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人形のスタンチク

作者: 大越冬

 あるところに、スタンチクという名前の人形がいました。スタンチクの体は丈夫な木からできていて、背中には大きなネジがついていました。 スタンチクは道化師の格好をしていました。そして芸も非常に達者で、人を笑わせることが大好きでした。彼はよく町の大通りで様々な芸を披露しては、通りかかる人々を笑わせていました。ある時は玉乗りを、ある時はパントマイムを、ある時は歌を、ある時は手品を披露していました。スタンチクのいるところには常に笑顔が溢れていました。偉い人も、貧しい人も、大人も、子供も、誰もがスタンチクの芸を見ては幸せな気持ちになれたのです。 そんなある日、スタンチクの元へ高そうなスーツに身を包んだ優しそうな目つきをした男の人がやってきました。

「貴方がスタンチクですね」

「エエ、ソウデスヨ」

「噂によれば、貴方は人を笑わせることが得意だと耳にしました」

「ソウデス。ワタクシハ、人ヲ笑顔ニスルコトガダイスキナノデス」

スタンチクは男の人の目の前で掌をぎゅっと閉じて、くるくると回し始めました。そして、また掌を開くといつのまにかスタンチクの手には花束がありました。

「素晴らしい芸ですね」

「アリガトウゴザイマス」

「そんな貴方にしか頼めないことがあるのです。私にはローマンという11歳になる息子がいるのです。私は彼の将来のために様々なことを習わせました。ローマンは優秀でしたから何でもすぐに覚えました。今では成績も優秀で、スポーツだって他の子供たちより上手になりました。しかし、それが良くなかったようで、近頃のローマンはすぐに人を見下すようになりました。それが原因で友達からは嫌われてしまい、今や1人でぼっちになってしまったのです。あの子はすっかり笑わなくなりました。だからどうか、スタンチクさんにお願いしたいのです。ローマンを笑顔にしてほしいのです」

そう言って男の人は深々とスタンチクへ頭を下げました。

「ワカリマシタ。マカセテクダサイ」

 スタンチクはすぐに返事をしました。男の人の話を聞いたスタンチクはローマンという少年を笑顔にしたくてたまらなくなったからです。スタンチクにとって、笑えないことはとても大きな不幸なのです。 スタンチクは男の人について行きました。馬車に長いこと揺られて、着いた場所は大きくて立派なお屋敷でした。男の人はお手伝いさんにスタンチクの案内をさせました。

「ここがローマン様のお部屋です」

 スタンチクはコンコンと軽快なノックを鳴らしながら、部屋の主の返事も待たずに扉を開けました。中には可愛らしい黒髪の少年が不機嫌そうにしていました。

「貴方ガ、ローマンデスネ」 スタンチクは手品で花束を出して、それをローマンへさし出しました。

「いらないよ、こんなの」 ムスッとした表情のまま、ローマンはスタンチクの花束をはたき落としました。

「アラアラ」

 スタンチクは落ちた花を拾い上げると、滑稽な動きをしながらそれを食べてしまいました。しかし、ローマンは相変わらずムスッとした表情のままです。

「ワタクシハ、スタンチク。貴方ヲ笑ワセルタメニヤッテキマシタ」

「また父さんの差し金か。ふん、お前みたいな低俗な道化師は何人も見てきた。しかし、僕はそんな品のない芸では笑わないんだ」

 それから、スタンチクとローマンの長い長い日々が始まりました。スタンチクはありったけの芸をローマンに見せました。ありったけの歌をローマンに聞かせました。知る限り全ての愉快な物語をローマンに語りました。 しかし、ローマンは笑いません。侮蔑の視線とスタンチクを卑下する言葉を投げかけるだけです。スタンチクはすっかり困ってしまいました。

