食い倒れ
「があっ」
ぼんと土埃を上げながら地面に着地し、頭をさすりながら立ち上がる。
「俺に落下の補助はないのか!」
高所から受け身も取らず落ちたときの反応とは思えない声を漏らし、地面にかかる大きな影、反射で上空を見上げる。
そこには球体があった。
列車一両をまるまる包んでしまうような竹毬。自然界では決して見られない太さの竹が三本、野球ボールを飾るように組み上げられ、その中心に竹毬が聳える。
「降りれんのか?」
『そこは補償対象外ってことで』
「お前も考え無しじゃねーか」
化物は聞く耳が裂けるような唸りを上げて、竹が刺さった側の枝で振りかぶり殴る。
竹毬はしなやかに衝突の勢いを殺し、外周にかかった負荷をそのまま化物の拳へと跳ね返す。大きく仰け反り、腕はダメージに耐え切れず、千切れてしまった。
鈍い音を立て荒野に枝が落ち、突風が吹く。風圧に乗った砂埃に流布は目を薄くした。
「これで退散してくれるといーんだが」
化物は琥珀色の目で流布を睨み、竹毬への攻撃を不意に止める。
「駄目か」
斬り落とされた双枝、折れ目から青い芽を生やし、生命のうねりのまま伸びてゆく。若い茎は斬られた分の長さ太さには劣るが膨れて、表皮は柔らかい。
不完全に再生された両の腕は流布めがけて飛ばす。末端の細い枝が全身を狙っていた。
身を翻し、肩を僅かに枝槍がかすめて、数本の緑髪が散った。分岐した枝は割れた地面へ深々と刺さる。
「せっかくなまくらで伐ってやったのに」
見据える先は化物の大きな目玉。
「フツノミタマ」手を握り生み出した竹刀を枝へ打ちつけ、指を鳴らした。刃は炸裂する。周囲に散乱する枝を巻き込み、その場に固定させた。
うめき声を上げ、枝を引き抜こうとする化物。その枝の上に飛び乗る。青い表皮に足を食いこませ一気に走り昇った。目玉は動揺するように瞳孔を広げたり、縮めたりする。空いた片枝を同じく細かく分岐し、槍を降らせるように流布を狙う。
二度繰り返した文言をまた述べ刀を構えた――刹那の見切り、刃を二三本の枝に沿わせ面前へ捨てるように斬り落とす。
二三本以外の枝槍は自信の表皮に刺さり、痛みに目玉は歪む。流布の乗る枝を伸ばし震わせて、流布を吹き飛ばした。
地に刺さる枝の末端を化物は自ら千切った。流布は身を翻し勢いそのまま、地面へ着地する。
「強いな、さすが成体」
『随分な余裕だけど、もしかして遊んでる?』
「分かってねーな。こーして俺にヘイトが集まりゃ奴が人に危害を加えることはないし、技師が駆けつけるまでの時間稼ぎになる。それがこの場の最適解だ、倒せば存在が明るみに出ちまうだろ」
『でも、そのヘイトとやらはもう私たちに向いていないらしいよ』
「は」
不機嫌気味に流布は視線を化物に向ける。これは二度双枝を断たれ、今も片方の枝に深刻な傷を負っていた。
化物は車両を食らうために襲い掛かって来た。食えない者との戦闘よりも、動かない食料を優先する思考は当然で、傷を癒すという意味でも分かりやすい。
大きな目玉は流布から離れ、地面に縛ってある数十名へと目を向けた。
瞬間ぞわりと嫌な風が吹く。そのとき車両が持ち上げられ化物が現れたときと同じ悲鳴と罵声が鳴る。半分は命乞い、もう半分は伐採技師への怒り。
思い通りにいかないことを流布は頭を搔き叫ぶ。
「あー手加減ってのはどーにも難しいな!」
自分への興味を失った化物の方へ走り出した。
「剪定開始だ!刈り尽くすぞ!」
■■
『島食い(しまくい)』とは急襲し吸収する化物の名前である。
滅亡の際、人類の大部分を食らい尽くしたといわれる植物。原型となる植物がいくつも存在し、その種類によって形や特性は異なる。
