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あまり真剣に読まないでください。

1.

「こんにちは。狭山ミキさん。」

顔に張り付けられたような笑顔を浮かべて、精神科医の男は部屋のドアを開いた。


「えっと...こんにちは...」

狭山ミキ、少女はまるで借りてきた猫のようにおとなしく椅子に座っていた。


「初めまして、私はあなたの主治医です。あまり緊張なさらず、仲良くやっていきましょう。」


「は、はい...」


そうは返事したものの、少女ががちこちに緊張しているのは目に見えて分かった。癖なのだろうか、無意識に服の端をいじっている指、もじもじと重ねてはまたその上下を変える両足、腰まで蓄えられた青髪が隙間風に揺らされてゆらゆら。


ん?隙間風?よくよく見れば、随分なっていない部屋だ。こんな真冬だというのにヒーターの一つさえないうえに、感染対策のためか窓は開けっ放しである。頭の上の白熱灯、隙間風に揺らされてゆらゆら。話している間に落ちてこないか心配になってしまう。


「狭山さん、この部屋、少し寒くないですかね?」


「そうですね...ちょっと風が...」


「そうですよね。うん、いくら容疑者だと言っても、このような扱いは人権違反に当たります。この診察後に警察に言っておきましょう。」


「...容疑者...ですか?」


精神科医には、自分の体が一瞬こわばったのがわかった。その感情を顔に出さないように、少女に伝わらないように気を付ける。


「ええ、私の方には、狭山さんは殺人事件の容疑者として逮捕された、と伝えられております。」


「そうですか...殺人事件...」

精神科医の予想に反して、少女は激昂したり、襲い掛かってきたりなどはなく、ただ納得したようにうなづいた。


「安心してください。私はあなたの尋問のためにやってきたわけではありません。あなたは私に話したいこと、話したくないことを自由に選択できますし、私がそのどちらかを強要することは決してありません。ただ、もしあなたが私に話したいのでしたらもちろんそれを尊重します。」

そう言いながら、精神科医は少女の目の前にある椅子に腰かけた。


「では、まず初めに、最近何か悩んでいることはありませんか?」


「悩んでいること...こんなところに閉じ込められてしまった...くらいですかね...?」


「そうですか。それはたしかに、まあ、随分と嫌な出来事でしたね。そのほかに何か悩みはありませんか?悩みと呼べるほどのものでなくても...例えば誰かに否定されたりとか。」


「...いいえ、こんなところにいるのですから、きっと警察の方以外とはお話しする機会なんてなかったと思います。」


「なるほど...少し嫌な言い方になってしまうかもしれないのですが、実は私は警察の方から依頼を受けてここにやってきました。その依頼内容が、狭山さんの妄想癖についてなのですが...」

そういいながら、精神科医はじっと少女の目を見つめた。もの語るような緑の瞳である。


「妄想癖...ですか?」


「ええ...自分がこの世界を作ったとかなんとか...」


「なるほど...そのことですか...私から見たら妄想ではなかったのでとっさには思いつきませんでした。ただ、すべて本当のことなんです。」


「私には本当かどうか判断する資格はありません。ただ、それを私にもう一度教えてくださいませんか?」


「ええ、すごく単純なことです...ただまあ...どこから話せばいいのか...」

精神科医は口を挟まず、ただじっと少女の瞳を見つめた。

「そうですね...さっき、先生は私が殺人事件の容疑者だと言いましたよね?」


「はい。」


「実を言いますと、私には自分が一体だれを殺したのか、わかっていないのです。」


「警察には容疑者に何の事件で逮捕されたのか知らせる義務があるはずです。」


「まあ、知らされたかもしれません。しかし、私から見たら、私の記憶はあなたがこの部屋に入ってきた瞬間に始まったのです。」


「それは記憶喪失、のようなことでしょうか?」


「いいえ、どちらかというと...五分前仮説のようなものでしょうか。私は五分前に初めてこの世界に訪れました。そして、この世界は五分前にようやく描写され始めたのです。」


「警察の資料によれば、あなたは昨日もまったく同じことを言っていたそうです。」


「それはあなたを登場させるための設定です。」


「私を登場させるために、ですか?」

精神科医はせわしくメモを取り始めた。


「ええ。あなたは私、主人公の導入に使われるキャラクター、いわゆるモブキャラです。私の容姿を描写するために使われたり、私にいくらかの心理的な反応を付け足したり、私と会話することで私の特異性を表現したり...物語の中になくてはならないけれども、誰でも代役ができてしまうようなキャラクターです。まあ、会話がない物語だなんてほとんどはつまらないですからね。たとえこの先一度出番がないであろうでも登場させておきたくなるものです。」