「ウーム、コレハ手強イデスネ」

 スタンチクはさらに芸を勉強しました。もはや、ローマン以外の人なら誰だろうと笑わせられるくらいの芸を身につけていたのです。それでも、ローマンは笑ってくれません。スタンチクはすっかり悩んでしまいました。 しかし、ある日のことでした。ローマンのお父さんの友人とその家族がローマンたちのお屋敷を訪ねたときのことです。ローマンはある1人の女の子に視線を奪われてしまいました。それはローマンと同い年くらいの銀色の髪の少女で、ポーラという名前でした。ローマンはポーラと仲良くなろうとしましたが、うまく話すことができません。今まで人を見下してきたせいで、人とどうやって話せば良いのかわからなくなっていたのです。ポーラはスタンチクの芸を見て、心の底から楽しそうに笑いました。彼の玉乗りに、パントマイムに、歌に、手品に、ポーラは満面の笑みを浮かべていました。ローマンは悔しそうにそれを見ていました。それから幾日か経ったある日、ローマンはスタンチクを呼び出しました。

「スタンチク。お前は人を笑わせるのが得意だったな」

「ハイ。貴方以外ナラ誰デモ笑顔ニスルコトモデキマス」

「スタンチク、その……お前の芸を僕に教えろ」

 ローマンはスタンチクから恥ずかしそうに目を少し背けていました。

「オヤオヤ? ワタクシノ芸ハ低俗デハナイノデスカ?」

 スタンチクはローマンがそう言った理由をなんとなくわかっていました。この時のスタンチクは珍しいローマンを見て思わず意地悪を言ってしまったのです。

「……これから僕のいうことを絶対に人には言うなよ。たとえパパであってもだ」

「エエ、イイデストモ」

「…………笑わせたい人ができたんだ。それだけだ」

「ワカリマシタ。マカセテクダサイ」

 スタンチクはすぐに返事をしました。それは初めてローマンから頼まれたお願いだったからです。早速、スタンチクはローマンに自分の芸を教えることにしました。

「最初 ハ コレ ニ シマショウ」

 スタンチクはローマンと出会った時のように、手から花束を差し出しました。

「こんなことで本当に笑わせることができるのか?」

「エエ、デキマストモ。貴方ガ心カラ人ヲ笑顔ニシタイノナラバ」

「……そうか」

「サア、マズハ 練習 シテミマショウ!!」

 そうして、スタンチクは様々な芸をローマンに教えていきました。最初は手品を、パントマイムを、道具を使った芸を、歌を。ローマンは賢い子どもでしたので、すぐに芸を身につけていきました。スタンチクはローマンが芸を身につけるたびに、彼の両親に披露させました。それは人を笑顔にする喜びを沢山感じて欲しかったからです。その次は彼が見下していた友達へ披露させました。最初は嫌がっていたローマンでしたが、彼がその芸を披露するとみんな満面の笑みを浮かべて、大きな拍手を彼に送ったのです。ローマンは人を笑わせるたびに胸が温かくなるのを感じました。

「そうか、人を笑わせることは楽しいな。なるほど、お前があんなに人を笑わせようとしていたことを、今ならよく理解できる」

「ソウデショウ、ソウデショウ」

「しかし、まだ僕には勉強が必要だ。僕はまだ、1番笑顔にしたい人を笑顔にしていない。もっと、僕に芸を教えてくれ」

「ハイ、ヨロコンデ」

 穏やかな春から、暑い夏へ変わり、そして風が少し冷たい秋になり、いつしか雪が降る冬を迎える頃、ローマンはスタンチクの芸のほとんどを身につけていました。

「ありがとう、スタンチク。今の僕には世界で1番笑わせたい人を笑顔にする自信がある。全ては君のおかげだ」

「イエイエ、ドウイタシマシテ」

「これから僕はポーラに会いに行く。君から教えてもらったとっておきの芸を披露して、いつの日かの君のように、彼女に笑顔をプレゼントするんだ」

「貴方ナラ、キット 彼女 ヲ 笑顔 二 デキマス」

「では、行ってくるよ」

 ローマンはポーラのお屋敷へ出かけました。スタンチクはローマンが帰ってくるのを楽しみに待っていました。また、少し不安でもありました。もし、ローマンが彼女を笑わせることができなかったらどうしようと。しかし、スタンチクの中からその不安はすぐに消え去りました。なぜなら、ローマン以外の誰もかも笑顔にできる自分の全てをローマンもまた受け継いでいるからです。だから、絶対にローマンはポーラを心の底から笑顔にさせることができると思い直しました。 数日後、ローマンは帰ってきました。しかし、彼の目は泣き腫らしたように赤く、唇を噛み締めていました。

