ドキュメント「廃嫡王子」
王都から馬車に乗ること7日。2回の乗継ぎを経てようやく辿り着いたのは、王国の最果てコンコード男爵領。ここの領主が今回の主人公である。
――お久しぶりです。
「ああ……よく来たね。君に会うのは10年ぶりか」
彼こそがコンコード男爵のブラッド。かつて至尊の位に最も近いところにいた元王子。
「まさか僕の話を聞きたいなんてね」
――これも王国史編纂の仕事ですから。
「君は変わらんなあ」
今日私がここに来たのは、10年前に王国を揺るがした醜聞「ハニーブラッド事件」の当事者に当時のこと、そして、それからの今を語ってもらうためである。
ハニーブラッド事件。それは当時王位継承第一位だったブラッドがコンコード男爵令嬢だったローラという女に入れあげた結果、それをよく思わぬ者によって彼女が命の危険に晒される事態となったことに端を発する。
犯人として浮上したのは、彼の交友関係に苦言を呈していた婚約者の侯爵令嬢。ローラの身に降りかかった様々な嫌がらせ、それを煽動した首謀者ではないかと噂されていた。
『嫉妬に狂った貴様が煽動したのであろう』
『何を証拠に仰るのですか!』
義憤に駆られたブラッドが婚約者を断罪。婚約破棄の上、侯爵家の取り潰しを宣言したが、元から疑惑の多い話で彼女が犯人である証拠も不確定なものばかり。そこで調査したところ、王子と婚約者をその座から引きずり降ろそうとした政敵第二王子派によるハニートラップであったことが発覚。多くの貴族を巻き込んだ大騒動となったのだ。
「自業自得だよね」
そう言って苦笑いをするブラッド。たとえ企みがあったにせよ、至尊の位にある者に自身の好悪で貴族の処遇を好き勝手に決められては封建制度の根幹を揺るがす。ましてや彼は王子、最終決定権の無い立場で行ったその所業が許されることはなく、王位継承権を剥奪され、更に廃嫡という形で王族ですらなくなるという罰が与えられたのだ。
そして国を乱した罪を負い第二王子も同様に王位継承権を剥奪され、次期国王には現国王の王弟が就くと裁定されたが、冤罪を着せられた婚約者の実家であるハッチソン侯爵家は怒り心頭で、今後の政権運営に協力はしないと明言。いつまた心変わりして取り潰しなどと言われては敵わないと多くの貴族がこれに同調した。
王家はこれを宥めるため、協力してもらう代わりに王族の持つ権限を貴族に移管することを約束。これにより王権は大幅に後退し、兄弟の王子は権威を失墜させた痴れ者として歴史に名を残すことになったのだ。
――それだけのことがあってよく生き延びましたね。
「生き延びた。いや、生かされたと言うべきであろう。本来なら事件の渦中にいた私も処刑もしくは生涯幽閉などの罪に問われるはずだった」
――その言い方だと生き延びることが貴男にとっての罰であると?
「そうとも言えるかもな」
多くの貴族が国を乱した罪によって処断される中、生かされた彼に与えられたのは、ローラと婚姻し、処断されたコンコード男爵に代わって男爵位を継承するというもの。ただし領地は肥沃な旧領から王国遠端の僻地、作物の生育も難しい痩せこけた土地への国替えである。
――かつて王子だった男が没落する様を皆で嘲笑おうと。
「そういう面もあるだろう。私が生き延びることで事件を風化させないようにしつつ、恒久的に私の無様な姿を見続けることが出来るのだからな。死罪によって一時的に溜飲を下げるよりも効果的だと判断したのではないかな」
――相手がそうであっても、貴男は逃げるという選択肢もあったはず。そこまでして生にしがみつく理由があるのですか?