共通するのは幹に目玉が一つ、食事の際に裂ける口、そして異常な食欲。
島食いの幼体は十数センチという小ささで殺傷能力も皆無だが、食事の回数を重ねることで体は大きく、凶暴性を増す。
無機物有機物問わず食らい、島ごと食べているようだから『島食い』の名前が付いた。
■■
「来るな!嫌だ!」
掠れる声、涙目で少女は抵抗する。顔面蒼白で何度も地面を蹴り、きつく絡まる根に爪を立てるが全て無為に終わっていた。
島食いは大きな口を開き、涎のように樹液を垂らす。
見上げてもその全貌が掴めない。人類の脅威に、彼女はなにもできない。
「こんなはずじゃなかった、私はこれから国家伐採技師になって、島食いを沢山刈って、たくさんの人の役に立つはずなんだ。こんなところで、こんな不慮の事故で死にたくない」
絶望がこぼれ、涙が頬を伝う。
金髪の少女は言い訳のように言葉を並べ、己の状況を受け入れられない。
根は持ち上げられてぼろぼろと土の塊を落とす。少女を巻き取るそれは口に運ぶため宙に浮き、あんぐりと口は大きく開いた。
まるで見せびらかすような緩慢な動き。
少女はぼろぼろ涙をこぼし、同時にキッと島食いを睨む。
「絶対に許さない。私の夢を滅ぼしたこと後悔させてやる、ずっと苦しめてやる!」
一瞬。ほんの一瞬だけ、島食いの動きが止まる。
「食わせるかよ」
動きが止まったのは少女のせい、だけではない。
少女と島食いの真下には流布が追い付く。彼のもとより鋭い目つきは苛立ちが含まれ、圧力が生まれていた。
右手の人差し指と中指だけを立て、くいと手首を曲げた。
「サジフツノカミ」
曲げた親指と他二本の空間、そこへ竹槍が挟みこまれた。
唐突に現れたそれは長さ三メートル程度の竹で出来た槍であり、穂の部分はまるで金属製だったかのような形状で、フツノミタマ同様竹にまるまる置き換えられている。
指三本で支えていたのを握り直す。少しの助走、竹槍の穂を地面へ差し、体重をかけ、しならせ――跳んだ。
大きく湾曲したそれは限界に達し、ぴんと直線になる。その勢いを生かして流布は棒高跳びのように距離を稼ぐ。
右手にはまだ竹槍が持たれていた。
二百年前の世界記録を大きく越える高さを跳び、もう少女のすぐそばに至る。
「へ」
「よっ」
流布は少女を捉える根を容易く竹槍で断ち、空いた左腕で持ち上げる。
僅かな滞空時間、竹槍は島食いの口の中、下顎へ突き刺した。パチンと指を鳴らせば、竹槍が爆ぜる。
無数の竹が島食いの口を貫く。竹槍から四方八方に伸びていくのではなく、三方向に伸びた竹が口の端まで刺さり、そこから直角に折れ曲がり伸び、口腔壁に当たるとまた直角に曲がる……無造作な跳弾に思えるそれは全て正確に曲がり、立方体を作った。
その間を埋めるように何度も跳弾が繰り返され、島食いの口の中に壁が生まれた。
「ここまですりゃ、こいつも諦めんだろ」
流布が荷物のように抱えた少女は混乱した様子で、何かを言おうとしては口ごもる。
「舌噛むぞ。黙っとけ」
一秒に満たない間の後、大きく土埃が立ち、彼は受けた衝撃を逃がすように足を震えさせた。
着地成功。気を抜かず見上げると、竹の立方体を噛み切れず、くぐもった声でうごうご唸る島食いの姿があった。その他捕らえた人々を食らう気もなく、痛みに大きな目をぎょろぎょろ泳がせる。
お姫様抱っこしていた少女を降ろすと、彼女はまじまじと流布を見つめた。
「余計なお世話だって言いてーのか?文句なら相棒に言ってくれ、もともと俺らが出る幕じゃなかったんだからな」
少女は咄嗟に首を振り、流布の手を両手で包んだ。
「ヒーロー!」
「はい?」
紅潮させた頬、ぱっちり開いた二重の瞳の奥にはガラス玉のような碧が見え、瞳は彼に夢中だった。興奮した様子で少女は小さく跳ねる。
