星のきれいな空の下
新作
「…終わった」
仕事が終わる。
テンションがハイになってる、限界を越えたらしく、こんなときはこれしかないな。
次の日
「すいません、日帰りパック一枚でお願いします」
それは私鉄の、時を越えても未だに現役の窓口で売っている。
お釣りがないようにお金を出すと、蓬色の日帰りパッククーポンが代わりにやって来た。
ここから乗って、終点となる駅までガタンゴトンと電車で移動する。今日はその駅のそばにある入浴施設を堪能するのである。
車両は都内を走っていたものらしく、一昔前のロゴの広告が所々で揺れてた。
通勤と通学時間以外をはずせば、乗客数は片手で数えれるていど、窓から見える景色も、建物から緑が多くなっていく。
今は窓から見える景色が青々としているが、是非とも見てもらいたいのは雪景色、山の方が霞んでいき、白と黒の水墨画のような色合いが、厳しい寒さと共に広がっている。
「次は終点~」
ああ、もう終点か、窓の外を見ていると本当にあっという間だ。
この時間窓口は休みなので、クーポンについている切符は、乗務員さんに切り取られた。
入浴施設は駅から見える、あの一際でかい、この辺では見かけないような建物がそう、湯気もでているでしょ?
建物内に入り、ロッカーに靴、ガチャンと鍵をかける。
この辺りは昔から湯治が有名な地域なのだが、遠方から来る人間にはちょっと入りにくかった、それはこういったロッカーなどがまるでないからである。
一度、あっ、良さげだなと思った温泉があった、駅からで言うと、この施設とは反対側にあるのだが、そこは服を入れるカゴしかないのである。
がんばって入ったのだが、ゆっくり入るということはできなかった、貴重品に何かあったらどうしようか、もう気になってしょうがなかった。
この施設のロッカーを借りれて、周辺の温泉も回れるのら、よっしゃフルコンプリートしたるわ!になるのだが…まだそういうサービスは始まりそうにない。
「いらっしゃいませ、はい、日帰りプランのお客様ですね」
「オプション券一枚追加でお願いします」
「かしこまりました」
手ぶらの温泉と言うのは色々あるのだが、ここほど楽しめる場所もないだろう。
「それではボディシャンプー、シャンプー、トリートメント、コンディショナー、タオルをお好きに選んでください、タオルだけはお帰りの際にお持ち帰りにもなれます」
これである、これなのである。
日帰りパックはこれらを選べるのだ!しかし、その代わり迷う、楽しいのだが…
「お客様、もしもどうしようかとお悩みでしたら、このようなものがあります」
そういってシャンプーなどのガイドブックをくれた、マニアによるレビューとランキング形式、またお悩み別のアドバイスまで…これなら…あっ、この三位になっているシリーズは一回使ったことがあるな、確かにすごくよかった、それなら今回は1位、2位。1位のこれは近所で販売しているところ見たな、じゃあ2位のもので今回は揃えてみようか。
「それではこちらで、ガイドブックで決めていただけると、作ってくれた方も喜びます」
この施設のファンが作ったものらしい、やるな、これめっちゃ面白い。しかし、これを使えば地肌はスッキリ、しかし髪はつやつや、それを考えただけで…いいな。
「それではタオルはこちらからどうぞ」
ピンと貼られて、並べられたタオルたち。ふわふわ、サワサワ、ピーチスキン、こちらもこの中から選ぶのか…と悩んでいると、ふと目に飛び込んできた手拭い。
(これはいいな)
いわゆる白地に紺で染められたものなのだが、模様は花でこれは…藤かと思ったが、これはライラックか。ブドウのような形でぶらんと下がっている花が藤で、ライラックは逆に上を向いている。
「そちらになさいますか?そちらの手拭いは、この近所に工房がある職人さんのものです 、こちらのカレンダーもその職人さんによるものです」
そういって額を指し示すと、額の中には季節の鳥や花で飾られた今月のカレンダーが飾られていた。
「売店でも販売しておりますので、よろしければどうぞお帰りにでもご覧になってください」
この他に、日帰りパックのお客さんは食事と仮眠個室も込み、お得だよ!
それでは温泉の時間である。
洗い場は日中でも薄暗い、そこにぼんやりと明かりが灯っていた。
体をまず洗い、あ~ボディシャンプーもいい匂いだな、なんか洗うのが楽しくなっている。流してから、髪、泡立ちが違うな、そして流す。
シャンプーでこんなに髪ってまとまるの?擬音にしたら、つるん!だよ、ここにトリートメントを乗せるって、どういうことになってしまうんだ。
ちょっと一回落ち着こう、湯船行こう、レッツゴー。
名湯で、こういうスーパー銭湯タイプって本当に便利だなと、ここだけで全部済んでしまうということになると…他にいかなくなる。
しかもここの温泉、何時間いくらではなく、長居が可能であった。つまりは開店から閉店までいてもいいというやつで、実際休日はそういう過ごしているお客さんでこみ合う、だからこそ俺は平日に行くし、温泉の方でも平日のお客さんにも力を入れていた。
次に入るのは薬湯ではあるが、「本日は暑いので、さっぱり菖蒲湯です」
へぇ~聞くことは聞くけども、実際に菖蒲のお湯の風呂は初めてだ。
この温泉は始発の駅からだと、山を越えていくので、温泉では山の幸や恵みを信じられないほど贅沢に振る舞っている。
時計を見ると、昼少しすぎ、もうちょっとしてからお湯を楽しんでから、食堂に行くことにしよう。
食事ももちろん、面白いものを出してくれる、これを町中で食べるとしたら、結構するよというものがポンポン出てくるので、毎回楽しみにしているのだ。
おおっと、それではトリートメント、トリートメント、ふむ、質感はクリーム、それを毛先にヌリヌリ、ちょっと時間を置いてから洗い流すタイプ。
そこでふと自分の顔が鏡に写ると、疲れすぎた自分がいた。
ここでみんなリセットしなければいけない、そのためにここに来たのだ。ここにいることは他の人間は知らない、ここで毎回癒されていることを何となく知られたくないのだ。
しかし、たまに誰かを誘いたくなる時がある、この施設には卓球台があるので、誰かが卓球していたりすると、その時身近な人間を誘おうかなんて、考えたりはするんだけど、趣味が合わないんだよなという結論が出て終わることになるのだ。
あっ、もうそろそろいいか。
洗い流すと、この手ぐしでわかる髪の質感、自分の髪が絹にでもなっちゃたのかな?ずっと触っていたい気持ちにもなっているが、さすがにここでやめておこう。
何しろ、お楽しみはこれからだぜ。
お風呂からあがり、日帰りパックのお客さんの浴衣に着替える。はだけないように止めるのが簡単になっているから、着なれてない人でも便利だ。
食堂に向かう。
本日の日替わりは自然薯そば。そうここは自然薯が普通に日替わりとして出る、普通の概念が崩れる。
夏に訪問した時は、イワナが出だよ、これも美味しかったよ。
日帰りパックのお客さんは御膳が提供されるのだが、季節が感じることが出来るメニューはいつも刺激的である。
本日はご飯に自然薯がたっぷりとすりおろされて乗っております、最高!
