五曲目
あれからもう1ヶ月。
私の体の傷は癒えた。でも、記憶は一向に戻ってこなかった。
(これは分かる?)
(じゃあこの人は?)
(これは何かな?)
(ほら、友達のね...)
何も...思い出せない.....
「ほら、ここがみさとの部屋だぞ」
私は記憶が戻らぬまま退院した。
「何か...思い出さない...?」
「ごめんなさい...」
私の部屋だと通されても、一向に記憶が戻る気配はなかった。
「母さん」
「あ、えーと、下にいるから何かあったら呼んでね。ゆっくりしてて」
「ありがとうございます」
私はこの人達にいつまで気を遣わせてしまうのだろうか。
部屋にいても何だか落ち着かなかったので、気晴らしに外に出ることにした。
初めは付いて来ると言っていた2人も、1人で散歩したいということを強く言うと渋々ながらも引き下がってくれた。
何かあったらすぐに連絡するようにと念を押されたが。
しばらく歩くと、人通りが多くなってきた。どうやら駅の近くに来たらしい。色々なお店があり、見ていて気は紛れるが、賑やかすぎて少し疲れたので人通りがなさそうな道を選んで先へ進んだ。
ふと、細い路地の奥が気になり、そちらに足を向けてみる。
思ったより道は長く続いていた。
10分くらい歩いただろうか。
ヨーロッパを思わせる、レトロで可愛らしいお店を見つけた。
気になったのでドアを開けてみる。
低めに響くカウベルの音が心地よい。
「いらっしゃいませ。あ、お久しぶりですね!お待ちしていましたよ」
「え、と....」
お店に入るとすぐ、穏やかな笑みを浮かべた男性が出迎えてくれた。
話し方から察するに、この人と私は知り合いのようだ。
だが、私はこの人を覚えていない。
「どうかされましたか?」
何も応えない私を変に思ったのだろう。
不思議そうな顔で首を傾げられた。
「あの、申し訳ありません。私、こちらにお伺いした事があるのでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、少し驚いてから口を開いてくれた。
「...えぇ。2ヶ月ほど前になります。そちらの棚のオルゴールを気にかけて下さいました」
オルゴール.....
「すみません。先月交通事故に遭って、今、記憶がないんです」
「そうだったんですか.....ご無事で何よりです。よろしければ新作も出ていますのでオルゴール、聴いて行って下さい」
心配そうな声を出した後、男性はにっこり笑ってオルゴールの前へ案内してくれた。
(あ、この人、普通にしてくれるんだ)
それだけで私は一気に心を許した。
同情や腫れ物に触るような扱いをしないでいてくれる、私が気を使う事がない相手だと悟ったからだ。
気持ちが楽になった私は、改めてオルゴールを眺める。
「これ、かわいい...」
深い濃い茶色の木箱。
彫刻刀で掘られたシンプルなお花の柄。
手のひらより少し大きめのそのオルゴールを見て、私はぽつりと声を漏らした。
「やはりそれがお好きみたいですね」
「えっ...?」
背後から穏やかな音色が響く。
「前にいらした時も手にとってらっしゃいました」
「そうなんですか...曲、聴いてもいいですか?」
「どうぞ」
私は、この箱からどんな音色が聴こえてくるのかわくわくしながらネジを回した。
オルゴール独特の音が流れ出す。
流れて来たメロディーがどこか懐かしい感じがして、私はなぜか泣いてしまった。
何も言わず泣かせてくれた店員さんの優しさに感謝しつつ、また来ますと言って、私はお店を後にした。
不思議な出来事が起こったのはその後だった。
家に帰ると母と名乗る人から一通の手紙を渡された。
「ポストに入ってたの。みさと宛よ。差出人の名前がないんだけど、みさとのお友達かもしれないから確かめてみて」
「はい、ありがとうございます」
部屋に戻って手紙を開ける。
【こんにちは、貴女のファンです】
メッセージカードに、たった一言。
本来の私ならこれを見て気味を悪くするのだろうか?
今の私には、なんだか惹かれるものがあり、ずっとその文字を見つめていた。