「一度ならず二度までも!やっぱり私は伐採技師になるべくしてなるんだ!」
「一度ならずーってふつーポジティブな意味で使わねーだろ」
対して流布は唐突にテンションの上がった彼女に困惑し、眉をひそめた。ぱっと少女は流布の手を離し、頬の赤みに恥じらいが入る。少し距離を取り、佇まいを直し敬礼した。
「私、ポレン・パレード十六歳です!今日は国家伐採技師試験受験のためにハビサイドまで来ました!」
ハビサイドとはこの荒野を生み出した、中央に聳える無機質な街の名前である。
「だから今日依頼受けるの嫌だったんだよ……」
「どうかしましたか?私の自己紹介に何か不備でも」
「そうじゃねえ」
ポレンと名乗った少女は意味不明の独り言に首を傾げる。
『あっ、そういえば今日だったね。例の試験日、頭からすっぽり抜けてたよ』
「よくもまあそんな調子で俺を責められたな」
『いやあ失敬失敬、確かにそれは嫌だね。私たちクラスでも各所の戦力が集合する今日をあの場所で生き残るのは厳しいだろう』
軽い調子で謝るカグヤに顔をしかめた。ポレンはその様子を見て、傾げた首を逆方向へ曲げる。
伐採技師は国家資格であり、実技筆記面接の三項目の試験に合格しなければ名乗ることはできない。植物に関する知識、対応力が問われ、合格率は例年受験者一二万人に対して僅か十名程度。一二万人とは現在の地方都市の人口に匹敵する数字である。
そんな国にとって大切な日が今日。
ただの国家試験だが、文明崩壊を防ぐ希望を見出す可能性すらあるため、受験者を危険にさらすわけにいかず、外交並みの厳戒態勢が敷かれる――この国の各地で人類を防衛する実力者の大半が集結し、植物や植物信奉者の破壊活動に対処するという態勢――そんなところへ流布は足を踏み入れていた。
「で、」
「でってなんでしょうか?」
「なるべくしてなるっつーのはどういう了見だ?二度目ってのも引っかかる」
強い物言いにポレンは怯みながら、おずおずと話す。
「わ、私が技師に志願した理由は国家伐採技師の方に命を助けていただいたことがあり、人命救助の為、自分を厭わず人々の為尽力する姿に強い感銘を受けたからです!」
「違う面接じゃねえ」
「あ、そですか。びっくりしました、抜き打ち試験が始めったのかと」
緊張を解き、ほっと胸をなでおろす。
「数万人相手に抜き打ちなんざするか……待て、試験?俺のこと技師だと思ってんのか?」
「違うんですか?」
「う……いや違わない。そう!俺は見ての通り国家伐採技師だ、島食いをやっつける正義の味方だ!!」
「すごーい!私もなりたーい!」
自分の腰に左手を当て、右手の人差し指で天を斜めに指す流布。
彼の額には脂汗が流れていたが、そんなこと気付かずポレンは手を叩き、はやし立てる。
『嘘つき』
「正直者が馬鹿を見んだよ、こーゆーとき」
「さっきからずっと気になってたんですけど」ポレンは手を挙げて流布に訊く。
「誰と話してるんですか?通信機器を付けてるわけでもないし、多重人格って二つの人格が同時に出たりするんでしたっけ」
流布の顔には酷い困惑の色が見えていた。まさか指摘されるなんて思っていなかったという表情、動揺のせいか瞳が島食いのようにぎょろぎょろと動く。
痛いところを突かれたというより、そんな当たり前のことをなぜ今指摘するのか、という自分とポレンへの失望が大きい。
「え……」
困惑は彼女にも伝播し、「まずいことを言ってしまった」そんな顔をする。
流布の隣には誰もない。最初から誰も。
荒野で対話する二人、そこには流布に話しかけるカグヤという少女は見当たらない。
「そこの剪定者、彼女から離れろ」