「知っているであろう。私が生きながらえることが、貴族たちが王家に協力する条件の1つだからだ。もし自死でもしようものなら、即座に彼らは約束を違えたとして王家から離反する。これ以上は迷惑をかけたくないのだよ」
その条件が付けられていたのは私も知っている。彼が男爵として天寿を全うするまで生き続けること、そして、ローラと離縁を認めないこと。これが貴族が王家に従う条件に含まれている。
――事故に見せかけて殺される、もしくは自死するという可能性もありますよね。
「そのために多くの監視が領内におる。ローラの件でそれはよく承知しているはずだが」
――そのことですが、お悔やみ申し上げます。
「いいんだ。これもまた私に対する罰であろう」
男爵夫人となったローラは3ヶ月前に何者かに殺害された。死別以外の離縁を認めないとする条件がゆえに、当初は何者かに命じて殺害されたのではという疑惑が持たれたが、領内にいた多くの監視者の証言により、彼女が邸の外に囲っていた愛人と痴情のもつれの末に殺害されたということが明らかとなって、ブラッドの無実が証明されたのだ。
――そこまで調べたのですね。
「意趣返しだな。我々はお前と違ってちゃんと調べを進めてから判断しているぞ、というどなたかの意向が働いているんだろう。そうでなければ辺境の男爵領にあれほど大きな捜査は入らん」
――夫人を亡くしたというのに、随分と落ち着いておられるのですね。
「薄情な男だと思うか? これでも私なりに彼女を大事にしようとは思っていたんだよ。一度は愛を囁き合った相手だしね。でも彼女はそうではなかったようだ」
――権力と財力を失った元王子に用はないと?
「婉曲さの欠片も無いね……でも否定はしないよ」
ローラは貴族どもに踊らされたていただけの操り人形であったが、本人は本気で王妃の座を狙っていたようで、この辺境の男爵領に半ば流罪のような形で送られたことに強い不満を抱いていた。
ブラッドは貧しい生活の中でも共に生き抜こうと寄り添う決意であったが、彼女の心はとうに夫から離れており、あちこちに愛人を作った。とはいえ財力で囲っていたわけではなく、その身体をもって築いた関係であり、年を取り容姿が衰えていくうちに愛人に愛想をつかれ、別れる別れないの喧嘩から凶行に至ったというところである。
――コンコード家の嫡流は絶えたわけですから、貴男が男爵家に残る理由もないでしょう。
「ははっ、今更僕にどこへ行けと言うんだい。王都には戻れず、他に頼る者も無い、この男爵領で領主として一生を終えるしか残っていないんだよ」
正確に言うとコンコードの家はブラッドに継承されたので、前男爵やローラの血が入っていなくとも問題は無い。それでもこの事態に、望郷の想いが残っていないかとカマをかけてみたが、彼はここで生き抜くということを明言した。その表情は愛に溺れ、自身の責務を見失ったあの頃よりも前、かつて彼が第一王子として精気溢れる毎日を送っていた頃の面影を感じさせる。
「それにね、ここの領地の人々はこんなしょうもない領主に文句の1つも言わず従ってくれる。その期待に応えないわけにはいかないでしょ」
ここは王都から遠く離れた辺境の地。元々よそから来る情報は途中で色々な形に変化してどこまでが真実か定かではない状態でやってくることもあって、都ではあれだけ大騒ぎになった事件であってもそれを鵜呑みにする者は少ない。彼らにとっての事実は、ここに来る新領主が事件に連座して都から追いやられた元王子という一点のみ。その人となりも色々な情報が入ってきたが、実際に自分の目で見て判断するという考えであった。
そしてやってきたブラッド。噂では女にうつつを抜かして追いやられた愚か者などと聞いていたが、実際は非常に真面目で気の優しい男。元王子という肩書きに若干遠慮気味であった領民もすぐに親しくなったのだという。
――領民が言っておりました。あんな立派な方がどうしてあんな売女に入れ込んでしまったのかと。
「見えなかったんだろうな。何もかも」
――見えなかった?
「婚約者との仲は悪くなかった。それでもやはりお互いに役目を果たすために結ばれた縁というのがどこかにあったのだろう。そんなときに自由な愛を囁くローラに出会った。今思えば、他の誰よりも権力と財力に執着していたがゆえに近づいてきたのだと分かるがな」
――今更ということですね。
「そう、今更だよ。僕たちは真実の愛に目覚めた、愛があれば乗り越えられる、そう思っていた。己の責務と立場を全うし、次代に引き継いでいくために、愛だけでどうにかなるわけがないのにね」
――気付くのが遅かった。
「何度も苦言を呈してくれた者はいた。あのときは何を煩いことをと思っていたが、友人も婚約者も、みな私のために言いたくないことを口酸っぱく言ってくれたのに、それを突っぱねたのは全て私の愚かさゆえよ」
――今生き長らえるのはその贖罪のため、ですか?