自分の妄想に関しては先ほどと打って変わって、少女は少しも臆せず、流暢に述べられていた。


「しかし、私がモブキャラだと言っても、私は朝食べたご飯、ここに来るまでの道のり、この診断後の予定...すべてちゃんと覚えています。一小説のモブキャラにこんなにも細かい設定は加えないでしょう?」


「そうなんですか...ただ、あなたが本当に朝食べたご飯を覚えているかどうかだなんてまったく重要じゃないことなんです。あなたが今、それらを覚えているということ自体が私への反論として書かれることになるでしょうが、実際に何を食べたかだなんて言うことは決して読者に伝えられることはないんです。」


「朝は目玉焼き...」

「まあ、私に恥をかかせるために、それが実際に描写されることもあるかもしれませんけどね。」

少女と精神科医の声が重なる。精神科医はへへっとごまかして、鼻を軽くこすった。


「...まあ、目玉焼きっておいしいですよね。」


「おやおや、主人公さんの世界でも目玉焼きはおいしいんですね。」


「むしろこの世界において目玉焼きがおいしいのは私がそう設定したからであり、そう設定した理由が私の世界において目玉焼きがおいしいから、という方が自然でしょう。」

これはこれは...確かに精神障害を抱えているようだ。精神科医はチェックを入れた。


「でも、小説を書くためにはなかなかの教養が必要なんじゃないんですか?私は精神科医。こう見えて一応医者の端くれです。あなたは私の業務内容について詳しくはわからないでしょう?」


「そうですね。私は精神科に行ったこともないですし、警察のお世話になったようなこともありません。ですので、これまでの描写はほとんどインターネットで調べたり、見つからない部分は私の想像で賄っていますね。」


「それは...そんな適当に執筆してもいいんですか?」


「ええ、だってこの小説の主題は精神科医の仕事のやり方だとか警察による容疑者の虐待だとか、そういうものではないので。それはそうと、この部屋の隙間風だとか今が真冬だとかの設定はいらないと思いますけどね。」

寒さに体をぴくりと震わせ、少女は服の襟元を締めた。

「私はこの小説に登場するほとんどのことを本当はよく知らないのです。例えばそう、私はいま自分がどんな服を着ているかさえもわからないのです。もしかしたら映画でよく見るあの黒白のボーダーの服かもしれませんし、私がおうちから持ってきたお気に入りのワンピースかもしれません。まあいずれにせよ、私が今正した以上襟というものがある服なんでしょうね。私には襟というのがどんなものなのかあまりわかっていないですけど。」


正直これ以上はメモを取る必要がないと精神科医は感じた。頭のおかしい人の妄言を聞くというのは随分楽しいことではあるが、精神科医の仕事を全うするのには必要ない。これでも給料をもらっているプロなのだから、早く次の項目に向かってしまおう。


「そろそろ次の話題に写りましょう...狭山さんの犯した殺人事件,,,についてですね。本当はこれを聞くのは私の仕事ではないような気がしますが、一応仮にも警察に任されてしまったのですから聞かなくてはなりません。狭山さんには当然回答を拒否する権利もあります。」


「まあ答えてもいいですけど、さきほども答えた通り、私はこの殺人事件についてほとんど何も知らないので、大して答えられることはないでしょう。」


「あなたの論理からすれば...これもただあなたがこの部屋にいる理由付けに使われている背景のようなものであって、存在さえしていればいいので、設定などは凝っていない...ということですかね?」


「...まあおおむね、そうですかね。」

自分のセリフを奪われて、少女は少し不貞腐れて見えた。


「しっかし、この事件ってどうやらすごいんですよね...」

警察のくれた資料を見ながら、精神科医はぽりぽりと頭を掻いた。

「被害者はあなたの幼馴染、凶器はロケットランチャーのようなもの...だそうですよ?」


「ロケットランチャー?!」


「ええ、あなたが逮捕されたきっかけは、家の地下室からロケットランチャーが発見されたこと。だそうです。」


「なるほど...オチが見つからなくなったからってロケットランチャーっていうインパクトで無理やりオチを作ろうとしているわけですか...」


「まあまあ、狭山さん。」

少女をやり込めたような気分になっているのか、精神科医はにこにこと笑いながら言った。

「事実は小説よりも奇なりっていうやつですよ!小説もいいですけど、たまには現実も、ね?」




またもっといい感じのオチを見つけます。

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