「ドウシタノデスカ……」

 心配そうにローマンに近寄るスタンチクを、ローマンは強く払いのけました。

「無駄だったんだ。無駄だったんだお前から教えてもらったことはっ!!」

 ローマンは目尻に涙を溜めて、悔しそうな表情で、スタンチクの前から走っていなくなってしまったのです。呆然とするスタンチクの肩を、ローマンのお父さんが慰めるように叩きました。

「申し訳ありません。ローマンはああ言っていたが、貴方は何も悪くないのです」

 ローマンのお父さんは、彼がなぜあのように取り乱していたのかをスタンチクに説明しました。

「ローマンの芸は非常に素晴らしいものだった。その場にいた者全てが満面の笑みを浮かべ、彼を賞賛する大きな拍手を送った。もちろん、ポーラもだ」

「デハ、ナゼ……」

「しかし、ローマンは知ってしまった。ポーラが難しい病を患っている身であることを。ポーラの病を治すためには、あの高い山の上で、雪の降る季節に、草木も生えず、どんな生き物もいないような場所に咲く奇跡の花が必要だと言われている。しかし、冬の山は危険なのだ。大昔には雪山へ訓練のために登った兵隊たちがみな死んでしまったという言い伝えさえある。それに、そんな奇跡の花を誰もみたことがない。つまり、ポーラの病は治らないのだ。そういうことを、ローマンは知ってしまったのだ」

 ポーラを笑顔にできても、彼女の病が治ることはありません。今のローマンにとって、ポーラを笑顔にさせることは、ただ虚しいだけなのです。

「ソウダッタンデスネ……」

 スタンチクもまた、これまで感じたことのない自分の無力さを感じていました。なぜなら、人は心から笑えることで幸せになれると信じていたからです。

「スタンチク、君が落ち込むことはない。確かにローマンはポーラの命までは救えない。けれども、彼の芸を見たポーラは間違いなく、安らかな時間を過ごせたはずなんだ。ローマンもいつかそれを誇りに思える時がくる」

「…………アリガトウゴザイマス」

 スタンチクはローマンのお父さんの言葉で少しばかり元気になりました。ほんの少しだけですが、そのほんの少しのおかげで、スタンチクの心は自信を保つことができたのです。

「ローマン ノ 様子 ヲ 見テキマス」

 スタンチクはまたいつものように、いやいつも以上に滑稽な動きをして、ローマンの部屋へと向かいました。スタンチクはいつものように軽快に、しかし優しく扉をノックしました。そして、ローマンのお父さんからもらった言葉を彼にも伝えてあげようと思っていました。

「ローマン 部屋 へ ハイリマスヨ?」

 しかし、返事はありません。

「ローマン?」

 スタンチクは音を立てないようにゆっくりと、ほんの少しだけ開けて、ローマンの部屋を覗き込みました。部屋の中には誰もいませんでした。よく見ると部屋の窓が開いていて、結ばれたシーツやカーテンがロープのようになって、窓の外へ続いていることに気づきました。スタンチクは慌てて部屋の中へ飛び込み、窓の外へ体をのりだしました。シーツやカーテンのロープは地面まで垂れ下がっていて、そこから11歳の少年の足跡が続いていました。スタンチクは頭が良いので、それが何を意味するのかすぐに気づきました。そして、大慌てでローマンのお父さんの元へ駆け出しました。

「大変デス!! 大変デス!! ローマン ガ!!」

 その夜に、ローマンのお父さんは町中を捜索しました。ローマンのお父さんは評判の良い人だったので、町中の人たちも手伝ってくれました。しかし、一晩中探してもローマンは見つかりませんでした。

「キット ローマン ハ 奇跡ノ花 ヲ 探シニイッタノデス」

 ローマンのお父さんは奇跡の花が咲くという雪山へ派遣する捜索隊を編成していました。その間に、スタンチクは一足先に奇跡の花が咲く雪山へ向かいました。というのも、スタンチクの体は丈夫な木でできていますから、寒さに強く、普通の人よりもよほど丈夫なのです。しかし、それでも背中のネジが凍り付いてしまうと動けなくなってしまいます。けれども、やはりローマンが心配なのでスタンチクは居ても立っても居られなかったのです。スタンチクは雪山へたどり着くと、すぐさま大声でローマンの名前を叫びました。