「彼らには何の慰めにもならないのに、そんな偉そうなことは言えない。でも、今ここの領主として足掻いて足掻いて生き残るしか、私を支えてくれた人達に報いる術がないこともまた事実」
――それで領地改革を始めたと。
「そうなんだ。どうせ貧しいならば、やれることをやりきってからでも諦めるのは遅くないと思ったんだ」
これまで余所の領地と同じような物しか植えていなかったこの男爵領は、水はけも悪く、栽培には適さない土地であるためにどうしても他領の作物より品質も収穫量も劣るため、自領で消費するしか使い道がなかった。そしてそれしか産業がないため、他領との交易も僅かで、より寂れ具合が進む要因だったのだが、彼が着任してまず始めたのは、この荒れた大地に根付いた作物の栽培の推奨。
当然それはこれまでのやり方を捨てて一から始める事業であるため、疑いから入る領民も多かった。「貧しくとも今の生活なら死ぬこともない」という諦めにも似た考えを、ブラッドは一人一人に対話を重ね、その想いに賛同する同士は年を追う毎に増えていったのだ。
実際に男爵邸に赴く前、筆者も領内で一番大きい町〈とはいっても集落に毛の生えた程度であるが〉の食堂で、その特産品を使った料理を食べてみた。主菜に使うことは出来ない食材であるが、なるほど色々な料理に上手くハマる、足りないピースを埋めるのに適した食材だ。しかも普通の土壌ではむしろ育ちにくく、この地のような痩せた土地の方が育ちやすいものを今まで誰も育てなかったのは何故だろうという疑問が湧く。
「栽培には結構な労力を要するからね。この地は元々見放された地、どの貴族も所有したがらず、私が来るまで直轄領だったのがそのいい証拠だ。そんな地でわざわざ労力を要してまで育てる手間をかけるメリットが無かった。そんなところじゃないかな」
――それで今年の収穫量は?
「ああ、みんなが頑張ってくれたおかげで今年あたりからようやく少しだけ他領に出荷するくらいには獲れるようになったんだ。余所ではあまり作っていない作物だから、この収益で領民の生活も少しは改善出来るといいね」
彼にはもうこの地で生きるしか道は無い。だからこそ苦難の道を選んだのだが、領民にとってはそれが僥倖だったようである。
――お元気そうで何よりでした。最後に……元婚約者に何か伝言があれば。
「……許されないことだと分かっているが、すまなかったと伝えてくれるか」
――それだけでよろしいのですか
「ああ。謝って許されることではないし、私が言葉を並べても彼女に何も報いることは出来ない」
――本当にいいんですか? 私がここに来ることももう無いでしょう。心残りの無いよう、伝えたいことはお話しください。
「そうか、ならば……聞けば彼女はあれから結婚もせず独り身であると聞く。もしあのことに責任を感じているならば、君に責任は一切無い。誰か素敵な方と一緒になって幸せになって欲しいと願っていると。あと……この作物を彼女に届けてくれるか」
――これを、ですね。
「残念ながら私は領内から一歩も外へ出ることを許されておらん。本来なら領主自らコイツを売り込みに行きたいのだが、そうもいかなくてね。食べてみて、もし気に入ったなら広く宣伝してくれるか、と伝えてくれ。ああ、虫のいい話だとは分かっている。私の作った物など吐き気がすると言うのなら、捨ててくれても文句は言えないから、出来れば、だ。日持ちする物だから王都に戻るまでは十分保つだろう」
――分かりました。それではこれにてお別れでございます。
「今日は来てくれてありがとう。最後に君に会えて嬉しかったよ。ピアース伯爵」
――おさらばです。かつて友と呼んだ男よ。
ハニーブラッド事件。この事件によって命を、家族を、友を失った者は数多く、その爪痕は未だに王国内に数多くのしこりを残す。そしてその渦中にあって一度は地の底まで堕とされながら、生き長らえることを強要された男がこのとき語った嘘偽り無い本音は、かつて彼が王子を名乗っていたときの知性と教養、そして人に寄り添う温かい心を取り戻していたことを現す。
しかし、時は元には戻らない。彼は自身の行った行為によって地位を、名誉を、友を失うという報いを受け、それは決して取り返しのつかない愚行として歴史に刻まれたわけだが、それでも僅かに再生の機会を与えられ、その細い糸に必死にしがみついて足掻き続ける彼の未来に光がもたらされんことを、彼の作ったという作物で作った料理を酒の肴にしながら願いつつ、この項を終わりにしたいと思う。
王国史編纂室長 ジョリー・ピアース
(旧姓 ジョリー・ハッチソン)
お読みいただきありがとうございました。