣に座った女は皺を動かしはきはきと話した。
「よく来てくれた中臣君。事態は急を要する、早速で悪いがこれを見てくれないか」
二枚の用紙を彼に渡す。一枚はグラフ、もう一枚は地図。
「これは数時間前、中臣さんが相乗りと対峙したときの結果です。レーダーに引っかかるのは特異な植物、島食いや相乗りだけ。武器や死亡した植物は探知されません」
一定範囲内において植物が存在すると反応値が上がり、能力を行使すれば値はさらに上がる、と男は説明した。グラフに目を落とす。
横軸は時間、縦軸は反応値。列車が近づくにつれて値は大きくなり、島食いが暴れ出したと思われる地点がピーク。中臣が伐採し、値は三分の一程度減少する。そこから値の変動は大きくは見られない。
「中臣さんが対峙した相乗りの反応値が特別高かった、とも考えられるのですが、」
彼は二枚目のある箇所を指差す。ハビサイド一帯を表示し、一定間隔で波形が見られる地図、その波形は一部分に間隔を狭め密集していた。
「こちらはレーダーの反応を地図に書き表したもの。この地点に核は二つあったんです。二つ分の反応があったから、島食いの反応が消えても三分の一しか値は減りませんでした」
「……あの島食い、相乗り以外にもう一本いたと」
男は神妙な顔で頷く。対して中臣は不可解と首を傾げた。
「俺が対応したから話を通すのは筋でしょう。しかし二本の植物が街に潜り込んでいるのならば、俺以上の腕利きに依頼するべきでは」
皺の多い女は受験者の来歴や出身等の仔細書かれた履歴書のようなものを差し出す。
「これは、」
「彼女が街に潜り込んだ二人目。一度接触した君の方が誰よりも対処がしやすい。やってくれるか」
「……ええ」
中臣は眉間の皺を深くして頷いた。
履歴書に貼られた写真は小麦色の髪にぱっちりした碧眼、快活そうな異国の少女のもの。
名前は『ポレン・パレード』。
あれーー!?
声には出さず、私は心の中で悲鳴を上げた。試験会場の大講義室。受験票通りの席に座り、問題用紙を表に返して早三十分が経とうとしている。
難関が謳われる試験なだけあって、植物の種類、利用方法、性質等の基礎問題だけでなく種類別再生速度の差、分布図から導き出される旧世界の考察……応用問題、それもかなりニッチなものが問われていた。
解答用紙は半分も埋まっていない。
焦りで島食いに襲われたとき以上に汗が噴き出て、気分が悪くなる。
手が震えて文字が滑る、思考はさっぱりまとまらず願うように書き込んでは息を吐いた。
「試験時間終了です。解答用紙を回収します、この時間にペンに触れないでください」
チャイムの音、試験官の定型文が聞こえ、咄嗟に顔を上げた。
「どうしよう……」
大胆な空白の多さに泣きそうになる。
解答用紙は名残惜しく、あっという間に集められて試験官は次の会場の説明を始めた。
「次は実技です。実習棟は右隣の校舎になります」
実技、その単語を聞いて顔を思い切り上げた。なにを落ち込んでいるんだろう。
手早く荷物を片付けて、いち早く教室を出た。
「実技ならなんとかなる!だって私運動得意だし!」
長く真っ白な廊下を足音を立てて、私は意気込んだ。
「うびゃっ!」
視界が宙を舞う、せっかくジャージに着替えたのに。吹き飛ばされて、私はやられ声を出す。先ほどまで握っていた手斧はあらぬ方向、実習室の壁に浅く傷をつけて落ちていた。
「大丈夫!?」
黒スーツの試験官は首から下げた笛を吹いてポレンへ駆け寄る。
白い床に顔をうずめ全身を投げ出すような体勢から、ゆっくり腕で体を持ち上げる。
「だ、大丈夫です」
恥ずかしさを押し込め、痛みを誤魔化しながら鼻先の赤みを隠し、立ち上がる。
目の前には心配そうな試験官と、相対した飼われた島食い。それは中臣が刈ったものより小ぶりで、準成体に位置する生育状態の島食いだった。
「め、面接なら沢山練習してきたし!」
胸を張り、これだけはと決死の覚悟で面接室に入る。
「ありがとうございました……」
扉を閉めて、盛大に溜息をついた。
「もう田舎に帰りたい」
緑のない、遊具がいくつか並ぶ公園。
夕方に景色が染まっていく中、ベンチでテキストに目を落とす。
貰っておいた筆記試験のテキスト、たった今自己採点を終え、赤の多さに辟易した。
顔を上げると学校に行きたてくらいの小さな子供たちが楽し気に笑い、遊んでいる。
「伐採技師になりたいって思ったのが五六歳。そして今十六歳、十年目指して、これ」
筆記はバツだらけ、実技は全く歯が立たず、面接は言わずもがな。
理想とはかけ離れた試験結果に腹が立ち、地団駄を踏んでみるが力が入らずぽすぽすと柔らかい音がするだけだった。
「私今までなにしてたんだよお」
テキストをくしゃくしゃに握って頭を抱え、再び下を向く。私まだスタートラインにすら立ってないんじゃないかなあ、これからの生活はどうしたら。夢物語が終わりかけて直面し頭を悩ませるのは現実的な話だった。
「……なにか仕事探さないと、かなあ」
やつれた顔のまま、思ってもないことをひとまず口に出してみる。瞬間現実味が襲ってきて、ぞわりと悪寒が走る。別の何かに熱中している自分が想像できず、涙目になった。
「ポレンさん、お疲れ様です」
「中臣さん!」
中臣さんは眉間の皺を緩め、私の手に持つしわだらけのテキストを見た。
視線に気付いて、すぐバッグの中に押し込む。顔が熱い。
「へへ……ちょっと駄目っぽいです」
何を言わずズレたメガネを直して、ぎこちない笑みを浮かべる。そして、まるでたった今思いついたように中臣さんは口を開いた。
「少し話しませんか。できれば二人きりになれて、誰にも聞こえない場所で」
「伐採技師さんのお話!」
願ってもないチャンス!ここでなんとか自分の有用さをアピールして、なんだっていい、雑用でもいいから伐採技師に近づくんだ。
断る理由もなく二つ返事で了承した。
中臣さんのメガネが薄ら光る。