「ローマンッ!! ドコ 二 イルノデスカッ!! 返事 ヲ シテクダサイ!!」

 スタンチクはローマンの名前を呼び続けました。スタンチクはローマンを探すため、雪山を登り続けました。そして、雪の中にうずくまるローマンを見つけました。

「ローマン!!」

 スタンチクはすぐさまローマンへと駆け寄りました。

「スタンチク……」

 ローマンはスタンチクの姿を見て、呆然とした表情で、弱々しい声で、彼の名前を呼びました。

「僕を連れ戻しに来たんだろう。ああ、そうだ。僕は奇跡の花を探した。そして、僕は見つけることができた」

 けれど、ローマンの表情は憂鬱そうでした。

「ナラ、ドウシテソンナ表情ヲシテイルノデスカ?」

「見つけただけなんだ。僕は見つけただけ…… 奇跡の花は命のない場所に咲く花というのは本当だったんだよ」

 ローマンはスタンチクの手を引いて、歩き出しました。

「ドコヘイクノデスカ?」

「奇跡の花がどんな場所に咲くのか、見てほしいんだ」

 ローマンはスタンチクを山の頂上近くで見つけた洞窟の入り口へと連れて行きました。洞窟の入り口は雪と氷で隠されていて、よく目をこらさないと周囲の景色と見分けがつきません。

「この中にあるんだ」

 ローマンとスタンチクは洞窟の奥へと進んでいきました。深く深く進むと、洞窟の奥にはとても不思議な空間が広がっていました。洞窟の中とは思えないほど明るく、周囲の壁の色は虹色で、様々な宝石がそこら中に散らばってキラキラと輝いていました。

「ほら、あそこ」

 ローマンが指さした場所には、どのような花にも例えることができないような、けれどもおそらく世界中のどんな花よりも綺麗だと思ってしまうような、そんな花が一輪咲いていました。

「ナンダ、アルジャナイデスカ」

 スタンチクは奇跡の花へ近づこうと一歩踏み出すと、何にぶつかってしまいました。

「オヤ?」

 スタンチクが周囲を見渡すと、その周囲にはたくさんの亡霊たちがいました。亡霊たちはスタンチクの体を掴んで前に進ませようとしません。

「スタンチク、あそこへは生きている者は進んではいけないんだよ。僕は何度も何度も説得したけれど、こいつらは何も聞いちゃくれなかったんだ」

「……ソウダッタノデスネ」

 スタンチクは亡霊たちに押し返されました。

「この亡霊たちが言っていた。こいつらはみな奇跡の花を求めてやってきて、無念を抱いたままこの山で死んでいった者だって。だから、奇跡の花を摘むものを許さないんだって」

 ローマンは項垂れていた。

「スタンチク、僕とお前は命があるだけまだマシなんだ。このままでは夜が来る。こんな寒さだから、一晩も僕は耐えきることはできないだろう。お前も、いくら丈夫だといっても背中のネジが凍り付いてしまうだろう。そうなる前にこの山を下りよう。今なら、まだ間に合うから……」

 その言葉とは裏腹に諦めきれない想いがローマンの瞳に宿っていることを、スタンチクは感じていました。そして、ここで諦めてはいけないと考えました、なぜなら、ここで引き返すともう二度とローマンを心の底から笑顔にすることなどできないと確信していたからです。

「ローマン、ワタクシニホンノ少シ、時間ヲ下サイ」

「……何をするつもりだ?」

「コウスルンデスヨ」

 スタンチクは両手でローマンの頬に触れて、彼の口角を親指で持ち上げました。

「……冷たいな、お前の手は」

「コノ体、木デデキテイマスカラ」

 スタンチクの手は冷たくても、ローマンは心のどこかが少しだけ熱くなったように感じました。

「勝手にしていいぞ、スタンチク」

「アリガトウゴザイマス。デハ」

スタンチクは再び、奇跡の花へと向かって歩き出しました。当然、亡霊たちはスタンチクの体に纏わりついてきます。

「アララ、コレハトテモ笑ワセ甲斐ガアルオ客サンデスネ」

 スタンチクはパントマイムを始めました。亡霊たちは何が起こったのかわかりませんでした。スタンチクは踊りました。歌いました。物語を語りました。彼は彼のもつあらゆる芸を披露しました。次第に、亡霊たちはスタンチクの芸に夢中になっていきました。

