職人と気まぐれな逸品
「名耳かき玉輪」
2012年11月1日ピクシブ公開。
「湯島さん、ホテルのデイプランを抑えましたから、明日八時半にそちらに参ります」
東坂綾乃からのメル。
それは寝る一時間前に届いた。彼女は俺の持つ、婆ちゃんから形見分けでもらった耳かき玉輪のために来た。売ってくれとかではなく、なんというか、純粋な好奇心だと思われる。
そっちの方がありえないと思う、だって好奇心はあっても、普通は行動が伴わない。
とりあえず、今はあまり落ち着かない。なんというか、自分のペースとはかなり乱されたことが起きているからだと思う。
玉輪は眼鏡のケースと一緒に、引き出しに入っている。
カタン
並んでいると、眼鏡のケースにも思える、ケースは柔らかく、スポンジ素材が所々剥げている。意外と弱い。
パチン
中を開けると、茶色のビロードの包まれて、玉輪は眠っている。形は普通の耳かきだ、ただこれは普通に使う耳かきではない。
明日の出番に、少し期待しながら、でもきっと、今日という日は思い出になると思う。それぐらい俺の人生には何も起こってこなかったんだから。
ちょっと寝不足だった。
「おはようございます」
朝、約束の時間に、東坂は俺のアパートの門の所にいた。
「あっ、おはよう」
いつもは起きているが、睡眠の質が悪いのか、眠い。
「まだちょっと時間がありますから、モーニングいかがですかね?」
それも含めて、この時間らしい。
ホテルの朝食バイキング。
「ここなら、食べるもの困らないでしょう?」
気を使われたようだ。
「ええ、あぁ」
しかし、俺は気が抜けたようだ。
「昨日から、気になったんですが?呼吸、何か持病持ってます?」
「あんまり強くないな」
「失礼」
そういって、左腕の肘を持ち、そのま内側を。
「多分押すと、痛いと思いますけど?どうします?」
「東坂さんは、マッサージ師か、何か?」
「いえ、今ちょうど知り合いになっている方が凄腕で、ここに呼吸器のツボがあると、たぶん検索すればすぐに解説が出るとは思いますが」
「これから耳かきをするんですから、何かがあったら困るでしょ?」
「あぁ、そうですね、でも、たまに音がするので、メンテナンスした方がいいですよ」
「なかなかね」
主にお金の問題です。
「玉輪を持ってきたので、見ますか?」
「見たいです!」
ケースをそのまま東坂に渡す。俺はその間に料理を取ってくる。東坂、一応さんはつけるか。東坂さんはなに何を食べるかわからないが、皿に適当に肉とか魚、野菜を並べて、ご飯を茶碗に盛った。
「まだいたんですね」
「?」
俺の言葉に、東坂さんは不思議な顔をした。
「いや、東坂さんは、凄い不思議なんで」
「そうですか?」
「今も夢みたいだど思ってるんですよ」
「夢ですか?」
「そうです、なんというか、非現実すぎるというか」
「でも、私、名刺に載っているアドレスには、百パーセントお返事しているんですがね」
知ってる。
俺が勇気がないからだ。
ただこの人と、話していると、とても妙な気分になる。
「俺のペースが狂う」
「すいません、みんなから言われます」
「えっ?」
「いやいや、私はこうじゃないですか」
ケラケラと笑ってる。
「安心してください、無害です」
修羅場を潜ってきたのかなと、思えるような、そんな女性。
「私に何が出来るんですかね」
「えっ?」
「いえ、あなたの不安の元はなんですかね?」
「そんな事を口にしてしまう、神経ですかね」
言ってて、しまった、口を滑らしたと思った。
「気にしないでください、私はそれには慣れてますから」
そういって、俺がよそった皿から、フォークでカットのトマトを突き刺した。
「私は怒りやすいようです」
モグモグしながら。
「よくわかりませんが、私は怒りやすいようです。怒り慣れてない人ほど、私に怒鳴り散らす」
「いや、そこまでは」
「そうですか?」
「ええ、確かに、あなたは不思議な人ではありますけどね」
俺はコーンスープを飲んだ。
「不思議ですね」
「えっ?」
「あなたですよ、湯島さん」
「そうですかね」
「あなたのような心は嫌いではありません」
日常で使わないような言葉を、彼女はホイホイ使ってみせる。
「今までに二人ほど、そういう方に合いましたけどね、出会ってばかりですが、あなたの幸せを祈りたくなる」
多分暇だったんだと思う。
「東坂さんは俺を幸せに出来ますか?」
「プロポーズみたいですね」
「そうですか?」
「ええ、まあ、普通は女の台詞ですけど」
「忘れてください」