それではいただきます、か~たまねえよ、これは。
「お客様、お代わりもあ。ますので、ご飯が足りなければおっしゃってください」
気持ち的には腹をパンパンにしたい、したいが一杯だけおかわりさせてもらった、醤油だしもこの地域で昔から使われているもの、チョンと乗っているわさびは、もっと山を奥に入っていったところにある清流でそだてられたもの。
そういえば…前に秋に来たときも…
「お客様は栗はお好きでしょうか?本日栗のご飯も炊きましたので、よろしければご飯を栗ご飯にいたしますが?」
もちろん答えは決まっている、お願いしますと。
この時の栗ご飯は、売店でも販売されてるということなので、これを買って帰った、家に帰ってから温めて食べたら、栗がホクホクで、ねっとりと濃いのである。あれ?もしかして、違う栗なのかな?
御膳に合うよう炊かれたものと、おにぎり用だと味付けを変えているのである。
は~今日もよかった、満足した、このまま仮眠室で寝るという贅沢を、許してください!
休憩室の個室を借りて、リクライニングソファーを倒しては、すぐに転がった。
そのまま目を閉じたら、爆睡できた。
……起きると、もう夕方である。あっ、ちょうどいいか。日帰りパックは平日の午後から使えるオプションがある。受付で買ったこのオプション券が唸る時間であり、待たせたな、耳かきもあるぜ!と。
このオプション一枚で、施設内の理容室のカット、シェービング、プチエステのいずれかを堪能できる。
もちろんフル制覇した、この三つのうちシェービングとプチエステには耳かきもしてくれるが、中身は大変気合いがこもったものであった。
「シェービングお願いします」
ホカホカの蒸しタオルで顔をくるまれる。さっきまで寝ていたはずなのに、またうとうとしそうだ。
平日担当の人はだいたいいつも同じ人なのだが、この人は本当に上手い。
シュルン
カミソリって、こんな音を立てて剃れるのだろうか、顔を自分で剃りあげる場合は、確認しながらおっかなびっくりでショリショリとやっていくしかないで、この音だけで職人技を感じる。
シュルン
またも一度で剃りあげる、きちんと毛穴が開くように、体温が上がったことを確認した後に行いはしているが、音だけで気持ちいいではないか。
ガタン
そしてその気持ちいい音は耳かきでも、遺憾無く発揮される。
ゴリ
耳の穴を3分の2ほど埋めていた垢を奥の方に見つけ、軽いタッチでかき出された。
サリ
音から言えば何もないところをかいているようだが、とりだした耳かきの、サジの部分にはピンとしたまつげのような短い毛が乗っている。
パリ
今度は何かが割れるような…薄い耳の中を覆っていた垢が割れた音。そしてその後を片付けるようなコリコリコリ‥ああ、これはたまらねぇな。
ボロン
ボロン?だと、なんだこの音は?ゴリの奥に溜まっていた大物が、引っかかるものがなくなったために転がり落ちたのである。
最近は耳かきもきちんと出来なかった、温泉に入って、仮眠して、耳の中も乾いたことだし、さぞかし良いものが収穫出来るのではないかと思って、オプションを頼んだ。
奥がきれいになると、耳の入り口が汚れてくるので、それを拭き取る。その時の指の体温とあたりがとてもいいし、そこから外側を拭きながら、ツボを押してくるのが最高にいい!
そして左耳
コリ
またもいいところから始まった、大物を取り出そうとしているため、周囲からはずそうとしていた。
コッ!
あっ、今いい。大物は少しばかり茶色に変色していて、耳の外に出ると蝶のように広がる。
ガサ
いい音は続いていく、内側を輪のように連なっている垢をくるっと耳かきを返して、はずしにかかったのだ。
カリカリカリ
しかし一番来ると思うのは、後始末のように耳かきを走らせることだ。これ、本当にいいな、あっ、そこ!
カッ!
さっきのカリカリよりも甲高い音を立てて。
「お疲れさまでした」
そうは言われても夢からまだ覚めていない、この癒しの力に毎回やられてしまうのだ。
手拭いはもちろん持って帰る、。
濃い闇が広がり、星が綺麗な空の下、ワンマン列車に乗り込んだ。
(また近いうちにこよう)
夢心地の俺を乗せて、電車は明るい町に戻っていくのである。