「サア、ローマン!!」

 スタンチクはローマンへ手を伸ばしました。

「ワタクシト共ニ、彼ラヲ笑ワセマショウ!!」

 ローマンは何も言いません。けれでも、まんざらでもない表情でスタンチクの手をとりました。ローマンとスタンチクの芸はとても見事なものでした。といいますのも、今の二人は世界中でもっとも人を笑わせることが得意な二人だったからです。彼らの息はぴったりで、まるで同じ人間が二人いるようでした。そんな彼らの芸に、亡霊たちはますます夢中になりました。次第に、周囲は亡霊たちの腹を抱えるような声に包まれていきました。

「ホラ、楽シイデショウ!! 人ヲ笑ワセルノハ!!」

 ローマンはまんざらでもない表情をしていました。

「今はひとじゃないけどね。でも、そうだ。楽しいね。せっかくお前が教えてくれたものを忘れかけていたよ」

「ワタクシガ何度ダッテ思イ出サセテアガマスヨ!!」

 二人の芸は、すっかり亡霊たちを満足させました。もはや、彼らは二人が奇跡の花を摘むことを阻むことはしないでしょう。ローマンは奇跡の花を手に取ると歓喜の涙を流しながら、これまでに見せたことのないような笑顔をスタンチクへ向けました

「サア、帰リマショウ」

亡霊たちは去りゆくスタンチクとローマンをを盛大な拍手で見送りました。

しかし、二人が洞窟の出口までたどり着いたとき、外では激しい吹雪が吹いていました。これでは、洞窟の外に出ることは叶いません。

「申シ訳アリマセン、貴方ノ言ウ通リ早クコノ洞窟ヲ抜ケルベキデシタ……」

「いや、いいんだスタンチク。お前の……君のお陰でこうやって奇跡の花を手に入れることが出来たんだ。あのまま帰ってしまったら僕はこれからずっと後悔して生きていかなくちゃならなかった。それは今ここで死んでしまうことよりも、よほど虚しい」

ローマンはうなだれるスタンチクを抱きしめました。

「だから、君は自分を責めなくていい。今は生き残ることだけを考えよう」

「……アリガトウ、ローマン」

スタンチクは始めて自分の体が人間と違うことを恨めしく思いました。それは彼の体ではローマンの言葉に対して喜びの涙を流すことができないからです。

しばらく経っても、洞窟の外の吹雪は止む気配はありません。それどころかより一層強く激しくなっていきました。そうして、外に出れないまま夜を迎えました。しばらくの間はローマンが持っていたマッチに火をつけて、消えたらまたつけてを繰り返していましたが、ほんの少し手のひらが温まるだけで、洞窟の中はどんどん寒くなり、ローマンの体は震えが止まらなくなってきました。

「大丈夫デスカ、ローマン」

「ああ……平気だよ」

そう言ったローマンの声はか細く震えていました。またもやスタンチクは自分の体が恨めしく思いました。木の体ではローマンを抱きしめて温めることができないからです。

「なぁ、スタンチク……頼みがあるんだ」

「ナンデショウ、ローマン」

「おそらく、僕はもうだめだ。このままでは夜を超えることはできないだろう」

「ナニヲ……」

「だから、これを……」

ローマンは奇跡の花をスタンチクへ渡しました。

「これをポーラに渡して欲しい…… そして、僕の代わりに……また……彼女を…………」

ローマンの声は聞こえないほどか細くなってしまいました。このままではローマンは命を落としてしまうでしょう。スタンチクはどうにかしてローマンを助けられないか考えました。マッチの火ではローマンの体は温められない。しかし、薪のように燃えるものを探すにも外は激しい吹雪が吹いています。これではスタンチクも無事では済まないでしょう。スタンチクは考えました。そして、自分の腕を見て、あることを思いつきました。