きっと俺は疲れてる、そして飽きている。
「耳かきしてくださいます?」
食事が終わりかけの頃に、東坂さんはそう言った。この朝食バイキングを行っているホテルの部屋に向かう。
耳かきをするために、わざわざ部屋を借りたのか、いくらか?なんて無粋な事を考えた。
「このホテルのチェーンは、どの国でも一定の品質が確保されているから、いいんですよね」
たまに出るグローバル発言。
「そうなんですか?」
「ホテルに半分住んでいるようなものなので」
話を聞いていけばいくほど、底が知れない。
「世の中、確かに広いかもしれませんけど、意外と鍵はみんなが持っているものですよ」
「…あなたと話していると、頭がこんがらがる」
「それもよく言われるな」
「耳かきしますよ」
「お願いします」
「ええっと…」
今、気がついた。ここツインじゃんと、深く考えたら、悩みそうなんで。備え付けの椅子をベットのそばに持ってきた。
「じゃあ、横になってください」
「ええ」
「それで玉輪の話なんですが、この玉輪は耳かきのサジではなく、サジの背で耳の中を撫でるんですよ」
「なるほど」
「サジの部分で耳垢を取ろうとすると、全く気持ち良くないんですよ」
理由はサジの角度が外耳を撫でると、気持ちよくない、普通の物と逆についているからだ。
「だから玉輪は耳かきというよりは、耳垢こすりに近いんですよ」
「へぇ」
それでは玉輪の凄さをお試しあれ。
ザワ
耳かきというよりは、それは生き物のような感触がする。毛足の短い生き物が、耳の中をもぞりもぞりと歩き、歩くと耳垢を踏みしめ、それを割る。
割れて初めて、そこが耳垢だとわかり。
ポロリ
おそらく耳かきで失敗したんだと思う、瘡蓋とまではいかないが、そういったものが落ちた。色は普通の耳垢みたい。
東坂さんは耳の中が細くて、普通の耳かきだとちょっと辛いかもしれない、手が痺れても、向きがそのままになってしまうというか。
サワサワ
玉輪が名耳かきだと言われるのは、その音である、取るべき耳垢だと音が乾いているのだ。
だからその音で判断すればいい、背の部分で耳垢を柔らかくして、それをサジで拾うというのが玉輪、普通にサジでいじくっても、取れない。
(意外と入ってるな)
玉輪は今はあんまり使っていない、というか、子供の頃から、耳かきは玉輪だっために、俺には耳かきで感動があんまりない。今ではたまに思い出すぐらいである。
しかし、人の耳かきは別だ。もう、最後にやったのは、子供の頃だったな、親戚の幼稚園児の耳を掃除した時だ。俺小学生六年生。
カリカリカリーン!
大物の音がした。
ええっと、サジと同じぐらいの物が玉輪に当たるとこんな音がする。深さ的には、鼓膜のちょっと前なので、大物を取っても大丈夫だろう。
玉輪は12種類ぐらい音があるが、俺は3つしか判断できない。っていうか、なんでこんな耳かき作ったのか、理解に苦しむ。
普段は何も触ることがないような、深く、溝の中、そこを垢とは関係なしに撫でる。
たぶんそこが、気持ちいい場所だ。何かしばらくぶりにノってきた。玉輪は玉輪に慣れてない人ほど、快楽の虜になる。
ピク
東坂が一瞬反応を見せた。
やはりここだ。
ここが弱いのだ。
しかし、そこを重点的にかくことはしない、それはダメだ。他をカリカリと触りながら、思い出したかのように、弱い、この溝の部分を触る。
ピク
すると、不意打ちの気持ちよさに落ちていく。
というか、嫌がらなくなる、完全に安心しきって、それが玉輪を使う時に、同時に教えられたことだ。
「耳かき、上手いですね」
どうも想像以上だったらしい。
髪も手櫛で直しているが、油断した東坂さんの顔は悪くないなと、普段が派手なだけで。
「もしも」
「?」
「もしも、玉輪を欲しいと行ってきた人がいたら」
東坂さんは玉輪が欲しいと行ってきた人への対策を教えてくれた、いわゆる高く売れという話だ。
「これはサービスですよ」
とはいって、ウィンクをした。
とあるオフィス。
「ただいま!」
「おかえりなさい、耳かきどうでした?」
「あれは確かに凄いけど、大量生産難しいかな、形が同じだから、使い方間違いそうだしね」
「そうですか?」
「もし、湯島さん、持ち主の湯島亮さんかはオフィスに電話あったら、丁重に扱ってね、悪い人ではないから」
「わかりました、あっ、そういえば、前に探していた、人間国宝が気まぐれに作った綿棒らしき物が見つかったと」
「えっ、それいいな」
この世にはあまり知られていない、やりとりがある。