「……ローマン。コレハ貴方ガ渡スノデス。大丈夫、貴方ナラ誰ダッテ笑ワセルコトガデキマス。コノワタクシガ教エタ芸ナノデスカラ」

スタンチクは優しく満足そうに笑って、自分が着ていた道化師の衣装をローマンの体の上に被せました。

「貴方ハコレカラ、沢山ノ人ヲ笑顔ニデキマス。沢山ノ人ヲ幸セニデキマス。ワタクシヨリ、ズットズット……」


長い長い冷たい夜が明けるころ、ようやく吹雪は収まりました。外から柔らかく温かな光がキラキラと洞窟の中に差し込んで、ローマンはゆっくりと目を開きました。

「生きてる……?」

ローマンは自分の頰をつねって、確かな痛みを感じました。そして、自分の上にスタンチクの道化師衣装が被せられていたのを見ました。

「そうか、スタンチクが被せてくれたのか……」

ローマンはゆっくりと立ち上がりました。まだ少しフラフラとしますが、自力で歩くことができそうでした。彼が周囲を見渡すとスタンチクがいませんでした。

「スタンチク、どこへ行ったんだろう……」

ローマンはスタンチクが心配になりました。周りを見渡すと、近くに薪か何かを燃やした跡があったので、スタンチクは自分を助けるために薪などを取りに行っているのではないかと考えました。

「もしかしたら、外に出たスタンチクのネジが凍りついて動けないでいるのかもしれない」

そう思うとローマンは居ても立っても居られませんでした。スタンチクを探すために、ふらつく体で洞窟の外へ出ようとしました。その時、彼の足の先に何か硬い金属のようなものが当たりました。よく見ると、薪の燃えた跡の中に何か光る金属のようなものがあったのです。ローマンはそれが気になって、燃え跡の中からそれを取り出しました。それは大きなネジでした。まだほんのりと熱がこもっていました。

「…………あ、ああ」

ローマンはすぐに理解しました。それがスタンチクの背中についていたネジであること。このネジが熱をまとっていること。そして、ローマンは大きなネジを抱きしめて、洞窟中に響き渡るほどの声で泣き叫びました。

スタンチクは自分の体を燃やして、夜が明けるまでローマンの体を温めていたのでした。

ローマンが泣き疲れて、抱いていたネジもすっかり冷たくなった頃に、捜索隊はローマンを発見しました。ローマンはスタンチクの道化師衣装と大きなネジ、そして奇跡の花を持ち帰りました。奇跡の花はすぐに医者に手渡され、ポーラの病を治すための薬へ調合されることになりました。

けれども、ローマンはすっかり元気を失くしてしまいました。そんな彼を見た父親は、ある手紙を渡しました。

「……これは?」

「ある人からお前に渡して欲しいと預かった手紙だ。読んでみなさい」

ローマンは手紙を読みました。


親愛なるローマンへ

これはわたくしが奇跡の花を探しに行った貴方の後を追う前に書いたものです。もし、わたくしに何かあったときのために、伝えておきたいことだけをこの手紙に書き残そうと思いました。貴方のお父さんには、貴方が落ち込んでいるときにこの手紙を渡して欲しいとお伝えしました。

ローマン、貴方は何でもできすぎてしまうあまり、何事も一人でやりがちです。でも、本当に大切なことは誰かと喜びを分かち合うことなのです。誰かを心の底から笑顔にしたいと思ったとき、自分も心の底から笑顔になってください。それは幸せになるために必要なことなのです。曇った笑顔では、どんなに上手な芸をしても誰も笑顔になんて出来ませんから。だから、この世界で一番笑わせたい相手に芸を披露するときは目一杯笑ってくださいね。


手紙にはそう書かれていました。ローマンはまた泣きそうになりました。けれども、涙を流すのを必死にこらえて、彼は笑おうとしました。

そして、またしばらくしてローマンは今ではすっかり元気になったポーラの元へ訪れました。その日、ポーラが回復したお祝いにローマンが芸を披露することになっていました。ポーラの部屋の扉の前で、少し大きな道化師の衣装に身を包んだローマンは深く深呼吸をしていました。

「今から君に教えてもらったこと、全部出し切ってみせるよ」

ローマンはコンコンと軽快なノックを鳴らしながら、部屋の主の返事も待たずに扉を開けました。(終わり)

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